猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

『壁の向こうの住人たち』のディープストーリーに共感できない

2020-11-30 23:12:28 | 社会時評


アーリー R.ホックシールドの『壁の向こうの住人たち アメリカの右派を覆う怒りと嘆き』(岩波書店)の第3部に読み進む。いよいよ、アメリカ南部の白人貧困層の心の奥底深くにある思い「ディープストーリー」を読む。この「ストーリー(story)」という語は英語では個々人のもつ主観的な記憶をも指す。

「ディープストーリー」はつぎのように始まる。

〈あなたは巡礼の途上のように、山の上へと続く長い列に辛抱強く並んでいる。いま立っているのはその列のちょうど真ん中で、前後に並んでいるのも、あなたと同じような人たちだ。年配の白人で、クリスチャン、ほとんどが男性。大卒の人もいれば、そうでない人もいる。〉

「巡礼の途上のように」という言葉は、なんとなく崇高な雰囲気を与える。しかし、ここで意外に思ったの「ほとんど男性」という言葉である。女性はどこへいったのか。女性は発言権がないのか、投票しないのか。

これまで共和党がつよかった赤い州で、今回、ジョー・バイデンがアメリカ大統領選に勝てたのは、女性の投票のおかげであるという。したがって、男性のディープストーリーと女性のディープストーリーは異なるのだろう。

〈山頂を超えたところに、アメリカンドリームがある。みんなが列に並んで待っているのは、それを達成するためなのだ。〉

この「アメリカンドリーム」は豊かになることである。実現するかもしれないし、実現しないかもしれない。しかし、意外だったのは「山頂を超えたところ」という表現である。見えないところに「アメリカンドリーム」があると示唆しているのだろうか。

この「巡礼の途上のように」ではじまるディープストーリーを著者は8ページにわたって書く。私はそのストーリーに共感できない。

著者のたとえた「列」は格差や社会的序列を表わす。決して崇高なものではない。彼らはなぜ辛坊つよく並んでいるのか。並ぶ必要はないのだ。革命を起こせ。

ルイジアナ南部に住むケイジャンは、1775年に英国政府によって捨てられたフランス系カナダ人である。その後、ドイツ人やアイルランド人やイタリア人やユダヤ人やポーランド人やいろいろな移民がアメリカにやってきた。ケイジャンは列の前に進めたか。そうではない。

著者はさらにつぎのように書く。

〈列の後ろのほうにいる人の多くは有色人種だ。若い者も年老いた者もほとんど大学を出ていない。振り返るのはこわい。あなたの後ろにはあまりたくさんいて、原則として、あなたは彼らの幸運を祈っているからだ。〉

ここでも、「原則として」という変な言葉がある。これ以降の句は自己欺瞞の言葉だろう。「振り返るのがこわい」が本音だ。社会的格差や序列の中でさらに落ちる不安におびえているのだ。彼らも私たちも、職を失う不安のなかで暮らしている。

この不安を打ち消すために、新しい移民や有色人種や障害者が不正な手段で格差の階段を上がっていくと非難しているのだ。しかし、私は彼らに言う、「あなたはならぶ必要がない、格差も秩序も もういらない。銃をもって公害企業の経営者や金持ちを撃ち殺せ。革命だ」。

彼らは辛坊つよく並んでいるというが、不安や被害者意識に捉えられ、憶病なので格差を作っているものを見ないのだ。それをごまかすために、教会に通い、ティーパーティーに参加し、カウボーイのように肉体的なリスクを冒したり、犠牲的精神をもっているかのように仲間内でのヒロイズムを演じたりしているのだ。

私は彼らに同情できるが、共感できない。『壁の向こうの住人たち』の著者はどのように壁を壊そうというのだろうか。

しかし、これはアメリカ南部だけの問題ではない。日本の問題でもある。「叩き上げ」の菅義偉や「保守の王子様」の安倍晋三を日本人は罰していない。

『壁の向こうの住人たち』、ルイジアナ州の住民のディープストーリー

2020-11-29 23:03:33 | 社会時評
 
日曜日も、散歩のあと、アーリー R.ホックシールドの『壁の向こうの住人たち アメリカの右派を覆う怒りと嘆き』(岩波書店)を読む。まだ、第2部である。じっと耐えて列を作っているのに横から割り込んでくるという話しは第3部で、まだ、そこまではいっていない。
 
第2部では、進出してくる大企業がルイジアナ州の住民に話す大きな夢と、すさまじい環境破壊の現実とが、描かれる。
 
ルイジアナ南部では岩塩がとれる。幅およそ4.8キロメートル、深さおよそ1.6キロメートルの岩塩層があり、堅い頁岩層で挟まれている。岩塩の採掘で、さまざまな大小の空洞ができ、そこに、また、企業が石油やさまざまな有毒な化学物質を貯蔵している。
 
問題は、掘削ドリルが間違って空洞の壁を破ってしまい、地盤が崩れ、木々や茂みを中に引きずり込み、油や有毒物質が吹き出たのだ。
 
これは、日本でも、栃木県あたりで、石材の採掘でできた空洞に住宅が落ち込むことが起きている。採掘のあとの空洞が埋めなおされないからだ。
 
ルイジアナ南部の場合、貯蔵庫として使われているから、油とともに有毒物質が地上に噴出してくる。また、いったん空洞が壊れだすと、それが周囲の空洞に広がっていく。
 
人々は、このような人為的な災害に企業の責任を追及しないで、わずかな和解金であきらめていく。いろいろな規制を行う連邦政府を「自由」の抑圧と非難するが、公害を引き起こす企業をすごく憎んでいるにもかかわらず、その企業への非難は腰砕けになる。そして、そのような企業を誘致する州知事や市長に選挙では投票する。
 
公害企業の仕事にありつくために、どうして、自給自足の豊かな生活を捨て、自分たちの健康をむしばむ状況に身を置くのか、と私は思ってしまう。
 
著者は、第1部で出てきた「構造的健忘症(structual amnesia)」と「終末信仰」を第2部でも再び取り上げて、この問題をそれで解釈しようとする。
 
「構造的健忘症」とは、単なる健忘症ではなく、社会で優勢な価値観に合わない出来事を選択的に忘れていくことをいう。
 
「終末信仰」は、ヨーロッパでキリスト教が土着化することによって発展した信仰であり、聖書に書かれているわけではないが、聖書にそう書かれていると貧しい人々が信じて、耐えがたきを耐えている。
 
〈黙示録の言葉を引用し、「大地がすさまじい熱に焼かれるんですよ」と説明する。火には浄化する力がある。だから千年後に、地球は浄化される。それまではサタンが暴れまわるのだそうだ。エデンの園には、「環境を傷つけるものは何もありません。神がご自分の手で修復なさるまでは、神が最初に創造なさったとおりのバイユーを見ることはできないでしょう。でもその日はもうすぐやってきます。だから人がどんなに破壊しようとかまわないんですよ。」〉
 
ルイジアナ州の住民は、誇り高き、しかし、見捨てられていく弱き人々である。
 
「構造的健忘症」にしろ「終末信仰」にしろ、合理的な目をすて、強いものと対決せず、耐えがたきをたえるという人々の思考に、どうやって、著者は共感を寄せていくのか、著者と赤い州の住民の壁はますます高くなっていくように思える。

ディープストーリーを求め ホックシールドの『壁の向こうの住人たち』を読む

2020-11-29 00:02:13 | 社会時評


「ディープストーリー」という言葉に興味を持って、アーリー R.ホックシールドの『壁の向こうの住人たち アメリカの右派を覆う怒りと嘆き』(岩波書店)を読む。

彼女(アーリー)の疑問は、右派の共和党とフォックスニュースが、「貧困層支援の打ち切りを画策し、権力をにぎる1パーセント層の力と財産を増やそう」として、連邦政府の介入を大幅に排除しようとしているのに、赤い州(共和党支持の州)の貧しいはずの人々がなぜ、彼ら右派を支持するのか、ということである。この謎を解くため、赤い州のルイジアナ州に訪れ調査したレポートが本書である。

〈私は、その人にとって真実と感じられる物語――これを“ディープストーリー”と呼ぶことにする――を聞いていくうちに、この核に近づけることを実感するようになった。〉

日本ではルイジアナ州は、観光地ニューオーリンズで知られている。

しかし、本書によれば、ルイジアナ州の白人は、ミシシッピ州を除くと、どの州の白人より貧しい暮らしをしている。そして公害企業が立ちならぶところでもある。

どうして、そんなに公害企業が呼び寄せられるのか。本書によれば、「住民にとって望ましくない土地利用」にあまり抵抗を示さない地域だからである。そういう地域の「住民特性」について、コンサルタント会社の調査報告があるという。
  • 南部か中西部の小さな町に古くから暮らしている。
  • 学歴は高卒まで。
  • カトリック。
  • 社会問題に関心がなく、直接行動に訴える文化を持たない。
  • 採鉱、農耕、牧畜に従事。
  • 保守的。
  • 共和党を支持。
  • 自由市場を擁護。

ルイジアナ州にカトリックが多いのは、昔カナダのフランス系移民がイギリス政府と争ったとき、投降した人々はルイジアナ州南部に捨てられたからである。ケイジャンというそうである。この話は、カナダにいたとき、フランス系カナダ人から私も聞いていた。

しかし、カトリックだから権力と争わないというのは、プロテスタントの偏見ではないかと思う。

私は、まだ、第一部しか読み切っていないので、彼女が見出した「ディープストーリー」に遭遇していない。しかし、それでも興味をひく記述に出くわしている。

〈「わたしたちはうちが貧乏だとは知らなかった」と彼は言う。その後、わたしが知り合った極右派の人々に、それぞれの生い立ちや両親の子ども時代の話を聞かせてもらったときにも、これと同じ言葉を何度となく耳にした。〉

彼女が調査を通して親しくなった人々(私と同じかそれ以上の年齢)は7人くらいの兄弟がいる。それだけの子どもが育てられたのだから、「うちが貧乏」と思わないのは当然のように思う。お金がないだけで、自給自足で生活ができたのだ。

〈「リベラル派はこう思っているのよ。聖書を信じている南部人は無知で時代遅れで、教養のない貧しい白人ばかりだ、みんな負け犬だって。私たちのことを、人種や性や性的嗜好で人を差別するような人間だと思ってるのよ。それからたぶん、デブばかりだってね」〉

高学歴であるから教養があるわけではない。教育を受ければ金持ちになれるわけではない。金があるから幸せなわけではない。

〈(アネットは)70代の美しい女性で、金灰色の巻き毛をひっつめて、頭の高い位置でまとめ、眼鏡をかけて、ピンクのブラウスに、花柄の長いスカートをつけていた。心のあたたかい、溌溂とした人だ。やわらかい声でゆっくりとしゃべり、ハロルドの話をじっと聞いていて、時折、補足や修正を加えていた。〉

昔、私がカナダにいたとき、論文共著の教授の妻もゆっくりとした南部訛りでしゃべる人だった。「やわらかい声でゆっくりとしゃべり」が目に浮かぶ。南部訛りは美しい英語だ。

それだけでなく、南部や中西部の古くからの小さな町にはコミュニティがあった。

しかし、公害企業の乱立は、彼らの豊かな生活を破壊していく。川の水は飲めなくなり、野生動物もヌマスギも死んでいく。魚介類は有害物質を含んで、食べることは勧められない。水銀公害の水俣を思いうかべれば良い。

それにもかかわらず、観光地としても食っていこうと、各都市の役所はいろいろなフェスティバルを催す。

第一部は、つぎのように終わる。

〈わたしは、右派の中心地に暮らす人々が話すこと、口をつぐんでいることを理解しようとし、ティーパーティーのメンバーである友人たちがどんなことに耐えているかを見てきた。しかし共感の壁は、思っていたよりも高かった。私には、彼らに見えないものが見えた。しかし、自分の目に見えないものは見えなかったのだ。私は、彼らの目に映っているもの、彼らがたいせつに思っているものを自分がまだ見ていないと感じていた。〉

悪夢は不安や恐怖を伴った記憶断片の誇張された再体験

2020-11-26 16:53:28 | こころ
 
きょう、久しぶりに悪夢を見た。悪夢とは、強い不安や恐怖を引き起こす夢である。不安や恐怖といった情動を伴った記憶の断片をつなぎ合わせて、外の世界からの入力もないのに、理性的な制御も受けなく、想像を膨らませ、誇張された再体験を脳がするのだ。
 
夢は別に予見ではない。また、深層心理を象徴しているという大げさなものでもない。誇張された記憶の断片の再体験である。
 

大きくなって私が悪夢をあまり見なくなったのは、夢を見ていて夢だと気づいたとき、途中からストーリー展開を変えることができるようになったからである。こんなはずはない、夢だ、どうせ夢見るなら、楽しい夢を見ようと、念ずるようになったからだ。そして、本当に、夢を変えることができるようになった。

 
子どもの時代の悪夢に、大火事や大洪水がある。
 
町が火事で、あちらが燃え、こちらが燃え、逃げ惑うのである。じつは、私は火事を見るのが好きだった。町の東本願寺が燃えて焼け落ちるときは、自転車にのって見に行った。また、大通りを挟んで向かいの家が燃えたときも、火の粉が飛んでくるのをきれいだなと思って眺めていた。
 
本当の火事の記憶と 母から聞いた空襲の記憶とが結びついて、悪夢を作っていたのだろう。
 
洪水も逃げ惑う夢で、どんどん、あたりが水につかっていく。この場合も、じつは、台風が来て大雨が降ると、川の氾濫を見たくて わざわざ川まで行っていた。
 
それから、鬼やゾンビやドラキュラの夢がある。やはり、逃げ惑う夢である。5歳上の兄と争って逃げ回っていた記憶がつながったのかもしれない。小さいときの夢では、家の中の押し入れや天井に隠れるシーンが出てくる。大きくなると舞台がビルや町や山になる。また追うものに警察官などの人間たちが加わった。
 
山から下りるとき、急に傾斜がきつくなって、道もなくなり、どう降りたら良いかわからなくなる悪夢も見ることがある。きょう見た悪夢の1つはそれである。
 
小学校に入る前に、兄やその友達と神社の石碑の上によじのぼって降りるときに、足を滑らせて頭から落ち、額から血がドバっと流れたことがある。小さいときだから、すごく高く大きな石碑だったように記憶している。これと、小学校高学年からの山登りの記憶と結び付いたのだろう。
 
大人になってから見る夢には、飛行機に乗り遅れたり、飛行機が今にも落ちそうに低空飛行したりする悪夢が加わった。会社に務めて、飛行機に乗る機会が増えたからである。
 
さらに、就職できないで肩身が狭い思いをして、弁解している夢も見るようになった。
 
博士号をとって、大学院を修了したとき、教授の紹介する職を断って、ドイツ政府の奨学金の面接を受け失敗した。ドイツ語の面接で、kleinなものを研究しているのですね、とドイツ大使館員に言われ、何も答えられなかったからだ。
 
私自身は、帰属先がなくブラブラしているのが嫌いでなかったのだが、結婚していたから、稼がなくちゃいけないと思い、予備校の職についた。それからしばらくして、子どもができたとき、研究に専念したくなって、カナダのポストドクターの仕事にありついた。4年目に雇い主の大学教授に日本に戻ったらと言われ、外資系の会社に就職した。
 
就職できないでウロウロしている悪夢は、なぜか、就職してだいぶたってからである。この悪夢は膨らんできて、再度、ポストドクターでアメリカに渡っているとか、大学に入り直しているとかして、それが、うまくいっていないというストーリーに発展した。
 
会社を辞めてから、悪夢はまた増えた。定年で辞めたはずなのに、会社でまだ働いている夢である。引退したので社員証がなく、だれか自分を知っている人がいないと建物の中に入れないという夢である。不安というより屈辱感かもしれない。
 
きょうの高いところから降りられないという夢は、うまく切り抜けられた。私は、スーパーマンのように、まわりの木を引き抜いて、杖のようにして、無事、下に降りられた。
 
つづいて見たきょうの夢は、大学に入り直したバージョンである。私は、大学に入り直したが、なぜか授業に全然出てない。授業科目も校舎も子どものときの中学校に似ている。急に、単位取得のテストに自信がなくなり、追い詰められたところで目が覚めた。

新型コロナ感染者の急増への政府の中途半端な対応

2020-11-24 23:17:19 | 新型コロナウイルス


「Go Toキャンペーン」が全国各地の観光地の人混みが拡大したのに、政府分科会が中止を提言したのに、札幌市の場合でも、来月の1日まで、「Go To トラベル」も「Go To イート」が続くという。

「三密」の原因となる人混みを解消するには、「Go Toキャンペーン」即時中止が一番効果ある。即時中止を決めて旅行業や宿泊業や飲食店の損失保障を対象業界と話しあえば良い。菅義偉は「有言実行」というが、全国的に新型コロナの感染者が急増している今、キャンペーンを即時中止するのでなければ、効果がうすれ、中止を「実行」したといえない。

今回の件でいくつかの問題があきらかになった。

その1は、政府分科会のメンバーが分科会の即時開催を請求する権限がない。開催請求権がないとタイムリーな提言ができない。今回の3連休の1週間前に分科会を開催すべきだった。

その2は、厚労省の新型コロナ対策班も、政府分科会も、感染者の急増を事前に予測し、警告することができなかった。全国各地からの情報をもとに、統計モデルを立て、予測する者がいなかった。

その3は、医療現場の危機を政府が理解していなかった。ベッド数だけで現場の状況が把握できるのではなく、現実に稼働可能な医療従事者の数を把握していない。また、重症者はなかなか退院できないから、重症者数はどんどんたまっていき、一部の病院の負荷がたまる。医療現場の問題を分析し、危機を予測できる者が政府内にいなかった。

その4は、経済を守るという意味を誰も真剣に考えていないことである。基幹産業が動いていれば良いのか、職を失う労働者(workers)を救済すればよいのか。旅行業、宿泊業、飲食業を救済しなければいけないだろうが、それだけが経済活動ではないだろう。

その5は、経済と感染対策が簡単に両立するものではない。国民の多数が免疫をもつまで感染対策をしなければ、感染爆発が起きてしまうのだから、日本人は新型コロナに抵抗力があるなどとの安易な楽観に政府自身が陥ってはならない。したがって、感染対策を進めながら、経済の「破綻」を防ぐという政策を取らなければならない。したがって、どの産業はどの程度の余力があるのか、どの産業の崩壊が国民全体に直接的に危機をもたらすのか、を把握しなければならない。政府は、経済対策を政権党のための選挙対策と混同しているのではないか。

その6は、政府にグランドデザイン力が欠けているのではないか。この構想力の欠如が、まさに「叩き上げ」の菅義偉の欠点である。

[補遺]
数年前に田舎に帰ったとき、小規模な工場を経営している高校のときの同級生が、観光ばかりを優先する政策を地方がとっている、とこぼしていた。
安倍政権は、観光で国の経済が成り立つかのように言ってきたが、農業や製造業や流通業が国の経済の骨幹を作っており、その余剰でみんなが観光や飲食店に行けるのである。観光しか、地域経済政策がなかった安倍政権のツケが今来ているのではないか、と思う。