猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

日本製鉄によるUSスチールの買収をバイデン米大統領が阻止

2025-01-08 03:15:43 | 経済と政治

ジョー・バイデン米大統領が1月3日に日本製鉄によるUSスチールの買収を阻止する命令を出したことに、テレビだけでなく、新聞までが社説で非難の合唱をしている。

「米政府は、独善的な姿勢を改めるべき」(朝日新聞)、「日米関係に禍根を残す」(読売新聞)、「経済的合理性を著しく欠く」(東京新聞)、「米国への信頼を損ねる理不尽な判断」(毎日新聞)、「不当な政治介入」日経新聞、「極めて残念な判断」(産経新聞)。

買収は経営者や資本家によるマネーゲームの1つにすぎないのに、どうして、みなが、日本製鉄の肩をもつのだろうか。新聞社の1つぐらい、日本製鉄の経営陣を非難したって良いのではないか。全米鉄鋼労働組合はこの買収に一貫して反対している。ジャーナリストたるものが、国際競争の負け組である日本製鉄の経営陣の安易な生き残り作戦を支持するとは、恥ずかしい限りである。

そもそも買収や吸収合併はなぜするのか。市場の拡大、寡占による価格形成力、労働者の解雇による生産性の向上、設備・技術・販売網の獲得、株価の維持・上昇などなどである。

日本製鉄とUSスチールの経営陣は雇用を削減しない、工場を閉鎖しない、生産を削減しないと対米外国投資委員会に申し出たというが、逆に、これらは日本製鉄の買収の目的を表わしているのではないか。

2023年の粗鋼生産量では、世界1位が中国メーカ、2位がルクセンブルクに本社のメーカ、3位が中国メーカ、4位は同率で日本製鉄と中国のメーカ、6位が韓国メーカである。国別の粗鋼生産量では、中国がダントツで10億1910万トン、インドは1億4020万トン、日本は8700万トンと続く。鉄鋼の需要は伸びていなく、横ばいが減少の傾向にある。

日本製鉄の経営陣は、本来、USスチールの買収ではなく、自分たちの技術や設備などの向上に投資すべきだった。中国やインドの市場に日本製鉄は食い込めていないどころか、競争力がなく、敗退しているのである。

日本製鉄の経営陣は、バイデン大統領の買収拒否が「米国へ大規模な投資を検討しようとしている米国の同盟国を拠点とする全ての企業に対して、投資を控えさせる強いメッセージを送るもの」と記者会見で偉そうに言う筋合いのものではない。バイデン大領の買収阻止命令を非難する日本側の大合唱こそ、「日米関係に禍根を残す」ものになるのではないか。


佐伯啓思の異論のススメ『SNSが壊したもの』

2025-01-02 20:22:42 | 社会時評

しばらく、体調が悪く横になっていたので言いたいことが溜まりに溜まっている。ここでは、朝日新聞の昨年12月25日の佐伯啓思の寄稿『SNSが壊したもの』を取り上げる。

佐伯啓思は、そこで、社会に対するSNSへの影響力が「途方もなく大きく、さまざまな問題を生み出している」と論ずる。

「SNSはしばしば、個人の私的な感情をむき出しのままに流通させる」

「SNSは万人に公開されているという意味で高度な「公共的空間」を構成しているにもかかわらず、そもそも「公共性」が成立する前提を最初から破壊している」。

そして、つぎのように佐伯は結論する。

「SNSによる政治と社会の混乱は、ただこの技術の悪用というだけの問題ではない。それはまた、近代社会を支えてきた「リベラリズム」という価値観の限界を示しているとみなければならない」。

佐伯は何を「リベラルな価値」と言うのか、何が「価値観の限界」なのか不透明なので、結論は、いつもの持論「リベラルな価値」の悪口に見える。

私の子ども時代に、ラジオやテレビのようなマスメディアが社会に大きく影響を及ぼしたとき、類似の悪口が言われたのを、私は覚えている。素人の意見が公共の電波を通じて万人に伝わることを自称専門家が憂いていた。このときの「力を失う既存メディア」は、新聞であり、専門家の言論空間を構成する月刊誌であった。そして、新興のマスメディア、テレビやラジオは、SNSと同じく広告収入で運営されていた。今も昔もメディアは金儲けを是とする社会に支えられていたと言える。

私にとって、佐伯の危惧は、結局、大衆に対する彼の不信と不安の現われに見える。

それでも、SNSは大衆が容易に発信者になれるので、従来のメディアより魅力的である。現在、XやYouTubeやTikTokのように、SNSは内容や記述が情動的なものが多いが、それに対抗して、倫理的なもの、論理的なものを投稿したって良い。確かに「悪貨が良貨を駆逐する」という諺があるが、もともと、昔から「悪貨」が流通していたのだから、懲りずに良質な言論を疑似公共空間に送りつづけるのが大事であり、それが、世の中がいつかは良くなるという希望である。

私は、SNSの特性の問題よりも、知識をもっている人が本当のことを発言しなくなるのを恐れる。