猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

株価維持だけに目を奪われる自民党に政権を任せられない

2024-10-04 12:02:24 | 経済と政治

自民党総裁選が終わってから株価が乱高下している。新聞を読むと、新首相になった石破茂は、株価維持のためにこれまでの発言を修正し、金融緩和を続けるという立場をほのめかしている。

金融緩和の問題は、円安を維持するのか、円ドル相場を元に戻すのか、そして、株価高と物価高のどちらを選択するのか、という問題に帰着する。経済政策の目標をどこに置くかの問題である。株価があがっても株保有者の名目上の所得が上がるだけで、デフレの本当の原因、富の偏在のために需要が減少していることの対策にならない。

デフレは生産力にくらべ需要が伸びないときに起きる現象である。日本の戦後の復興期のデフレは、アメリカに需要を見出すことで解決してきた。しかし、それは、デフレの輸出にあたる。当然、日米摩擦が起きる。最近のデフレは、中国の経済成長による需要の増大によって、日本のデフレが多少カバーされてきた。

私が現役のとき、当然潰れるはずの新日鉄や小松製作所が、中国の需要の増大で、息を吹き返した。しかし、その中国も経済成長に陰りが出ている。建設業に破綻が出始めている。

日本は、もはや、輸出によってデフレを脱却できないことが、一般には充分に理解されていないように思える。金融緩和も、株価維持政策も、インフレ政策も、日本の不景気の根本解決に導かず、富の偏在の解消しかない。

金融資産の課税を強化するという政策は、石破茂が最初に言いだしたのではなく、3年前に岸田文雄が首相になったとき、施政方針で初めて述べたことである。しかし、岸田は財界からの反対でそれをできず、かわりに、新NISAなどと言いだした。石破はもっとひどく、首相になったとたんに、過去の発言を撤回し、富の偏在の是正に言及しなくなった。

3週間前に、朝日新聞の夕刊に、一橋大学の経済学教授の陣内了が、インフレ政策が如何にいけないことか、述べていた。第1に、インフレは実質的に賃金の引き下げである。第2にインフレはお金の借り手に有利で貸し手に不利である。インフレは連鎖倒産を防げるかもしれないが、年金生活者や福祉に頼っている人たちを生活困窮に貶める。

J. ガルブレイスは『ゆたかな社会』で、年金や生活保護や失業保険は、社会の需要の底支えをする役割があり、社会の安定性を保つために必要だと言っている。

また、泉健太は、今回の立憲民主党の代表選で、インフレは消費税による税収入を増やすが、企業や資産家の課税は増やさない、結果として、貧しい人たちの税負担の割合を増す、と指摘していた。

富の偏在に言及せず、株価維持だけに心が奪われる自民党政権が、このまま、続いていいものと私はおもわない。


新しい資本主義はどこに行ったのか、経済論争を避ける自民党総裁選

2024-09-24 16:29:54 | 経済と政治

きょう日経平均株価が先週末より160円上がった。自民党総裁選で高市早苗候補が勝つ可能性が出てきたからだという。アベノミクスが復活することを期待してだという。

まことにバッドニュースである。そうなったら悪夢である。

岸田文雄は、3年前の9月、「新しい資本主義」を唱えて自民党総裁になり、日本の首相になった。「新しい資本主義」となんだったのか。行きづまっている「資本主義」を建てかえる話ではなかったのか。

自民党総裁選では、経済のまっとうな討論は行われなかった。

小泉進次郎の言うように解雇しやすくすれば、景気が良くなるのだろうか。小泉純一郎の規制緩和が国民に何か利益をもたらしたのだろうか。

アベノミクスの3本の矢「財政政策」「金融政策」「成長戦略」は昔からマクロ政策である。単に「機動的財政策」「異次元の金融緩和」「国家戦略特区」と言葉を飾っただけである。日本の産業の競争力は安倍政権下で沈下続けた。日本の大企業の経営者に甘い税優遇政策や資金調達の便宜をはかれば、景気が浮揚するということはありえるのか。安倍政権が唱えた2パーセントインフレ目標に何か根拠があるのだろうか。

高市早苗が安倍晋三の経済政策を受け継ぐということが誰にとって良いことなのか。

岸田文雄は、小泉純一郎、安倍晋三の誤りを修正するために、「新しい資本主義」を訴えたはずである。新NISAが目標ではない。

資本主義の云う自由市場は虚構である。現実は、生産者・流通者・消費者の価格形成力は産業ごとに異なり、自由市場はない。需要と供給のバランスで価格が決まるのいうのは、短期的にはウソである。生産者が価格形成に力を持っていれば、需要が増えれば、価格を上げるか、生産量を増やすかの選択は生産者にある。

いま起きているインフレを、経済の拡大と賃上げの好循環にすると岸田政権は言っているが、そんなことは歴史上起きたことがあるのか。

「新しい資本主義」なんて、そもそもありえないのか、単に日本の政治家や経済界の質が悪いから実現できないのか、政治家が信頼できない以上、経済学者は本当のことを発言すべきだと考える。


超円安「新興国化」する日本、朝日新聞多事奏論

2024-04-21 21:46:51 | 経済と政治

きのうの朝日新聞《多事奏論》で、編集委員の原真人は「(超円安は)物価高に拍車をかける『悪いニュース』だ」と書いている。

良いニュースか悪いニュースかは、その人の立場によって異なる。私のような年金生活者にとっては物価高は悪いニュースである。退職金を年金にまわしたが、その年金は月額固定方式だから、実質的収入は60%ぐらいになった。

日本の財務官僚は、超円安は願ってもないインフレの契機だから、ホクホクだと思う。国債の返還が楽になる。あとは、日本企業を潰さないことに神経を集中すればよいと考えているのだろう。

税制を変えずに、物価高になって賃金が上がれば、税収が増える。じっさい、昨年度はインフレのおかげで予測より税収が増えた。ただ、岸田政権は税収増を借金を返すのではなく、税収増を選挙対策のバラマキに使おうとしている。それだけでなく、大企業向けの減税を行っている。

いまは明白な汚職は政権レベルでは行わなわれなくなったが、財政支出や企業向け減税と引き換えに、自民党は企業に寄付金を求めている。これが政治資金パーティ券問題の本質である。

原真人は、日本の為替相場が投資ファンドの投機対象になっていると、指摘している。経済が弱体化したとき、投資ファンドに簡単に左右されやすくなる。物やサービスの輸出入の収支は赤字が続いている。しかも、米国の政権は、円安に協調介入するには、弱すぎる。米国の大統領選挙が終わるまでは、この混乱がつづくだろう。

株もファンドの投機対象になっており、乱高下している。経産官僚や財務官僚は、健全な企業の育成をどう考えているのだろうか。

先日、朝日新聞は、政権が大企業に大幅な減税を行っているが、どの企業がどれだけ減税の恩恵を受けているかを公表していないと1面で報じていた。自民党のでたらめによって、国策を誤らないために、経産官僚や財務官僚は、事実は事実としてデータを公開すべきではないか。

自民党とともに心中することがないよう、政治にもっと関心を持ち、政治に参加すべきだと考える。


賃上げ今後も続く? デフレ脱却? 景気の好循環?

2024-04-18 23:18:20 | 経済と政治

(John Maynard Keynes)

経済は、人間の欲望と関係するから、本当のことを言わない議論が多くて、わかりにくいったら、ありゃしない。たとえば、岸田政権や日銀が言う「景気の好循環」がそれである。

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きょう、古新聞を整理していて、3週間前の朝日新聞の『《耕論》賃上げ 今後も続く?』の小峰隆夫の議論に違和感を感じた。

「労働組合が賃上げ求め、経済界も社会的責務だと言い、政府も旗を振っていて国民運動のようになっています」「全員が同じことを言っているときは何かおかしいと考えるべきです」

確かにここまでは一理ある。しかし、小峰はつぎのように言う。

「政府と日本銀行がやろうとしているのは物価が下がり続けるデフレからの脱却です」

デフレとは何かの説明を政府や日銀から聞いたことがない。また、なぜデフレから脱却すべきかを聞いたことがない。

デフレは単に物価下がることではない。一般の人が物やサービスを買うだけの充分なお金を持っていないことである。そのため、売り手は、買い手が買える値段にするため、質の悪いか量の減らしたものを売るのである。したがって、一般の人が貧困化しているということである。これを不景気と言う。

だから、多くの人が貧困化するのを止めることが、政府に求められる。とは言っても、「デフレ脱却」は「物価を上げる」ことではない。それなのに、安倍政権は「インフレ率2%」を目標として「異次元の金融緩和」を行った。

貧困化対策であるべきものが、なぜ、コントロールされたインフレ政策になるのか。これは、自民党政権と財務官僚が過去積み上げてきた政府の借金を、減らすためにインフレ政策をとろうとしているからである。

政府の借金を減らすなら、少なくとも新たな借金をしないことである。巨額の国債を毎年新たに発行しないことである。バラマキをしないことである。

ジョン・メイナード・ケインズは不景気からの脱出に財政出動を提案したが、自民党政権の行なう財政出動は、選挙で自民党に投票する層に儲けさすための財政出動である。特定の層にお金が行くから、いつまでたっても財政出動が、多くの人の貧困化を止められない。

また「異次元の金融緩和」が貧困化を止めることができるという保証もない。企業経営者を甘やかしているだけである。じっさい、アベノミクスは、政府の借金を増やしつづけたが、デフレを止められず、日本社会に、人々の経済格差を広げた。

小峰は「大規模な金融緩和を続けてもさほど上がらなかった物価上昇率は、ウクライナ危機による石油価格の値上がりを受けて、あっという間に2%を超えました」と言う。

本当に「ウクライナ危機」が物価上昇の主要因だろうか。「円安」が主要因ではないか。

円安は国際的な投資グループによる投機の結果である。日本が投機の対象になったのは、日本と欧米との金利差と、実際に日本の企業が物やサービスの輸出において国際的競争力を失い、国際収支で赤字を続けているからである。

日本の企業はどうして国際的競争力を失ったのか。自民党政権は日本の企業経営者を甘やかしたため、パーティ券の購入など、自民党を支えることに目がいって、企業が競争力をもつことへの努力を怠ったからである。国外にサプライチェインを求め、国内に雇用を求めなかったからでもある。現場でのものづくりをしないと、技術革新なんて生まれない。

小峰はつぎのように言う。

「賃金と物価が上がれば実質賃は上がらず、国民生活が良くなるわけではありません」「賃金を上げたからといって好循環が実現するとは限りません」

ここは同意できる。しかし、つぎの主張には注意がいる。

「労使が協調して賃金だけ上がっても、生産性が上がらなければ経済は成長しません」

この「生産性」とは何かが問題となる。技術革新で生産性が上がるのは、時代の産物である。だから、どこでも生産性が上がり、結局、賃上げにつながらない。賃上げは、企業の分配の問題である。企業の収益は、株主のものか、経営者のものか、管理層のものか、労働者のものか、という分配の問題である。「労使が協調して賃金が上がる」というほどの簡単な問題ではない。賃金をコストとして計算する現在のミクロ経済学にそもそも誤りがある。

小峰の「賃上げは物価上昇率と企業収益、労働需給の3点決まる」もおかしな論理である。

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安河内賢弘のほうが、本当のことを言っていると思う。

「(労組は)雇用維持などのために賃下げや非正規労働者の拡大を受け容れ、最終的にはリストラも認めたこともあった。果たして雇用が守れたのかという点は、反省する必要があります」「(労組が)緊張感ある労使関係をつくり、自負と責任をもって運動を強化することが大切です」

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経済は人間の活動であるから、人間の欲望の衝突を排除できない。本当のことをいって、議論しなければ、解決策を見つけられない。

岸田文雄の言う、物価上昇と賃金上げとその価格転嫁という「好循環」は、急激な「物価上昇」による国民の自民党離れを恐れての、新たなウソにすぎない。岸田政権も、政府の借金を減らすために、あくまで、インフレを望んでいる。2%が公平なインフレ率であるかの本音ベースの議論が必要である。国際的投機から、どのようにして日本経済を守るのかの真面目な議論が必要である。

ナチスが台頭するまでの20世紀のドイツの歴史を追うと、結局、SPD(ドイツ社会民主党)の労使協調路線が国民の潜在的不満をため込み、世界的不況を契機に、1930年からの急激なナチスの台頭を招いたとも解釈できる。1928年の選挙では、ナチ党は、全投票数のうち、わずか2.6%しか得ることができなかった。それが1932年に37.3%を得て、ナチ党は議会の第1政党になった。


貧困化は自分のせいか、社会がおかしいのか

2024-03-25 21:38:12 | 経済と政治

先週の金曜日の朝日新聞に関心を引く記事が2つあった。1つは雨宮処凛の新刊についてのインタビューであった。もう1つは『(耕論)評価と生きる』であった。

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雨宮処凛が新刊『死なないノウハウ 独り身の「金欠」から「散骨」まで』(光文社新書)の執筆のきっかけに答えている。最近まで中間層だった人が貧困化しているケースによく出合ったからと言う。最近まで中間層だった人は、貧困から自分の身を守る「サバイバルの知識」に欠けていると言う。

雨宮は言う。

「収入が生活保護基準をわずかに上回る人たちを支える制度がほぼありません」

「生活保護を勧めると強い抵抗を示される傾向がありました」

「生活保護が恥ずかしいという意識があるのではないでしょうか」

「政治家まで加わった『生活保護バッシング』が起きたことも影響しています」

「生活保護だけでなく、近年、公的に守られているとされるものが攻撃されてきました」

私は、立憲民主党の「中間層を増やす」という方針より、「貧困層をなくす」という理念を支持している。しかし、中間層から貧困層に落ちる人がたくさんいるというのも問題である。さらに、貧困化する人たちが自分が競争社会に負けたからとの考えに囚われるのはもっと問題である。他人に優しくできないからだ。

雨宮は、もともとの貧困層には互いに情報を共有し助け合うことを知っていると言う。

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『(耕論)評価と生きる』は、自分の仕事の評価を絶えず受けながら働くことの問題を取り上げている。石井てる美は、「世界広い、ここの評価だけを気になやむな」と言う。熊沢誠は、会社の評価が「社員の生活の明暗を大きく左右する」という現実を指摘し、「仲間同士の競争が強まり、労働者はバラバラになる」と言う。藤野寛は評価を気にするのは「承認欲求」で人間の性(さが)だと言う。

私は老人の熊沢に近い意見である。子どもたちが親の姿を見て、働くことが苦痛であると思っているのに、最近、私は困惑している。そういう子どもたちに、働くことは仲間を得ることだとNPOで話している。

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雨宮の問題意識は熊沢の考えに通じている。中間層が競争社会を絶対的なものと考え、貧困は競争社会に負けたからと考えるのは異常である。第1次世界大戦後のドイツに類似している日本の状況を私は憂いる。