テレビは、いたずらに新型コロナの恐怖を煽っているように思える。
きょう、町に出たら、駅のそばの銀行のATMに列ができていた。1.5メートル以上間をあけて、銀行の外に長い列ができていた。帰りに、別の駅の同じ銀行のATMを見たら、台数が2台しかないのに、列が2,3人だった。
都心の銀行が混んでいるのは、どうも、新型コロナの助成申請書を作成するために、訪れている自営業者が押しかけているからとのことである。郊外の町のATMが混む理由はまったくない。
もちろん、そんな騒ぎを起こすために、テレビはウソの報道をしているのではないだろう。単に、混んでいるところの映像をテレビで流してみたかっただけだろう。
人間は不安になる生き物である。不安になると、おびえる心が制御できなくなる。
しかし、列を作るという心は、おびえているのではない。おびえれば、普通は立ちすくむ。動けなくなる。列を作るのは、生き残ろうとする生命力の現われだ。
しかし、新型コロナ助成申請書作成のため、銀行の相談窓口が混むのと、お金をおろすためにATMの長い列を作るのとは、異なる。
パニックは、おびえるのではなく、慌てふためいて、判断力を失うことである。
テレビで、都心のスーパーが混むというのも、よくわからない。3日に一度買い物に行くように、しかも、短い時間で買うように小池百合子が言うのも、よくわからない。
郊外のスーパーは、混んでない。もちろん、レジの前では、1.5メートル間隔で、列を作っているが、すぐ、自分の順番が来る。
郊外から都心にお客が来ないから、本来、都心のスーパーのお客が減るはずである。
どうも、「3密」も、うさん臭い。新型コロナ対策専門家会議の脇田隆字、尾身茂、西浦博は、どうもうさん臭い。
単に語呂合わせで、密集、密閉、密接の「3密」を首相官邸の誰かが作ったのではないか。
1月の時点では、中国の武漢からの情報しかなかった。2月、3月にヨーロッパで新型コロナの感染が広がり、3月、4月にアメリカで新型コロナの感染が広がった。当然、新型コロナの知識も増え、武漢からの情報も訂正されているはずだ。
厚労省は、新型コロナ感染症対策の方向は基本的に変わっていないと言いながら、少しずつ文言を変えている。未知の感染症だから、対策が間違ったとしても、しかたがない。要は、知識の増加とともに対策を変えていることを、明示的に言わないといけない。「お上には間違いがない」という態度こそ、問題である。
「社会的距離(social distance)」だけは、どうも今も生き残っている防衛策のようだ。現在、「密接」とは体面で30分以上話すことになっているようだ。この体面の距離を適切に保つか、間に透明シールドを置けばよいようだ。
新しい情報の最も重要なのは、感染すると、無症状でも、体内でウイルスが増殖していることだ。症状が出る直前にウイルスの増殖がピークになるという。相手がその状態かもしれないから、「社会的距離」を保ちなさいということらしい。
もっとも、この情報も間違いかもしれない。
もう1つの新しい知見は、PCR検査による感染率の数十倍から数百倍が、実際の感染率だということだ。郊外といえども、首都圏では、百人に数人の無症状感染者がいると思ったほうが、良いのだろう。「社会的距離」を保ったほうが無難だということだ。
この知見は、また、新型コロナ感染の致死率が0.1%程度だと、集団免疫が近い将来くるという、希望的推測をもたらす。
しかし、個人が感染症からの防衛のため、国民が自治体や政府から、どこどこに行ってはいけないとか、の細かい助言を受ける必要がない。そんなことは、常識でできることだ。
医療体制を拡充することが、政府や自治体がなすべきでことである。公園の遊具を使用禁止にしたり、図書館を閉鎖したり、パチンコ屋の閉鎖を要請したり、することではない。
もう1つは、いかに経済活動を維持するかである。人間が生きていく以上、働いて、消費していく必要がある。その日常行為が経済活動である。緊急事態宣言は、出してしまったので、1ヵ月延長しても良い。しかし、経済活動は再開する方向で動くべきである。不安を煽って経済活動を窒息させてはいけない。
特別措置法は、非常に慎重に適用すべきだ。現状を見ると、適用は不要に思える。
経済活動をもとに戻していくのと同時に、民主主義をもとに戻すこと(もしかしたら民主主義をすすめること)を、私たちはしないといけない。
きのう、国会で蓮舫議員が、新型コロナ感染症対策専門家会議のメンバーたちが異なる意見をテレビで言うことを非難していたが、多様な意見が出てくるのは、民主主義社会ではあたり前である。何が正しいかわからないのが普通である。多様な意見を抑えることではなく、議論になるようにもっていくことだ。専門家会議の議論が公開されないのが、問題だ。
民主主義社会での専門家の役割は助言である。どの助言が信頼できるか、非専門家が判断できるために、助言の根拠を示すことと、公開の議論があることが重要だ。