きょう、図書館でジョン・ダワーの『敗北を抱きしめて』を借りてきて読んだ。まだ、読んだのは序と第一部のみであるが、彼が、冷徹な第3者の目で、敗戦後の日本の5年間を正確に捉えているのに、ただただ驚く。
ジョン・ダワーは政府や知識人によって書かれた資料だけでなく、「低俗雑誌」や新聞の特集や投書欄にも目を通している。
たとえば、ホームレスの戦争孤児を取り締まる警官や公務員が、つかまえた孤児を「何人」と数えるのではなく、「何匹」と数えていたと書いている。当時の政府は、孤児を野犬のような厄介者のように考えていたのである。
また、戦争未亡人に政府も親族も冷たいと窮状を訴える新聞投書も紹介している。
私の母は戦争未亡人でないが、同じような苦労をしている。
私の父は終戦後1年して、ある日、連絡もなくある戦地から戻ってきた。その間、私の母は、食べるものを得るのに、はじめのうちは、結婚したときに持ってきた物を売っていたが、それもなくなり、兄を乳母車に載せ、闇屋をした。農家に出かけ、芋などを仕入れ、町に戻って売り歩くのである。闇屋は非合法の商売である。たぶん、警官は乳母車の上の兄の姿をみて、見逃してくれたのでは、と私は勝手に思っている。
祖父(夫の父)は私の母(嫁)を養うという意思がなかったのである。自分のことでいっぱいだったのだ。私の母はそのことで祖父を戦後ずっと憎んでいた。
ジョン・ダワーは日本人が他人を思いやる心優しい人々だという神話を打ち砕いている。もともと、人間は利己的なのである。世界のどこの人たちも同じである。
戦前の日本は、人間の利己心を上から力で抑え込んでいたのだ。国が敗北するとは、それがなくなり、本来の人間が見えてくる。
しかし、利己的だといっても、日本人が共食いで消滅したのではなく、今も存続しているということは、他人に共感(エンパシー)し、できる範囲で助けるということもできたのだと思う。ジョン・ダワーも、人間は複雑だと言う。
1945年の8月15日の天皇の玉音放送について、ジョン・ダワーは、天皇が「降伏」とか「敗北」とかいう明確な言葉を使っていないと指摘している。ただただ天皇は威張っているのである。
改めて玉音放送の原文を読むと、「他国の主権を排し、領土を侵すがごときは、もとより自分の意志にあらず」と言い張り、戦局は好転せず、「敵は新たに残虐なる爆弾(原爆のこと)を使用し、しきりに無辜(罪のない人)を殺傷し、惨害の及ぶところ、まことに測るべからざるに至る」と連合軍を非難し、戦争をつづけると「わが民族の滅亡を招来するのみならず、のべて人類の文明をも破却すべし」なので、「堪えがたきを堪え、忍びがたきを忍び、もって万世のために太平を開かんと欲す」と言っているのである。「降伏」のかわりに、ペリーの黒船来航のときの例にならい、「太平を開かん」と言っているのだ。しかも、その後で、「国体(天皇制のこと)を護持」するために臣民に秩序正しい行動を要請し、「神州(神国日本のこと)の不滅を信じ」、「国体の精華を発揚し、世界の進運におくれざらん」ことを命令している。
ジョン・ダワーは聞きにくい天皇の甲高い声でこの曖昧な放送を聞いて、日本が降伏したことを、日本人すべてが了解したことに、驚いている。日本人は、日本のおもだった都市が空襲で灰塵と帰し、もう戦争をしたくないという気もちでいっぱいだから、理由が何であれ、戦争を続けなくて良いと玉音放送を受け取ったのだろうと、私は思う。
ジョン・ダワーは、自決した軍人は数百人程度で、本土にいた兵士や軍人の多くは、玉音放送の後すぐ、軍需物資を勝手に土産にして、すなわち横領して、郷里に帰ってしまったと言う。
ジョン・ダワーは、一般の日本人は天皇に興味なく、ただただ、きょう如何に食べ物にありつくが関心であったと書く。すなわち、天皇制を廃止しても、昭和天皇を死刑にしても、一般の日本人が占領軍に逆らうことはしなかったとみる。昭和天皇をそのまま維持したのは、占領軍が日本の旧来の支配層を安心させるためだったと私は考える。
私はバカな昭和天皇を裁判にかけて殺すべきだったと思う。
可哀そうなのは戦地にいた兵士や植民地にいた民間人で、日本政府は動かなかったので、みんな引き上げにとても苦労した。数年かけて復員する人も多かった。たぶん、多数の日本人が本土に一度に戻ると、食料難が起きると日本政府が思ったからだと私は考える。
戦争に負けてすぐ、日本人が、権威主義的な社会を否定し、民主主義を受け入れたということに対して、ジョン・ダワーは、戦前の権威主義的で従順な日本人というイメージのほうが表面的な理解で、日本の支配層が暴力で一般の日本人を押さえつけていたからであると言う。暴力の恐怖がなくなれば、「平和と民主主義」を一般の日本人が求めるのは当然だと言う。
じっさい、占領軍を解放者(メシア)と思う日本人も多数現れたと、ジョン・ダワーは言う。加藤悦郎の漫画をもとに、それを紹介している。
いっぽうで、占領軍が日本の理想主義者と結びつくことを日本の支配層が苦々しく思っていたことも、ジョン・ダワーは指摘している。その筆頭が吉田茂だという。吉田は日本人はもともと民主的ではなく、日本はエリートが支配するのが望ましいと考えていた。彼は、一部の軍人だけをとり除けば良く、旧来の支配層をできるだけ温存しようと考えていたと言う。
『敗北を抱きしめて』は少し読むだけでも、日本の戦後の秘密がいっぱい明かされる良書である。