猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

民族主義は劣等感や被害者意識の裏返しではないのか、ハンナ・アーレントを読んで

2024-01-08 22:52:09 | 歴史を考える

ハンナ・アーレントの『全体主義の起源』を読むと「汎民族運動」が悪のはじまりの1つのように書かれている。共産主義のソビエトは汎スラヴ運動を引き継いで世界征服をたくらんでいたかのように書かれている。

本当に汎スラヴ運動なんてあったのだろうか。ポーランドの歴史、ウクライナの歴史、バルカンの歴史、ロシアの歴史、ビザンチンの歴史を読むかぎり、そのようなものは見受けられない。

スラヴ語圏には、被害者意識や劣等感からくるローカルな民族主義というものは見られるが、一部の集団が権力奪取の道具として、あるいは権力維持の道具として、民族主義を利用しただけではないのだろうか。1980年のチトーの死でユーゴスラヴィアが崩壊し、1991年には内戦にいたった。汎スラヴ運動なんてなかった。

汎ドイツ主義、汎ゲルマン主義も疑わしい。ドイツ語圏はプロテスタントとカトリックとの激しい争いがあったところである。深井智明は『神学の起源』(教文社)のなかで、プロテスタンティズムは南欧の宗教による中欧支配への反乱であったと言う。結局は被害者意識を権力者が利用しただけにすぎない。ナチスの汎ドイツ主義もドイツ国民にくすぶっていた被害者意識や劣等感を利用しただけではないか。

日本に、汎ヤマト民族主義があったなら、同じ民族として朝鮮人を対等に扱っていただろう。朝鮮語と日本語とは語彙や文法が近い。

小池清治の『日本語はいかにつくられたか?』(ちくま学芸文庫)によると、さらに、古代の日本語の音韻は朝鮮語と同じだったという。本居宣長(1780-1801年)が万葉集や古事記で同音音節の万葉仮名の使い分けを見出した。橋本進吉(1882-1945年)はこの使い分けは音韻の差に基づくと気づいた。朝鮮語と同じ8母音を古代日本人は使っていたのだ。しかも「母音調和」というアルタイ語の規則を各単語は満たしていたのである。すなわち、音韻からも、日本語と朝鮮語は同じアルタイ語圏にある。

しかし、ヤマト民族主義は、単に欧米への劣等感の裏返しに過ぎなく、他のアジア諸国への侮蔑、朝鮮や台湾の併合、満州国建国、そして、中国との戦争、米国との戦争に のめり込んでいく。

いま、イスラエルも、1948年にパレスチナに無理やり建国し、まわりの中東諸国をバカにして、西欧の一員かのように主張する。イスラエル国民は被害者意識と劣等感にとらわれているのではないか。

ハンナ・アーレントは、シオニストの暴走を歯止めするため、被害妄想、劣等感というものをもっと分析すべきだったと思う。


川北稔の『イギリス近代史講義』は変わっていて面白い

2022-10-05 23:42:19 | 歴史を考える

川北稔の『イギリス近代史講義』(講談社現代新書)は2010年出版の奇妙な本である。ふつう、歴史書というと、政治か思想の歴史を扱う。そのつもりで、図書館から借りてきたのだ、そうではない。近代史の時間的範囲は16世紀から20世紀までを扱う。ロンドンを中心に都市と田園との文化の相互作用を扱う。いろんな説が紹介され、それが否定されていく。著者の狙いは、自分の頭で批判的に物事をとらえてほしいということであろう。

とくに面白かったのは、最後になる第5章の「イギリス衰退論争―陽はまた昇ったのか」である。イギリスは第1次世界大戦後衰退していったという説を多数紹介した上で、最後になって、経済成長を是としなければ、イギリスは衰退したと言えないという説を出してくる。

私はプレディみかこの普通の人の生活は苦しくなったという報告を信用するから、サーチャー政権をターニングポイントとしてイギリスは衰退していったと思っている。充実した福祉政策を維持できるかが国力を如実に表すと思う。

第2章に、経済が、農業(第1次産業)、工業(第2次産業)、金融業(第3次産業)と発展していくというベティの説があったと紹介される。じつは、私はIBMにいて、2000年代初頭に会社中枢から同じ説を聞いている。これから、第3次産業、サービス業の時代で、IBMはこれをビジネス・ターゲットとするというものである。ここでいうサービス業とは、キャバレーや飲食業のことではない。アメリカでサービス業と言えば金融業のことである。

日本と異なり、アメリカやヨーロッパの金融業は金融商品を売りまくり、2000年代の始めまで羽振りが良かった。私も単純バカで、これから産業資本主義でなく、金融資本主義の時代が来ると信じた。ところが、来たのはリーマンショックであった。金融破綻をオバマは税金を使って抑え込んだ。自由主義経済なら、企業の責任は企業でとるべきで、国民の税金を使って救ってはならないはずである。だから、オバマは自由主義経済の原則を破ったのである。企業を国策として救ったとしても、経営者は株主や従業員や顧客を裏切ったのだから刑務所に入れるべきである。しかし、税金で金融業を救くったが、経営者の責任を問うことはなかった。経営者の誰一人、超高層ビルの最上階にある取締役室から飛び降り自殺をしなかった。

それ以来、無節操な金融資本主義と自由主義経済に私は不信感をもっている。

川北は、じつは、18世紀には、農業、工業、金融業とは、フランス、イギリス、オランダのことを言い、この順に、個人所得が高くなると考えられた。ところが、20世紀にはオランダが国力を衰退させ、ドイツ、アメリカが重工業、化学工業を背景に国力をつけてきて、農業、工業、金融業の発展説が忘れられた。

20世紀の半ば過ぎになって、イギリスのサッチャー(当時首相)は、イギリスの産業が国際競争力をなくしたのは、第2次世界大戦後の労働党のゆりかごから墓場までの福祉政策のせいであるとした。貧しいのは自己責任である、怠けるな、働けという政策を行った。川北によれば、サッチャーの新自由主義で、イギリスの製造業は復活しなかった。復活したのはシティ(金融業)だけである。

しかし、金融業はイギリスを救わない。イギリスの国民はEU離脱に象徴されるよう、混迷を深めていくだけである。

金融資本主義のお手本と思われるアメリカも混迷を深めている。中国の経済発展がアメリカの将来を危うくしていると、バイデンもトランプもわめいている。アメリカの産業の衰退は50年前から起きている。それなのに、今になって、アメリカの政治家は慌てふためている。

日本の自民党もアメリカ政府の動きに慌てふためいているだけだ。私は、経営者の経営責任を厳しく追及し、安易に企業を救ってはいけないと考える。経営者に甘くすれば、社内の派閥闘争に明け暮れ、社内の人材を活用されない状態に陥る。世論は、もっと厳しく経営者をみていかないといけない。いま、日本では、バカが社長や会長になっている。日本の問題は、年功序列とか終身雇用にあるのではなく、日本の経営者の質にある。


ジョン・ダワーの『敗北を抱きしめて』は戦後の日本を理解するための良書

2022-08-26 23:46:33 | 歴史を考える

きょう、図書館でジョン・ダワーの『敗北を抱きしめて』を借りてきて読んだ。まだ、読んだのは序と第一部のみであるが、彼が、冷徹な第3者の目で、敗戦後の日本の5年間を正確に捉えているのに、ただただ驚く。

ジョン・ダワーは政府や知識人によって書かれた資料だけでなく、「低俗雑誌」や新聞の特集や投書欄にも目を通している。

たとえば、ホームレスの戦争孤児を取り締まる警官や公務員が、つかまえた孤児を「何人」と数えるのではなく、「何匹」と数えていたと書いている。当時の政府は、孤児を野犬のような厄介者のように考えていたのである。

また、戦争未亡人に政府も親族も冷たいと窮状を訴える新聞投書も紹介している。

私の母は戦争未亡人でないが、同じような苦労をしている。

私の父は終戦後1年して、ある日、連絡もなくある戦地から戻ってきた。その間、私の母は、食べるものを得るのに、はじめのうちは、結婚したときに持ってきた物を売っていたが、それもなくなり、兄を乳母車に載せ、闇屋をした。農家に出かけ、芋などを仕入れ、町に戻って売り歩くのである。闇屋は非合法の商売である。たぶん、警官は乳母車の上の兄の姿をみて、見逃してくれたのでは、と私は勝手に思っている。

祖父(夫の父)は私の母(嫁)を養うという意思がなかったのである。自分のことでいっぱいだったのだ。私の母はそのことで祖父を戦後ずっと憎んでいた。

ジョン・ダワーは日本人が他人を思いやる心優しい人々だという神話を打ち砕いている。もともと、人間は利己的なのである。世界のどこの人たちも同じである。

戦前の日本は、人間の利己心を上から力で抑え込んでいたのだ。国が敗北するとは、それがなくなり、本来の人間が見えてくる。

しかし、利己的だといっても、日本人が共食いで消滅したのではなく、今も存続しているということは、他人に共感(エンパシー)し、できる範囲で助けるということもできたのだと思う。ジョン・ダワーも、人間は複雑だと言う。

1945年の8月15日の天皇の玉音放送について、ジョン・ダワーは、天皇が「降伏」とか「敗北」とかいう明確な言葉を使っていないと指摘している。ただただ天皇は威張っているのである。

改めて玉音放送の原文を読むと、「他国の主権を排し、領土を侵すがごときは、もとより自分の意志にあらず」と言い張り、戦局は好転せず、「敵は新たに残虐なる爆弾(原爆のこと)を使用し、しきりに無辜(罪のない人)を殺傷し、惨害の及ぶところ、まことに測るべからざるに至る」と連合軍を非難し、戦争をつづけると「わが民族の滅亡を招来するのみならず、のべて人類の文明をも破却すべし」なので、「堪えがたきを堪え、忍びがたきを忍び、もって万世のために太平を開かんと欲す」と言っているのである。「降伏」のかわりに、ペリーの黒船来航のときの例にならい、「太平を開かん」と言っているのだ。しかも、その後、「国体(天皇制のこと)を護持」するために臣民に秩序正しい行動を要請し、「神州(神国日本のこと)の不滅を信じ」、「国体の精華を発揚し、世界の進運におくれざらん」ことを命令している。

ジョン・ダワーは聞きにくい天皇の甲高い声でこの曖昧な放送を聞いて、日本が降伏したことを、日本人すべてが了解したことに、驚いている。日本人は、日本のおもだった都市が空襲で灰塵と帰し、もう戦争をしたくないという気もちでいっぱいだから、理由が何であれ、戦争を続けなくて良いと玉音放送を受け取ったのだろうと、私は思う。

ジョン・ダワーは、自決した軍人は数百人程度で、本土にいた兵士や軍人の多くは、玉音放送の後すぐ、軍需物資を勝手に土産にして、すなわち横領して、郷里に帰ってしまったという。

ジョン・ダワーは、一般の日本人は天皇に興味なく、ただただ、きょう如何に食べ物にありつくが関心であったと書く。すなわち、天皇制を廃止しても、昭和天皇を死刑にしても、一般の日本人が占領軍に逆らうことはしないかったとみる。昭和天皇をそのまま維持したのは、占領軍が日本の旧来の支配層を安心させるためだったと私は考える。

私はバカな昭和天皇を裁判にかけて殺すべきだったと思う。

可哀そうなのは戦地にいた兵士や植民地にいた民間人で、日本政府は動かなかったので、みんな引き上げにとても苦労した。数年かけて復員する人も多かった。たぶん、多数の日本人が本土に一度に戻ると、食料難が起きると日本政府が思ったからだと私は思う。

戦争に負けてすぐ、日本人が、権威主義的な社会を否定し、民主主義を受け入れたということに対して、ジョン・ダワーは、戦前の権威主義的で従順な日本人というイメージのほうが表面的な理解で、日本の支配層が暴力で一般の日本人を押さえつけていたからであると言う。暴力の恐怖がなくなれば、「平和と民主主義」を一般の日本人が求めるのは当然だと言う。

じっさい、占領軍を解放者(メシア)と思う日本人も多数現れたと、ジョン・ダワーは言う。加藤悦郎の漫画をもとに、それを紹介している。

いっぽうで、占領軍が日本の理想主義者と結びつくことを日本の支配層が苦々しく思っていたことも、ジョン・ダワーは指摘している。その筆頭が吉田茂だという。吉田は日本人はもともと民主的ではなく、日本はエリートが支配するのが望ましいと考えていた。彼は、一部の軍人だけをとり除けば良く、支配層をできるだけ温存しようと考えていたと言う。

『敗北を抱きしめて』は少し読むだけでも、日本の戦後の秘密がいっぱい明かされる良書である。


私が知らなかったブルガリアの歴史、隠遁の思想はそんなに悪くない

2022-04-22 23:40:17 | 歴史を考える

(修道士の隠遁生活の跡、ブルガリア)

いま、ウクライナ歴史の本が人気で、図書館に予約してから借りだせるのが半年先である。しかたがないから、近くの国ブルガリアの歴史の本を借りた。R. J. クランプトンの『ブルガリアの歴史』(創土社)である。

私が知らないことがいっぱいあった。ブルガリアはロシアやウクライナより歴史が古いのである。人類は10万年前から存在するのだから、国の歴史とは、そこに定住して独自の文化を形成し社会を組織していることをいう。その意味で、ブルガリアはキエフ太公やモスクワ太公の国より古いのである。また、どこそこの国の歴史といった場合、その国は現在の国となんらかの意味でつながっていないと意味がない。

ブルガリアの地は紀元前にはトラキアがあったが、マケドニアの属国になり、ついで、ローマ帝国の属国となり、民族としては消滅してしまった。紀元5世紀になると、色々な諸民族がバルカン半島に略奪を目的に侵入し、通過していく。紀元7世紀になると、ブルガリア人が定住し、国を形成する。ブルガリアはチュルク語で「混ぜ合わせる」という意味の語「ブルガール」からきた。

現在、ヨーロッパで使用されている文字は、ラテン文字、ギリシア文字、そしてキリル文字である。このキリル文字がブルガリアで創られたのである。キリル文字はギリシア文字、ヘブライ文字に近いが、文字数はヘブライ文字、ギリシア文字、ラテン文字より多い。キリル文字は、ブルガリアだけでなく、ロシアやウクライナなどで現在使われている。

キリル文字を創ったため、ギリシア文化に吸収されずに、独自のブルガリア文化が形成された。

ブルガリアは、スラブ族とブルガール族の混成である。統一をはかるために、キリスト教を、ローマ帝国にならって、国の宗教として導入した。そこでのキリスト教とはギリシア正教である。ところが、キリスト教の異端とされる一派も入ってきて、民衆レベル(農民)ではこちらのほうが影響力が強かった。

クランプトンの説明によると、この異端派は世の中を悪と善との闘いとみる。グノーシス主義に近い。世の中をはかなむから、組織性が弱い。クラプトンは、ほかの国と戦うための団結を求めるには、この異端派の教えは役立たない、と書く。

ところが、ブルガリアが国として敗れたとき、キリル文字とこの異端派は役立つ。国が敗れると人々は山あいの僻地に逃げてひっそりと暮らす。異端派は国の政治と無関係であり、もともと、修道士としてひっそりと自活して暮らすから、国が敗れてもこたえない。国に迫害されないから、国が敗れたほうが好都合である。隠れて暮らす人々のために、子どもたちの学校を開く。こうやって、キリル文字とブルガリア文化は、国が何度倒れても守られた。

いい話ではないか。トルストイやドストエフスキーの小説には、教会と関係せず隠遁して生活する聖人の話が出てくる。組織化された教会はどうしても国家権力と妥協し、共存を図る。国に味方をし、戦争を肯定してしまう。ロシア正教とプチーンと結び付きが良い例である。

オスマン帝国の支配下のブルガリアには一定の自治とは宗教の自由とがあった。しかし、イスラム教徒にくらべ重い税が課された。物ではなく子どもの徴用があった。7歳から14歳までの男の子が選ばれ、親からも故郷から離れた地でイスラム教に改宗され、歩兵常備軍イェニチェリの戦士に仕立てられる。親からすれば涙なしには語れない話である。

『ブルガリアの歴史』には、もう1つ注目すべき話しがでてくる。第2次世界大戦中、はじめのうちは、ブルガリアは中立を宣言するが、ドイツ軍が迫るとドイツ側に入る。その結果、ドイツが敗退していくと、アメリカは、日本やドイツの都市に行なったと同じく、ブルガリアの都市に無差別爆撃、空襲を行う。私は、アメリカが空襲をすべきではなかったと思う。そうしなければ、ブルガリアはロシアの属国にならず、ロシアとアメリカとのあいだに立つ、中立国として、戦後、存在しえたのではないかと思う。日本人は、アメリカ中心の歴史観に毒されすぎていると思う。


戦前の天皇制・軍国主義体制を恋い慕う「建国記念の日」は認められない

2021-02-11 22:24:35 | 歴史を考える

きょうは、日本の「建国記念の日」である。法律で定められた日本の祝日である。ただし、どの日が「建国記念の日」かを法律で定められているのではなく、2月11日は1966年の政令で定められたものである。

国民の祝日に関する法律には「建国記念の日」だけが、「政令で定める日」と書かれている。政令とは、日本国憲法第73条第6号に基づいて内閣が制定する命令で、行政の発する命令の中では最も優先する。それだけで、法律が政令に優先する。

だから、自民党政権が終われば、8月15日にしても良いわけだ。8月15日は終戦記念日だが祝日ではない。私の母は日本が戦争に負けて喜んだ。もう、軍人さんが威張れない国になると。

「建国記念の日」は何の日か、法律上では「建国をしのび、国を愛する心を養う」としか、規定されていない。

「しのび」とは何か、意味不明である。「しのぶ」を辞書でひくと、①我慢する、②人目につかないように身を隠す、③恋い慕う、という意味だそうである。①と②とは、漢字で「忍ぶ」と書き、③は「偲ぶ」と書く。語源が違うのである。

どうも、「建国をしのび」は「建国を偲び」で、「建国を恋い慕う」ことであるようだ。

すると「建国」とは何か。「建国」が戦後の占領状態からの「独立」とか、国民主権が「憲法」に明記された日なら、「偲ぶ」ではなく、「建国」は率直に祝う日ではないか。

このように、「建国記念の日」はとっても変な日なのである・

これは、自民党が1957年以降、9回も2月11日を「建国記念日」に制定する法案をだしたが、国会を通らなかった。「建国記念の日」と名称を変え、「建国をしのび」と何の日か曖昧にし、法律でどの日かも決めない、いびつな形にして、1966年6月25日に「建国記念の日」を祝日にする法案を自民党が国会で通した。

国民が、2月11日を「建国記念日」とすることに、反対したのは、戦前、2月11日を「紀元節」と称し、2600年前に神武天皇が日本を建設した日として、祝っていたからである。すなわち、2月11日の紀元節が天皇制の始まりの象徴であったのである。天皇家の記念日だったのである。

いっぽう、軍国主義や天皇制に反対する人たちにとって、私の親の世代のことであるが、2月11日は忌まわしい思い出の日だったのである。私の親はふたりとも老いて死んでいるので、私が代弁しているのである。

いまでも、「建国記念の日」に反対する集会が各地で開かれているが、テレビも新聞もそれを取り上げない。

現在、神武天皇がいたかどうかさえ、疑われている。多くの歴史学者はその存在を否定している。2600年前は縄文時代である。弥生時代になって、全国的に定住がすすみ、首長が各地に生まれた。しかし、日本国という概念が生まれるためには、中央集権化が進み、外国からの侵略を意識するようになってからである。

それにまして、「建国」とは、人民が何らかの革命を起こし、契約あるいは憲法のもとに政府を形成したときの行為を指す。

だから、「建国をしのび、国を愛する心を養う」日とは、とても奇妙で、2月11日の「紀元節」を恋い慕う、すなわち、戦前の天皇制、軍国主義体制を復帰したいとの意味しかない。

じつは、きょう、菅義偉は、『「建国記念の日」を迎えるに当たっての内閣総理大臣メッセージ』を出している。そのメッセージはつぎで始まる。

〈「建国記念の日」は、「建国をしのび、国を愛する心を養う」という趣旨のもとに、国民一人一人が、今日の我が国に至るまでの古(いにしえ)からの先人の努力に思いをはせ、さらなる国の発展を願う国民の祝日であります。〉

「建国をしのび」を「今日の我が国に至るまでの古(いにしえ)からの先人の努力に思いをはせ」と言い換えている。「国を愛する心を養う」には説明をさけている。

誰かが入れ知恵したのだろうが、「古からの先人の努力」と抽象的表現に替えられているが、明治からの天皇制、軍国主議体制を偲ぶ日と菅義偉は考えている。「長い歴史」という言葉が何度も使われているが、肯定的ニュアンスで使われており、「天皇制」への復帰を願う人たちに届くようなメッセージになっている。

私は、2月11日の「建国記念の日」を認めることができない。