猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

中卒の祖母をバカにした不登校の男の子

2025-03-09 18:10:54 | 愛すべき子どもたち

2月半ばからNPOでの子どもたちの相手を休んでいる。したがって、これも思い出話になってしまう。

高校1年の冬から担当した男の子は、中学2年からウツで精神科医かかってていた。彼が、早稲田大学卒の父親を尊敬していたまでは別にどうってことはないが、自分自身がほとんど不登校なのに、中学しか出てない祖母をバカにするのだった。これは問題である。

彼の祖母は私より4,5歳上である。私の兄の世代である。戦前生まれだが、戦後のもののない日本で育った世代である。

兄の世代は中学をでたら家計を助けるために働くのがあたりまえであった。じっさい、兄の1年下のいとこは中学をでて鉄工場で働いた。兄は、親戚の中で高校に進学した最初の人である。その上、商売を継ぐのが嫌で大学にまで行った。

しかし、昭和のはじめには小学校を出たら両親を助けるために働くのがあたりまえだったから、戦後の社会で中学をでたら働くというのは不思議でもなんでもなかった。

今の子どもたちは高校や大学に進学してまで何を勉強するのだろうか。自分の受けた幸運を社会に返すことに気付くだろうか。

彼の祖母は中学をでてずっと働いていたのだろう。結婚しても、子育てしながら働いていたのだろう。給食関係の仕事をしていたという。立派な人生である。

ほとんど不登校の彼が、中学しか出てない祖母をバカにするとは、とっても傲慢なことだ。しかし、私は彼を責めず、家族の一人一人を大事にするように勧めた。彼が高校3年のとき両親が離婚し、彼のウツがひどくなった。彼は母親に従って祖母の家に身を寄せた。

彼は、レポート提出だけで、高校を卒業したが、就職もせず、進学もせず、いまにいたっている。しかし、祖母との問題は解決した。祖母がつくってくれた食事がとっても美味しかったのである。祖母が家族のなかで自分に味方してくれるのにも気付いた。

彼自身は学歴主義の囚われからほぼ解放されたが、これから、日本の学歴社会(幻想なのだが)を生き抜いていくことになる。何か、私が彼の力になれればうれしいのだが。


笑うことのなかった女の子に恋人ができた

2025-02-28 19:06:19 | 愛すべき子どもたち

今年にはいって膀胱からくる痛みに耐えかねて、寝不足、食欲不振に悩まされ、一気に、5、6キロ痩せてしまった。じっさい、膀胱がんがだったが、しかし、痛みは炎症から来ていて、近所の泌尿器科クリニックに抗生物質を出してもらって、いまは落ち着いている。大学病院の入院日、手術日も決まった。

そんな不運な私に、今年、うれしいことがあった。

いつも笑うことがなかった女の子から、暮れに、恋人ができたとの知らせがはいった。私に恋人を見せたいという。1月の日曜日にNPOの教室で二人にあった。父親かのように、恋人が彼女にふさわしいか、見据える自分がいた。

彼女というと、自信に満ちてとても落ち着いていた。幸せなんだ。

相手は5歳下の男の子である。彼は結婚をしたがっている。彼の両親は賛成している。彼女の親は障害者同士の結婚に反対である。

幸せが薄かった彼女に私は否定的な言葉は吐けない。急ぐことが無いから、家族から祝福がもらえるように、時間をかけるように言った。彼女はグループハウスに住み、就労継続支援A型事業所で働き、障害者年金ももらっている。経済的に独立できている。自立した彼女を信頼すべきだと思った。

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成田奈緒子の『「発達障害」と間違われる子どもたち』が静かなブーム

2024-02-09 11:38:57 | 愛すべき子どもたち

(夜明け)

成田奈緒子の『「発達障害」と間違われる子どもたち』(青春出版社)がいま売れているらしい。同社が2月2日の朝日新聞広告によると、発行部数は11万突破となっている。去年の3月に出版された本にもかかわらず、先週、私が横浜市の図書館に予約したとき、予約順位が116位だった。

私がこの本の存在を知ったのは、ちょっと前のことで、まだ読んでいない。

NPOで私が8年間担当している男の子(23歳)が「発達障害」について書かれている本を読みたいと言うので、ふたりでインタネットで探したとき、たまたま、目にはいったのがこの本である。

彼は、本のタイトルの「間違われる」が気に入って、私と別れた後、帰り道の本屋で即座に買った。翌週、彼は、その本がとても良かったと私に告げた。読んで悩みがすっきりと解決したと言う。私は、13年間に「発達障害」児が約10倍に増えたのは、発達障害もどきを「発達障害」と間違えたからだというところか、と思ったが、そうではなかった。彼は、著者のメッセージ「治る」がうれしかったのだ。

似たようなタイトルの本に岩波明の『発達障害はなぜ誤診されるのか』(新潮選書)がある。この本は、『「発達障害」と間違えられる子どもたち』と逆に、発達障害なのに ほかの精神疾患(mental disorder)と間違えられると主張している。もっと正確にいうと、精神疾患が、もともとの発達障害から生じた2次障害なので、発達障害を直さないと、治らないという主張である。

岩波明の主張の問題点は、「発達障害」は治るのか、あるいは、抑え込めるのか、ということが曖昧であることだ。また、精神疾患にたいする環境の影響が軽視されていることだ。

「発達障害」というカテゴリがアメリカの診断マニュアルDSMにあらわれたのは、自閉スぺクトラム症(ASD)や注意欠如・多動症(AD/HD)が幼児期の母親の育て方に責任があるのではなく、生まれつきの脳機能の問題だとし、周りからの攻撃に対し、親や教育者の気持ちを軽くする意図もあった。

そして、日本では、NHKなどマスメディは発達障害を生まれつきの特性だとし、社会に適応できないのは、その特性のためだと煽ってきた。しかし、「発達障害」と言われた本人は、生まれつきの特性だと言われて、気持ちが軽くなるわけではない。生まれつきだとすると治らないのではないか、個性でなく特性だとすると社会から拒否されているのではないか、と悩んでいたのである。

23歳の彼は、その悩みは自分だけでなく、メンタル・ヘルス・ケアに集まる若者の共通の悩みであると言う。診断名よりも、「治る」あるいは「社会に受け入れられる」ということが本人にとって大事なのだ。それが、成田奈緒子の『「発達障害」と間違われる子どもたち』が静かにブームになっている理由のようだ。


ギフテッド・チャイルド続報 IQ134の小さな男の子

2022-12-23 13:28:17 | 愛すべき子どもたち

以前に紹介したIQ134の小学3年生の男の子の続報である。

放デイサービスでその子を担当して半年になった。いろいろなことがわかってきた。それなのに、来年度は「四谷大塚」に専念させると親からの連絡帳にあり、ちょっと残念に感じる。 

私は、新型コロナの騒ぎが続いているときに担当したので、その子のマスクの下の顔をずっと知らなかった。最近、鼻かぜをひいたのか、その子はマスクをはずして鼻水をかんだ。目が小さいから繊細な顔と思っていたのだが、意外にも、たらこ唇の意思の強そうな顔であった。

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嫌いな教科は「道徳」だと、その子は言う。自分は人の気持ちがわからないから、「道徳」の時間が嫌だと言う。私も同僚も、その子が、子どもなのに、大人の気持ちを気遣うのにびっくりしていた。私たちが「気遣う」と言うのは、大人の要求を推察するということではなく、大人の心を傷つけないよう配慮することである。気遣うことを良いとは私は思わない。精神医学哲学者のレイチェル・クーパーは人の心をシミュ―レーションできないし、するなと言っている。

学校の「道徳」の時間は子どもたちに「共感」を強要しているのではないか。「共感」を強要しても「共感」の心は育たない。

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その子は漢字を覚えるのが苦痛である。覚えることが嫌いである。その子の才能は「考える」ことにある。「考える」とは、しつこく試行錯誤を繰り返す能力にある。「学ぶ」とは「まねる」ことである。日本の学校教育は「覚える」「まねる」ことを強調し過ぎではないか。

その子の社会科の課題で、都道府県名とその場所を覚えることがあった。都道府県名と場所だけでなく、そのイメージをその子とおしゃべりした。テレビで見たことや地図上の位置から推察して、その子はイメージを楽しく語ってくれた。最後に、都道府県の白地図を指さして都道府県名を問うと、半分以上は覚えられていなかった。そのとき、突然、作業療法士から記憶力が劣っていると言われたと、その子は私に言った。なぜ、作業療法士はその子にそんなことを言ったのか、と私は思った。作業療法士に限らず、世の中は、発達障害児童に対する偏見をもっていて、不要な言葉を発する。人にラベルをつけてはならない。

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今年の夏に、その子は、素晴らしい読書感想文とゲームソフトを仕上げた。母親が助けたのは知っているが、それでも、その子の構想力と仕上げるまでの持続力がすごい。

ゲームソフトは「全国小中学生作品」に母親が応募して賞をもらった。問題は、学校代表になった読書感想文である。

その子の感想文は400字詰め原稿用紙4枚の長さだったが、コンクールに合わせて、担当教師が3枚の長さに縮め、それを清書するように指示した。その子は自分の言いたいことは3枚に縮められないと腹を立てたのである。削られた部分は調査捕鯨とそれに反対する団体に関して言及したところであったのでる。

その本はクジラについての科学的知識を増すことは良いことだという前提に立っている。したがって、調査捕鯨に反対するシーシェパードを悪者として扱う。

しかし、その子はつぎのように書く。

「ぼくは、シーシェパードの考えは、理かいはできる。でも、やり方を間ちがえてしまっているのがざんねんだと思う。」

「それでもぼくの心の中には、クジラをころしてしまうのはかわいそうだという気持ちがあって、ちょうさほげいにすべてさん成することはできなかった。」

その子は、「科学的知識」を得るためにクジラを「殺す」ことの問題を感じとっている。

だから、その子は読書感想文の冒頭につぎのように書いているのだ。

「ぼくは、どんな大人になるのだろう。ぼくらの未来は、どうかわっていくのだろう。きぼうとふ安とまよいがまじったような、よく分からない気持ちのまま、ぼくはこの本を読み終えた。」

担当教師はコンクールに応募することだけを考えていて、その子の早熟な感受性になにも感じ取っていない。

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今、子どもたちは無理解な大人に囲まれて生活しているように感じる。社会は形式だけが先行している。親は子どもを無理解な大人たちから守らないといけない。


愛されるべき子どもたちの備忘録、怒りと悲しみ

2022-10-28 23:31:43 | 愛すべき子どもたち

渡辺弥生の『感情の正体 発達心理学で気持ちをマネジメントする』(ちくま新書)を読んでいたら、「子どもは、悲しみの表情を怒りの表情ととらえてしまうようなのです」という文に出くわした。これは、感情とは何かを表情から探ろう、という文脈での、一節である。

怒りと悲しみとが結びついているのだ。似たような文を見たことを思い出した。DMS-5(精神障害の診断・統計マニュアル第5版)の一節である。

重篤気分調症につぎのようにある。

「激しい激怒性は2つの特徴的な臨床症状として現れる。1つ目は頻回のかんしゃく発作である。このような発作は典型的には欲求不満に反応して起こり、言語または行動(後者は、器物、自己、または他人への攻撃)の形をとる。」

「慢性的な易怒性を示す子どもは成人期に単極性抑うつ障害および/または不安症群を発症する危険性が高い。」

ここで「かんしゃく」は「癇癪」とも書く。

先日、NPOのほうから、私が以前に担当した女の子(23歳)がグループホームで癇癪発作を起した、すぐ来てください、というメールを受け取った。癇癪発作はSNSでのトラブルが原因で、SNSをやめるようにアドバイスしているとあった。

あくびてんかん発作を持病とする子だったので、急いで出かけ、その子に会った。話を聞くと、SNSの件は心のなかで決着している、Googleアカウントは複数もっている、イラストをネットにあげたいので、アカウントを閉じたくない、と言う。癇癪発作というが、グループホームから弁償を請求されないよう、すなわち、部屋を壊さないよう、一人で暴れているのだと彼女は言う。

SNSの件が決着しているのに、どうして、イライラするのか、よくよく聞いていくと、経済的不安に追い詰められていると言う。その子は、いろいろな人からカウンセリングを受けていたが、支援者のこれまでのメールのどこにも、それがなかった。発達障害という「色メガネ」から、SNSが悪者になっていただけだ。

人が欲求不満になるのは、味方してくれる人がいないのもあるが、自分の困りごとが何であるのかわからなかったり、あるいは、それを伝える言語的能力なかったりすることが多い。癇癪発作が起きたから薬を飲ますというだけでは、解決にならない。

彼女は精神障害の手帳をもっており、公的サービスを受けているから、形の上では支援者は多い。しかし、不安になると働けなくなる。働かなければ、おしゃれもできないし、趣味のものも買えない。障害者年金だけでは十分でない。さらに不安になる。悪循環に陥って、癇癪を起さずにいられなくなる。

背景に、彼女の母親が厳しい人で、子どものときから自立を要求することにある。「働くのが嫌なら、生活レベルを落として、生活保護を受けなさい」「高価な冬用帽子を買うことはない」「自分で組み立てられない椅子を買うなんて」と母親に言われたと話す。

「いろいろ言われると、また、失敗してしまうのでは、と思ってしまう。自分の思っていることが言えない」と彼女は話す。

母親の言うことは正論であるが、彼女は甘えたいのである。子ども時代に甘えたりなかったということが、現在の経済的状況を過剰に不安なものに受け取るのである。

怒りは悲しみに転換する。うつ病を発症するかもしれない。怒りの段階で、経済的不安と働けないの悪循環を止めないといけない。