岡山裕の『アメリカの政党政治 建国から250年の軌跡』(中公新書)が面白い。アメリカのリベラリズムとはなんだったのか、また、現在のアメリカの分極化とは何なのか、トランプ主義が出てくる背景が何のか、よくわかる。
フランクリン・ルーズベルト(ロウズヴェルト)が大統領になって、恐慌対策として12年と39日に渡って行なったニューディールは、明らかに「社会主義的」政策である。市場の自由に政府が介入し、富の再分配も行った。岡山によれば
「全国の銀行一時閉鎖し手経営体力に応じて再開させることとし、前フーヴァー政権を大幅に上回る規模の財政出動を行う」
「失業対策では、労働者の再教育や職の斡旋だけでなく、政府による大規模な直接雇用を実現した」
「各業界で生産調整を行わせて商品や農産物の価格の下支えを図り、景気回復を目指した」
「無責任な金融取引が行われないよう規制を強化した」
「労働者には団結権や団体交渉権を認め、1935年に全国労働関係委員会を設置してそれを保証した」
「老齢・障碍者年金に加え、子どものいる貧困家庭への金銭的援助を制度化した」
さらに1944年1月の一般教書演説でルーズベルトは「国民に教育、労働、福祉や年金といった、幸福の追求に不可欠な権利を保障するべきだと訴えた」
アメリカには、社会主義や共産主義を個人の自由を束縛すると忌み嫌う風土がある。だから、ルーズベルト政権は、ニューディールこそ本当のリベラリズム(自由主義)と言い張った。1930年代の大恐慌はすざましいものだったから、アメリカの人々はそれを受け容れた。
1970年代以降の「リベラリズムの行き詰まり」とは、みんなが大恐慌を忘れてしまったアメリカで、政府がニューディールのような総合的で強引な市場介入と富の再分配を二度と行えないことに一因がある。
中途半端の政策では、所得の格差拡大を止められないし、景気回復もできない。逆に、政府よる市場介入や再分配が景気を悪くしていると主張が政治の世界で支持されるようになった。
ニューディールを「リベラリズム」と見なしたり、戦後のヨーロッパの政治を「リベラリズム」の盛衰で見るのは誤解を招くと私は考える。
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