青山潤三の世界・あや子版

あや子が紹介する、青山潤三氏の世界です。ジオログ「青山潤三ネイチャークラブ」もよろしく

プーチンとトランプ(ついでにゼレンスキー)

2025-02-23 21:12:57 | 雑記 報告

 

昨日、「海の向こうの兄妹たち~中国野生生物探索記~」第1巻(368頁)が完成し、印刷に回しました。2~3日で仕上げるつもりが、5カ月近くかかってしまったです。このあと全20巻同じペース、、、それを想うと、暗澹たる気持ちになってしまいます。

 

ということで、中断していた「屋久島の植物~大和と琉球と大陸の狭間で~」に再び取り組んでいます。こちらは(とりあえず)全4巻(各巻約250頁)。やはり2~3日で完成予定だったのですが、、、。1~3巻はほぼ完成しているので、第4巻を来月中に完成させて勝負に出ます。

 

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以下、先週途中まで書きかけて、そのままになっているブログ記事です。

 

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昨日(注:1週間ほど前)の夜は(昼間にペンキ塗りバイトを8時間やったあと)所用で外出していたのですが、午後10時からNHKの「映像の世紀・プーチンとゼレンスキー」があることを知っていたので、必至で走って部屋に帰ってテレビを見ました。

 

やっぱり見て良かった。思うところ満載です。そのうち再放送があると思うので、皆さんもぜひ見てくださいね。

 

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ウクライナや中東もだけれど(あと斎藤劇場も)、相変わらず大谷君/一平さんの問題にも注目をし続けています。

 

大谷翔平の野球選手としての素晴らしさは、どれだけ賞賛しても賞賛しきれないほどです。(遠い昔はいざ知らず現代にあっては)絶対に不可能と思われていたことを、完璧と言って良いクオリティで次々と成し遂げている。

 

山本由伸は、3年連続投手4冠という事績でもわかるように、長い日本のプロ野球史にあって、文句なく最高のピッチャーなのですね。しかもスーパー・スターらしからぬ、小柄で地味な印象の彼が、大リーグでも期待に違わぬ活躍をしている。

 

佐々木朗希は、20歳そこそこで、あわや2試合連続パーフェクト。底知れぬ可能性を秘めた、ポテンシャルの塊です。その彼が、世界に出て行って、今後どんな結果を構築していくか、想像するだけでもワクワクします。

 

その3人が(賛否両論があるにしろ)同じチームに集結。なんと開幕戦が日本開催で、相手のチームには(昨年素晴らしい成績を残した)今永投手と鈴木誠也選手。小学校低学年の頃から70年間野球を見続けてきた僕(や僕同様の野球好き)が、高揚するのは当然です。

 

しかし、しかしです。たぶん、これまでこれっぽっちも野球になんて興味も知識もなかったであろう女子供(差別用語だったらごめんなさい)大衆の、集団的フィーバー。開幕戦チケット購入40万人待ちとか、これは、どう考えても異常です。英雄たちに妄信的熱狂的に群がる大衆、、、。歴史を振り返っても、ロクな結果には繋がりません(まあ、国を挙げての“お祭り”と考えておけば良いのでしょうが)。

 

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一平氏のお父さんの発言、(全日本人からバッシングを受けていることでしょうが)僕はよく理解できます。(人々の思考とは全く別の次元で)いつか大谷君にも、問題の本質に正面から対峙してもらいたいと、心から望んでいます。

 

大谷の性格、「俺は知ってるけど言えない…」水原元通訳の父親が投げかけた重大な問題・素朴な疑問(元木昌彦/「週刊現代」「フライデー」元編集長)

 

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トランプの前代未聞、言いたい放題のゼリンスキー批判。(反トランプの三世には悪いけれど)、ある意味爽快です。今後しばらくの間、トランプとプーチンが世界を滅茶苦茶にかき回すのでしょう。これぐらいの(地球をぶっ壊しかねない)荒治療があっても良いのではないか、と思います。

 

ゼリンスキー、絶体絶命ですね。選挙すれば、100%負けそうですし。意図は全く別として、「即刻戦争を終結したい」トランプとプーチン、「戦争終結」よりも「正義を貫くこと」を大義に掲げる“そこそこ成功したコメディアン”のゼリちゃん。

 

もしかすると中国も絡んで(まさかの「米露中」連合)、大国強者VS弱小国家(ヨーロッパもその中に収斂)という世界に向かって行ったりして、、、。さて、日本は、、、。 

 

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特殊サギ事件、つらつらと思うのですが、極悪詐欺集団と、健全な資本主義社会(の恩恵を蒙る成功者たち)、、、本質的にどこが違うのだろうと(それについては、今後追々述べて行きたいです)。

 

ミャンマーに飛び火(というか、こちらが火元なのでしょうが)。思うところがいろいろとあります。タイ、ベトナム、ラオス、カンボジア、ミャンマー、そして中国雲南省南部、いわゆる“メコンの国々”ですね(今後の世界情勢は、この辺りが主役になっていくのかも知れません)。

 

僕もミャンマーとは浅からぬ縁があるのですが、モニカ(僕以上に深く関係)からは、“ミャンマーのことはブログに書くな”と釘を刺されています。僕もそう思います、迂闊に近寄ることは危険でしょう。

 

一つだけ記しておくと、(17年前の話ですけれど)僕がミャンマーにいた時に出会ったある日本人(元読売新聞の記者だそう)、僕の人生でこれほど胡散臭い人には会ったことがない、と呆れるほど、異様な人間(立花某といい勝負)。少し頭がおかしいのでは?とも思うのですが、そいつが当時の政権(軍事政権ですね)にどっぷりと食い込んでいる。ミャンマーという国が(ひいては日本国家も)、いかに魑魅魍魎から成り立っているのか、その一例からも窺い知れるように思います。

 

 

 

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エーゲ海の群発地震について

2025-02-11 21:26:26 | 雑記 報告

 

三世から、「サントリーニ島」近海の群発地震についての感想をブログに書いてくれ、と要望されました。

 

日本ではさほど話題には上っていない(先日のニュースでは、ジョージと三世がそれぞれ顔出しで~現地からの報告として~インタビューを受けていた、今朝のニュースでも三世のコメントが放送されていた)のですが、現地では相当に大きな騒ぎになっているようです。

 

僕は、エーゲ海やギリシャについては、ほぼ全く知識がありません。何度か2人を訪ねて行ったことはあっても、部屋に閉じこもって原稿書きか、赤ちゃんの御守りが主要目的で、(サモス島に於ける10日間ほどの萌葱蝶の探索と、約ひと月間のアテネ近郊の自然観察以外には)ほとんど何にもしていないのです。

 

三世の反応は、おおよそ次のようではないかと推察します。

>コロナの時と同じ、(何らかのバイアスによって)大袈裟に騒ぎすぎなのではないか。

>「火山」(サントリーニ島)と「今回の群発地震」(震源はパロス島とサントリーニ島の間の海底)は、特に関連はないのではないか。

 

繰り返し言うけれど、僕はエーゲ海について述べるべく何らの知識もありません。それで、話を少し斜めから、幾らかは知識のある日本での(トカラ火山列島を中心に置いての)状況と照らし合わせながら、適当に話を(単なる思い付きの感想ですが)進めて行きます。

 

「群発地震」ですぐに思い浮かべるのが、長野県北東部に於ける「松代群発地震」。僕の意識の中では、さほど昔のことではないように思っていたのですが、実際は60年近く前のことなんですね(「光陰矢のごとし」を痛感)。1960年代後半、5年間余に亘り、震度59回を含む有感地震6万回以上を観察、現地周辺のみならず国民を不安に陥れて、随分話題になったものです。

 

結局大地震は起こりませんでした(現在に至るまで微小地震は続いているようですが)。

 

ただし、群発地震が頻発し始める1年前(19646月)には、M7.5の新潟大地震が起こっていますし、また、すぐ近く(同じ長野県西北部の栄村)では、東日本大震災の翌日(2011312日)にM6.7の長野県北部地震(栄村地震)が発生しています。後者も、かなり大きな地震ではあったのですが、前日の東日本大震災に隠れて、さほど大きな話題にはなりませんでした(東西に500km近く離れているけれど、現在では三陸沖が震源の東日本大地震を起因とした「遠方誘発地震」と見做されているようです)。

 

2011年の栄村地震と1960年代の松代群発地震との関連については、(ネットを検索した限りでは)全く言及がありません。といって、全く無関係と言うわけではないでしょう。この一帯は本州の中央を縦断するフォッサマグナの北端近くに当たることや、近くに妙高山や浅間山など日本有数の高山性火山が点在していること等々を併せ考えれば、この地域一帯に於ける何らかの共通した要因が存在する可能性も、一概に否定は出来ないと思われます。

 

エーゲ海との関連で話を進めます。真面目に考察するとなると非常に長くなるのですが、ざっくり言えば、日本列島、台湾、中国大陸など東アジアと、地中海、バルカン半島、トルコなどの南ヨーロッパは、共に地球レベルで見るとプレートが複雑に入り組んだ地域で、地震の巣窟です。

 

ひいては生物相も複雑で、(時代的には全然最近になるけれど)人類の近代文明の発祥地であることにも繋がってきます(それらの相関性ついての説明はパス)。

 

震源はパロス島とサントリーニ島の間ですね。地震と火山は直接の関係はないでしょが、根っこは密接に繋がっています。

 

そもそも研究者とか専門家とかの頭の良い人々は、物事を体系的に捉えて行きます。それが間違っているとは言わないけれど、そのことに拘泥するあまり、俯瞰的に捉えることが出来ないでいるのです。

 

地震と火山の存在は、ある前提・次元(体系的な考察)から見れば、全く関係がない、と言い切ってしまうことが出来るかも知れません。しかし別の前提・次元(俯瞰的な把握)によれば、大いに関係がある、とも言えます。後者は、往々にして(多くの知識層の人々が好きな言葉である)“エビデンス”に欠けるわけで、下手に押し通そうとすれば「陰謀論」として葬られてしまうのです。

 

さっきヤフーニュースをチェックしたら、今年はエーゲ海諸島とトカラ火山列島で、(地域を壊滅させるほどの)大規模な火山噴火が予想される、という記事がありました。ヨタ記事には違いないとしても、まんざら「陰謀論」と言い切ってしまうことも出来ないと思います(「南海大地震」と同じぐらいの確率で起こる可能性があると思う)。

 

このトカラ火山列島(北琉球内帯)海域では、ここ数10年来、小規模な群発地震がずっと続いています。火山活動も「霧島山」「桜島(鹿児島市対岸)」「開聞岳(薩摩半島南端)」「硫黄島(三島村)」「口永良部島(屋久島町)」「口之島(十島村)」「中之島(同)」「諏訪之瀬島(同)」「奄美鳥島(沖縄県久米島町)」と、代わる代わる噴火している。ことに硫黄島の鬼界カルデラが本格噴火すれば、日本(特に西日本)は滅亡するのではないか、という見解もあります。

 

プレートの食い込み(ずれ)によって引き起こされる地震と、プレートの境に沿って連続する火山の活動は、直接の関係性はないのでしょうが、成り立ちは同根です。

 

群発地震がサントリーニ島本体ではなく、古い時代はともかくとして、現時点では直接火山とは関係なさそうなパロス島などとの間の海中が震源、というのも、何かを暗示しているように思われます。

 

ちなみに、トカラ群発地震の震源地も、活火山の島々が並ぶ、諏訪之瀬島、中之島、口之島寄りではなく、悪石島(いわゆる休火山)と、非火山性の小宝島・宝島寄りです。

 

トカラ火山列島(行政上の地名ではなく、地史学・生物地理学的な側面からの名称)北部に位置する硫黄島(喜界カルデラ)と(行政上の)トカラ列島北端の火山島・口之島の間に位置する口永良部島も活火山で、その噴火・溶岩流出に伴う島民の避難活動(2015年)は、記憶に新しいことでしょう。

 

その口永良部島と口之島の間(直線距離約50km)にも、実は2つの海中火山が存在します。一つは山頂部が海上に出た口之島寄りの岩礁群「平瀬」(灯台があります)、もう一つは山頂が海面に達しない口永良部島・屋久島寄りの海底火山。これらの“隠れた火山島”がいつ噴火しないとも限らない。さらに、宝島を挟んだ南側(奄美大島の対岸)の無人島「横当島」も火山島(僕は昔ツクツクボウシの調査のために上陸したことがある)、最近火山活動の兆しが見られるという報道も目にしました。

 

エーゲ海とトカラ列島の群発地震に起因する巨大地震の勃発も、サントリーニ島や鬼界カルデラなど周辺の活火山の大噴火も、(これまでの流れを見れば)今すぐ起こるという確率は低いものと思われます。同時に、遠からぬうち(我々が生きている時代であるかどうかはともかく)に確実になされるであろうことも間違いありません。

 

速い話、それらのことを承知の上でそれらの地に人々が住んでいるわけですから、今更ジタバタしても仕方がないのでは、と思うのです。今やるべきことは、右往左往して徒に状況をかき乱すことではなく、腹を括って冷静に状況を見つめ、万が一事が起こったときに、どのような対応をしていくかを考えておくことだと思っています。

 

 

三島列島・硫黄島。この島と東隣の竹島(全島リュウキュウチクに覆われた平坦な島)は、「鬼界大カルデラ」の北側外輪山に相当。西隣に原生林に覆われた黒島。

 

屋久島・尾之間海岸から望む夕映えのトカラ列島中之島御岳(標高979m)。左に諏訪之瀬島、右に口之島が続きます。

 

 

 

 

 

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エーゲ海の群発地震(まえおき)

2025-02-10 21:08:26 | 雑記 報告

 

エーゲ海・サントリーニ島の海域で群発地震が起こり続けていて、現地では大きな騒ぎになっているようです。日本のトカラ群発地震の話題などと併せ、一両日中にブログ記事を書く予定でいますが、先日、日本のTVニュース番組で、サントリーニ島群発地震を取り挙げた際、三世とジョージが“現地”報告を行っています。今後も度々登場する(とりあえず明日の目覚ましテレビ)予定なので、ぜひチェックしてみてください。

 

 

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「人権」と「個人情報」が人類を滅ぼす

2025-02-09 17:02:14 | 雑記 報告

 

もう2年ほど前からだけれど、ワードの文章の中に♂♀の文字が書けなくなってしまいました。何の前触れもなく突然絵文字に代わってしまったのです。仕方なく漢字で雄雌と書くか、古い文章の文字をコピペしていたのですが、昨日思い立ってPCデポの担当者(I氏)に相談しました。

 

 パソコンのプロの彼が、一生懸命トライしてくれました。しかしどう操作しても絵文字しか出てきません。

I氏の意見は、ストレートな記号の雄雌の表示は、人権侵害に当たる(加えて性の多様性の問題)とグーグル側が判断し、敢えて絵文字で表示しているのではないか、ということでした。

 

 僕は、トランプとは思想的に正反対の立場にありますが、(思想的にほぼ同じバイデンやハリスよりも)人間としては遥かに評価しています。僕自身は受け入れ難い(そういう意味ではトランプを全面拒否している三世の気持ちはよくわかる)のだけれど、彼の提出する様々な“トンでも”政策は、見る角度に拠れば、一理あるのです。単なる思い付きや、単純な自己顕示欲ではなく、芯は通っている(その点で立花某とは根本的に異なる)。

 

「弱者」に対する優遇政策(多様性の推進)の廃止、性的マイノリティ(男女以外の性)の平等を認めない、、、“トンでも発言”には違いないですが、う~ん、なるほど、と思う部分もあります。

 

僕は、人生の大半を、自分の全能力を注いで、“多様性”の追及を行ってきたつもりです。

所謂リベラルな人々に、まるで流行りのファッションのように、安易に「多様性」を語ってほしくはありません。

 

人間の性は、男と女の2つだけ。「性的マイノリティ」なんてカテゴリーは設ける必要はない。

こういうことです。

「例外」をカテゴライズする、ということは、「例外」が例外ではなくなってしまう、ということです。

カテゴライズされた「例外」から「はみ出した例外」は、居所がなくなってしまう。

ひいては(「例外」を「例外」ではなくしてしまうことで)無数に存在するそれぞれ次元を異にする「例外」を認めないことに繋がってしまう。

 

性別は「男」と「女」だけ。しかし「例外」は臨機応変に受け入れる。

全ての事象に於いても同様です。

 

全ての「例外」は「例外」として成り立っている。それが“多様性”です。

「例外」を「例外」で無くしてしまう(例の内側に組み込む)のではなく、「例外」に対した時、その都度それを受け入れる。

 

価値観を基準としたカテゴライズは、結局のところ、力による支配にしか繋がりません。

 

職業の自由、教育の自由、したがって「弱い立場の人々を(職場や学校に)優遇する」ことで「平等」を目指す、そんなのは、絵に書いた餅です、その器から零れ落ちる人々だって、無数に存在するのです。

 

トランプの提言のように、「能力」を満たした人間が(それぞれを司る場に)優先的に着く。

そのうえで、(場合によっては)必ずしもその限りではない、という柔軟性(別の言葉で言えば曖昧さ)こそ、多様性の本質なのだと思います。

 

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週のうち半分は(往復4時間かけて)PCデポで作業(天候によってはバスに乗る)。半分は自室で作業、午後にココスレストランに行って、Wi-Fi拾い(お金のない時は入口に座って、ある時は中に入ってジャーマンポテト242円注文、たまに贅沢にピザ539円、、、今日、もっと安いのを見つけました、バニラとチョコレートの2色パフェ税込み209円)。

 

部屋での作業中は、TVをつけていることが多いのです。見るのは基本ニュース番組とNHKの「映像の世紀」、それと一部のスポーツ関係。コマーシャルってのが大嫌いで、それが入るといちいち消しています。グルメ番組とかはもちろん、バラエティもドラマも、うんざりです。たまに消すのが面倒で、そのままつけっぱなしにしているときがある。なんでこんなに下らんのをやっているのか、と腹が立ってきます。というよりも、日本人の余りの劣化に、情けなくなってくる。特にAI礼賛番組など、冗談ではなくこいつらバカなんじゃないか、と心底呆れてしまっています。

 

 

 

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水原一平氏と大谷選手に想う

2025-02-07 16:11:09 | 雑記 報告

 

結構長い間ブログを中断していました。一部の読者の方々には、ご心配をおかけしていたかも知れません。単純に余りに時間がなく(ことにWi-Fi利用に於いて)、ブログ執筆に費やす時間がもったいなかったことによるものです。一段落がついたので、再開する次第です。

 僕のブログを、要請している購読料も払わずに、苦境に陥った身寄りのない老人からの発信を、他人事のように眺めているだけの、そのような読者はどうでも良いのです。僕同様に、あるいは僕以上に困窮している(ゆみさんは大丈夫かな?)読者の方々には、ご心配をかけたくない。

 なんとか生き延びています。今回も、元植物園館長氏から、助けの手が差し伸べられました。今のところ、一日500円程の食費でやっていける目途がついたので、ご心配は無用です。

 ほとんどの方は、(表面的な次元でもって)親切を装って(本人たちは純粋に親切だと信じているのでしょうけれど)正論を上から目線で押し付けてくる。そして、僕のような枠組みから外れた人間を追い詰め、結果として排除して行く仕組みになっているのですね。まあ、嫌味ですが(笑)。

 いずれにしても、ごく少数であるにせよ、分かってくださる方はいらっしゃるわけです。それで僕も必死で、やるべき作業に取り組んでいます。「屋久島の植物」を一時中断し、先に収入に結び付く可能性のある「海の向こうの兄妹たち」に取り組んでいるわけですが、当初想定していた既刊(2013年に自費出版)の500頁を章ごとに分割(20~50頁)、幾つかの訳注や追加記述を加えて、全20巻を刊行する目論見でいたところ、追加記述がどんどんと増えて行き、第1巻だけで368頁(全20巻だと7000頁越え)になってしまった。

 僕の利益を1000円として、一冊7000円程の定価になってしまいます。こんな価格では購入してくださる方は僅かしかいないと思う。仮に5人だとすれば5000円の収益。20巻だと10万円にはなりますが、このペースだと月に2冊どころか、一年ほどかかってしまいそうな気がします。労力と報酬のバランス上、割が悪すぎるのですが、仕方がありません。僕の中国関係の作品の集大成と割り切って、ひたすら先に進めて行きます(中国の蝶や蝉や植物関係の集大成は、また別に企画する)。

 ともかく第1巻はほぼ完成したので(六本脚に納入して)「屋久島の植物」に再度取り組みます。というわけで、とりあえず一息、ブログを再開していくことにしたのです。

 実は、数日前から非常な憤りを覚えている事案があるのです。それについて触れて行きたい。

 一平さん問題(今日判決が為されました)。

 多大な憤りを覚えています。

 この問題に、現在の人間社会に現れた歪のすべての根源が集約されているように思えます。例えば世界のあちこちで勃発している戦争・紛争とか。

 僕に能力があれば、「一平事件」を一大スペルタクとして(ドストエフスキーの「罪と罰」とか、トルストイの「戦争と平和」に匹敵する壮大な次元で)小説化したいのですが、残念ながらその能力はありません。誰か取り組んでくれないですかね(一平氏自身にも期待しています)。

 いずれにせよ、この問題に関しては、今後とも少しずつ触れていくつもりでいます。

 今回は断片的に箇条書きで。

 一平氏が裁判長に充てた手紙の評価が焦点となっていたようです。そしてその内容が「虚偽」であると見做されたようであります。権力、大衆による、力と数の理論に基づいた、エビデンスと結論づけ。

 何度でも繰り返し言います。事実(真実と事実は異なるという見方もあるようだけれど、なに、同じです)は一つではない。

 検察(彼らの権力が、いかに醜い基盤の上に成り立っているか、身に染みて感じている)は、一平氏の裁判長への申告文章が虚偽である、と結論づけた(裁判長もその判断にしたがって判決を下した)わけですが、それは強者の(裕福者、多数派)の理論でしかありません。

 それは一つの事実ではあっても、事実の全てとは成り得ない。一平の訴えも、虚偽ではなく、紛いなき事実なのです。むろん、力や数(かのようにの基盤)の側から見れば、虚偽と見做されてしまうのでしょうけれど。

 具体的にどういうことなのか、膨大な問題提起が含まれています。今後それを一つ一つ検証していきたいと考えています。

 一平氏は、犯罪を犯した悪人であり、罪を認め、罰を受けねばなりません。しかし、それだけで済ませてはならない。

 現在の世の中の背景を鑑みれば、罪や罰を背負わねばならぬのは、我々も同じです。一平氏には、この問題の本質を炙り出すべく、問題提起する(そのことで裁判長を含めた力のや数の側の心象を悪く導いていくとしても)責務があると思っています。

 そもそも「一平氏事件」の一方の主役(いわゆる被害者)は大谷君なのですね。被疑者と被害者の関係は、単純な構図ではないのです。

 大谷君は、野球選手として文句なく素晴らしい存在です。僕も彼の大ファンであり、その活躍を一喜一憂しながら見守っています。

 しかし、人間としては (世間が幾ら褒め称えようとも、そして僕も彼の絶大な魅力を認めてはいるけれど)失格だと思う。

 前にも書いたように、(大谷君の持つ)誰よりもボールを速く投げ、バットでより遠くまでかっ飛ばす能力、(一平氏の持つ)英語と日本語の二か国語を自由に操ることの出来る能力、そこに至る様々な努力、共に素晴らしいのです。決して後者が前者に劣るものではありません。

 しかるに現実的には、例えば報酬の面だけを見ても、後者は前者の1000分の1にも及ばない。その中で一平氏(むろん彼の行った行為が多大な非難を受けなくてはならないことは確かだとしても)の置かれた立場は、「事実」だけでは表し得ない、多彩で複雑な側面を有しています。彼の弁明(金銭含む苦境)は、決して嘘ではありません(ある角度の光の当て方からは「虚偽」と見做されるにしろ、別の角度からの光の当て方に於いては「真実」でもあります)。

 「問題」そのものが、特別なシチュエーションの上に成り立っている。きっかけは、大谷選手という、特別の存在にあるのです。

 一平氏は、本来なら正面から大谷君に助けを求めるべきであったと思います。しかし、それは出来ない。

 大衆に君臨する絶大な力を守るためには、異物は切り捨てられるしかありません(少々大袈裟な例ではありますが、如何なる戦争責任があるにせよ、天皇は守られるわけです)。

 大谷君が、今後も未曽有の成績を上げ続け、人々を楽しませ続けるためには、弱い立場の存在は、犠牲になるしかないのです。

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 今日、銀行に行って、HDD修復費分割支払いの5000円を振り込みました。

 飯塚市には三井住友銀行がないため、他銀行から500円の手数料を支払って振り込まねばなりません。それで他銀行の口座を新しく作ろうと思ったのだけれど、そのためには携帯電話番号が必須とのこと、諦めざるを得ません。

 それとは逆の、販売した本の売り上げの受け取りも、困難な状況に陥っています。これまでは三世の口座を通じて振り込んで貰っていたのが、昨今の「振り込み詐欺」防止とかの名目で、本人名義以外の口座は利用できなくなってしまいました。しかし、自分の口座は本人証明が出来ないでいる(携帯電話不所持のため)ことから、使えないのです(書留郵送か手渡ししか手段がないそうな)。

 携帯電話を所有していない人間は、現実として市民生活を行うことが出来ない。

 それもこれも、「個人情報」とか「人権」とかを絶対視する風潮の、余波を被っている、と言えそうです。

 「個人情報」とか「人権」とかは、結局のところ、「力(強者)」や「数(大衆)」を守るものでしかありません。

そこから外れた人間は、その対象とさえ成り得ない。

 ・・・・・・・・・・・

 先日、大雨が降った日、徒歩でPCデポを往復していた路上で、大変な災難に遭遇しました。大きな水たまりをダンプカーが通過し、頭から大量の冷水を浴びせかけられてしまった。2時間歩いて部屋まで帰ったのですが、危ゆく凍え死んでしまうところだったです。

 仮に凍え死んでしまっていたとしても、単なる(身寄りのない)老人の行き倒れと処理されてしまってお終いです。車社会の常識の許では、歩いている方が悪いのです。人権も何も、あったものではありません。

 「人権」によって救済されるのは、一定の枠組みの中に納まっている人々のみ。弱者の、さらに外側に位置している人々は、切り捨てられるしかないのでしょう。

 //////////////

 これは一体、何なんでしょうか?

 さっき、あや子さんから、「(読者の)ゆみさんからコメントが来ています」という連絡を受けたので、その返信コメントを入れて貰うように頼みました。

 ゆみさんからのコメントの概略。

>生活大変そうで心配です。お手伝いできる方法は何があるのでしょうか?

>このブログの購読料(わずかな謝礼ですが)を、お渡しできる方法をお知らせ下さい。
>私のような資格も技術も経験もない何の取り柄もない者にとっては、賃金の値上げどころか今の仕事があるだけでもありがたく、次はないと思うと低賃金でもしがみつくしかありません。

>先生の娘さん?のような、キャンピングカーでの周遊、私もしてみたいです。まだ行ったことのない土地を見てみたいです。
僕の返信コメント。

>あや子さんから連絡があって、コメントを拝見しました。今ちょうど新しいブログをアップしようとしていたところです(ゆみさんのことにも少し触れました)。

>生活に困窮している読者の方には、購読料は要求しません(気になさらずに今後も気軽に訪れてください)。購読費云々は、充分に余裕があるのに、僕の要望を人ごとのようにスルーしている、一部の読者に向けての発信です。

>三世とジョージが、先日TVニュースに登場しました(エーゲ海サントリーニ島の地震のニュースの「現地」レポート)。実情は、ここでは伏せておきますが、彼らの逞しさは、我々も見習わねばなりません。

 すると、あや子さんから

>ブログコメントに、ゆみさんへの返信を書き込みましたが、

「不適切なURLまたは禁止ワードが含まれているため、投稿できません」

という表示が出て、送信できませんでした。

何が不適切なのか、わかりません(URLは入れていません)。

という連絡が。

なんか、怖いですね。不可解な言論統制。

 

 

 

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追悼

2025-02-06 21:00:12 | 雑記 報告

 

よっさん、、、お疲れ様でした、ゆっくり休んでください。

 
小山さんは、まだまだ長生きしてくださいね!
 
 
 
 
 
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読者の皆さんにNHK番組「映像の世紀」を見てほしいです

2025-01-21 21:14:58 | 雑記 報告

 

立花某、この人、本物のキ○○○ですね。

本人以上に怖いのは、追従する大衆。

 

ふと思った。

AIの将来は、こいつみたいなのが量産されていくんじゃないかと。

 

興味深いことがあります。

ネット上のコメントには、今も一定数の誹謗中傷(本人たちは自分たちが正義と信じ自覚がない)が投稿されているのですけれど、それらのコメント末尾には、必ずと言っていいほど「御冥福をお祈りしています」が付されています(それらの言葉が付されているのは概ね誹謗中傷のコメント)。

 

このあたりに、問題の本質が垣間見えるような気がしています。

 

ついでに言っておくと、(これまでも度々指摘してきたけれど)自死のニュースを流すたびに「命のダイアル」とかが付されています。これって、責任逃れの典型じゃないですかね。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

正論、原則論、ルール、正義、、、否定するものではありません。理念として貫くことは、立派だと思います。しかし、押し付けるべきではない。

 

全ての現象は、常に例外を伴っている。換言すれば、光と影から成り立っている。光も影も、等しく尊いのです。

 

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今日はトランプ大統領就任式ですね。トンでも語録が展開されています。地球の将来を鑑みれば、由々しき発言のオンパレードです。三世やジョージの抱く危惧感にも激しく同意しています。でも僕は結構楽しんでいるのですね。立花某とは根本的な次元(それについては改めて)で異なるので。隣に並んでいるバイデンハリスブッシュオバマクリントンヒラリーの苦笑いが面白いです。

 

TVは、ほぼニュース番組だけ見ています。お笑い、ドラマ、グルメ、コマーシャル、、、、(TVだけでなく、所謂SNSも同様)余りに下劣で、精神衛生上よろしくないです。 

 

NHK「映像の世紀」を楽しみに見ています(昨夜の放送も見応えがあった)。

全ての人たちに(ちゃんと受信料を払って、笑)見て頂きたいです。

 

・・・・・・・・・・・

 

火曜水曜はPCデポが休日(毎日4時間徒歩往復は堪える)。今日から作業の内容を逆にして、スキャンは自宅で行い、PCデポではWi-Fi利用に集中することにしました(さっき荷物が届いた、これからココス前の路傍にWi-Fiを拾いに行く)。

 

朝から、仕事(いわゆる一般のバイト)を求めて何か所か(時給1000円の張り紙がしてあった近所のファミレスと焼き肉屋)を回ったけれど、玉砕。理不尽な8時間重労働日当500円の仕事でも、(腹立たしいのはもちろんだけれど)今の僕には貰えるだけありがたいには違いないので、頭を下げてなんとか有りつかねばなりません(たぶん来月までない)。

 

一回バスに乗ると、すぐに無一文になってしまいます(それでここ数日は仕事場にしているWi-Fiデポまで往復4時間徒歩通勤)。現時点で残り財産84円、これであと10日、どのように遣り繰りすれば良いのでしょうか? スーパーで半額(21円)のチャンポン/ウドン玉を見つければ、ちょうど4日間食い繋げるので、その間に何とか日雇いバイトにありつくか、ソーシャルオフィスに食料支給の助けを求めるか(電話がないので連絡が取れない)。まあ、いつものことなので、(10日後の2万円支給を待って)何とか生き延びることは出来るでしょうが。

 

と、強がり言っていますが、チャンポン/うどん玉がなかなか半額にならない。さっき1個42円(税込み)で買ったので、残り42円です。ここ数日、一日一食、ジャガイモ、うどん玉、100円パンの繰り返し(かつ4時間徒歩通勤)なので、さすがにふらふら、意識朦朧状態です(幸い体調自体は元に戻ってきたので何とか持ちこたえていますが)。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

以前から公言しているように、このブログは原則有料です。読者の方々は肝に銘じておいてください。ブログの読者の方々の中には、僕同様に赤貧に苦しんでいられる方がいます。そのような方々には、無料で見て頂きます。しかし、ある程度の経済的な余裕がある(敢えて基準を作れば僕よりも裕福な)読者の方には、何らかの形(金額の多少は不問)で購読料を支払って頂きたいと考えています。

 

でも多分、誰も鼻にもかけてくれないでしょうね。孤独老人が餓死していく様を、チープなTVドラマでも見ているように傍観しているわけです。恥ずかしくないんですかね。まあ、固定読者なんて(僕同様に貧乏な方以外は)一人もいないのかも知れませんが。

 

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昨夜は、うっかりTVを消し忘れて、絶滅危惧種についての番組をチラリと見ていました。膨大な数の絶滅危惧種が存在する由(とりあげたメンツは、トキ、コウノトリ、イリオモテヤマネコ、カラスバト、、、)。そのことを含め、言ってること自体(生態系、多様性云々) は間違ってはいません。しかし「教科書」です。あくまで一つの側面に過ぎないのです。間違ってはいなくても、別の側面から見れば違った答えが導き出される。“種とは何か?”“絶滅とはどういうことか”などの命題に関わる根本的な部分での検証。なのに教科書は(“かのように”的エビデンスに基ずく)答えを確定し、それに沿って“教育”が安易に勧められていく。暗澹たる気分です。

 

 

 

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斎藤劇場のつづき

2025-01-19 22:04:36 | 雑記 報告

元百条委員会メンバーで元兵庫県姫路市議の竹内議員が自死しました。事件の発端となった渡瀬元西播磨県民局長ともども姫路市民、父親が姫路出身の僕(昨年相次いで亡くなった三世のご両親も姫路市民)としては、心穏やかではありません。

 

度重なる(立花某らによる)家族への中傷に耐えられなかった由。

僕は立花某という人間(人間とは認めていませんが)、こいつだけは許せません。

そして、自殺者たちを、せせら笑うヤフコメ民(大衆)も。

 

繰り返し言います。橋下氏の言うように「斎藤知事の見解は間違ってはいない、しかし人の痛みを推し量れないでいる人間は、指導者として失格」だと思います。

 

正論(エビデンスとかに基づく)が全てではない。科学や文明に対する絶対的信仰(思い上がり)に対する危惧にも繋がります。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・

 

僕が嫌いな人々。

 

“ローリング・ストーンズ誌的現象”を、闇雲に追従する人々(三世のいう“スペッシャル思考”とも被る)。

 

“趣味の人助け”マニア。 

“人助け”は、本来、受け身であるべきです。助けを求める人を(自己のポリシーとかには関係なく)無条件で受け入れる。

能動的に“助けてやる”“助けたい”は邪道、本当の人助けではありません(それを“人助け”と勘違いしているのでしょうが)。

 

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タレントの中井氏に関するニュースを見ました。メデイア(ことにフジテレビ)の体質、さもありなん。フジテレビの内情についてはチラリとですが実体験しています。エリート連中が、いかに好き勝手に(ふんぞり返って我々下々を虫けら扱いしつつ)振舞っているか、それはもう想像を絶します。

 

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TVSNSなども含めたマスメデイア全体)の劣化は、目を覆うばかりです。

AIについての番組。某AI業界社長が、自分で思考出来るAIロボットを開発、分身として仕事を分担する。吐き気がします。科学への過信、自己陶酔。余りにも幼稚です。 

 

その番組の末尾で、AIによる、こんな自主コメントが放映されていました。

“老人や貧乏人は、健全な社会の構築に無益な、邪悪な存在でしかない、素晴らしい社会の構築には、このような社会悪は抹殺して行かねばならない。”

ジョーク?なんでしょうか、コメンテーターの人達は当惑しながら、番組終了。一種の放送事故かも知れませんが、別に不思議なことではありませんね。

実は(当事者以外、すなわち社会の中軸を担う健全な人々の思考としては)「正論」なわけですから。

 

・・・・・・・・・・・・・・

 

繰り返し言うけれど、

「平和」と「戦争」は、同義語。

「自由」と「平等」は、反対語。

 

自分たちの平和を望み続ける限り、戦争は無くなりません。

自分たちの自由を主張し続ける限り、平等な世界は実現しません。

 

民主主義は、強者(自分たち)が権利を守る制度に、ほかなりません

本気で「平和」「自由」な世界を構築したいならば(世界の人々が皆平等な社会を目指すためには)、自らの「平和」「自由」を捨てなくてはならない。

 

・・・・・・・・・・・・・・・

 

以下、僕の近況。

 

ここしばらく、近くの町工場でバイトしていました。毎日8時間、かなりの重労働(木材切断と運搬、ペンキ塗り、看板組み立て)。日当のほとんどは、スマホ利用代金(一昨年、生活保護=手取り2万円前後=受領にはスマホ所持が必須ということで、伝手を頼ってこの工場社長氏から入手、、、現在は手許にありません)に差し引かれて、手取りは一回500円ほどです。それでも1銭もないよりはマシなので、仕方なく続けています。

 

収入は、PCデポへのバス代(往復760円)で消えてしまいます(往復4時間歩いて通うか究極の選択)。この一週間、ほとんど何も食べていません(ファミレスでWi-Fi利用日は242円のジャーマンポテト1個、PCデポでの作業日は100円パン1個)。餓死してしまう可能性もあります(まあ、ダイエットだと思えばいいですが(;´д`))。

 

77歳にもなって、なんでこんな重労働(しかも限りなく割の悪い)を課せられなきゃならんのか、と腹立たしくなってきますが、社会に背を向けてきたので、その酬いと捉えて、観念するしかないのでしょうね。

 

 

 

 

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旧原稿の再掲

2025-01-14 17:19:55 | 雑記 報告

 

屋久島や中国の自然関連の古いデータを再チェックしていたら、9年前、2016年に書いた記事に出くわしました。おそらく、「1966年」「口永良部島」に関する何らかの話題があって、それに絡めて記述したのではないかと思われます(「現代ビジネス」掲載を念頭に置いていた?)。もしかすると、ブログ用に書いたのかも知れない(だとすれば再掲ですね)のですけれど、穴埋めにアップしておきます。

 

1966年」および「口永良部島」

 

ジョニー・ティロットソンより5才下のブライアン・ハイランド、5才上のデル・シャノンは、ともに1960年代初頭に大ブレイク(ジョニー「ポエトリー・イン・モーション」、ブライアン「ビキニスタイルのお嬢さん」、デル「悲しき街角」)して以来、非常に仲の良い、親友トリオでした。「歌は明るいけれど雰囲気の暗いブライアン」「歌も雰囲気も暗いデル」「歌も雰囲気も明るいジョニー」。デルは、1990年に自殺してしまった。生きていれば、今年82才になります。ブライアンは今年73才。3人の中では若手であります(笑)。

 

そのブライアンと、77才(78才?)のジョニーが、今年8月、タイのバンコクで、ジョイントコンサートを行います。2人のジョイントコンサートは、これまでにも度々あったのですが、そのうちの何回かは、ブライアンの体調(精神状態?)不良のため、ドタキャンされてしまったようです。

 

今回は、満を持しての(もしかして彼らにとって最後になるかも知れない)ビッグイベントです。彼らにとってだけでなく、僕や村田さんも、このライブの取材に全てをかける意気込みでいます。

 

その矢先、618日に、とんでもないニュースが飛び込んできた。「ブライアン・ハイランド死去」。しかし、このニュースは、即座に打ち消されました。完全なデマであると。

 

なぜ、ブライアンがデマの標的になったのかは、現時点では不明です。全く本人の身に関わりがないことなのか、(彼の精神状態を含む)引き金となる何らかの動機があったのか、、、、。

 

ひとつ分かったことは、ブライアン・ハイランドが今でも世界的な大スターであるということ。「死去」の報が流れて、インターネット上には、世界中から数多くの追悼(?)のコメントが寄せられた。

 

一方、日本。試しに「ビキニスタイルのお嬢さん」、これをネットで検索していたら、こんな要旨の記述に出くわしました。曰く「非常に有名な曲である」「しかし唄った歌手のことは誰も覚えていない」、、、、、何たる無知・侮辱。日本に於いては、63年になってブレイクしたジョニーよりも先輩で、6062年頃にはアメリカのティーンアイドル歌手の第一人者と目されていました。ジョニー同様に、日本だけのヒット曲も数多くあります(その代表が「タモリ倶楽部」のエンディングテーマ曲として知られる「ベビーフェイス」)。当時、何度か来日公演も果たしています。エルヴィスに続くポール・アンカやニール・セダカとともに、日本の洋楽界の幕開けを飾った主役の一人なのです。なのに「誰も知らない歌手」という扱い、、、これが、日本と言う国の、国民性なのです。

 

ジョニーに対しても同じです。彼のヒット曲は、世界の各地で異なっています。代表曲は、アメリカやイギリスでは「ポエトリー」と「涙ながらに」、東南アジアやオーストラリアでは「こんなに愛して」と「ジュディ、ジュディ、ジュディ」、そして日本では「キューティ・パイ」と「涙くんさよなら」*。各国より数年遅れ(従ってビートルズ登場の時期に重なって)6466年に日本での絶頂期を迎えた彼の人気は、当時、世界で突出していたのです。

*後記:「キューティ・パイ」と「涙くんさよなら」は南米・アルゼンチンでも大ヒットしています。

 

それが50年経った今、日本では(いつの間にか歴史が書き変えられてしまって)完全に忘れ去られ、タイをはじめとした東南アジア各国(やオーストラリアや欧米諸国)では、年月を経るごとにリスペクトの機運が増大している。

 

村田さんは、それが悔しくてたまらず、「タイやマレーシアでコンサートがあっても、絶対に行きたくない」と言い続けてきました。今回も、僕の誘いを最初は断ったのです。しかし、考えを180°変えたようです。今こそ、実情を日本(のファンやメディア)に伝えよう。全力を挙げてレポートを行い、ジョニーやブライアン本人たち共々、タイでの熱気、日本の冷淡、、、、その実態を知って貰おう、と。そして、2人を、もう一度日本に呼ぼう。

 

1966年は、「涙くんさよなら」映画化50周年。ジョニー初来日「50周年」。「涙くんさよなら」に続くジョニーの和製ポップス「ユー・アンド・ミー」が、絶頂期のビートルズの諸曲を押さえて、日本のヒットチャートの一位を独走した年です。

 

ちなみに、ジョニー関連の曲では、この66年に、前年大ヒットしたジョニー盤「涙くんさよなら」から一年遅れ、坂本九盤「涙くんさよなら」がマヒナスターズ盤や初代ジャニーズ盤とセットになって、ほんの一瞬だけヒットパレードの下位に登場しています。

                                                       

もう一曲、マイク真木盤「バラが咲いた」。ジョニーは、この曲を2年前の64年に録音(日本語と自身の英訳で)、しかしお蔵になったまま、この年、マイク真木盤と同時に発売、ともにベスト10にランクインされています(ジョニー盤もかなりのヒットを記録しましたが、明らかにマイク真木盤のほうが大きなヒットとなった)。

 

ジョニーの「バラが咲いた」録音・発売の経緯(最初に浜口庫之助から提供されたこの楽曲を一度は拒否し、「涙くんさよなら」が再提示されたことになっていますが、真相は詳らかではありません)についての再確認を行いたい。

 

ちなみに、マイク真木盤が(学生アルバイトでテストのための音入れを行った音源を発売して)大ヒットに至った経緯については、ごく最近、当時の担当者がインターネット上に寄稿しています。

 

「定説としての歴史」と「本当の歴史」は、しばしば異なります。今の世の人々が編纂し、疑いもなく信じている「歴史」を、完全否定しなければならないとは思っていません。しかし、リアルタイムを知る人々の証言を、頭から無視してしまう傾向も、どうかと思うのです。

 

現在の日本には、「事実」よりも何よりも「空気」が全てを支配してしまう傾向があります。新たな事実を作り上げ、寄ってたかって他を排除する。

 

イチローの日米通算安打記録に対しての、多くの日本人の反応。これほど嫌な気分になることは余りない。イチローは大好きです。(ほとんどの人がまだ存在を知らなかった)オリックスでデビューした当時の鈴木一郎時代から、密かに応援していたのです。

 

「世界記録」を認めないと言っているピート・ローズへの誹謗中傷の合唱、自分が日本人であることが、つくづく恥ずかしくなってきます(イチロー本人も困惑している)。

 

「世界記録」たりえないのは、当たり前です。どこからどう見ても「参考記録」に過ぎません。そして、それはそれで素晴らしい文句のつけようのない記録です。

 

それを「世界記録」と認めよと、認めないのはおかしい、というのが、多くの日本人の意見です。ならば、海外から日本にやって来た選手の「日米通算記録」も、日本記録なり世界記録なりとして認めねばならない。でもそんなことはしません。

 

あるいは、韓国や台湾に於ける記録も同列に扱うべきなのですが、王貞治の「868本」を世界記録として認めよ、と主張する同じ人々が、韓国リーグの選手の(王を上回る)記録を、鼻でせせら笑って、アジア記録として認めようとは絶対にしない。何をアホなことを宣っているのかと、完全無視です。

 

ネトウヨ、いや、大多数の日本の市民の、歪な「愛国心」には、ほとほと嫌気がさしています。

 

「沖縄」の問題。沖縄の主権を求め、日本政府に反発する地元の人々や、地元メディアの「琉球新報」「沖縄タイムス」を、「プロ市民」「売国奴」と誹謗する、沖縄は当然日本の一部、と信じて疑わない多くの健全な日本人たちの存在を、本当に悲しく情けなく感じます。

 

 同じ人たちが、中国のチベット・ウイグル支配や台湾統合に対しては、全く逆の意見を叫んでいる。その人たちに、中国のウイグル・チベット・台湾支配と、日本の沖縄支配に、どこに違いがあるのか? 明確に答えて欲しいのです。

 

 日本人の志向パターンは、中国や北朝鮮の人々の志向パターンに、(本人たちが気が付かない間に)限りなく似てきてしまっているように思います。

 

先日、口永良部島沖を中国艦が領海侵犯するという出来事がありました。この地域は、何十回も通い続けた僕のフィールドです。「北琉球」の自然/生物地理学的な位置づけ(とそれに基づく人文分野の基盤)については、トータルで見れば、僕が世界中で最も詳しい、と自負しています。なんで僕に聞かないのかと(笑)(そのためにも早く「現代ビジネス」をスタートして欲しい)。

 

ネットでこの問題について、チェックしてみました。青山繁晴さんという政治学者?が、詳しい論評を行っていました。同姓のよしみもあって(笑)、じっくりと耳を傾けてみました。非常に分かりやすい論評で、同意する部分も大いにあるのですが、根本的な部分で、決定的に考えが異なります。

 

一例。尖閣列島周辺の国境線について。中国の国家機関の発行したある時代の地図に、はっきりと尖閣の中国寄りに国境線が引かれていた、その時点で中国の国家が認めていたのだから、今更異議を訴えても後の祭り、というのが彼の意見のようです。

 

でもなぜ、それだけを取り上げなければならないのでしょうか? 確かに一つの事実です。しかし、別の事実が他にも多数あります。それ以前にも、以降にも、同じような、そしてそれぞれ異なった見解が存在するはずです。

 

人類成立以前に遡って検証してこそ、本質に迫ることが可能になる、と言うのが僕の持論なのですが、今はそれは置いて考えましょう。人間の有史以降に限っても、今に至るまで、互いに様々な主張を繰り返し続けてきた。なぜ、自らに都合の良い部分だけを取り上げて、日本の言い分の正統性を主張しようとするのか、僕にはさっぱり分からない。「俺のものだから俺のもの」と言っているようにしか思えません。日本の姿勢も、冷静に見れば、中国とちっとも変わらない。

 

ちなみに、国境線について僕がこれまでも言い続けていることなのですが、、、、中国の地図には台湾と与那国島の間に明確に国境線が引かれていて、そして、あれだけ躍起になって、あらゆる地図に南沙諸島と周辺各国との間のライン引きを徹底しているにも関わらず、ほとんどの中国の地図には、八重山と尖閣の間の国境線は引かれていない。敢えて曖昧な処置を取っているとしか思えません。深謀遠慮な、大きな意味が隠されているようにも思えるのです。

 

追記。台湾-与那国島間のラインに関しては、中間からだんだん与那国に近寄っている、、、そして、今やラインの右側の網の部分が与那国に被さってしまっている(笑)。果たして「笑」で済ませてしまって良いことなのでしょうか?

 

そして、東シナ海の中で、尖閣とは対極に位置づけされる「北琉球内縁諸島」(口永良部島もその一角)の、中国にとっての意味。

 

中国は、明らかに「沖縄」を狙っています。自国の領土にするということではなく、まずは「日本」から切り離す、という形で。

 

今こそ全ての日本人が、「琉球とは何か」という問いに、根源的な部分から向き合う必要があると思うのです。

 

 

 

 

 

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今年も山あり谷ありです

2025-01-01 21:01:57 | 雑記 報告

元日早々、嬉しいことがありました。

 

朝から「ゆめタウン」のスタバに出向いてドリップ・コーヒー380円を注文、一日そこで籠城します。昼食は餃子の王将のハーフ餃子定食510円、大変な贅沢なんですが、お正月ということで許して頂きたい。

 

餃子屋さんの前で、突然「青山さん!」と呼び止められた。若い女性の2人連れです。誰だかわからない。失礼を承知で、どなたでしたっけ?と問い正しました。

 

近くのファミレス「ジョイフル」で働いていた高校生(隣の近畿大学の付属校)のIさんと、もう一人のスタッフの方。Iさんは(これも失礼ながら)まだ子供っぽかったのが、すっかり大人になっていて、誰だか分らなかったのです。

 

2022年の秋、福岡(飯塚市)に越してきてから丸一年間余、ほとんど毎日のように、ジョイフル(アパートから5分)に籠城して、Wi-Fiを拾いつつ原稿を執筆していました。スタッフの方々も、応援してくださっていた。殊にIさんは(どこで調べたのかわからないのだけれど)僕の素性を知っていて、僕の本を買って読みます、と言ってくれていた。それには及ばないですよ、今作っている作品(「中国胡蝶野外観察図鑑」と「近所の森と道端の蝶」)が完成したらいの一番に差し上げるので、と応えていたのです。

 

とにかく、スタッフの方々みんなが応援してくれていた。ところが、唯一店長(それも途中でやってきた若者)がとんでもなくムカつくやつで(飯塚の人達のほとんどの方々は親切で感謝しているのだけれど、この店長を含む3人~某交番のオマワリ、某水道局職員~だけとんでもないクソがいる)、余りに嫌がらせをするものだから警察に訴えたところ、逆恨みされて(カスタムハラスメントだというのだそう)、入店禁止になってしまったのです。

 

その後スタッフの人たちが随分心配してくれている、というのも伝え聞いていたし、正式な形で店長を訴えるべく、本店社長に対して訴えの内容証明文を送ろうと試みたのだけれど、その経費が予想外に嵩むこともあって、諦めていたのです。2024年春にはIさんは大学に進学するとのことで、連絡がつかないままになってしまっていました。今は大阪の本校に進学して勉学に励んでいる由、今度こそ出来上がった作品を送って喜んで貰えそうなので、ずいぶんホッとした気持ちになっています。

 

去年の夏に18年ぶりに屋久島を訪れた頃から、「世の中、数多くの敵がいる分、実は味方も沢山いるのだ」ということが、朧気ながらわかるようになってきました。

 

・・・・・・・・・・・・・・・

 

結局、ブロンズ像は、銀座の有名古物商に即金10万円で売り払い、あかね書房から生涯印税前払いとして4万円を前倒し振り込みいただき、その日のうちに格安航空チケットで(ノービザ滞在規制が解除されたばかりの)中国に向かうことにしました。中国産の未記載ヘツカリンドウ近縁種の開花期にギリギリ間に合います、まずその探索を最優先しなくてはなりません。香港経由で現場の広東省恵州市象頭山国家自然保護区へ向かい、一応2泊3日のスケジュールで日本に戻ってくる予定でした。

 

しかし、山中を50km歩き回って探索したのにも関わらず発見できず、その後、転進して向かおうとした場所は外国人入境禁止(後で知ったのですが同じ日に中国人のカメラマンがそこで多数のヘツカリンドウ近縁種を撮影した由)、探索を諦めるしかなくなってしまいました。

 

それどころか、信じられないほどの様々なアクシデントに遭遇(多くはパソコン・スマホ関係、余りに多すぎて書ききれない)、極めつけは、原則として大半を残しておく予定だった全財産(出発直前に、去年夏頃までは海外でも使えた今使用中のキャシュ・カードが使えなくなったことが判明し、全額を現金に換金)が、(極めてイレギュラーな形で)盗まれてしまった。

 

ギブアップして、とりあえず帰国しようとしたのだけれど、帰路のチケットを買ってもらう手はずになっていたモニカとは(スマホなどでの)連絡が取れず、結局香港空港で寝ずに3日間待った後、大阪の植物園元館長氏の計らいで、辛うじて年末帰国が叶ったのです。

 

14万円という虎の子の全財産が、何一つ目的を達成することなく、泡のごとく消え去ってしまったことも無念極まりないのですが、それ以上に(3日間寝なかったことで)体調を完全に崩してしまい、またぞろ急性肺炎まがいの状況に陥ってしまっていることが、悔しくてなりません(もう一日帰還が遅ければ万事休すだったと思う)。

 

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香港~福岡便は、ちょうど、韓国の航空機大惨事の直後のフライトだったのですね。福岡空港でも以前同様の事故が何度か発生していた由、心配でした。

 

飛行機は空中を飛ぶのがメインの仕事で、地上を走るのは付随的な仕事に思われがちですが、むしろその苦手部分にこそセフティ・ケアを注がねばならないのですね(着陸後すぐに立ち上がってうろうろしだす乗客をスチアーデスが必至で制御する様は毎度のこと)。

 

なのに、滑走路の先の、まさかの「壁」の存在。韓国交通省は「基準(ルール)を守っているから問題なし」というのだけれど、そういう問題じゃないですよね。

 

「“なぜ事故が起きたか”と“なぜ被害が大きくなったか”は別の議論」 と指摘するコメントがありました。

まさにその通りだと思います。すべての事象は、「例外」の積み重ねから成り立っています。

 

ルールは、例外(ルールの外)を基準に設定しなくてはならない。必要だけれど、絶対的なものではない。いわば、常に動いている“生き物”だと思うのですね。

 

 

 

 

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産経新聞と週刊金曜日

2024-12-29 20:45:03 | 雑記 報告

 

しばらくブログ更新が滞っているので、なにか投稿せにゃならんと思っているのですが、実は今大変な目に会っていて、人生最大のピンチに陥っているのですね。余りに大変な状況でして、説明するのも大変です。よってその話はパス。まあ無事生きてたら(安心は出来ん状況です)、そのうち説明する機会があるかも知れません。

 

ヤフーの今日のニュース、引っ張りに引っ張ってきた、テオスカー・ヘルナンデスのドジャース残留が決まりましたね。このあたりの話題に関してはミーハーな僕なので、結構喜んでいます。

 

引っ張ると言えば、斎藤さん劇場は、とうとう年越しですね。これだけロングランの劇場はこれまであったでしょうか?兵庫県出身者として、誇りに思います、と、しときましょう(-_-;)

 

面白い指摘がありました。産経新聞と週刊金曜日が、歩調を合わせた記事を書いていると。これは大変なことですぞ。本来なら有り得ない前代未聞のことが起こっているわけで、斎藤劇場問題の複雑さ(奥の深さ)を如実に表しているように思います。

 

 

 

 

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母からの手紙

2024-12-14 10:50:15 | 雑記 報告

 

オークション25万円。入札はありませんでした。他の方が出品している同じ作者の別の作品(税込み28万円)をはじめ、別の作者の似たような価格の作品も、どれも討ち死にみたいです。落札成立は5万円前後の作品ばかり。4年前に15万円、27万円だったので強気の40万円、せめて同額の25万円前後を目論んでいたのですが、世の中の経済状況が変わってきているのかも知れません(絶対に欲しい人は、結局2人しかいなかったのかも知れないし)。

 

でもって短期決済の40%引き15万に切り替えました。必要な資金には足りないけれど、背に腹は代えられません。これでもダメだった場合は、

⓵直接古物商に10万円(orそれ以下?)で売る。

⓶お金持ちは20万円ぐらいの出費は余裕と思うので、事情を話してスポンサーになって貰い、お礼としてブロンズ像を差し上げる。問題は、お金持ちを知らない、ということ(-_-;)

⓷(このブログは一昨日書いてアップせずにいたのだけど)昨日、突然に閃いた。受賞作品の出版社に持って行って、ブロンズ像を担保にして、幾許かの資金援助を打診する。で早速今日訪ねてみました。結果は(いろいろとあって)目論見通りに行きそうはないのですが、様々な糸口(今後の仕事とのかかわりなど)は出来そうです。週明けに再訪予定。オークションはそれまで延長。

 

一昨日昨日、終日段ボールの中身をチェックしていました。福岡に16箱を運んだので、残り100箱(と思っていたら更に50箱出てきた)。今夏ジョージが一度部屋のかたづけに行っているので、かなり整理はされているのですが、彼は室内整理のプロフェッショナルなものですから、見事に隙間なく段ボールを収納している。一度引っ張り出すと、元に戻すことが困難です。

 

今年正月に16箱を運んだあと、脊椎狭窄症でのたうち回った状況の再現となりかねません。逆流性食道炎も併発しちゃっています。

 

・・・・・・・・・・

 

とまあ、一日中休みなく段ボール箱の中をひっかきまわし続けていたわけですが、時折手を休めてインターネットのニュースを(斎藤さん関連は当分傍観)チェックしたりしていました。

 

以前も書いた紀州のドンファンの若い奥さんの判決が明日為されるそうです(注:今日無罪の判決が為された)。

 

弁護士は、検察の求刑成立は非常に難しいのではないか(“状況的に彼女が殺したに違いない”というのは証拠にはならない)と言います。この見解には僕も概ね同意しています。

 

異なるところは、弁護士は「黒か白か」「100かゼロか」「無期懲役か無罪か」と言うのですね。僕の見解は少し違います。真実は灰色なのだと思います。「真実(白か黒)が分からなくて灰色」なのではなく、「真実自体が(最初から)灰色」なのです。100でも0でもなく50、有罪か無罪かで言えば無罪、しかし罰は受けねばならない。

 

前に書いたことをもう一度書きます。

 

被告は、殺す気満々だったと思う(なんせ完全犯罪のチェックをしているぐらいですから)。しかし殺してはいない。殺す、とはどういうことか。ナイフやピストルで、あるいは毒を盛って、直接手を下すことですね。

 

被告は、ドンファンに早く死んでほしいと、間違いなく思っていたことでしょう(違っていたら謝らねばなりませんが)。そのために結婚したわけですから(中国や東南アジアの若い女性を嫁にした日本人ジジイの例では、よくあるパターン、というか それがごく一般的な例なんだと思います)。

 

もっとも被告の名誉のために付け加えておくと、いくらジジイとはいえ、結婚までしたからには、それなりの思い入れ、思いやりもあったと思うのです。

 

出来れば早く死んでほしいと思う(一般家庭の夫婦間でも結構ありうるでしょう)ことと、手を下すかどうかということは別問題です。

 

「積極的殺人」と「消極的殺人」。自殺に置き換えても似たようなことが言えるでしょう。晩年の坪内逍遥は、少しづつ睡眠薬の量を増やしていって、「消極的自殺」を完遂した。

 

出来るだけ早く死んでくれることを望んでいて、そのための環境を整える。薬(覚せい剤)を買ってきてほしいと頼まれたとき、シメタ!と思ったに違いないかも知れません。本人の意思で、沢山飲んでくれれば、それに越したことはない。そのための“環境を整える”。これを殺人(殺人幇助)と言えるかどうか(被告は自分でもよくわかっていないかも知れない)。

 

考えてみれば、パワハラとか、(一般の夫婦や家庭内に於ける)様々な精神的圧力も、対象の人物が破滅に向かう“環境”を整えている、と見ることが出来るのかも知れません。

 

もしかすると、誰しもが気が付かないうちに、誰かを死に追いやっている、、、。

 

・・・・・・・・・・・・

 

最近、こんな夢を見ました。非常に怖い夢でした(これまでに僕が見た怖い夢三指に入るほどの)。

 

夢の中で、突然気が付いたのです。そうだ、僕は誰か(特定できないけれど確かに誰か)を殺した。殺してどこかに埋めた。それも複数人。そのことを突然思い出した。さて、どうすれば良いのだろう?そのことは永い間(たぶん何十年も)知られていない。僕自身忘れてしまっていた。今更どうすることも出来ない。

 

その事実が知られたらどうしよう?何十年も経っている(既に時効?)から大丈夫だとは思うけれど、心配。今までは忘れていたから良いけれど、思い出してしまったからには、このままではいられない。一体、どうすれば良いのだろう?

 

ともかく、怖い夢(漱石「夢十夜」第3夜と全く同じシチュエーション)。なんでまた、こんな夢を見たのか、もちろんのこと思い当たる節など一切ないわけで、目が覚めてとりあえずホッとはするわけだけれど、何とも言えぬ後味の悪さは残ります(ちなみに最近はいろんな意味での後味の悪い夢を見ることが多い)。

 

みんな、知らないうちに、誰かを殺しているのかも知れません。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

100箱余の段ボールの中身の大半はゴミ同然なのですが、必要なもの、大事なものが、その中のどこかに紛れ込んでいるのです。それを捨ててしまうわけには行きません。どこに何が入っているか、それをチェックするために、全部をひっくり返すしかないのです。

 

というわけで、丸2日間、寝ているとき以外の18時間×2、とりあえず60箱余のチェックを終えました。幾つか目的があったのですが、そのうちの一つ、屋久島関係の資料は概ね探し当てました。

 

チェックに際しての弊害は、途中本が出てくるとついつい読みふけってしまう、ということがひとつ。それと、以前にも書いたように、半端なく落ち込む、大量のメモや手紙の発掘。

 

前回のブログで、トンボの大先生のお孫さんの話を書いたのだけれど、それは氷山の一角ですね。いやもう我ながら呆れるばかりです。

 

一時期、片っ端から女のコをナンパしていたようなのです。本人にはナンパなどという自覚はない、必至なのです。何しろ、僕ほど女性に縁がなく、可哀そうな男性は他にいないだろう(日本一モテない)と信じ込んでいたわけで、何としてでも彼女を作らねば、と悲壮な覚悟でいたのです。

 

で、とにかく、膨大な量の、女性の名前と連絡先を書いたメモ。客観的に見れば(ナンパ?の)成功率が非常に高いのではないかと思えるほどの半端じゃない数の(数えていないけれど数百人ではきかない?)連絡先のメモ。

 

問題は、じゃあ彼女は作れたのか、というと、信じられない事実に気が付いたのです。必至の思いで連絡先をゲットした好みのタイプの女性、驚いたことに、概ね99%連絡を取っていないのです。

 

手紙を出すのは億劫(というよりも出そうと焦るだけでそのままになってしまっている)、電話に限るわけで、幾人かには電話をしたと思うのですが、留守電だったり、連絡は取れたけれどすぐには会えなかった時には、その時点であっさり諦めてしまっていた。本人としては諦めたという自覚はなく、そのうちに、、、と思っている間に、いつの間にか数十年経ってしまっているのですね。

 

その勿体ない事極まりない「せっかくのチャンスの破棄」は、まだいいのです。僕が相手の連絡先をゲット出来ずに、僕の連絡先を教えておいたパターンが少なからずあります。それらの方から、かなりの割合で手紙を頂いている。いやもう、嬉しいことは嬉しいのですが、ほとんどの場合、返事を出していない(嬉しくて舞い上がっているのにかかわらず、中身はちゃんと読んではいない)。単にぐうたらだと言えばそうなのですが、必死なのと億劫なのが同居して、結局何も進展せずにいるわけです。

 

それでもって、いつまでたっても彼女が出来ず、世界一モテない不幸な男性、と自称している(友子さんの存在があるので、実際は単純な問題ではないのですが)。

 

手紙をくださった数十人の方には、今になってみれば申し訳ない気持ちでいっぱいです。自分に対しても申し訳ない、というか勿体ないことをした(-_-;)という後悔満載です。

 

当時に戻れるものならば、ちゃんと手紙を読んで、返事を出したいですね。いつか時間的精神的余裕が出来た時、それら全ての手紙をじっくりと読んでみよう、と思っています。今更、なんのお詫びにもならないけれど、せめて、、、、。

 

世界一モテない女性に縁がない不幸な男性と言いながら、数えてみると10人や20人、深く付き合っていた(仲のいい友達、結婚前提いろいろ含めて)相手もいたわけで、どう考えても「世界一モテない」は看板に偽りあり、なのだと思います(でも自分では確かにそう信じていた)。

 

彼女たちに対しては、感謝の気持ちと、後悔の念が満載なのですが、今となっては、どうやって伝えればよいのか、、、それを想うと、結構つらいです。

 

女性に対しては、まあいいのです(良くないですが(-_-;))、世間には、ままある事でしょうし。同性の友人や先輩・後輩・先生方からも、手紙をどっさり頂いている。国内外、いろんなところの、いろんな人々から。不遜にも、それらの方々の手紙に、返事を出していない。いや、かたじけなくは思っているのですよ。やはり出そう出そう気が焦るばかりで、結局出していない。僕の不運は「ブレーンいないこと」と嘆いているわけですが、なに、せっかくのチャンスを自ら逃しているのです。ずいぶん偉い先生方からも手紙を頂いているのに、、、。

 

まあ、そんなわけで、段ポール箱をチェックしていると、気が滅入ることこの上もありません。今更反省しても遅いのですが、今後はきっちり返事を出そうと、決意している次第です*(人間、年取ってからも変身可能と信じています)。

*インターネットを使いだしてからは、メールの返事は全て行うように実行しています。

 

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探していた対象の一つが、紙切れの切れ端に記された、母からの(僅か数文字の)メモ。これは大事にとって置かねばなりません。

 

母が40歳近くになって(ちなみに父親は60歳超で)最初に授かった子供が僕です。母にとっては、宝物のような存在だったことでしょう。しかるに僕にとっての母はひたすら煙たい存在。いちいち干渉されるのが気に障ってたまらなかったのです。心配して東京にも何度か尋ねてきたけれど、箒で追い返したものです、そのくせ、お金だけはせびる。親不孝を絵に書いたようなパターン。

 

けれど、僕には自慢できることがあります(多分以前にも書いた)。母が亡くなる半年ほど前(阪神大震災の後)実家に帰ったとき、生まれて初めて母と話(お金に関係ない四方山話)をして、手押し車で家の近所をぐるっと回って散歩に連れて行ってあげた。母は、どれほど嬉しかったことか。唯一の親孝行に間に合った、それまでの親不孝は帳消し、と勝手に思い込んでる次第です。

(三世と爾夏、モニカと小七・枝々が仲良くしているところを見るたびに、僕自身もハッピーな気持ちになるのです)

 

母が亡くなった後、姪っ子からこんなことを知らされました。弟がひがんでいる。弟は体の弱った母を嫁さんと共に付きっ切りで看病し続け、母に対する愛情を誰よりも注いでいた、然るに、母は自分(弟)のことは顧みずに、毎日毎日(母をほったらかしにしている)兄貴の心配ばかり、亡くなってから出てきたメモにも、自分のことは何一つ書かれていず、兄貴のことばかり、、、、なんて理不尽な、と。

 

母は無学で(四国の田舎出身)字がほとんど書けなかった。僕に手紙を寄こすとき(概ねお金の無心に対して)近所に住む親族のおばさんに代筆してもらって(若い時に所持していた着物とか櫛とか指輪とかを売って)お金を送ってくれていた。

 

いつもは、達筆な親族の叔母さんの代筆です。ただ、ある一通の手紙の中に、母自身が書いたメモが紛れ込んでいた。おそらく、代筆による「お金の工面は出来ない」と書いた手紙をポストに入れに行く際に、とっさに手持ちのお金を同封したことを知らせるメモ。

 

 

 

 

 

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面白い手紙も見つけました。

 

姪っ子と甥っ子(ずいぶん可愛がっていたのですよ、もう何十年も会っていないですが)からの手紙。甥っ子からの手紙の住所の表書き、よくまあ届いたものです。郵便局員の心意気には頭が下がります。

 

 

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あと2つ写真を紹介しておきます。

 

前回のブログで記した、1964年の北八ツ雨池に於ける、曽根原先生からの写真も出てきました。左から高木君、西山君。右端のチャラいのが僕です。曽根原先生も写っています。写真を見る限り、好みの子はいないですね(笑)。女子高の先生と仲良くしとけば、今後可愛い女の子と友達になれるかも、という魂胆だったと思います(前回記したように返事は出しそびれた)。

 

 

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僕には有名人の知人・友人は、ほとんどいません。唯一、世田谷在住時代の有名人知人が、近所に住む北杜夫さん(ドイツの音楽家Bert Kaempfertと並ぶ僕の神様)。

 

暑中見舞いと年賀は、ずっとやり取りしていて、頂いたはがきは何処かに纏めてあるはずなのですが、何故か手許に見当たらない。今回一枚だけ出てきました。学識豊かで才能に溢れた氏ではありますが、無学な母や、幼少の甥っ子と良い勝負の、難解極まりない筆跡です。誰か解読してくださる方はいないでしょうか(担当編集者は解読出来ていたのでしょうね)。

 

 

 

 

 

 

 

 

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続、とらぬ狸の、、、

2024-12-09 17:03:13 | 雑記 報告

 

オークション落札期限あと2日、まだ一人も入札ないです。最低価格25万円はちょっと欲張りすぎたかな?(でも4年前は同じ作品が27万円で落札されているし)。

最悪、10万円ぐらいで古物商に引き取ってもらうとか、、、。

 

とにかく資金作って動き出さねばならんです。

 

以下、さっき三世に送ったメール。

 

来年77歳。将来が云々、とは言ってられんですね。

 

⓵これまでにやってきた仕事を纏めて後世に引き継ぐ。

⓶やり残したことにチャレンジする。

 

もちろん⓵なんだろうけれど、⓶にも取り組みたいです。

ジョージとニナをお供にして、世界を駆け巡らにゃなりません。

(、、、、お金ないとどうしようもないですが)

 

駆け巡る地域(とりあえずアジア)。

 

●屋久島を含む南西諸島。九州から台湾まで、次の島を遠望しながら、順繰りに進んで行く(沖縄本島~宮古島間だけが見えない)。メディアのスポンサー探す。

 

●台湾と近場の中国大陸(上海周辺&香港周辺)の生物相徹底探求。日本の“アイデンテティ”知るために絶対必要なのに、意外に誰もしていない。今回予定のヘツカリンドウ探索香港(深圳)行きもその一つ。来夏こそは上海近郊山地でヒグラシとミンミンゼミの鳴き声を録音してユーチュブ発信。

 

●中国奥地(四川&雲南)とその周辺地域(タイ北部、ミャンマー北部、インド東北部)。日本やアジアのマザーランドですね。僕が40年来取り組んでいるフィールドです。

①「梅里雪山」2009年~2018年ほぼ毎年行った(2020年モニカを派遣したけれどコロナ制御で行きつけなかった)氷河下の蝶の調査を再開して極める。100年ぶりの再発見多数。

②ひとつ山超えた「独龍江」(ミャンマーの中の飛び地)への調査行。2019年に行こうとしてお金がなくて断念。代わりに香港デモを取材。

③もひとつ山超えたミャンマー最奥部のカチン州。そこの蝶の博物館を2008年に作った。「開けるべからず!AOYAMA」と密封した段ボール100箱ほど数万頭の標本を、「名誉館長」として調べに行く。

④さらに一山超えたインド東北部(アッサム州)のナガ丘陵。昔、猿岩石がヒッチハイクで越えられずに飛行機で越えて、嘘がバレたところ。一匹100万円の蝶がいます。それを捕まえてオークションで売る。

昔は絶対行けないと諦めていたのですが、今は観光でも入れるみたい。僕が写真撮して、ジョージとニナが蝶を掴まえる。一匹1万円の蝶100匹と、100万円の蝶1匹で、200万円ゲット。

 

●インドネシアの奥地。ハルマヘラとかセラムとかチモールとか、、、。ある意味、沖縄の延長です。

 

 

 

 

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佐藤忠良作ブロンズ像「花」

2024-12-06 12:33:30 | 雑記 報告

 

すでに報告した通り、今後の資金を捻出するために、以前(1993年)頂いた「日本科学読物賞」正賞の佐藤忠良のブロンズ像をネットオークションにかけることにし、昨日、三世の尽力でヤフーオークションに登録を済ませました。

https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/v1164174927

 

ヤフーオークションでは同じブロンズ像が、以前おそらくそれぞれ別の受賞者(あるいは第三者)からオークションにかけられていて、2020年1月に15万7000円、2020年7月に27万6000円で落札されています。

 

それらの象は経年品・汚れ傷あり、となっていますが、今回出品したものは、授与当時から箱に納められていたままのもので、収納した箱の表裏には作者本人の毛筆表題とサイン、及び落款が附されています。そのことから考えて、前回同様、あるいはそれを上回る価格で落札されることの期待が持たれます。

 

前もって古物商に問い合わせたところ、売却の場合は10万円前後との情報を得ています。実際の販売価格は倍以上にはなるでしょうから、前回までの落札額と概ね合致するように思われます。それで、三世らと相談の上、落札最低価格を25万円と設定しました。落札者がない場合は、改めて売却方法を考えます。

 

望み通りの価格で落札が為されたならば、HDD修復費の一部を支払い、メディアなどへのプレゼン用の作品(「屋久島の植物」「中国蝴蝶」)の印刷を行い、(時期的にギリ間に合う)黒島・口之島・中国広東省へのヘツカリンドウ探索に赴き、三世・ジョージ・爾夏一家の日本での定住に向けての準備資金に充てたいと考えています。

 

ブログ読者の皆様に置かれましては、このような作品を求められていられる知人・友人の心当たりがありますれば、情報の伝達・拡散をお願いする次第であります。

 

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佐藤忠良のブロンズ像

「花」

本体28.5㎝ 台座込み32.5

収納箱39㎝×11㎝四方

箱(蓋の表に墨字で「花」、裏に本人の墨字署名と落款)

第14回吉村証子記念「日本科学読物賞」正賞

受賞者・青山潤三

(1993年に受賞後、約30年間未開封のまま収納)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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未来は明るい、、、かも

2024-12-05 08:02:54 | 雑記 報告

 

たまたまこのブログをチェックしていたら、同じカテゴリーのところにトンボのコラムを見つけました。

 

「トンボ自然史研究所」 (理学博士、北海道教育大学)生方秀紀さんのコラムです。

最新記事は、

20世紀日本のトンボ自然史解明に貢献した研究者トップ10の研究キーワードと横顔

 

 

これが蝶だったら、いろいろと内情を知っているので無視するのだけれど、トンボの世界は着かず離れずの距離にあります。ずいぶん不謹慎なテーマ、たぶん半分冗談なんだろう、いや案外本気なのかも知れない、などと思いつつ、覗いてみることにしました。

 

なかなか興味深い内容でした。それぞれの研究者の肩書が付されているところがミソですね。その分析をしたりしています。読んでみてください。実に爽快で面白い。

 

1位は、もちろん朝比奈正二郎博士。蝶だと白水隆(以下、敬称略)になるのでしょうが、ベスト10には現役の嫌なやつらの名前が連なっている可能性があります。精神的によろしくありません。そこに行くとトンボは僕の守備範囲外なので、純粋に第三者的に楽しめる。ちなみにセミの場合だと(研究者数の分母が少ないので)加藤正世でしょうね。現代の林正美と一騎打ちになるかも知れませんね。アマチュア(セミプロ)を加えれば、税所康正氏が食い込む可能性もあります。

 

朝比奈正二郎に関しては、場外乱闘的な(実にくだらない)逸話があります。もう何十年も前のことですが、街角で好みの女の子とすれ違いました。思わず声をかけた。本人としては必死だった(-_-;)のだけれど、まあ、ありきたりのナンパですね(笑)。

 

カフェに入ってコーヒーを。首尾よく名前も聞き出しました。朝比奈さんです。僕の自己紹介、蝶の写真を写しています。すると彼女曰く、私のおじいちゃんもトンボの研究してるのですよ。え?おじいちゃん、、、まさか朝比奈正二郎??

 

いやもう、狼狽ですね。こんなことが知れたら、トンボの世界からも抹殺です。軽率に声をかけたことを謝って(今考えたら別に謝ることもなかったのだけれど)ほうほうの体で、カフェを後にしました。

 

4位には生方氏本人。7位に懐かしい方の名前が入っています。曽根原今人氏、高校教師(生方氏の岳父だそうです)。

 

今から60年以上前の中学3年の夏、小学校時代の同級生の高木君、西山君と3人で、北八ヶ岳を縦走(天狗岳~蓼科山)しました。途中の雨池で、女子中学生(高校生?)数人のパーティと一緒に記念写真を撮った。引率の先生が曽根原氏。あとでその時の写真を送ってきてくださったのです。可愛い(僕の好みのタイプの)娘が一人いたのですね。すぐにお礼の返事を出して、チャンスをものにせねば、、、と気が焦るばかりで、結局は返事を出しそびれ、60年余が経ってしまった(今もその手紙を大事にとっている)。

 

詰めが甘すぎます。60年、時を巻き戻すことが出来れば、うまくやれる自信はあるのですが、、、、。

 

同じ昆虫でも、蝶とトンボは、対極に位置します。わかりやすく言えば、蝶は昆虫の中で最も進化した一群。完全変態。幼虫と成虫の形や行動が著しく異なります。トンボは昆虫の中ではかなり原始的な一群です。不完全変態。幼虫が水中で生活し、成虫は地上や空中で生活するという違いはありますが、基本的な体の構造はさほど変わりがなく、ともに他の昆虫や小動物を狩って餌とします。

 

ただし、共通点も少なくありません。日中に活動、成虫が空中を飛ぶ。大きな翅をもつ、等々。被写体として、同じようなアプローチで接することが出来ます。種類数のボリュームも概ね同じです。

 

写真撮影を始めた頃は、蝶と並んでトンボの撮影もそれなりに一生懸命やっていたのですよ。でも途中で止めてしまった。自信の一枚を紛失してしまったからです。

 

渓流の緑の茂みの、川面にキラキラと射す反逆光の中を、交接産卵飛翔するキトンボ。いやもう抜群の自信作だったのです。この写真を旧友のO嬢(某雑誌の編集長で若手トンボ研究者、僕のデビュー作は彼女との合作)に貸し与えたら、失くしてしまったと。

 

O嬢のことは以前ブログに書きましたね。少々ピントが外れたハチャメチャ人間ではあるのですが、稀有の天才です。僕の旧友では、朝日新聞のK氏と双璧。当時は非常に仲が良かった悪友です。

 

写真は何処かに紛れ込んで多分永久に出てこない、のだそうです。諦めざるを得ません。それから何年か経ったある日、引っ越しするので手伝いに来い、と電話。(遠いところなので)いやだ、と断ったら、“部屋をかたずけている過程で件の写真が出てくるかも知れん”と言うじゃないですか。

 

そんなわけで遠路長野県のアパートに助太刀に行ったわけです。夜通し片付けたけれど見つからなかった。O嬢曰く、“え、そんなこと言ったっけ、あるわけないでしょ”。

 

でも良いこともありました。翌朝、別所温泉に行って、その帰路彼女のトンボのフィールドの溜め池を案内してもらった。後にそこで絶滅寸前のオオルリシジミを撮影することが出来たのです。

 

その数年後だったか、(よくわからん成り行きで)O嬢と増冨温泉に行ったとき、アカエゾゼミの全身真っ赤なお宝個体を撮影することが出来た。幸運の女神でもあります。キトンボ紛失は相殺しても良いかと(ずっと後、O嬢とはつまらんことで絶交?して、その後30年近く 連絡していません、元気でいることを願っています)。

 

まあそんなわけで、自信作を失くして熱が冷め、それ以降は積極的にトンボの撮影はせずにいます。もしその写真を失くしていなければ、今頃蝶ではなくトンボに嵌っていたかも知れません。

 

話を変えます。25年前、平凡社新書「世界遺産屋久島の森~大和と琉球と大陸の狭間で」を上梓しました。この作品は僕の文章面での自信作であります。内容を否定的に捉える研究者らも多いようなのですが、きっと将来、正当な評価が為されるものと、信じて疑いません。

 

その中に、魚の話題、ある論文を引用して屋久島のヨシノボリ類(ハゼの仲間)の話を書きました。論文の執筆者は今の上皇さん(当時の平成天皇)です。上梓後、ぜひ献本したいと望んでいたのだけれど、叶いませんでした。なんとなれば担当編集者からダメ出しが出たのです。彼は熱心な共産党員で、天皇に献本などとんでもない、と。僕も思想的には彼と同じで立場上天皇批判の側なのですが、ここはノーサイドで良いんじゃないですかね。上皇さんにも読んでもらいたかったので、心残りではあります。

 

皇室批判は別として、親近感もあります。平成天皇がハゼ。昭和天皇は専門がウミウシで趣味?が植物。秋篠宮は専門がナマズで趣味がニワトリ。その息子(もしかすると将来の天皇になるかも)はトンボに夢中です。

 

天皇の発言力はハンパじゃないと思います。トンボを始めとした野生生物(ことに環境整備)に対する国民の理解・関心は高まるのじゃないでしょうか?

 

案外、明るい未来が開けなくはないとも限りません、、、。

 

*この記事は、福岡空港-成田空港の飛行機の中と、成田空港駅-河辺駅の電車の中で書きました。

 

 

 

 

コメント (7)
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