青山潤三の世界・あや子版

あや子が紹介する、青山潤三氏の世界です。ジオログ「青山潤三ネイチャークラブ」もよろしく

旧原稿の再掲

2025-01-14 17:19:55 | 雑記 報告

 

屋久島や中国の自然関連の古いデータを再チェックしていたら、9年前、2016年に書いた記事に出くわしました。おそらく、「1966年」「口永良部島」に関する何らかの話題があって、それに絡めて記述したのではないかと思われます(「現代ビジネス」掲載を念頭に置いていた?)。もしかすると、ブログ用に書いたのかも知れない(だとすれば再掲ですね)のですけれど、穴埋めにアップしておきます。

 

1966年」および「口永良部島」

 

ジョニー・ティロットソンより5才下のブライアン・ハイランド、5才上のデル・シャノンは、ともに1960年代初頭に大ブレイク(ジョニー「ポエトリー・イン・モーション」、ブライアン「ビキニスタイルのお嬢さん」、デル「悲しき街角」)して以来、非常に仲の良い、親友トリオでした。「歌は明るいけれど雰囲気の暗いブライアン」「歌も雰囲気も暗いデル」「歌も雰囲気も明るいジョニー」。デルは、1990年に自殺してしまった。生きていれば、今年82才になります。ブライアンは今年73才。3人の中では若手であります(笑)。

 

そのブライアンと、77才(78才?)のジョニーが、今年8月、タイのバンコクで、ジョイントコンサートを行います。2人のジョイントコンサートは、これまでにも度々あったのですが、そのうちの何回かは、ブライアンの体調(精神状態?)不良のため、ドタキャンされてしまったようです。

 

今回は、満を持しての(もしかして彼らにとって最後になるかも知れない)ビッグイベントです。彼らにとってだけでなく、僕や村田さんも、このライブの取材に全てをかける意気込みでいます。

 

その矢先、618日に、とんでもないニュースが飛び込んできた。「ブライアン・ハイランド死去」。しかし、このニュースは、即座に打ち消されました。完全なデマであると。

 

なぜ、ブライアンがデマの標的になったのかは、現時点では不明です。全く本人の身に関わりがないことなのか、(彼の精神状態を含む)引き金となる何らかの動機があったのか、、、、。

 

ひとつ分かったことは、ブライアン・ハイランドが今でも世界的な大スターであるということ。「死去」の報が流れて、インターネット上には、世界中から数多くの追悼(?)のコメントが寄せられた。

 

一方、日本。試しに「ビキニスタイルのお嬢さん」、これをネットで検索していたら、こんな要旨の記述に出くわしました。曰く「非常に有名な曲である」「しかし唄った歌手のことは誰も覚えていない」、、、、、何たる無知・侮辱。日本に於いては、63年になってブレイクしたジョニーよりも先輩で、6062年頃にはアメリカのティーンアイドル歌手の第一人者と目されていました。ジョニー同様に、日本だけのヒット曲も数多くあります(その代表が「タモリ倶楽部」のエンディングテーマ曲として知られる「ベビーフェイス」)。当時、何度か来日公演も果たしています。エルヴィスに続くポール・アンカやニール・セダカとともに、日本の洋楽界の幕開けを飾った主役の一人なのです。なのに「誰も知らない歌手」という扱い、、、これが、日本と言う国の、国民性なのです。

 

ジョニーに対しても同じです。彼のヒット曲は、世界の各地で異なっています。代表曲は、アメリカやイギリスでは「ポエトリー」と「涙ながらに」、東南アジアやオーストラリアでは「こんなに愛して」と「ジュディ、ジュディ、ジュディ」、そして日本では「キューティ・パイ」と「涙くんさよなら」*。各国より数年遅れ(従ってビートルズ登場の時期に重なって)6466年に日本での絶頂期を迎えた彼の人気は、当時、世界で突出していたのです。

*後記:「キューティ・パイ」と「涙くんさよなら」は南米・アルゼンチンでも大ヒットしています。

 

それが50年経った今、日本では(いつの間にか歴史が書き変えられてしまって)完全に忘れ去られ、タイをはじめとした東南アジア各国(やオーストラリアや欧米諸国)では、年月を経るごとにリスペクトの機運が増大している。

 

村田さんは、それが悔しくてたまらず、「タイやマレーシアでコンサートがあっても、絶対に行きたくない」と言い続けてきました。今回も、僕の誘いを最初は断ったのです。しかし、考えを180°変えたようです。今こそ、実情を日本(のファンやメディア)に伝えよう。全力を挙げてレポートを行い、ジョニーやブライアン本人たち共々、タイでの熱気、日本の冷淡、、、、その実態を知って貰おう、と。そして、2人を、もう一度日本に呼ぼう。

 

1966年は、「涙くんさよなら」映画化50周年。ジョニー初来日「50周年」。「涙くんさよなら」に続くジョニーの和製ポップス「ユー・アンド・ミー」が、絶頂期のビートルズの諸曲を押さえて、日本のヒットチャートの一位を独走した年です。

 

ちなみに、ジョニー関連の曲では、この66年に、前年大ヒットしたジョニー盤「涙くんさよなら」から一年遅れ、坂本九盤「涙くんさよなら」がマヒナスターズ盤や初代ジャニーズ盤とセットになって、ほんの一瞬だけヒットパレードの下位に登場しています。

                                                       

もう一曲、マイク真木盤「バラが咲いた」。ジョニーは、この曲を2年前の64年に録音(日本語と自身の英訳で)、しかしお蔵になったまま、この年、マイク真木盤と同時に発売、ともにベスト10にランクインされています(ジョニー盤もかなりのヒットを記録しましたが、明らかにマイク真木盤のほうが大きなヒットとなった)。

 

ジョニーの「バラが咲いた」録音・発売の経緯(最初に浜口庫之助から提供されたこの楽曲を一度は拒否し、「涙くんさよなら」が再提示されたことになっていますが、真相は詳らかではありません)についての再確認を行いたい。

 

ちなみに、マイク真木盤が(学生アルバイトでテストのための音入れを行った音源を発売して)大ヒットに至った経緯については、ごく最近、当時の担当者がインターネット上に寄稿しています。

 

「定説としての歴史」と「本当の歴史」は、しばしば異なります。今の世の人々が編纂し、疑いもなく信じている「歴史」を、完全否定しなければならないとは思っていません。しかし、リアルタイムを知る人々の証言を、頭から無視してしまう傾向も、どうかと思うのです。

 

現在の日本には、「事実」よりも何よりも「空気」が全てを支配してしまう傾向があります。新たな事実を作り上げ、寄ってたかって他を排除する。

 

イチローの日米通算安打記録に対しての、多くの日本人の反応。これほど嫌な気分になることは余りない。イチローは大好きです。(ほとんどの人がまだ存在を知らなかった)オリックスでデビューした当時の鈴木一郎時代から、密かに応援していたのです。

 

「世界記録」を認めないと言っているピート・ローズへの誹謗中傷の合唱、自分が日本人であることが、つくづく恥ずかしくなってきます(イチロー本人も困惑している)。

 

「世界記録」たりえないのは、当たり前です。どこからどう見ても「参考記録」に過ぎません。そして、それはそれで素晴らしい文句のつけようのない記録です。

 

それを「世界記録」と認めよと、認めないのはおかしい、というのが、多くの日本人の意見です。ならば、海外から日本にやって来た選手の「日米通算記録」も、日本記録なり世界記録なりとして認めねばならない。でもそんなことはしません。

 

あるいは、韓国や台湾に於ける記録も同列に扱うべきなのですが、王貞治の「868本」を世界記録として認めよ、と主張する同じ人々が、韓国リーグの選手の(王を上回る)記録を、鼻でせせら笑って、アジア記録として認めようとは絶対にしない。何をアホなことを宣っているのかと、完全無視です。

 

ネトウヨ、いや、大多数の日本の市民の、歪な「愛国心」には、ほとほと嫌気がさしています。

 

「沖縄」の問題。沖縄の主権を求め、日本政府に反発する地元の人々や、地元メディアの「琉球新報」「沖縄タイムス」を、「プロ市民」「売国奴」と誹謗する、沖縄は当然日本の一部、と信じて疑わない多くの健全な日本人たちの存在を、本当に悲しく情けなく感じます。

 

 同じ人たちが、中国のチベット・ウイグル支配や台湾統合に対しては、全く逆の意見を叫んでいる。その人たちに、中国のウイグル・チベット・台湾支配と、日本の沖縄支配に、どこに違いがあるのか? 明確に答えて欲しいのです。

 

 日本人の志向パターンは、中国や北朝鮮の人々の志向パターンに、(本人たちが気が付かない間に)限りなく似てきてしまっているように思います。

 

先日、口永良部島沖を中国艦が領海侵犯するという出来事がありました。この地域は、何十回も通い続けた僕のフィールドです。「北琉球」の自然/生物地理学的な位置づけ(とそれに基づく人文分野の基盤)については、トータルで見れば、僕が世界中で最も詳しい、と自負しています。なんで僕に聞かないのかと(笑)(そのためにも早く「現代ビジネス」をスタートして欲しい)。

 

ネットでこの問題について、チェックしてみました。青山繁晴さんという政治学者?が、詳しい論評を行っていました。同姓のよしみもあって(笑)、じっくりと耳を傾けてみました。非常に分かりやすい論評で、同意する部分も大いにあるのですが、根本的な部分で、決定的に考えが異なります。

 

一例。尖閣列島周辺の国境線について。中国の国家機関の発行したある時代の地図に、はっきりと尖閣の中国寄りに国境線が引かれていた、その時点で中国の国家が認めていたのだから、今更異議を訴えても後の祭り、というのが彼の意見のようです。

 

でもなぜ、それだけを取り上げなければならないのでしょうか? 確かに一つの事実です。しかし、別の事実が他にも多数あります。それ以前にも、以降にも、同じような、そしてそれぞれ異なった見解が存在するはずです。

 

人類成立以前に遡って検証してこそ、本質に迫ることが可能になる、と言うのが僕の持論なのですが、今はそれは置いて考えましょう。人間の有史以降に限っても、今に至るまで、互いに様々な主張を繰り返し続けてきた。なぜ、自らに都合の良い部分だけを取り上げて、日本の言い分の正統性を主張しようとするのか、僕にはさっぱり分からない。「俺のものだから俺のもの」と言っているようにしか思えません。日本の姿勢も、冷静に見れば、中国とちっとも変わらない。

 

ちなみに、国境線について僕がこれまでも言い続けていることなのですが、、、、中国の地図には台湾と与那国島の間に明確に国境線が引かれていて、そして、あれだけ躍起になって、あらゆる地図に南沙諸島と周辺各国との間のライン引きを徹底しているにも関わらず、ほとんどの中国の地図には、八重山と尖閣の間の国境線は引かれていない。敢えて曖昧な処置を取っているとしか思えません。深謀遠慮な、大きな意味が隠されているようにも思えるのです。

 

追記。台湾-与那国島間のラインに関しては、中間からだんだん与那国に近寄っている、、、そして、今やラインの右側の網の部分が与那国に被さってしまっている(笑)。果たして「笑」で済ませてしまって良いことなのでしょうか?

 

そして、東シナ海の中で、尖閣とは対極に位置づけされる「北琉球内縁諸島」(口永良部島もその一角)の、中国にとっての意味。

 

中国は、明らかに「沖縄」を狙っています。自国の領土にするということではなく、まずは「日本」から切り離す、という形で。

 

今こそ全ての日本人が、「琉球とは何か」という問いに、根源的な部分から向き合う必要があると思うのです。

 

 

 

 

 

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