青山潤三の世界・あや子版

あや子が紹介する、青山潤三氏の世界です。ジオログ「青山潤三ネイチャークラブ」もよろしく

産経新聞と週刊金曜日

2024-12-29 20:45:03 | 雑記 報告

 

しばらくブログ更新が滞っているので、なにか投稿せにゃならんと思っているのですが、実は今大変な目に会っていて、人生最大のピンチに陥っているのですね。余りに大変な状況でして、説明するのも大変です。よってその話はパス。まあ無事生きてたら(安心は出来ん状況です)、そのうち説明する機会があるかも知れません。

 

ヤフーの今日のニュース、引っ張りに引っ張ってきた、テオスカー・ヘルナンデスのドジャース残留が決まりましたね。このあたりの話題に関してはミーハーな僕なので、結構喜んでいます。

 

引っ張ると言えば、斎藤さん劇場は、とうとう年越しですね。これだけロングランの劇場はこれまであったでしょうか?兵庫県出身者として、誇りに思います、と、しときましょう(-_-;)

 

面白い指摘がありました。産経新聞と週刊金曜日が、歩調を合わせた記事を書いていると。これは大変なことですぞ。本来なら有り得ない前代未聞のことが起こっているわけで、斎藤劇場問題の複雑さ(奥の深さ)を如実に表しているように思います。

 

 

 

 

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母からの手紙

2024-12-14 10:50:15 | 雑記 報告

 

オークション25万円。入札はありませんでした。他の方が出品している同じ作者の別の作品(税込み28万円)をはじめ、別の作者の似たような価格の作品も、どれも討ち死にみたいです。落札成立は5万円前後の作品ばかり。4年前に15万円、27万円だったので強気の40万円、せめて同額の25万円前後を目論んでいたのですが、世の中の経済状況が変わってきているのかも知れません(絶対に欲しい人は、結局2人しかいなかったのかも知れないし)。

 

でもって短期決済の40%引き15万に切り替えました。必要な資金には足りないけれど、背に腹は代えられません。これでもダメだった場合は、

⓵直接古物商に10万円(orそれ以下?)で売る。

⓶お金持ちは20万円ぐらいの出費は余裕と思うので、事情を話してスポンサーになって貰い、お礼としてブロンズ像を差し上げる。問題は、お金持ちを知らない、ということ(-_-;)

⓷(このブログは一昨日書いてアップせずにいたのだけど)昨日、突然に閃いた。受賞作品の出版社に持って行って、ブロンズ像を担保にして、幾許かの資金援助を打診する。で早速今日訪ねてみました。結果は(いろいろとあって)目論見通りに行きそうはないのですが、様々な糸口(今後の仕事とのかかわりなど)は出来そうです。週明けに再訪予定。オークションはそれまで延長。

 

一昨日昨日、終日段ボールの中身をチェックしていました。福岡に16箱を運んだので、残り100箱(と思っていたら更に50箱出てきた)。今夏ジョージが一度部屋のかたづけに行っているので、かなり整理はされているのですが、彼は室内整理のプロフェッショナルなものですから、見事に隙間なく段ボールを収納している。一度引っ張り出すと、元に戻すことが困難です。

 

今年正月に16箱を運んだあと、脊椎狭窄症でのたうち回った状況の再現となりかねません。逆流性食道炎も併発しちゃっています。

 

・・・・・・・・・・

 

とまあ、一日中休みなく段ボール箱の中をひっかきまわし続けていたわけですが、時折手を休めてインターネットのニュースを(斎藤さん関連は当分傍観)チェックしたりしていました。

 

以前も書いた紀州のドンファンの若い奥さんの判決が明日為されるそうです(注:今日無罪の判決が為された)。

 

弁護士は、検察の求刑成立は非常に難しいのではないか(“状況的に彼女が殺したに違いない”というのは証拠にはならない)と言います。この見解には僕も概ね同意しています。

 

異なるところは、弁護士は「黒か白か」「100かゼロか」「無期懲役か無罪か」と言うのですね。僕の見解は少し違います。真実は灰色なのだと思います。「真実(白か黒)が分からなくて灰色」なのではなく、「真実自体が(最初から)灰色」なのです。100でも0でもなく50、有罪か無罪かで言えば無罪、しかし罰は受けねばならない。

 

前に書いたことをもう一度書きます。

 

被告は、殺す気満々だったと思う(なんせ完全犯罪のチェックをしているぐらいですから)。しかし殺してはいない。殺す、とはどういうことか。ナイフやピストルで、あるいは毒を盛って、直接手を下すことですね。

 

被告は、ドンファンに早く死んでほしいと、間違いなく思っていたことでしょう(違っていたら謝らねばなりませんが)。そのために結婚したわけですから(中国や東南アジアの若い女性を嫁にした日本人ジジイの例では、よくあるパターン、というか それがごく一般的な例なんだと思います)。

 

もっとも被告の名誉のために付け加えておくと、いくらジジイとはいえ、結婚までしたからには、それなりの思い入れ、思いやりもあったと思うのです。

 

出来れば早く死んでほしいと思う(一般家庭の夫婦間でも結構ありうるでしょう)ことと、手を下すかどうかということは別問題です。

 

「積極的殺人」と「消極的殺人」。自殺に置き換えても似たようなことが言えるでしょう。晩年の坪内逍遥は、少しづつ睡眠薬の量を増やしていって、「消極的自殺」を完遂した。

 

出来るだけ早く死んでくれることを望んでいて、そのための環境を整える。薬(覚せい剤)を買ってきてほしいと頼まれたとき、シメタ!と思ったに違いないかも知れません。本人の意思で、沢山飲んでくれれば、それに越したことはない。そのための“環境を整える”。これを殺人(殺人幇助)と言えるかどうか(被告は自分でもよくわかっていないかも知れない)。

 

考えてみれば、パワハラとか、(一般の夫婦や家庭内に於ける)様々な精神的圧力も、対象の人物が破滅に向かう“環境”を整えている、と見ることが出来るのかも知れません。

 

もしかすると、誰しもが気が付かないうちに、誰かを死に追いやっている、、、。

 

・・・・・・・・・・・・

 

最近、こんな夢を見ました。非常に怖い夢でした(これまでに僕が見た怖い夢三指に入るほどの)。

 

夢の中で、突然気が付いたのです。そうだ、僕は誰か(特定できないけれど確かに誰か)を殺した。殺してどこかに埋めた。それも複数人。そのことを突然思い出した。さて、どうすれば良いのだろう?そのことは永い間(たぶん何十年も)知られていない。僕自身忘れてしまっていた。今更どうすることも出来ない。

 

その事実が知られたらどうしよう?何十年も経っている(既に時効?)から大丈夫だとは思うけれど、心配。今までは忘れていたから良いけれど、思い出してしまったからには、このままではいられない。一体、どうすれば良いのだろう?

 

ともかく、怖い夢(漱石「夢十夜」第3夜と全く同じシチュエーション)。なんでまた、こんな夢を見たのか、もちろんのこと思い当たる節など一切ないわけで、目が覚めてとりあえずホッとはするわけだけれど、何とも言えぬ後味の悪さは残ります(ちなみに最近はいろんな意味での後味の悪い夢を見ることが多い)。

 

みんな、知らないうちに、誰かを殺しているのかも知れません。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

100箱余の段ボールの中身の大半はゴミ同然なのですが、必要なもの、大事なものが、その中のどこかに紛れ込んでいるのです。それを捨ててしまうわけには行きません。どこに何が入っているか、それをチェックするために、全部をひっくり返すしかないのです。

 

というわけで、丸2日間、寝ているとき以外の18時間×2、とりあえず60箱余のチェックを終えました。幾つか目的があったのですが、そのうちの一つ、屋久島関係の資料は概ね探し当てました。

 

チェックに際しての弊害は、途中本が出てくるとついつい読みふけってしまう、ということがひとつ。それと、以前にも書いたように、半端なく落ち込む、大量のメモや手紙の発掘。

 

前回のブログで、トンボの大先生のお孫さんの話を書いたのだけれど、それは氷山の一角ですね。いやもう我ながら呆れるばかりです。

 

一時期、片っ端から女のコをナンパしていたようなのです。本人にはナンパなどという自覚はない、必至なのです。何しろ、僕ほど女性に縁がなく、可哀そうな男性は他にいないだろう(日本一モテない)と信じ込んでいたわけで、何としてでも彼女を作らねば、と悲壮な覚悟でいたのです。

 

で、とにかく、膨大な量の、女性の名前と連絡先を書いたメモ。客観的に見れば(ナンパ?の)成功率が非常に高いのではないかと思えるほどの半端じゃない数の(数えていないけれど数百人ではきかない?)連絡先のメモ。

 

問題は、じゃあ彼女は作れたのか、というと、信じられない事実に気が付いたのです。必至の思いで連絡先をゲットした好みのタイプの女性、驚いたことに、概ね99%連絡を取っていないのです。

 

手紙を出すのは億劫(というよりも出そうと焦るだけでそのままになってしまっている)、電話に限るわけで、幾人かには電話をしたと思うのですが、留守電だったり、連絡は取れたけれどすぐには会えなかった時には、その時点であっさり諦めてしまっていた。本人としては諦めたという自覚はなく、そのうちに、、、と思っている間に、いつの間にか数十年経ってしまっているのですね。

 

その勿体ない事極まりない「せっかくのチャンスの破棄」は、まだいいのです。僕が相手の連絡先をゲット出来ずに、僕の連絡先を教えておいたパターンが少なからずあります。それらの方から、かなりの割合で手紙を頂いている。いやもう、嬉しいことは嬉しいのですが、ほとんどの場合、返事を出していない(嬉しくて舞い上がっているのにかかわらず、中身はちゃんと読んではいない)。単にぐうたらだと言えばそうなのですが、必死なのと億劫なのが同居して、結局何も進展せずにいるわけです。

 

それでもって、いつまでたっても彼女が出来ず、世界一モテない不幸な男性、と自称している(友子さんの存在があるので、実際は単純な問題ではないのですが)。

 

手紙をくださった数十人の方には、今になってみれば申し訳ない気持ちでいっぱいです。自分に対しても申し訳ない、というか勿体ないことをした(-_-;)という後悔満載です。

 

当時に戻れるものならば、ちゃんと手紙を読んで、返事を出したいですね。いつか時間的精神的余裕が出来た時、それら全ての手紙をじっくりと読んでみよう、と思っています。今更、なんのお詫びにもならないけれど、せめて、、、、。

 

世界一モテない女性に縁がない不幸な男性と言いながら、数えてみると10人や20人、深く付き合っていた(仲のいい友達、結婚前提いろいろ含めて)相手もいたわけで、どう考えても「世界一モテない」は看板に偽りあり、なのだと思います(でも自分では確かにそう信じていた)。

 

彼女たちに対しては、感謝の気持ちと、後悔の念が満載なのですが、今となっては、どうやって伝えればよいのか、、、それを想うと、結構つらいです。

 

女性に対しては、まあいいのです(良くないですが(-_-;))、世間には、ままある事でしょうし。同性の友人や先輩・後輩・先生方からも、手紙をどっさり頂いている。国内外、いろんなところの、いろんな人々から。不遜にも、それらの方々の手紙に、返事を出していない。いや、かたじけなくは思っているのですよ。やはり出そう出そう気が焦るばかりで、結局出していない。僕の不運は「ブレーンいないこと」と嘆いているわけですが、なに、せっかくのチャンスを自ら逃しているのです。ずいぶん偉い先生方からも手紙を頂いているのに、、、。

 

まあ、そんなわけで、段ポール箱をチェックしていると、気が滅入ることこの上もありません。今更反省しても遅いのですが、今後はきっちり返事を出そうと、決意している次第です*(人間、年取ってからも変身可能と信じています)。

*インターネットを使いだしてからは、メールの返事は全て行うように実行しています。

 

・・・・・・・

 

探していた対象の一つが、紙切れの切れ端に記された、母からの(僅か数文字の)メモ。これは大事にとって置かねばなりません。

 

母が40歳近くになって(ちなみに父親は60歳超で)最初に授かった子供が僕です。母にとっては、宝物のような存在だったことでしょう。しかるに僕にとっての母はひたすら煙たい存在。いちいち干渉されるのが気に障ってたまらなかったのです。心配して東京にも何度か尋ねてきたけれど、箒で追い返したものです、そのくせ、お金だけはせびる。親不孝を絵に書いたようなパターン。

 

けれど、僕には自慢できることがあります(多分以前にも書いた)。母が亡くなる半年ほど前(阪神大震災の後)実家に帰ったとき、生まれて初めて母と話(お金に関係ない四方山話)をして、手押し車で家の近所をぐるっと回って散歩に連れて行ってあげた。母は、どれほど嬉しかったことか。唯一の親孝行に間に合った、それまでの親不孝は帳消し、と勝手に思い込んでる次第です。

(三世と爾夏、モニカと小七・枝々が仲良くしているところを見るたびに、僕自身もハッピーな気持ちになるのです)

 

母が亡くなった後、姪っ子からこんなことを知らされました。弟がひがんでいる。弟は体の弱った母を嫁さんと共に付きっ切りで看病し続け、母に対する愛情を誰よりも注いでいた、然るに、母は自分(弟)のことは顧みずに、毎日毎日(母をほったらかしにしている)兄貴の心配ばかり、亡くなってから出てきたメモにも、自分のことは何一つ書かれていず、兄貴のことばかり、、、、なんて理不尽な、と。

 

母は無学で(四国の田舎出身)字がほとんど書けなかった。僕に手紙を寄こすとき(概ねお金の無心に対して)近所に住む親族のおばさんに代筆してもらって(若い時に所持していた着物とか櫛とか指輪とかを売って)お金を送ってくれていた。

 

いつもは、達筆な親族の叔母さんの代筆です。ただ、ある一通の手紙の中に、母自身が書いたメモが紛れ込んでいた。おそらく、代筆による「お金の工面は出来ない」と書いた手紙をポストに入れに行く際に、とっさに手持ちのお金を同封したことを知らせるメモ。

 

 

 

 

 

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面白い手紙も見つけました。

 

姪っ子と甥っ子(ずいぶん可愛がっていたのですよ、もう何十年も会っていないですが)からの手紙。甥っ子からの手紙の住所の表書き、よくまあ届いたものです。郵便局員の心意気には頭が下がります。

 

 

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あと2つ写真を紹介しておきます。

 

前回のブログで記した、1964年の北八ツ雨池に於ける、曽根原先生からの写真も出てきました。左から高木君、西山君。右端のチャラいのが僕です。曽根原先生も写っています。写真を見る限り、好みの子はいないですね(笑)。女子高の先生と仲良くしとけば、今後可愛い女の子と友達になれるかも、という魂胆だったと思います(前回記したように返事は出しそびれた)。

 

 

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僕には有名人の知人・友人は、ほとんどいません。唯一、世田谷在住時代の有名人知人が、近所に住む北杜夫さん(ドイツの音楽家Bert Kaempfertと並ぶ僕の神様)。

 

暑中見舞いと年賀は、ずっとやり取りしていて、頂いたはがきは何処かに纏めてあるはずなのですが、何故か手許に見当たらない。今回一枚だけ出てきました。学識豊かで才能に溢れた氏ではありますが、無学な母や、幼少の甥っ子と良い勝負の、難解極まりない筆跡です。誰か解読してくださる方はいないでしょうか(担当編集者は解読出来ていたのでしょうね)。

 

 

 

 

 

 

 

 

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続、とらぬ狸の、、、

2024-12-09 17:03:13 | 雑記 報告

 

オークション落札期限あと2日、まだ一人も入札ないです。最低価格25万円はちょっと欲張りすぎたかな?(でも4年前は同じ作品が27万円で落札されているし)。

最悪、10万円ぐらいで古物商に引き取ってもらうとか、、、。

 

とにかく資金作って動き出さねばならんです。

 

以下、さっき三世に送ったメール。

 

来年77歳。将来が云々、とは言ってられんですね。

 

⓵これまでにやってきた仕事を纏めて後世に引き継ぐ。

⓶やり残したことにチャレンジする。

 

もちろん⓵なんだろうけれど、⓶にも取り組みたいです。

ジョージとニナをお供にして、世界を駆け巡らにゃなりません。

(、、、、お金ないとどうしようもないですが)

 

駆け巡る地域(とりあえずアジア)。

 

●屋久島を含む南西諸島。九州から台湾まで、次の島を遠望しながら、順繰りに進んで行く(沖縄本島~宮古島間だけが見えない)。メディアのスポンサー探す。

 

●台湾と近場の中国大陸(上海周辺&香港周辺)の生物相徹底探求。日本の“アイデンテティ”知るために絶対必要なのに、意外に誰もしていない。今回予定のヘツカリンドウ探索香港(深圳)行きもその一つ。来夏こそは上海近郊山地でヒグラシとミンミンゼミの鳴き声を録音してユーチュブ発信。

 

●中国奥地(四川&雲南)とその周辺地域(タイ北部、ミャンマー北部、インド東北部)。日本やアジアのマザーランドですね。僕が40年来取り組んでいるフィールドです。

①「梅里雪山」2009年~2018年ほぼ毎年行った(2020年モニカを派遣したけれどコロナ制御で行きつけなかった)氷河下の蝶の調査を再開して極める。100年ぶりの再発見多数。

②ひとつ山超えた「独龍江」(ミャンマーの中の飛び地)への調査行。2019年に行こうとしてお金がなくて断念。代わりに香港デモを取材。

③もひとつ山超えたミャンマー最奥部のカチン州。そこの蝶の博物館を2008年に作った。「開けるべからず!AOYAMA」と密封した段ボール100箱ほど数万頭の標本を、「名誉館長」として調べに行く。

④さらに一山超えたインド東北部(アッサム州)のナガ丘陵。昔、猿岩石がヒッチハイクで越えられずに飛行機で越えて、嘘がバレたところ。一匹100万円の蝶がいます。それを捕まえてオークションで売る。

昔は絶対行けないと諦めていたのですが、今は観光でも入れるみたい。僕が写真撮して、ジョージとニナが蝶を掴まえる。一匹1万円の蝶100匹と、100万円の蝶1匹で、200万円ゲット。

 

●インドネシアの奥地。ハルマヘラとかセラムとかチモールとか、、、。ある意味、沖縄の延長です。

 

 

 

 

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佐藤忠良作ブロンズ像「花」

2024-12-06 12:33:30 | 雑記 報告

 

すでに報告した通り、今後の資金を捻出するために、以前(1993年)頂いた「日本科学読物賞」正賞の佐藤忠良のブロンズ像をネットオークションにかけることにし、昨日、三世の尽力でヤフーオークションに登録を済ませました。

https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/v1164174927

 

ヤフーオークションでは同じブロンズ像が、以前おそらくそれぞれ別の受賞者(あるいは第三者)からオークションにかけられていて、2020年1月に15万7000円、2020年7月に27万6000円で落札されています。

 

それらの象は経年品・汚れ傷あり、となっていますが、今回出品したものは、授与当時から箱に納められていたままのもので、収納した箱の表裏には作者本人の毛筆表題とサイン、及び落款が附されています。そのことから考えて、前回同様、あるいはそれを上回る価格で落札されることの期待が持たれます。

 

前もって古物商に問い合わせたところ、売却の場合は10万円前後との情報を得ています。実際の販売価格は倍以上にはなるでしょうから、前回までの落札額と概ね合致するように思われます。それで、三世らと相談の上、落札最低価格を25万円と設定しました。落札者がない場合は、改めて売却方法を考えます。

 

望み通りの価格で落札が為されたならば、HDD修復費の一部を支払い、メディアなどへのプレゼン用の作品(「屋久島の植物」「中国蝴蝶」)の印刷を行い、(時期的にギリ間に合う)黒島・口之島・中国広東省へのヘツカリンドウ探索に赴き、三世・ジョージ・爾夏一家の日本での定住に向けての準備資金に充てたいと考えています。

 

ブログ読者の皆様に置かれましては、このような作品を求められていられる知人・友人の心当たりがありますれば、情報の伝達・拡散をお願いする次第であります。

 

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佐藤忠良のブロンズ像

「花」

本体28.5㎝ 台座込み32.5

収納箱39㎝×11㎝四方

箱(蓋の表に墨字で「花」、裏に本人の墨字署名と落款)

第14回吉村証子記念「日本科学読物賞」正賞

受賞者・青山潤三

(1993年に受賞後、約30年間未開封のまま収納)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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未来は明るい、、、かも

2024-12-05 08:02:54 | 雑記 報告

 

たまたまこのブログをチェックしていたら、同じカテゴリーのところにトンボのコラムを見つけました。

 

「トンボ自然史研究所」 (理学博士、北海道教育大学)生方秀紀さんのコラムです。

最新記事は、

20世紀日本のトンボ自然史解明に貢献した研究者トップ10の研究キーワードと横顔

 

 

これが蝶だったら、いろいろと内情を知っているので無視するのだけれど、トンボの世界は着かず離れずの距離にあります。ずいぶん不謹慎なテーマ、たぶん半分冗談なんだろう、いや案外本気なのかも知れない、などと思いつつ、覗いてみることにしました。

 

なかなか興味深い内容でした。それぞれの研究者の肩書が付されているところがミソですね。その分析をしたりしています。読んでみてください。実に爽快で面白い。

 

1位は、もちろん朝比奈正二郎博士。蝶だと白水隆(以下、敬称略)になるのでしょうが、ベスト10には現役の嫌なやつらの名前が連なっている可能性があります。精神的によろしくありません。そこに行くとトンボは僕の守備範囲外なので、純粋に第三者的に楽しめる。ちなみにセミの場合だと(研究者数の分母が少ないので)加藤正世でしょうね。現代の林正美と一騎打ちになるかも知れませんね。アマチュア(セミプロ)を加えれば、税所康正氏が食い込む可能性もあります。

 

朝比奈正二郎に関しては、場外乱闘的な(実にくだらない)逸話があります。もう何十年も前のことですが、街角で好みの女の子とすれ違いました。思わず声をかけた。本人としては必死だった(-_-;)のだけれど、まあ、ありきたりのナンパですね(笑)。

 

カフェに入ってコーヒーを。首尾よく名前も聞き出しました。朝比奈さんです。僕の自己紹介、蝶の写真を写しています。すると彼女曰く、私のおじいちゃんもトンボの研究してるのですよ。え?おじいちゃん、、、まさか朝比奈正二郎??

 

いやもう、狼狽ですね。こんなことが知れたら、トンボの世界からも抹殺です。軽率に声をかけたことを謝って(今考えたら別に謝ることもなかったのだけれど)ほうほうの体で、カフェを後にしました。

 

4位には生方氏本人。7位に懐かしい方の名前が入っています。曽根原今人氏、高校教師(生方氏の岳父だそうです)。

 

今から60年以上前の中学3年の夏、小学校時代の同級生の高木君、西山君と3人で、北八ヶ岳を縦走(天狗岳~蓼科山)しました。途中の雨池で、女子中学生(高校生?)数人のパーティと一緒に記念写真を撮った。引率の先生が曽根原氏。あとでその時の写真を送ってきてくださったのです。可愛い(僕の好みのタイプの)娘が一人いたのですね。すぐにお礼の返事を出して、チャンスをものにせねば、、、と気が焦るばかりで、結局は返事を出しそびれ、60年余が経ってしまった(今もその手紙を大事にとっている)。

 

詰めが甘すぎます。60年、時を巻き戻すことが出来れば、うまくやれる自信はあるのですが、、、、。

 

同じ昆虫でも、蝶とトンボは、対極に位置します。わかりやすく言えば、蝶は昆虫の中で最も進化した一群。完全変態。幼虫と成虫の形や行動が著しく異なります。トンボは昆虫の中ではかなり原始的な一群です。不完全変態。幼虫が水中で生活し、成虫は地上や空中で生活するという違いはありますが、基本的な体の構造はさほど変わりがなく、ともに他の昆虫や小動物を狩って餌とします。

 

ただし、共通点も少なくありません。日中に活動、成虫が空中を飛ぶ。大きな翅をもつ、等々。被写体として、同じようなアプローチで接することが出来ます。種類数のボリュームも概ね同じです。

 

写真撮影を始めた頃は、蝶と並んでトンボの撮影もそれなりに一生懸命やっていたのですよ。でも途中で止めてしまった。自信の一枚を紛失してしまったからです。

 

渓流の緑の茂みの、川面にキラキラと射す反逆光の中を、交接産卵飛翔するキトンボ。いやもう抜群の自信作だったのです。この写真を旧友のO嬢(某雑誌の編集長で若手トンボ研究者、僕のデビュー作は彼女との合作)に貸し与えたら、失くしてしまったと。

 

O嬢のことは以前ブログに書きましたね。少々ピントが外れたハチャメチャ人間ではあるのですが、稀有の天才です。僕の旧友では、朝日新聞のK氏と双璧。当時は非常に仲が良かった悪友です。

 

写真は何処かに紛れ込んで多分永久に出てこない、のだそうです。諦めざるを得ません。それから何年か経ったある日、引っ越しするので手伝いに来い、と電話。(遠いところなので)いやだ、と断ったら、“部屋をかたずけている過程で件の写真が出てくるかも知れん”と言うじゃないですか。

 

そんなわけで遠路長野県のアパートに助太刀に行ったわけです。夜通し片付けたけれど見つからなかった。O嬢曰く、“え、そんなこと言ったっけ、あるわけないでしょ”。

 

でも良いこともありました。翌朝、別所温泉に行って、その帰路彼女のトンボのフィールドの溜め池を案内してもらった。後にそこで絶滅寸前のオオルリシジミを撮影することが出来たのです。

 

その数年後だったか、(よくわからん成り行きで)O嬢と増冨温泉に行ったとき、アカエゾゼミの全身真っ赤なお宝個体を撮影することが出来た。幸運の女神でもあります。キトンボ紛失は相殺しても良いかと(ずっと後、O嬢とはつまらんことで絶交?して、その後30年近く 連絡していません、元気でいることを願っています)。

 

まあそんなわけで、自信作を失くして熱が冷め、それ以降は積極的にトンボの撮影はせずにいます。もしその写真を失くしていなければ、今頃蝶ではなくトンボに嵌っていたかも知れません。

 

話を変えます。25年前、平凡社新書「世界遺産屋久島の森~大和と琉球と大陸の狭間で」を上梓しました。この作品は僕の文章面での自信作であります。内容を否定的に捉える研究者らも多いようなのですが、きっと将来、正当な評価が為されるものと、信じて疑いません。

 

その中に、魚の話題、ある論文を引用して屋久島のヨシノボリ類(ハゼの仲間)の話を書きました。論文の執筆者は今の上皇さん(当時の平成天皇)です。上梓後、ぜひ献本したいと望んでいたのだけれど、叶いませんでした。なんとなれば担当編集者からダメ出しが出たのです。彼は熱心な共産党員で、天皇に献本などとんでもない、と。僕も思想的には彼と同じで立場上天皇批判の側なのですが、ここはノーサイドで良いんじゃないですかね。上皇さんにも読んでもらいたかったので、心残りではあります。

 

皇室批判は別として、親近感もあります。平成天皇がハゼ。昭和天皇は専門がウミウシで趣味?が植物。秋篠宮は専門がナマズで趣味がニワトリ。その息子(もしかすると将来の天皇になるかも)はトンボに夢中です。

 

天皇の発言力はハンパじゃないと思います。トンボを始めとした野生生物(ことに環境整備)に対する国民の理解・関心は高まるのじゃないでしょうか?

 

案外、明るい未来が開けなくはないとも限りません、、、。

 

*この記事は、福岡空港-成田空港の飛行機の中と、成田空港駅-河辺駅の電車の中で書きました。

 

 

 

 

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斎藤劇場と宮沢賢治

2024-12-03 17:06:24 | 雑記 報告

 

明日、一年ぶりで東京のアパート(書庫)に行きます。

 

飛行機で成田へ。三世が購入(6480円)しました。予算がぎりぎり由、羽田着の6980円の午後便を購入できず、成田着の夜便になってしまった。そのため青梅線河辺までの電車賃が倍かかり、なおかつ最終列車に間に合わないので、成田泊になります。徹夜をすると体調悪化し、後々大変なことになりそうなので、空港内のカプセルホテルで朝まで寝たいのです。しかし所持金は5000円。福岡航空までのバス代を支払うと3500円。(当初の予定では)羽田から河辺までは1000円程なので残り2500円と計算し、それで1週間部屋に立て籠る予定でいたのですが、それも出来なくなります。

 

困り果てて、何人かの方に助けを求めているところなのですが、雲行きは思わしくありません。

 

以前、「日本科学読物賞」というのを貰って、その賞品が有名彫刻家のブロンズ像。(以前東京のアパートに行ったとき)段ボール箱の中から見つけました。

 

それをヤフーオークションにかけて売ろうと思います。4年前に2度取引が為されています。それぞれ別の受賞者(本人かどうかは不明)だと思います。1度目は157000円、2度目は276000円で落札されています。

 

中古?品で多少の傷・汚れがある、となっています。僕のは、箱に収められたままの新品です。より高額で落札される可能性を考えています。

 

東京のアパートに着き次第、その写真を送ってヤフーオークションにかけ(三世がやる)、一週間後に落札金額を得ます。それまでは絶食で過ごす(水道も止まっている)予定です。

 

新品ですので(受賞者本人からの出品ということを明記する)40万ぐらいの値が付くのではないかと期待しています。少なくとも20万円にはなるのではないかと。

 

その資金が手に入れば、HDDを回収し、「屋久島の植物」「中国蝴蝶図鑑」を数冊ずつ印刷して、各メディアとの交渉を始めます。思惑通りの値で落札されれば、念願の黒島・口之島、および広東省でのヘツカリンドウ探索にも向かえます(開花期は1月上旬まで?)。

 

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このブログについては、来週あたり(あるいは年を明けて)から、「屋久島の植物~大和と琉球と大陸の狭間で」「中国蝴蝶野外観察図鑑」それぞれ全4600900頁を、毎回78頁ずつ、スクリーンショットで切り取って紹介していこうかと考えています。まだ決めたわけではないのですが、やるのなら(極力ほかの話題の回を交えずに)連続して最後までやるつもりです(毎日8ページ分アップするとして概ね200日)。

 

“斎藤さん劇場”はどうするのか、というと、その間はひとまずお休み。おざなりに終結することなく今後も延々と引っ張られていくことを望んでいるので、半年後にどのような状況になっているのか、楽しみです。

 

僕の見解は、ただ一つです。同じことを何回でも繰り返して表明しておきます。

 

問題の根本は、白黒をつける(答えを導き出す)ことではない、ということ。

 

しかるに、メディアも大衆も、「真実の追及」にのみ目を向けている。そのような姿勢が続く限り、この問題の解決には至りません。

 

今日のヤフーネットに、興味深い記事がありました。NHKで先日放送された「宮沢賢治と銀河鉄道の夜」という番組の“誤報訂正”ニュースについての見解です。必ずしも「誤訳」ではないのではないか、と。

クレーム殺到のNHK『歴史探偵』 SNSで“誤訳”と炎上し、訂正されたが…誤訳とは言い切れない文学史的な理由 (歴史人) - Yahoo!ニュース

 

どうして、どちらかに正解を決めつけようとするのでしょうかね?正解(答え)を示すことが何よりも大切、という教科書的教育方針で良いのでしょうか?「多様性」と皆分かったように唱えながら、その実反対の方向に向かっている、と思わざるを得ないのですが。

 

僕の「屋久島の植物」も「中国的蝴蝶」も、本来の意味での“多様性”を示唆する目的で取り組んでいます。

 

若い読者が、そのことに気付いてくれることを願っているのです。

 

 

 

 

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♯折田さん頑張れ!(by北原みのり) 追記

2024-12-01 10:39:52 | 雑記 報告

 

#折田さん頑張れ! 「兵庫・齋藤元彦知事問題」のヤバさは現代社会を表象している 北原みのり(AERA dot.) - Yahoo!ニュース

                                                                     

前回の記事の注訳です。僕は、北原さんという方を非常に評価していて、最高のコラムニスト?と思っているのですね。おこがましいけれど、同志、ライバル、(謙虚な表現では“お手本”)みたいに勝手に認識しています(もう一人挙げるとダルビッシュ有)。

 

それで前回、そのことを伝えるために“う~んと唸る”という表現をしました。“言い得て妙”という意味、う~ん、なるほど!う~ん、さすが!う~ん、参った!ポジティブな最大級の肯定です。

 

ところが、この“う~ん”には逆のニュアンスもありますね。う~ん、困った!う~ん、それは違うのじゃないだろうか?ネガティブな否定的ニュアンスです。

 

でふと思ったのですが、僕の表現も後者にとられてしまうのではないだろうか、と危惧したわけです。

 

もちろんのこと、う~んには、両方のニュアンスが併存していて、文脈の流れでポジティブにもネガティブにも掛かるわけですね。

 

ところが、もしかしたら最近の傾向は、ネガティブなニュアンスのみで受け取られているのではないかと。

 

というのは、このヤフーコラムのコメントの評価分類が、以前は赤(同意)と青(不同意)に分けられていたのが、最近は「共感した」「なるほど」「う~ん」の3評価に変更されています。

他の方々も同じ指摘をしていましたが、「なるほど」を加える意味はあるのか、「共感した」とどこが違うのか、と。

 

曖昧な表記をすることで、触らぬ神に祟りなし、、、日本の社会が挙って向かいつつある、一億総責任逃れ、自己保身、ことなかれ主義、、、の流れの一環を示しているような気がします。人権とか、個人情報秘匿とかの(僕から見れば余りに度を越えていると思わざるを得ない)重視も、その流れに沿っているのですね。ひいては、既得権を守ることこそ、正義であり、平和に繋がると。

 

このコメント欄の評価表記も「う~ん」と「非同意」では微妙に異なります。前者は逃げ道を伴った、(否定ととられてしまうのを避ける)積極性に欠ける表現。一時期(今でも?)流行した「知らんけど」も同じです。

 

その時々の若者に拠る新解釈造語には、従来持つ意味とは正反対の意味に転嫁してしまっている例が少なからずあります。例えば「鳥肌が立つ」。本来の意味は、極限の不気味な脅威に面した際に起こる(ネガティブな)現象だったはずです。それがいつの間にか真逆の(ポジティブな)意味に置き換えられてしまっている。

 

いや、両方存在しても良いのです。言葉は生き物ですから、どんどん変化していっても良い。古くからある本来の解釈も正しいし、新たに発生した解釈も否定するべきではない。共存すれば良いのです。けれど、実際には、そうはならない。新しい解釈が生まれるたびに、旧 い解釈は葬られていく、それが現実のようなのです。僕は非常に憂慮しています。

 

閑話休題。

 

コメントを幾つかピックアップしておきます(末尾2つは別コラム)。

 

>「法律に違反していない」を繰り返す斎藤氏は、自分を信じて、それこそ寝食を惜しんで自分のために尽くしてくれた人を「ただのボランティア」と斬り捨てるのか。さらには「盛っている」とまで言うのか。 彼女のしたこと(noteにあげたこと)は確かに彼女の失敗だったかもしれないけど、彼女一所懸命戦っていたと思いますよ。選挙カーに乗るくらい近くにいたのだから斎藤氏が彼女の戦いを知らないはずもない。彼女は、反斎藤派だけでなく斎藤派からも非難されている。そんな追い詰められている彼女を斎藤氏は守ってあげようと思わないのだろうか。公選法に違反かどうかでなく、人間としてどうなのか? 自分を信じていた戦友さえ守ることができないのに、どうして多くの県民を守ることができるのだろう。

 

>いやホントその通り。言いたいことを上手く仰いました。折田さんは優れた才能の持ち主。 サイトーさんの為に作ったプロモーションビデオは素晴らしい。ブログを見る限り盛ってもいないと思うし。ありのままを話して違反だったなら仕方ない。失敗に懲りずに頑張って欲しいと思います。それにしても、身内を嘘つき呼ばわりする男は見苦しい。だけどまあ、そういう人も稀にいるからなぁ。

 

>折田氏にすべての批判を向けることは非常に危険なこと。確かにキラキラ女子で叩きやすい要素を備えてはいるものの、ブログの記載は非常に具体的で、多少は盛ってようと嘘をついているとは思えないし、あの記事を公開してしまったのは失態といえど、すべての責任が彼女にあるわけではない。公選法違反疑惑の責任は発注側にも当然ある。むしろ、もし意図的に隠そうとしていたなら、より悪質と言える。 これが全て折田氏が悪いで片付けられてしまうなら、斎藤氏は心が痛まないのだろうか?それこそが斎藤氏の人格を象徴してることになる。

 

>斎藤さんの心は痛まないよ。元県民局長の内部告発でも、犯人特定、懲戒処分で自殺にまで追い詰めたのに、当の本人は正当性を語るだけ。そんな自分の保身しか考えない奴が折田さんに全ての罪をなすりつけて、保身に走る。

 

>斎藤氏は心痛まないの? 痛まないね。もう県民局長のことは、すっかり忘れているみたいだし。

 

斎藤さんについて、橋下さんがこのように仰っていましたね。

「法令上の問題ではない。権力者の振る舞いとして問題」

 

僕は橋下さん好きじゃないし、イデオロギー的にも受け入れられないのですが、今回の兵庫県知事問題に対して一貫して同じ立場をとっていることは、評価に値すると思っています。

 

そもそもの問題点は、告発者(渡瀬西播磨県民局長)の告発内容が正しいか間違っているかではなく、それ(告発内容や告発手段)を間違っていると断定して、手続きを踏まずに葬ってしまったことにあるのです。

 

それによって告発者は「悪」と見做され、(実際には非常に複雑な要因が絡んでいるにしろ、そのことがなんらかの関わりを持って)自死に至ったわけですが、斎藤氏は、自分は間違ったこと(法からの逸脱)はしていない、告発者の自死に対して負う責任は、何一つない、と全面的に突っぱねているわけですね。

 

それはそうかも知れない。正論なのでしょう。でも正論が全てではない。

 

斎藤さんもそうだし、大衆もそうなのですが、今の世の中の趨勢は、「真実」を拠点に据えて全ての答えを導き出すことに収斂しつつある。

 

僕に言わせれば「真実」は「かのように」と同義語なんですね。「真実」には多面性が存在するという次元に立てば、自ずから多様な「答え」が導きだされるはずなのですが。

 

僕の立場は、全ての登場人物(立花氏を除く)の味方です。斎藤さんも、それなりに魅力的な人だと僕は思っています。パワハラやおねだりはどうでも良いのです。ただ奥深いところで、どうにも受け入れ難い部分がある。 

 

真実以外の否定。多くのエリ-トの共通項であり、それに追従する大衆を(無意識的に)洗脳・扇動にも繋がっていく。斎藤氏は、ある意味、日本人の極限的象徴であるようにも思えます。

 

斎藤劇場は、兵庫県に特化した問題として、傍観していることはできません。確かに兵庫 県の抱える闇は、他の地方の追従を許さぬ、底知れぬものがあります。言い換えれば、兵庫の行く末が、日本の行く末を占うことにもなります。

 

民主主義の持つ意味、選挙制度の本質、、、等々。この後も、「斎藤劇場」を有耶無耶に終結してしまうことなく、2転3転4転、、、延々と混乱が続いていくことを、僕は望んでいます。

 

兵庫県民のことを思えば、それじゃ困るでしょう?という意見が多々ありますが、いや兵庫県民のためにも、有耶無耶で終わらせるわけにはいかないのです。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

最新ニュース。

ウクライナ、大阪万博参加正式表明。

ギリシャ、不参加を表明。

 

さっき、三世からメール。

>日本にもギリシャにも住みたくないです。

>意見を言えば犯罪人扱いされる国には住めないです。

 

日本に関しては同意(笑)。でも、ギリシャ、なかなかやるじゃないですか!

(ジョージの立場もわからんではないけれど)

 

 

 

 

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