#折田さん頑張れ! 「兵庫・齋藤元彦知事問題」のヤバさは現代社会を表象している 北原みのり(AERA dot.) - Yahoo!ニュース
前回の記事の注訳です。僕は、北原さんという方を非常に評価していて、最高のコラムニスト?と思っているのですね。おこがましいけれど、同志、ライバル、(謙虚な表現では“お手本”)みたいに勝手に認識しています(もう一人挙げるとダルビッシュ有)。
それで前回、そのことを伝えるために“う~んと唸る”という表現をしました。“言い得て妙”という意味、う~ん、なるほど!う~ん、さすが!う~ん、参った!ポジティブな最大級の肯定です。
ところが、この“う~ん”には逆のニュアンスもありますね。う~ん、困った!う~ん、それは違うのじゃないだろうか?ネガティブな否定的ニュアンスです。
でふと思ったのですが、僕の表現も後者にとられてしまうのではないだろうか、と危惧したわけです。
もちろんのこと、う~んには、両方のニュアンスが併存していて、文脈の流れでポジティブにもネガティブにも掛かるわけですね。
ところが、もしかしたら最近の傾向は、ネガティブなニュアンスのみで受け取られているのではないかと。
というのは、このヤフーコラムのコメントの評価分類が、以前は赤(同意)と青(不同意)に分けられていたのが、最近は「共感した」「なるほど」「う~ん」の3評価に変更されています。
他の方々も同じ指摘をしていましたが、「なるほど」を加える意味はあるのか、「共感した」とどこが違うのか、と。
曖昧な表記をすることで、触らぬ神に祟りなし、、、日本の社会が挙って向かいつつある、一億総責任逃れ、自己保身、ことなかれ主義、、、の流れの一環を示しているような気がします。人権とか、個人情報秘匿とかの(僕から見れば余りに度を越えていると思わざるを得ない)重視も、その流れに沿っているのですね。ひいては、既得権を守ることこそ、正義であり、平和に繋がると。
このコメント欄の評価表記も「う~ん」と「非同意」では微妙に異なります。前者は逃げ道を伴った、(否定ととられてしまうのを避ける)積極性に欠ける表現。一時期(今でも?)流行した「知らんけど」も同じです。
その時々の若者に拠る新解釈造語には、従来持つ意味とは正反対の意味に転嫁してしまっている例が少なからずあります。例えば「鳥肌が立つ」。本来の意味は、極限の不気味な脅威に面した際に起こる(ネガティブな)現象だったはずです。それがいつの間にか真逆の(ポジティブな)意味に置き換えられてしまっている。
いや、両方存在しても良いのです。言葉は生き物ですから、どんどん変化していっても良い。古くからある本来の解釈も正しいし、新たに発生した解釈も否定するべきではない。共存すれば良いのです。けれど、実際には、そうはならない。新しい解釈が生まれるたびに、旧 い解釈は葬られていく、それが現実のようなのです。僕は非常に憂慮しています。
閑話休題。
コメントを幾つかピックアップしておきます(末尾2つは別コラム)。
>「法律に違反していない」を繰り返す斎藤氏は、自分を信じて、それこそ寝食を惜しんで自分のために尽くしてくれた人を「ただのボランティア」と斬り捨てるのか。さらには「盛っている」とまで言うのか。 彼女のしたこと(noteにあげたこと)は確かに彼女の失敗だったかもしれないけど、彼女一所懸命戦っていたと思いますよ。選挙カーに乗るくらい近くにいたのだから斎藤氏が彼女の戦いを知らないはずもない。彼女は、反斎藤派だけでなく斎藤派からも非難されている。そんな追い詰められている彼女を斎藤氏は守ってあげようと思わないのだろうか。公選法に違反かどうかでなく、人間としてどうなのか? 自分を信じていた戦友さえ守ることができないのに、どうして多くの県民を守ることができるのだろう。
>いやホントその通り。言いたいことを上手く仰いました。折田さんは優れた才能の持ち主。 サイトーさんの為に作ったプロモーションビデオは素晴らしい。ブログを見る限り盛ってもいないと思うし。ありのままを話して違反だったなら仕方ない。失敗に懲りずに頑張って欲しいと思います。それにしても、身内を嘘つき呼ばわりする男は見苦しい。だけどまあ、そういう人も稀にいるからなぁ。
>折田氏にすべての批判を向けることは非常に危険なこと。確かにキラキラ女子で叩きやすい要素を備えてはいるものの、ブログの記載は非常に具体的で、多少は盛ってようと嘘をついているとは思えないし、あの記事を公開してしまったのは失態といえど、すべての責任が彼女にあるわけではない。公選法違反疑惑の責任は発注側にも当然ある。むしろ、もし意図的に隠そうとしていたなら、より悪質と言える。 これが全て折田氏が悪いで片付けられてしまうなら、斎藤氏は心が痛まないのだろうか?それこそが斎藤氏の人格を象徴してることになる。
>斎藤さんの心は痛まないよ。元県民局長の内部告発でも、犯人特定、懲戒処分で自殺にまで追い詰めたのに、当の本人は正当性を語るだけ。そんな自分の保身しか考えない奴が折田さんに全ての罪をなすりつけて、保身に走る。
>斎藤氏は心痛まないの? 痛まないね。もう県民局長のことは、すっかり忘れているみたいだし。
斎藤さんについて、橋下さんがこのように仰っていましたね。
「法令上の問題ではない。権力者の振る舞いとして問題」
僕は橋下さん好きじゃないし、イデオロギー的にも受け入れられないのですが、今回の兵庫県知事問題に対して一貫して同じ立場をとっていることは、評価に値すると思っています。
そもそもの問題点は、告発者(渡瀬西播磨県民局長)の告発内容が正しいか間違っているかではなく、それ(告発内容や告発手段)を間違っていると断定して、手続きを踏まずに葬ってしまったことにあるのです。
それによって告発者は「悪」と見做され、(実際には非常に複雑な要因が絡んでいるにしろ、そのことがなんらかの関わりを持って)自死に至ったわけですが、斎藤氏は、自分は間違ったこと(法からの逸脱)はしていない、告発者の自死に対して負う責任は、何一つない、と全面的に突っぱねているわけですね。
それはそうかも知れない。正論なのでしょう。でも正論が全てではない。
斎藤さんもそうだし、大衆もそうなのですが、今の世の中の趨勢は、「真実」を拠点に据えて全ての答えを導き出すことに収斂しつつある。
僕に言わせれば「真実」は「かのように」と同義語なんですね。「真実」には多面性が存在するという次元に立てば、自ずから多様な「答え」が導きだされるはずなのですが。
僕の立場は、全ての登場人物(立花氏を除く)の味方です。斎藤さんも、それなりに魅力的な人だと僕は思っています。パワハラやおねだりはどうでも良いのです。ただ奥深いところで、どうにも受け入れ難い部分がある。
真実以外の否定。多くのエリ-トの共通項であり、それに追従する大衆を(無意識的に)洗脳・扇動にも繋がっていく。斎藤氏は、ある意味、日本人の極限的象徴であるようにも思えます。
斎藤劇場は、兵庫県に特化した問題として、傍観していることはできません。確かに兵庫 県の抱える闇は、他の地方の追従を許さぬ、底知れぬものがあります。言い換えれば、兵庫の行く末が、日本の行く末を占うことにもなります。
民主主義の持つ意味、選挙制度の本質、、、等々。この後も、「斎藤劇場」を有耶無耶に終結してしまうことなく、2転3転4転、、、延々と混乱が続いていくことを、僕は望んでいます。
兵庫県民のことを思えば、それじゃ困るでしょう?という意見が多々ありますが、いや兵庫県民のためにも、有耶無耶で終わらせるわけにはいかないのです。
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最新ニュース。
ウクライナ、大阪万博参加正式表明。
ギリシャ、不参加を表明。
さっき、三世からメール。
>日本にもギリシャにも住みたくないです。
>意見を言えば犯罪人扱いされる国には住めないです。
日本に関しては同意(笑)。でも、ギリシャ、なかなかやるじゃないですか!
(ジョージの立場もわからんではないけれど)