青山潤三の世界・あや子版

あや子が紹介する、青山潤三氏の世界です。ジオログ「青山潤三ネイチャークラブ」もよろしく

2009.5.4 湖北恩施 白いレンゲソウ 12

2011-02-27 11:13:31 | 湖北 恩施 長江ほか


(第12回)


沢の上部を渡って、“最初に行った岩だらけの畑”に向かいます。樹木の若葉が見事です。Qercus(コナラ属)をはじめとした、夏緑広葉樹、後しばらくしたら、Zephyrus(ミドリシジミの仲間)が舞い始めるかも知れません。






シャガ。中国のシャガ(日本のシャガは中国からの帰化とされています)は、例えば、四川省西嶺雪山(大邑原始森林)の観察では、標高1000m付近までは、見慣れた(うっすらと青みがかった)白い花、そこから上は濃い青色の花、同じ種でも標高に沿って移り変わっていくのだろう、と考えていました。ここでは同じ場所で、両者が見られます。日当たりのいいところでは白い花(写真前2枚)、日陰ではやや小ぶりの青色味の強い個体(写真後3枚)。標高ではなく、環境条件に左右されているようです。もっとも、同一種とすれば、という前提での話です。別種である可能性も捨てきれません(僕が知らないだけかも)。














僕は、チョウの生殖器の構造のことと、セミの鳴き声の様式のこと(あと60年代初頭のアメリカンポップスのBillboard順位と、世界の山の標高)についての知識は、ある程度の自信があると言えるのだけれど、それ以外は、何にも知らない、と言ったほうが良いかもしれません。植物に付いては、ど素人なのです。この花は、確か中国の各地でよく見かける花。栽培されているポピュラーな野菜なのだと思う。この写真の株も逸出個体の可能性があります。でもなんという種なのかは知らなかったし、今でも知りません。てっきり、セリ科の(例えばハナウドのように)花弁の一部が伸長した種と思い込んでいたのだけれど、常識的に考えれば、マツムシソウの仲間(現・スイカズラ科)の種ではないのかと、今回整理中に思い当った次第。小花を拡大して見るに、どうやらそっちのほうが正解みたいです(結論はまだ)。知っている人は誰でも知っているのかもしれませんが。






エンゴサク属。花色は淡いけれど、葉の感じは日本のムラサキケマンに似ています。ウスバシロチョウがいても良さそうなのですが、今回は見ていません。






野生ストロベリー。この辺りの種は、シロバナノヘビイチゴなどと同様の、赤い実がなるのだと思う。この2枚の写真、花弁の幅が随分違うけれど、たぶん同じ種でしょう。








セリバヒエンソウ(トリカブト属に近縁のDelphinium属)だと思うけれど、花色が随分淡いです。






セリバヒエンソウとゲンノショウコ。






ゲンノショウコとウマノアシガタ。中国のゲンノショウコの花色は、赤花と白花のある日本産と違って、どれもみな同じ。






ヒメウラナミジャノメ。










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2009.5.4 湖北恩施 白いレンゲソウ 11

2011-02-26 09:16:23 | 湖北 恩施 長江ほか


(第11回)


でも、やっぱり、白花種の群落も有ります。






こちらも田んぼの畦に。










萎れかかった赤花が一輪だけ混じっていました。赤花と白花は種が違うのだと思います。白花種は在来分布。赤花種は(水田導入に伴う)移入帰化。たまたま同所的に混在していると見るのが、妥当な判断でしょう。白花種とは別に、赤花種の白花やツートンカラーの個体があって、白花種の中にも、赤味を帯びた個体がある。しかし、それらが全く無関係に成り立っている(混在は偶然)のか、何らかの相関性がある(混在は必然的)のか。さらに、在来の白花種は、後で述べるように、種は別であるとしても、“普通の赤花のゲンゲ”の数少ない野生近縁種であることも確かなので、赤花種の祖型の一つである可能性も捨てきれません。興味は尽きないのです。






















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2009.5.4 湖北恩施 白いレンゲソウ 10

2011-02-25 12:55:32 | 湖北 恩施 長江ほか


(第10回)



さらに進んでいくと、今度は群落と言って良い赤花登場。








生育場所は、水をたっぷり湛えた、田植え前の水田の畔(といっても日本とは随分様相が異なる)です。












日本のゲンゲと寸分違えず同じ花。










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2009.5.4 湖北恩施 白いレンゲソウ 9

2011-02-24 15:02:41 | 湖北 恩施 長江ほか



(第9回)



水を張った田植え前の畔道を進んで行くと、、、、。





ツートンカラーのゲンゲを発見。






上半分が白、下半分が赤、見事に赤花と白花の中間です。








しかし、子細に見ると、ガクの裂片は白花種のようには余り長くならず、小花の雰囲気も赤花種に近いように思えます。






この一角の花は、どれもが白と赤のツートンカラー。












その中に、白一色の花がありました。これは、“白花種のゲンゲ”ではなく、白い花の“赤花種のゲンゲ”と見るべきでしょう。






完全なツートンカラーではなく、白色部が薄っすら紅色を帯びた個体も。










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2009.5.4 湖北恩施 白いレンゲソウ 8

2011-02-23 16:27:57 | 湖北 恩施 長江ほか



(第8回)


↓森を抜けると畑に出ました。西側の峪と林をぐるっと迂回して、最初の断崖の下に向かいます。





↓しばらくの間、広々とした畑の中の道が続きます。ちなみに、菜の花はとっくに終わっています。





↓茶の新葉を取り入れしているお婆さん。カメラを向けると、摘み取ったばかりの新茶を小皿に入れて、ポーズを取ってくれました。





↓こちらは間違いなくヒメウラナミジャノメ。ただし、通常日本産とは別種のYpthima zodiaとされます。日本産とは違って、春型(冬型?)の裏面が、濃い茶色部分と白い部分の“雲状”を呈します(ただし生殖器の構造は日本産と寸分も変わりません)。





↓畑の脇のゲンゲ群落は、やはり白花ばかり。





↓と思っていたら、赤花の群落(と言うには少し貧弱ですが)も見つけました。





↓いかにも頼りなさそうに咲いています。





↓白花との違いは、ガク筒の遊離鋸歯が短いこと。







↓こちらは白花。鋸歯は著しく長くガク筒の本体の長さとほぼ同長です。個々の小花も、やや頑健なイメージがあります(特にこの個体では、花弁の背が外側に巻いているので、著しく角ばって感じる)。





↓赤花の若い果実は細長く、無毛。





↓果実の形状は赤花と同じですが、白花の若い果実には、白い軟毛を密生しています。





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2009.5.4 湖北恩施 白いレンゲソウ 7

2011-02-22 15:02:28 | 湖北 恩施 長江ほか




(第7回)


↓ウラナミジャノメ属の種。次回に紹介するヒメウラナミジャノメ(中国亜種)に酷似していますが、おそらく別の種(別群)です。






↓コジャノメ。さっき日本産と同じと言ったけれど、裏面白帯から外側の白色化が著しいですね(白帯が紛れて消失してしまっている)。





↓ミツバチ。ニホンミツバチ?セイヨウミツバチ?それとも別の種?














↓“白いヒガンバナの下に止まる変った色のクマゼミ”と言った赴きですが、花はむろん白いレンゲソウで、昆虫はアワフキムシの一種、遥かに小さいのです。






↓アワフキムシもセミも、分類上は「半翅目同翅亜目(または同翅目)頚吻群」という同じグループに所属します。頚吻類Archenorynchaには、セミ(セミ上科)、アワフキムシ(アワフキムシ上科)のほか、ツノゼミ(ツノゼミ上科)、ミミズク、ヨコバイ(以上2者はヨコバイ上科)、ハゴロモ、ウンカ(以上2者はハゴロモ上科)などの仲間があり、日本産だけでも優に1000種を超すはずです。身近な昆虫たちですが、小さな為に余り目立ちません(セミだけは巨大で、“頚吻類のクジラ”という俗称があります)。しかし、ルーペで拡大して見ると、どの種も様々な特徴のある色や斑紋や姿をしていて、なかなか魅力的な昆虫なのです。








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2009.5.4 湖北恩施 白いレンゲソウ 6

2011-02-21 09:30:07 | 湖北 恩施 長江ほか


(第6回)


↓再出発。正面の丘の林を通り抜けて、断崖の下を右方向へ伝って、先程の畑に向かうことにしましょう。






↓幸先良く、“赤いゲンゲ”を見つけました。しかし、まことに小さくて貧弱です。この先にも、沢山あるのでしょうか? 白いゲンゲとの比較が楽しみです。






↓林の中の緩やかな道を登り、赴きのある物置小屋を過ぎたあたりで、、、、。






↓ゲンゲの群落に遭遇。しかし、やっぱり全て白花です。






↓赤いゲンゲとの色以外の違いについては、このあとに答えを。


















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2009.5.4 湖北恩施 白いレンゲソウ 5

2011-02-20 13:26:37 | 湖北 恩施 長江ほか



(第5回)

↓一度、村に戻り、今日の宿を探して昼食を終えたあと、改めて調査に向かうことにします。まるでギアナ高地のような、断崖の山の上にも登ってみたいのですが、それは次回に回しましょう。






↓その時には、対岸のカッコいい山にも行ってみたいものです。






↓村の中心までは、約3㎞(写真の反対方向)。






↓年少児童は下校時刻かな? もうすぐ午後3時ですね。






↓子供がいると、ついカメラを向けてしまうのが悪い癖。






↓これも子供といえば子供です。






↓今夜の宿泊場所が決まりました(と言っても宿泊可能な宿はこの一軒だけ)。宿のお婆さん?それとも近所の人?





↓宿のオバサンが作る掻揚が遅めの昼食です。美味しい!








↓畑で作っているのは、油麦菜ではないでしょうか?(そのうちに“麦菜”の特集を組みます)。






↓路傍で見たチョウ(Ⅰ)カラスアゲハ。春型♂にしては余り鮮やかではありません。もう夏型?






↓路傍で見たチョウ(Ⅱ)おなじみタイワンモンシロチョウ。中国では最普通種です。






↓路傍で見たチョウ(Ⅲ)コジャノメ。日本のものとほとんど同じように思います。











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2009.5.4 湖北恩施 白いレンゲソウ 4

2011-02-19 09:15:50 | 湖北 恩施 長江ほか



(第4回)


↓心行くまで撮影したので、先に進もうと歩き出したら、、、白花ゲンゲの群落出現。






↓今日は、ゲンゲの撮影に集中することに決めて、ひと休み。










↓日本のレンゲソウと、色以外にどこが異なるか、分かりますか?































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2009.5.4 湖北恩施 白いレンゲソウ 3

2011-02-18 10:21:52 | 湖北 恩施 長江ほか


(第3回)

↓写真①
クロツバメシジミの撮影はそろそろ切り上げて、ジャケツイバラを写しに行かなくては。





↓写真②
僕の好きな花を見つけた!レンゲソウ。白花です。





↓写真③





↓写真④





↓写真⑤
複数の花が咲いているけれど、どれも純白、あるいは薄っすらとピンクがかった白花。辺りには紅花は見当たらないので、白花だけの集団かも知れません。白花と言えば雲南だけれど、それと同じタイプなのでしょうか? 何となく、こちらのほうが、より日本のレンゲソウに似た雰囲気を持っているような気もします。





↓写真⑥
大きさは日本のレンゲソウと同程度だと思う。





↓写真⑦





↓写真⑧





↓写真⑨



 
ゲンゲ(レンゲソウ)は、「中国原産の史前帰化植物」とされています。ほかにも、私たちに身近な野の花の多くが、農耕文化の渡来と共に大陸から日本に持ち込まれた、いわゆる“同伴植物”(主役の“作物”とともに、土とか入れ物とかにくっついてやってきた雑草)と考えられています(レンゲソウの場合は、それ自体が“緑肥”としての役割を担っているので、主役の“作物”と脇役の“雑草”の中間ぐらいの位置付けと言えるでしょう)。日本における「史前帰化植物」「史前栽培植物」といえば、僕の興味のあるところでは、例えばハランとか、ジンチョウゲとか、ヒガンバナとか、あるいはモモやウメとかが、すぐに思い浮かびます。それらの植物は、当然のように「日本の在来種ではなく」「中国大陸が原産地」とされているわけですね。

その根拠は、どこにあるのでしょうか? 前者(日本在来か否か)に関しては、明らかに人為が係わっていると思われるゲンゲなどはもとより、日本にも在来自生していたのではないかと推定されるものでも、現在の生育期が人里の周辺に限られていることから、野生状態ではあっても実は栽培品の逸出起源、と捉えられているわけです。そして後者(中国からやって来た)に関しては、、、、当然、中国には在来野生しているだろうという、、、、、それ(→当然)が最大の根拠だろうと思います。しかし、実際には、多くの種は中国でも正確な野生地が把握されていず、その“当然”は、実は根拠薄弱、ということになります。

といって、「史前植物の多くは日本が原産」と主張する気は、さらさらありません。僕自身は、レンゲソウを含むそれら“中国大陸原産”とされていながら、実は“原産地不明”の植物の多くは、結局のところは、やはり中国大陸からの渡来なのだろう、と考えています。なぜかと言えば、(日本に比べて)圧倒的に面積が広いからです。確率からすれば、日本列島原産と考えるよりも、中国大陸原産と考えたほうが、理に適っています。でも、ということは、率は低くても、日本原産の種もあるだろうことも、否定しきることは出来ないことになります。中国においても、多くの種が“人里周辺にのみ生育している”という事実は、日本の事情と似たり寄ったりのはず。だったら、どちらにも“原産地”としての可能性は残されているわけです(日本と中国に跨って「東アジア」に広く在来自生していた、という種も少なくないと思う)。

「人里周辺にしか生育していないので、栽培品の逸出起源」
という“常識”を、別の視点から、
「本来在来自生していた生育環境が、人里化してしまった」
と捉えることは出来ないのでしょうか?

それぞれの地域におけるヒトの活動に好適な空間は、在来生物たちにとっての好適空間と重なっていても不思議ではありません。日本人も日本に棲む生物たちの多くも、より日本的な環境(おおむね中間温帯林に相当)に根付いているわけです。実のところ、東アジアに固有の生物(日本固有種も含む)の多くは、人里離れたところに棲む、珍種とか稀産種とか絶滅危惧種ではなく、意外と都市部やその周辺に見られるのです。ということは、人間の活動空間に飲み込まれて消滅してしまうか、一緒に繁栄するか、どちらかに転んでしまう。

例えば、究極の遺存種の代表とも言える、国外からは全く近縁の種が見つかっていない、正真正銘の日本固有種ヒカゲチョウ(ナミヒカゲ)が最も繁栄しているのは、東京の都心などをはじめとした、人間の主要活動地域(青森県~山口県)です。

究極の“遺存的生物”と、究極の“繁栄種”は、隣り合わせの存在であるとも言えます(実は“ヒト”もそうかも知れない、出来損ないの“サル”の一種が、何かの拍子で爆発的な繁栄に繋がった)。換言すれば、進化と繁栄は、対極の関係にあるとも。「進化は繁栄の本筋から取り残されたものから始まり、それが本筋になると、また取り残されたものから、、、、という繰り返し」という普遍的な構造が、僕が数10年間チョウチョのおちんちんを顕微鏡で覗き続けて悟った、真理であります。その話については、また改めて、ですね。

日本国内に於いて、人里化し得なかった辺境の地である離島にのみ残存する、幾つかの身近な植物の在来分布が確認されています。南西諸島のハランやテッポウユリ、伊豆諸島のアジサイ(園芸種の直接の母集団)やサクラ(染井吉野の一方の親オオシマザクラ)などがそれです。そのうちのいくつかは、中国やヨーロッパに渡って育種改良され、改めて日本にもたらされて、普及しているものです。これらの植物も、もし離島に野生集団が知られていなければ、「中国からの渡来」と位置付けられていたことでしょう。

いずれにしろ、私たちに身近な人里周辺の生物たちが、古い時代における中国からの渡来である可能性が強いにしろ、簡単に「原産地は中国」と決めつけてしまえるような、単純な話ではないことも確かなのです。ゲンゲにしろ、中国に於いての実態は、在来野生集団の分布が極めて局所的であるか、もしくは特殊かつ複雑な状況を経て現在の“普遍的存在”に至っている、と考えねばなりません。

そんなわけで、ゲンゲには、ことのほか興味があるのです。雲南の白花種や赤花種は別として、“本物のレンゲソウ”の在来野生と思われる群落には、まだ出会ったことがありません。明らかな人里の、畑や道路の周辺ではちらほら見かけるのですが、だいたい、その機会自体が少ないのです。日本のような、広々としたレンゲ畑は、皆無ではないかと(北京など北部での実態は知らない)。

実物どころか、それ(レンゲソウの在来野生集団)に具体的に言及している文献にも、出会ったことがありません。あとで紹介する予定の、「中国植物志:第42巻第1分冊」では、真正のレンゲソウ(紫雲英Astragalus sinicus)については、「長江流域各省の海抜400~3000mの山岳地帯渓谷周辺および湿潤地に見られ、現在は、重要な緑肥作物、家畜飼料、稀に食用として、我が国の各地で栽培されている。摸式標本産地は、浙江省寧波」となっているだけで、具体的な在来集団の自生産地などについては、全く触れられていません。また、この本に紹介されている278種に及ぶ中国産ゲンゲ属の中にも、雲南の白花種や赤花種をはじめとした、強い類縁関係を持つと思われるレンゲソウ近縁種についての記述も見当たりません。

末尾の記述、原記載(リンネ1767年)摸式標本(在来野生集団の産地である必要はない)が“寧波(ニンポー)”というのは、興味を惹きます。本文に記述されている自生地域?“長江流域”からは遙か隔たった地であり、海抜400~3000の山間部渓谷や湿潤地(付近に標高1000mを超す山もあることはありますが、おおむね沿海部の低山丘陵地帯)という環境条件にも当て嵌まりません。

しかし、実際に寧波一帯は、僕の知る限り、最も真正のレンゲソウが多く見られる地域なのです。日本のそれとは、比べようもないのですが、寧波の沖に浮かぶ舟山島や、西方の杭州近郊では、明らかなレンゲ畑を、比較的普遍的に見ることが出来ます。ここが摸式産地であることには、非常に納得がいくのです(寧波は中国有数の古くからの対外貿易港であるがゆえ、そこから持ち出された内陸産の標本の一部が、誤って採集地として記されてしまった、という例も一部にはあるでしょうが、ゲンゲに関しては、この地に滞在中に採集されたと見るのが妥当でしょう)。

生育地が“長江流域”という記述も、興味深いです。もし、上~源流域の、四川(西部)・雲南・チベットなど、あるいは河口周辺の上海付近などであれば、“長江流域”とはせずに、別の表現が成されているはず。長江流域の標高400~3000mというのは、すなわち“中流域”を指すのではないでしょうか。低山から3000mまでをカバーする地域といえば、湖北省西部を中心とした一帯です。この報文の編著者達も、在来自生の確認はともかく、その可能性を念頭において記述を行ったのではないかと推定されます。僕としても、真正のレンゲソウの故郷がこの一帯では? という思いがあるのです。

そんなわけですから、この白いレンゲソウに釘付けになって、しばし撮影を続けていた、という次第です。


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2009.5.4 湖北恩施 白いレンゲソウ 2

2011-02-17 11:33:00 | 湖北 恩施 長江ほか


(第2回)

↓いかにもクロツバメシジミ(この辺りのものは別種ムシャクロツバメシジミとされていますが、両者は非常に近縁で同一種としても良いのではないかと思っています)でも出て来そうな環境。






↓Sedum(ベンケイソウ科キリンソウ属=クロツバメシジミの食草)の花。





↓こちらは葉。






↓やっぱりいました。でも、ちょっと見はヤマトシジミみたいで、なかなかクロツバメシジミだとは気が付かない。


















↓産卵中のムシャクロツバメシジミ。この写真もここで写したものと思い込んでいたのだけれど、改めて整理したら、昨日猫児坪での撮影と判明。参考にまで一緒に紹介しておきます。












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2009.5.4 湖北恩施 白いレンゲソウ 1

2011-02-16 09:41:32 | 湖北 恩施 長江ほか

しばらく前に、中国で見たゲンゲ(レンゲソウ)属の写真を、ほとんどコメント無しに羅列して、穴埋め的に紹介していったことがあります。その時、「湖北省恩施で見た白いゲンゲは、日本産ゲンゲとの関係に於いて興味深いのだけれど、残念なことに写真が行方不明で手元には僅かしかない、見つけ次第改めて紹介することにしましょう」と記しました。今回整理中に、その一連の写真が出てきたので、紹介していくことにします。ついでに、ゲンゲの話だけでなく、その日出会った蝶や花や出来事も併せて。(全27回を予定)


(第1回)

湖北省恩施といえば、将来書き著そうと予定している、短編5連作「少女の涙と純白のウエディングドレス/重慶1988年・西安1990年・昆明2003年・桂林2005年・恩施2009年」の一編として取り上げたいのだけれど、ここでは「宣昌~恩施、国道318号線と高速G50号線」「猫児坪の赤いバラ」「絶壁の下の白いレンゲソウ」の“自然観察三部作”の一つとして紹介していきます(残りの2項目はそのうちに)。

省西南部の中心都市(かなりの大都市)なのですが、日本人観光客にとっての知名度は余り高くない(というか全く知られていない?)のではないかと思われます。もっとも、日本人の好む歴史とかを基にした観光事情については、全く疎い(菅さんの奥さんの指摘に従えば“知らない”)ので、意外に有名な観光ポイントだったりするのかもしれません。

一言で言えば、中国の中心。別に確たる根拠に因るというわけではありません。漠然と、です。とは言っても、僕の中では、結構しっかりした根拠があります。東に上海(杭州)、西に成都、北に西安(その北東に北京)、南に桂林(その南東に香港)を設定すると、十字の交点になる地が恩施です。

恩施を中心とした東西のラインは、ほぼ次に示すラインとも相当します。長江流域、国道312号線、2009年皆の皆既日食ライン、屋久島と同緯度の北緯30°20′ライン。従って、その東の延長が屋久島、西の延長がチベットで、四川から北西に反れて甘粛、南西に反れて雲南、という、僕のフィールドとも重なっているわけです(恩施は、北緯30°13′~30°28′に位置する屋久島と完全に同緯度)。

十字の東西南北に相当する、杭州や成都、桂林や西安には、もう何10回も通っているのですけれど、湖北省にはこれまで足を踏み入れたことがありませんでした。2009年の初夏、武漢から直通バスで恩施に向かった今回が、始めての訪問です。武漢(武昌)のターミナルから10時間余、とのことだったのですが、全行程の2/3の宣昌には、4時間弱で着いてしまいました。と言うことは、あと2時間もすれば恩施に到着する計算です。けれどもその後が悲惨。建設中の高速道路を横目に見ながら、曲がりくねった悪路をさらに10時間近くかかって、夜も遅くになっての恩施到着、振動で飛び上がって頭をバスの天井にぶつけないように、前の座席の背もたれにしがみつき続けていなければならないので、もうへとへとです。しかし、その間には、かけがえなしに素晴らしいと思われる自然環境が連続して現れます。今となっては、高速で一気に行くことが出来るので、このときが最後の“苦行”行となったわけですが、高速道路では、途中で下車(はともかく上車)することは困難になってしまう、少し残念な気もします(2010年現在では、西の重慶から東の武漢までの高速道が開通しているので、ということは、上海~成都間の高速全線が開通したと言うことになります、、、、、のみならず、上海~成都間の新幹線鉄道建設も着々進行しているようですから、この1両年中には、上海から新幹線で一気に成都へ到達出来るようになるのでしょう)。

ちなみに、恩施に比較的近い有名観光地としては、北の重慶市東北部に「長江ダム」、南の湖南省西北部に「世界遺産武陵源」が知られていますが、余り興味はありません。僕にとっては、上記十字路という位置付けのほうに意義があるのです。

この一帯には、日本から隔離分布する幾つかの重要な動植物の分布が記録されています。その一例が、野生アジサイの2つの「準・日本固有種」ギンバイソウとタマアジサイです(具体的な紹介はまたの機会に)。その他にも、著名有用生物の祖先種と目される野生集団の分布の可能性が、幾つも考えられます。すぐ隣の利川市(今回のゲンゲ調査地のすこし先)は、世界で唯一のメタセコイアの自生地でもあります。地味ながら、魅力に溢れた地なのです。

ということで、恩施到着の翌日、あてずっぽうで、良さそうな環境のある場所に行ってみることにしました。市の北西に、地図に猫児梁2123m(広西桂林北方の猫児山2141mと名前も標高も良く似ている)と記されている山があります。麓の板橋というところまでバスがあったので、そこに行こうとしたのですが、間一髪乗り遅れてしまいました。次のバスは午後までありません。しかたなく、さらにあてずっぽうで、適当な場所に向かうことにしました。北東方向の、“太陽河”という村はどうでしょうか? 途中に良い環境があれば、そこで降りて探索、という目論みです。で、隣町の建始行きのバス(包車)に飛び乗ったのですけれど、昨日とは打って変わって、切り開かれた単調な環境ばかりが続きます。下車しあぐねているうちに、建始の町に着いてしまった。慌てて別の包車を探します。うかうかしていると一日を無駄にしてしまうので、こうなれば目的地はどこでも良い、乗った包車の行き先まかせ、というわけで、第一日目の探訪地は、“猫児梁”ならぬ“猫児坪”という小集落。その紀行は、いつか「猫児坪の赤いバラ」として紹介していく予定です。

翌5月4日、満を持して、午前9時発板橋行きのバスに乗ることにしました。ところが昨日とは運行ダイヤが違う!朝早くに出てしまった、というではないですか。あちこち別の場所を探しまわり、午前11発板橋行きにやっと上車。地図では近くに感じたのですが、終点の板橋までは結構遠いようです(後で分かったのですが、丸半日はかかる由)。近くに“恩施大渓谷”とかいう名のリゾート?スポットがあったりするのですが、どんなところなのでしょうか?

長江本流の三峡の南に並行して東西に流れる、長江支流の清江河の最上流部を、利川方向に向かって少し進んでから、川を離れて山に登っていきます。登りきった台地上をしばらく進むと、さらに頭上に、断崖の山が押し迫ってきます(これも後で判明したのですが、どうやらバスは更にその上に登って、板橋に向かうようです)。早く撮影・調査を開始したいと気持ちは焦るし、見事なスケールの断崖絶壁の山の麓に足を踏み入れて見たい、という思いもあって、バスを乗り捨てることにしました。しばし探索をした後、次に来るバスに乗るなり、車をヒッチするなりして、板橋に向かえば良いわけです。歩いても大したことは無いでしょう(実はまだ遥か先だということが後で分かったのだけれど)。幸い、少し手前の集落に宿泊施設らしきところを見かけたので、とりあえず今日はそこに泊まっても良いのです。

そうそう、探索の目的は、上に書いたように、この地域の生物相は非常に興味深いので、何であれO.K.なのですが、一応ギフチョウということにしておきましょう。北の神衣架のオナガギフチョウ、東の武漢近郊のアカオビギフチョウ(シナギフチョウ)の、両産地の中間付近に位置していることから、どちらが棲息しているのか興味深いし、あわよくば、第5の種?を発見出来ないだろうか、という淡い期待もあります。時期的にはやや遅いのだけれど、カンアオイがあれば卵や幼虫を探すにはちょうど良い時期かも知れません。でも、ギフチョウやカンアオイが見つからなくっても(結論を言えば、結局見つけることが出来なかった)、意外なチョウや植物に出会えるかも知れません。本命の野生アジサイ類2種には季節が早すぎるとしても、どんなチョウや植物に出くわすか楽しみ、とにかく何でも撮影しておくことにしましょう。


↓写真①
板橋へ向かうバスの中から。山の斜面に樹々が茂り、気持ちのいい環境です。




↓写真②
台地の上に出ました。川の向こう断崖のあたりが、リゾート地?の大渓谷なのでしょうか。




↓写真③
小さな集落を過ぎると、行く手にも大絶壁の山が。




↓写真④
ここで降りることにしました。手前の集落に宿があるかどうかを聞いて見たら、あるという答え、ならば安心して探索を進められます。




↓写真⑤
絶壁の麓に、まずはジャケツイバラの花を写しに行くことにしましょう。




↓写真⑥
スケールが大きすぎて、広角レンズでも3枚に分けて撮影せねばなりません。




↓写真⑦
畑の中も岩だらけ。これでは、耕すのにも、さぞかし大変な苦労を強いられることでしょう。




↓写真⑧~⑪
その石や岩も、こんな変てこなものばかり、自然のアートと申しましょうか。










↓写真⑫
渓谷を挟んだ向かいの山もカッコいい、マッターホルンみたいです。標高は2000m余ぐらいかな?これが猫児梁?(たぶんもっと奥)
















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