交流する文化と聞いて何を思うか。これを日本語でとらえると文化を交流するとなって、交流文化という語ができる。これまでに、さんざん、文化交流というふうにしてきているのだから、その文化交流と交流文化はどう違うのかと日本語の構成で悩むことになる。文化交流は文化が交流するとはまず思わない、どう思うか、日本語の語順で文化を交流すると思い込んでいる。だから間違っても文化が交流するとは思わないはずであるが、なかにはそう思っている向きもあるかもしれない。文化が交流するとは、どうすることでどうなることかと思ってしまうが、文化を交流するとなればそうか、交じりあわせるのだなと合点する。その語の使い方に交流文化があるとなると、この交流文化こそが4文字熟語の構成で、文化を交流するとなるのである。はて、交流文化と、文化交流とはどう違うのだろうか。もとに戻って考え込んでしまう。 . . . 本文を読む
文章の主語を解析する。日本経済新聞20140309朝刊、春秋より。このコラムはおよそ575文字である。段落は4段構成で、起承転結の文章法を持つ。全18文。 >春、浜辺をそぞろ歩くと、まだ背の低い松に新しい芽が伸び始めている、と、書いている。松の木が甦る景色を目指した植林運動を述べて、その植樹のむずかしさに触れ、植林がなるのは50年、60年先であると言う。この文章の第2段落は、話題を提示する。いまこの段落を冒頭において見れば、構成的には、起承転結になることに変わりはない。 (津波でほとんど失われてしまった海岸林の再生)
(宮城県名取市で)
(2年たった苗) 第3段の転筆は、展開に相当する。 . . . 本文を読む
文学の影響を考える。影響は享受とともにある。影響を受ける、影響を与えるとはどういうことか。影響の語義とご誌をたしかめると、その語の通り、具体的に影と響きである。それは人影であり人の声である。それを形の従い、響きの応じ合いとなる。影響すると使えばその影響による反応と結果を意味する。文学の影響はこの派生義によるところで考えることになる。日本文学の影響をみると、この概念は近代以降に現われている。それは西洋文学といってよいだろう、その影響を受けた文学の主義、理念による文学運動のものである。日本文学の影響はそれだけにとどまらないとして、中国文学におよんで、歴史をさかのぼって日本の古代文学に与えた漢文学の影響を議論する。するとこの場合にも漢文学とその文学が何を表すかを確かにしなくてはならない。 . . . 本文を読む
東北大震災から、もう3年まだ3年 ということだろう。キャンペーを行っている内容だ。 記事によるトップ見出しは、漁師の手荒れてこそ 福島本格操業遠のく リードは、東京電力福島第一原発事故のため、福島県の漁業は依然、操業自粛が続く、とある。続けて、放射性物質が国の基準値を下回った魚種を小規模に流通させるための試験操業を重ねるが、本格操業への道筋は見えない、と書いている。記事の中見出しには、復興進まず 全国世論調査 と見える。トップ記事の左側には、ソチ パラリンピック 狩野 金1号 滑降座位 荒れたコース 秘密兵器威力 とある。その下の記事、見出しには、きょう名古屋ウイメンズ 1万6125人完走目指す とある。 . . . 本文を読む
助数詞というと変換するが、じょすう、とだけでは変換して辞書候補には見えない。中国語の表現にも使われるので、漢語を基にするかと言われるが、その使い方は異なる。数詞の考え方である。ビデオテープの数え方は、したがって、古来の用い方をすれば、一巻 というように、まきものであった。というのは、テープをぐるぐる巻きにした断面を知れば、そのイメージがわく。しかし、それをなぜそのように言うようになったかは、巻物の状態で縦長の形状を思い合せれば、そうだろうということになるが、それでも、その巻き物を縦長でなく、横置きにして切り分けていくことになるかろ、そこからできるのは細長い帯状のものができあがってくる。それをテープと呼ぶから、一本となったわけである。 . . . 本文を読む