万葉集の歌には情景がある。そして題詠となるものがある。実体験と想像とを表現して、言語の芸術性をもつ。そして歌が詠まれた背景は、後世の注によって考証がある。実写と経験と、言語創造である。第40番歌から五首続いて、その初めには三首柿本人麻呂の歌である。 あみのうらに ふなのりすらむ をとめらが たまものすそに しほみつらむか くしろつく たふしのさきに けふもかも おほみやひとの たまもかるらむ しほさゐに いらごのしまへ こぐふねに いものるらむか
当麻真人麻呂は伝未詳、石上大臣、従駕して作る歌である。 . . . 本文を読む
日本における漢文学はどうであったか。古代日本の文化状況の中で漢字の渡来がある。その事実、歴史事象とは切り離せない。つまり、漢文学は漢字による書物のことであったが、同時にそれは言葉の書き物でもあった。漢文学そのものを、いま、中国の古典文学とする、その古典とは何を意味するか、伝統的に典籍を系統付ける、四庫全書、四部叢刊のように言及されるが、あくまでも中国での漢文学であるし、その後、時代を経ての中国文学という言い方もできる。日本における漢文学はどうであったかとの問いには、漢文の文章による、漢語による詩の、それぞれ作品をさすであろうか。さらには、江戸時代に漢学が行われて、そこで見えるものについてはどうであろう。 . . . 本文を読む
文章の主語を解析する。日本経済新聞20140308朝刊、春秋より。このコラムはおよそ575文字である。段落は4段構成で、起承転結の文章法を持つ。オウム真理教の事件、化学兵器になるサリンを用いた事実を言い、それを受けて、その逃亡犯であった元幹部の裁判を述べる。転じて、米国からの調査団がオウム事件、福島原発に来たことをテロの問題と捉える。その結びは、日本で起こった事件を世間的な受け止めであったことを振り返り、テロについての警戒を主張する。文のなかにある、が格 化学兵器が使われた だれもが知る これこそが地下鉄サリン事件 判決が言い渡された 死刑囚が出廷した、事実を語った それが続いている ハーバード大の大学院生らが参列した 米海兵隊の部隊が来日した 遠い国の得体のしれないものたちが起こすのではない このように見てくると、この文章は何について述べようとしているか、1語が推測される。テロ事件である。
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5 「もらう」と「くれる」はどうか。やりもらい表現では実際に、物の移動を表す語として説明できる。やる もらう くれる について、話し手と、聞き手との間で行われる。その際に、やる もらう の授受関係で、主語がそのままで、主格と相手格を用いて、物が行き来する。AはBに、やる AはBから、もらう となる。やる動詞は敬語の、上げる動詞を使うことで、一般的用法となり、やる動詞は、人間が動、植物に、水、えさをやる ときに使われるようになる。そこで、くれる については、物の移動が話し手である自分に向かってくる点では、もらう と同じであるが、その表現法が異なる。あなたにもらう わたしにくれる このふたつの表現が同じ内容を表していて、くれる については、自分に向けてものが移動するので、わたしに という言い方になる。 . . . 本文を読む
オウム平田被告 懲役九年 東京地裁判決 拉致認識し加担 20140308中日新聞トップ記事、見出しである。リードには、公証役場事務局長らちじけんの逮捕監禁罪などに問われたオウム真理教元幹部平田信被告(四八)の 裁判員裁判で、東京地裁は七日、「教団の組織犯行を理解して加担し、役割を確実に遂行した」として懲役九年(求刑懲役十二年)の判決を言い渡した、とある。その下には、ソチ パラリンピック開幕 とある。第十一回冬季パリンピック・ソチ大会は7日夜(日本時間八日未明)、当地のフィシュト五輪スタジアムで開会式があり、十六日まで十日間にわたる大会が幕を開けた、とある。
もう3年 まだ3年 東日本大震災 という記事だ。トップ左側の見出しで、被災サングラスと走る 名古屋ウイメンズ がれきから戻った「相棒」 とある。明日合法 である。 . . . 本文を読む