万葉集に皇族が歌人によって見える。それは代作であったとしてその営みはあった。第45番歌の題詞には、かるのみこ、あきののにやどりますときに、とある。軽皇子は草壁皇子の子であり、後の天武天皇となるが、この歌作のときは十歳と文庫本には注釈する。安騎の野は、遊猟をして、これも注釈によると、奈良県宇陀郡であり、ときは持統六年冬とある。短歌の連作、第48番に、ひむがしの のにはかぎろひ たつみえて かへりみすれば つきかたぶきぬ の歌がある。この歌の原文は、 東 野炎 立所見而 反見爲者 月西渡 と書かれている。この漢字を、読み下す作業を通している。訳文をつけて鑑賞をしている全訳の古語学習辞書に、次のように見える。万葉集の歌の表記は日本語に書き表そうとした古代の工夫が見える。それを読み解いてきたのである。
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日本語文章の分析である。日経コラム、春秋、20140310より。読むと、やむをえず方針にしたがうことになりました、と、最初に言葉を引用する。校長先生の挨拶だ。ときは昭和20年である。空襲がひどくなり、首都が標的になる、主格のある文である。くれぐれも空襲から身を守ってあげて下さい、と、言う。回想を、早乙女勝元著「東京が燃えた日」が紹介している、とあるので、東京の爆撃で約10万人が死ぬ、という言及は事実として思い。これは何が起こったのか、冒頭は、疎開先の宮城県から帰京し、親に引き渡した時の言葉だ、そうだ。 . . . 本文を読む
現代日本語「誤」百科 949 発災 を例題にしている。発令、発火は、それを伝える意味があるとするコラムの解説だ。発災 にはそれがないという。災害発生 について、それがひとところで発生するもので、いわば災害の伝達はないということのようだが、さすがに災害の伝達はあってほしくはないと思うものの、発災 という用語が意味する内容は深刻であるから、この用法にあるないにかかわらず、災害をどうとらえるかが認識の問題として問われる。災害が発生し、その災害がもとで、2次災害、3次災害ということが起こるのをどう見るか。阪神淡路大震災から東北大震災まで、それまでのあいだにも数多くの災害を想起して、発災状況がある。 . . . 本文を読む
街頭録音で通りがかりの人に、かのじょ、かのじょ、と呼びかけるインタビューの映像が流される。そこの彼女、とか、あそこの彼、というふうに、呼びかけていない場合にも用いられる。3人称代名詞として、かれ、かのじょ、この翻訳語が代名詞でなく、普通名詞として使われる現象である。日本語での代名詞の用法は翻訳文法の使い方で広まったが、それでも、指示代名詞、また指示名詞のような役割をもって使われている。この使い方が不思議であるとするならば、人称代名詞について日本語文法をとらえて考えなければならない。すなわち、代名詞の用法は、日本語では名詞に代わる文法的用法としてはもともとなかった。それで、彼、彼女という翻訳語を代名詞とするよりも名詞扱いにする用法や言語の現象が現れるのである。 . . . 本文を読む
東北大震災から、もう3年まだ3年 というキャンペーを行っている内容だ。
もう3年まだ3年 記事によるトップ見出しは、人なき故郷 悲しき春 リードには、次のように書く。東京福島電力第一原発から約三十キロ離れた福島県浪江町津島地区。放射線量が特に高く、許可なく立ち入ることができない「帰還困難区域」に指定されている。記者は九日、一時帰宅する住民に同行した。人口千五百人の集落には、ほとんど人けがなく、静まりかえっている。屋根からの雪解け水が地面を打つ音だけが、春の兆しを伝えていた。(谷悠己)記事の見出しに、浪江の帰還困難区域 とある。記事左に、 あす東日本大震災3年 今も 26万人避難 とある。 . . . 本文を読む