現代日本語百科   けふも  お元気ですか

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大寒波

2018-01-27 | 木瓜日記
冬日の話題は、関東以西、それほど話題にならない、と思っているのも、関西京阪神と東海名古屋を知る限りのことだから怪しいことであるが、まして真冬日では、その日がないか、あっても、温かさへ向かう気温の変化であるとなると、どうも寒気、寒波の襲来がどうなったか、温暖化と言ってきたので、長く気象変動で変わってきて、寒くなる方への真冬日というのが少なくなって、地方による話題となっている。細長いと言っていいか、地理的に北と南の差が浜と山とでは大ちがいの地域だから、雪の地方は裏日本という名前をもって呼んでいた時代もあったので、話題の取り方が異なる。そこへ海洋の流れで、エルニーニョが影響して、寒気と低気圧の湿気が作用して、たちまちに数年に、あるかないかニュース騒ぎで、大寒波だと言っている。 . . . 本文を読む

LTBG

2018-01-26 | 新語・社会現象語
ジェンダー研究所の学生卒業論文による報告会に出かけた。タイトルに文学作品関係があったので、興味を覚えた。しかし、時代をとって、LTBGに、テーマを論じるのは難しいと感じた。男色大鑑、西鶴のもの、作品を扱うだけでも、といって、文学研究ではないとすれば、どうだったかわからないが、ウイキペディアから、あらすじを載せておく。さて、その論は明快であった。同性愛 、‎男色物で、若衆の女性化に対して、その修正の女性であることに対して、自害することと出家させることとを対比させる。その推論は、女性化に終止符を打つ自殺と、男性化を遂げる出家である。論理は明快であるが、文学解釈を許す浮世草子でもあるので、その議論の立論根拠を、もう少し考えなければならないと思った。まず出家世界のとらえかたである。平安時代に行の文学作品に、なにがなんでも出家で事足れりとする世間に対して、実は武士の主君を失ったがために起こる生き方であり、女性はもっと救済を求めた出家である。男性僧侶の、そこに踏み込む精神世界は浄土宗の僧侶をもってして、いわば、世間に変わりばえしない戒律となってしまった宗教である。その尊厳と信仰は、日本的昇華を遂げたのである。西欧の修道に見る僧侶の世界ならいざ、そこで起こることがらは何か、と想像は、日本てき出家におよぶ。そこでの自由は語られることはない。論緒展開に出家が象徴する男色離れをさらに分析すると、それが女性化をやめて男性化を遂げるならば、どう考えるか、という論理である。 . . . 本文を読む

きょうも雪

2018-01-26 | 木瓜日記
滑って転んで、道路に放り出された格好になった。凍り付いた雪の痕に、わだちを探し、それでも固く、そこに自転車でうろうろとしてハンドルをとられてしまった。自転車の倒れ方と、ふわりと着地で難なきを得たが、見やって車がやってくるかを遠めに確認して、助かったことだと思った。こんな時にどう言っても、褒められた行動ではない。道路を歩くだけで危険であるから、そこを舗道ではなく、自転車で散歩まがいのことに、用があってぐるりと回っていたのだけれど、懲り懲り、命拾いに等しい。25日の午後のことだった。 . . . 本文を読む

IMRAD、くわえて、C

2018-01-25 | ほんとうのところは
論文の構成を指導して、問題、方法、結果、考察とする。それに、結論をつけるように言ってきた。さきのテンプレートは、IMRAD方式である。これは文章の書き方としてレポートにある構成である。その説明によれば、考察に結論がある、あるいは、それが、ない、といったように、それぞれである。書き方そのものはこの形式によるかよらないかということであるが、考察に、そして結論となるのが論文にはふさわしい。文章構成の形式の名称として、その覆う範囲を広く、一般的にするものであるが、多くはそれを論文構成とする、ということで、結論がつくかつかないかは、大きな相違がある。ただ、それを、まとめのついたものとするかどうかで、論があるかないかの形式となるのである。 . . . 本文を読む

教育論2

2018-01-24 | 思い遥かに
できないことをできるようにする、わからないことをわかるようにする、知らないことを知ることになる、そしてまた、できなかったことをできるようにしてその体験を持つ、わからなかったことをわかるようにしてその認識を持つ、そしてまた、知らなかったことを知るという経験を持つことで、人は変わるのである。人を変えるのではない。人が自ら、できないこと、わからなかったこと、知らなかったことを、できたこと、わかったこと、知りえたこととして、できることとは何か、わからなかったこととは何か、知らなかったこととは何かを、またさらにできないこと、わからないこと、知らないことに応じて、できる、わかる、知るというふうに変わっていくのである。そこには人間の意志の働きがあり、心の健康がある。教育はまず何をしなければならないかを、知ることである。教育はそれをわかることが肝要である。教育はできることとは何かを実践をして、それができるようになることの実現である。 . . . 本文を読む

ストレスは限りなく

2018-01-24 | 木瓜日記
仕事によるストレスは仕事量にあることはもちろんであるが、その量を減らす、効率、能率の考えを入れて、それをこなすことによって、ストレス対策となる、ということはある。しかし、ストレスはそのように体に影響するものではないから、精神による鍛練は、仕事をすればするほど、可能となると思っていてよい。それではストレスはどのように現れるのか、個人差もあり、その健康の維持をどうするかによって変わってこようが、経験から言うと、結果として現れた状況でとらえることになるので、それを振り返ってみると、あれもこれもストレスだったようなことばかりである。 . . . 本文を読む

施政方針演説

2018-01-23 | ニューストピック
働き方改革は、時間外労働の上限規制の法制化、同一労働同一賃金の実現を目指す。長時間労働の慣行を是正、多様な雇用形態を確保、女性や高齢者の労働力を有効活用となる。少子化は、介護職や保育士の処遇改善につなげる。教育無償化をすすめる。アベノミクス、デフレ脱却、人工知能の活用と、成果を生むかどうか。外交には北朝鮮、中国をにらんでの、日米の協力関係、そして韓国とは微妙な緊張関係が、これまでの両国の合意を振り出しにする政権とのやり取りになる。憲法改正は具体化する道筋となる。 . . . 本文を読む

レム、ノンレム

2018-01-23 | まさごと
睡眠の話になって、レム睡眠がいかに大切かと気づくことがあり、それを言いたくて、ノンレムばかりの話になってしまう。ノンレム睡眠に、ぐっすり睡眠、レム睡眠に、ぐったり睡眠ということがあって、ぐっすりのほうが話がしやすい。しかし睡眠はいずれも眠ることであるので、その特徴をそれぞれに理解しておくのがよいわけである。レムは、Rapid Eye Motion 急速眼球運動 の略である。まぶたの下では目が動いていて、このとき体は弛緩しているから休息しているのに対して、脳がじつは、覚醒時に近いと言えるそうである。ノンレム睡眠となると、その逆で、脳の休息となって、その状態を、レベルに分けて、3から4が徐波睡眠、実際には、次の説明がある。 . . . 本文を読む

サイトの新聞記事

2018-01-23 | 木瓜日記
新聞を読むかという問いに、読まない、読まなくなった、読むとニュース性を考えるようになった、というふうになる。読まない、と言ってみても、購読紙はあるので、それを読む。読まないというのは、その次の、読まなくなった、というところが、ポイントとなる。読まなくなったのは、ニュースの内容をほかの媒体で知ることがあり、それはテレビだけではなくなったということによる。ネットサイトのニュースとなるが、これも実はまた、ニュース性というのが、怪しげな言い方であるのを、あえて言うと、サイトのニュースが情報源としてさまざまあって、それをいつしか選んでいることになるからである。そう思って、手元の端末で確かにするのは見出しと新聞社が提供する内容であったりする。そのほかを検索していると、それはニュースにならない場合があるので、結局はそこにあるのは、読まないというのが、ニュースをネットサイトで新聞を選んで読んでいるということで、タブレットでニュースを読むとなると、それで用が足りてしまう、それで、新聞は選んで読んでいるということになる。ニュースサイトは古いところで、あらたにすの実験試読のときがあって、ニュースソースに、国内は新聞社の独自性があっても、海外ニュースは特派員ニュースと解説をのぞけば、通信社によるところで、同じであるということが、そのときに透けて見えてしまった。これはスポーツ記事がそうであったりしたので、新聞を替えて読むことはいらないようなことなのである。 . . . 本文を読む