生まれて初めてスターに憧れた人が加山雄三。
私中学二年。憧れと現実と区別がつかず・・・大きくなったらお嫁さんになるんだと平気で思っていた。
高校2年のころ札幌のグランドホテルで加山氏が宿泊。
人気絶頂でスキーをするためにやってきた。
私がファンなのを知って財界の知り合いが記者に頼み、宿泊の部屋で赤いトックリのセーターにスキーズボンを履き、満面の笑みのスナップ写真をいただいた。
また、21歳のころ鹿児島国体で加山雄三が光進丸でボートとヨット会場に応援にいらした。 が・・・私たち選手は30分後に来場する加山氏を待つことより炎天下の疲労を避けるため泣く泣く会場を後にした。
その後、ボート仲間から白い上スーツを着た加山氏のスナップ写真をいただいた。
そして、10年ほど前、小樽いらした時、親友がサイン会へ行き私の名前も書いた光進丸彼直筆の絵葉書をいただいた。
今もトイレに貼ってある。
今回の出来事はファンも彼の胸中を推し量れる事故。
どうか放火だけでないことを祈っている。ちなみに海は電源装置に塩がたまって電気事故が起こりやすいが、特殊な電気工事をしているはずだからそう滅多に漏電はないと思う。
若いころから、親の不始末で多額の債務を抱え、御年80歳まで頑張って来られた。
人生はプラスマイナスゼロとはよく言ったものだ。
ボートも水泳も船舶免許取得もスキーも皆影響を受けました。
歌詞を作るのもそうかな?・・・。。