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水戸の見て歩き

水戸の女人講中 石像(12)

2023-07-07 18:37:25 | 水戸

 今回も、年号のわかる石仏です。

 

宝性院墓地(大串町36°19'47.3"N 140°32'22.6"Eあたり)
 寛政9年(1797)です。「寛政九年丁巳(ていし)二月吉日」「女人講中」とあります。頬を支える右手は女性らしく細く刻まれているようです。6代藩主徳川治保(はるもり)の時代です。

 

八坂神社(大場町36°19'38.4"N 140°31'03.7"Eあたり)
 文化8年(1811)です。「別所女人講中」とあります。別所は小字のようで、その名前を冠した、集落センターやふるさと創生事業で作られた運動公園などがあります。7代藩主徳川治紀(はるとし)の時代です。

 

香積寺(渡里町111)
 天保6年(1835)です。右側面に「中道坪女人講中」とあります。地蔵講が建てたのでしょう。香積寺には、気が付きにくいですが、門を入って右の方に石造物群が並んでいます。9代藩主徳川斉昭(なりあき)の時代です。

 

加倉井(36°23'44.1"N 140°23'05.8"Eあたり)
 弘化3年(1846)です。「原女人講中」などとあるようです。道のまたの部分に建てられてた石造物群の一つです。9代藩主徳川斉昭(なりあき)の時代です。

 

薬師堂(上国井町36°26'21.8"N 140°25'42.5"Eあたり)
 弘化4年(1847)です。薬師堂の伝承品は、「薬師堂の民間信仰資料群」として、水戸市地域文化財に指定されたそうです。これも9代藩主徳川斉昭(なりあき)の時代です。

水戸の女人講中 石像(11)

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