ぶらっと 水戸

水戸の見て歩き

水戸の道しるべ

2020-10-13 20:24:45 | 水戸

 むかしの遠出や旅は、道はわかりにくかったでしょうし、しっかりした地図もなかったでしょうから、苦労が多かっただろうと思います。道路脇にある道しるべは、その助けとして大いに役だったことでしょう。石柱に彫られたものが多いようですが、石仏などは道のわかされにたてられることがよくあるので、その役目を担うこともあったようです。

 

石柱(千波町 36°21'31.6"N 140°28'10.5"Eあたり)
 正面に「東 吉田台町ヲ経磯浜(約三里)方面 西 本村千波見川見和ヲ経河和田赤塚約」、向かって右側面に「本村千波小吹平須ヲ経テ大戸ニ至」と見えます。下部は埋まっていて全部は読めません。大正4年に建てられたようです。

 

十九夜塔(鯉淵町 36°20'35.9"N 140°23'06.8"Eあたり)
 共同墓地の隅にある三叉路のところにあります。左は「かさま」とありますが、右は剥落していて読めません。もともとここにあったかはよく分かりません。

 

馬頭観世音(東野町 36°19'47.5"N 140°27'19.0"Eあたり)
 「左 上町 右 下町」とあります。享和2年(1803)に建てられたようです。写真の感じだと、黒い部分が地上に出ていて、下の部分は土に埋まっていたのでしょう。

 

二十三夜塚(藤井町 36°26'31.9"N 140°24'18.8"Eあたり)
 「左 石塚 右 太田」、文政8年(1825)とあります。藤井町には石造物がずいぶんたくさん残っていて、私の大好きな地区の一つです。

 

子安観音(筑地町実性院境内 36°22'19.4"N 140°22'31.4"Eあたり)
 上部が折れてしまって写真左に置いてあります。上部の「左」と「右」は見えるのですが、下部にある「川根」「原」らしい地名の部分はよくわかりません。文政7年(1824)とあります。


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