青面金剛像は、風化の進んだものがほとんどのようで、こまかいところはあまりよくわかりません。また、庚申講の人たちが建てたのでしょうが、その場合、庚申塔と書いた文字碑が一般的なので、それに比べると青面金剛像はその何分の一といった数のような気がします。それでも、仁王とか不動明王とかいった憤怒相を好む人たちも多かったのでしょう、青面金剛のようなこわもての像も一定の数はあるようです。
栗崎町(植幸(栗崎町1682-3)脇)
頭の、憤怒による炎髪は、3つに分かれているようです。以下の像も皆、腕は6本です。この像は後ろの2本の腕が下向きになっています。着物の前がはだける形ですが、これが一番多いように見えます。何となく邪鬼に乗っているような感じですがどうでしょう。
観音寺跡(吉沼町686-3)
この像は、炎髪が2つに分かれています。何となく仮面をかぶっているように見えて、現代的な感じさえします。後ろにある4本の腕は、低い盛り上げになっていて少し見えにくいようです。上部に梵字があるようですが、もしあるとすると、たぶんウンという青面金剛を表す字なのでしょう。
見和共同墓地(見和3-1351-11)
棒のようで、少し不自然な形に見えますが、炎髪は1つのようです。背後の腕4本は上向きです。これも上の余白が気になりますが、よくわかりません。
春日香取神社(川又町246-1)
水戸の青面金剛(4)でご紹介した復元された像の隣にあるので、たぶん前のものではないかと思います。左右に童子がいることや、腕が6本あるらしいので、青面金剛なのでしょう。青面金剛には腰から下が下ぶくれ形になったものがあるようで、これはその一つのように見えます。
谷津町(36.406959, 140.364170あたり)
石造物群の中にある一つです。この像には、見ざる聞かざる知らざるの三猿が彫られています。これも下ぶくれ形です。
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