8月の主要な年中行事はお盆でしょう。水戸でのお盆行事は、他県とそれほど大きな違いはないようですが、小さな違いはあるようです。旧暦と新暦はだいたい1ヶ月ほどちがっていたようで、旧暦の7月はだいたい新暦の8月にあたるようです。お盆行事は旧暦で7月だったようですが、水戸では現在1ヶ月遅らせた8月の同じ日に行事を行っているようです。ただ、旧暦の数字と同じ7月に盆行事を行っている地区もまだあるようです。
下にある「大塚町では」は「大塚の民俗(出版S61/5)」、「柳河町では」は「柳河の今と昔(出版H12/9)」、「国田では」は「国田史(出版H2/10)」に、それぞれ書かれていたことです。すでに行われなくなった行事もあることでしょう。
写真は、大塚町満福寺墓地で見た、提灯を下げたお墓の飾り付けです。(撮影H30/8/18)
8月1日 地獄の釜の蓋あき
この日に地獄の釜の蓋が開いて、仏さまが家に帰るために旅立つ日だと信じられていたようです。
柳河町では、迎え団子を仏壇に供え、門に迎え火を焚いたそうです。
8月7日 墓掃除
墓掃除をしたそうです。
大塚町では、墓掃除を墓なぎといい、新盆の家では高灯籠立てといって高灯籠を3年間立てたそうです。
8月13日 お盆の入り
迎え盆で、家に盆棚を作り、墓参りをしながら仏様を迎えにいったそうです。
柳河町では、お墓に新竹で線香立てや供えものの棚を作り、家にマコモやゴザで盆棚を作りそこに位牌を移し、夕方墓参りをし、夕食にうどんを食べたそうです。大塚町では、午後から仏様を迎えに行き、墓参りを済ませてから門口で迎え火を焚いたそうです。上の写真で見ると、本に書いてはありませんが、大塚町でもお墓に棚を作ったようにみえます。
8月14日
餅をついて仏前に供えたそうです。
国田では、14日から3日仕事は休みで、親戚や近所の仏参りをし、餅をついて仏さまに供え、15日は団子を作り仏壇に供えたそうです。
8月16日 仏さまのお帰り
仏さま(お盆さま)の帰る日で、盆棚を片付けたそうです。
大塚町では、なすきゅうりなどで牛馬を作り、お盆中の供物を芋の葉などに包み、盆棚などを添えて川に流すか墓地に納めたそうです。柳河町では、それを町外れに運んだそうです。
8月31日 うら盆
水戸では8月31日をうら盆といったようです。
大塚町では、団子を作り仏前に供え、お盆中仏さまをお詣りできなかった人はこの日にお参りしたそうです。柳河町では、軒に提灯を下げたそうです。
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