ぶらっと 水戸

水戸の見て歩き

水戸の旧町名から見た埋め立て地

2016-07-22 22:11:12 | 水戸
水戸市の旧地名表示石碑の解説を中心に並べてみました。大規模な本町造成埋め立て以外のものですが、水戸城本丸崖下には多くあるようです。(写真は赤沼町)

明星町(めいせいちょう)
 城東1-4-1 (県営明星アパート敷地内)
 昭和の初めまで周囲330mくらいの明星ケ池があり、昭和7年に弓削氏が埋め立てて宅地化したそうです。昭和9年の町名改称で明星町が新設されたそうです。

渋田(しぶた)
 城東1-7
 この碑の北あたりに渋田沼があったそうですが、明治16年ころに沼は埋め立てられ、明治22年水戸が市制施行の時、細谷村から水戸市に編入されたそうです。

赤沼町(あかぬまちょう)
 水戸市城東2-6(城東児童公園)
 徳川頼房時代の寛永2年(1625)に湿地が埋め立てられて武家地となり、元禄3年にかつてこの地にあった赤沼から赤沼町と名づけられたそうです。桜川対岸には赤沼獄がありました。

蓮池町(はすいけちょう)
 城東3-2-48(県営蓮池町アパート敷地内)
 頼房時代の寛永2年(1625)ころに湿地帯が埋め立てられて開かれた武家地で、当時蓮池が残っていたために名づけられたそうです。

高橋町(たかはしちょう)
 白梅4-7-4
 大正14年に高橋氏が千波湖の一部払い下げを受けて、24年間かかって埋め立てて宅地化したそうです。昭和24年にこの地が吉田村から水戸市に編入された時に高橋町と名付けられたそうです。大正10年から昭和7年にかけて千波湖干拓が行われました。

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