佐竹義宣(よしのぶ)は、水戸進出とともに、旧居住地、常陸太田からいろいろなものを水戸に移したそうです。そして約12年間で佐竹氏は水戸から秋田へ移りましたが、徳川に引き継がれたものも多かったようです。一方、水戸と秋田との同姓を調べると150を越える数があるそうです。こちらのつながりにはどんなものがあるのでしょう。
宝鏡院不動尊
水戸市城東1-11
天正19年(1591)に、義宣が常陸太田から水戸(杉山 現在地が当時の境内の東端だそうです)へ移し、その後一旦青柳に移って、その後現在地へ戻ってきたそうです。宝鏡院門前町で常陸山は生まれたそうです。
神応寺
元山町1-2-64 029-221-7772
佐竹一族の普光が、久慈郡小野平から相模(神奈川県藤沢市)へ行って住職となったそうですが、戦乱で寺が焼け、天正18年久慈郡の小野平へもどったそうです。天正19年(1591)義宣に招かれ神生平(藤沢小路)に藤沢道場という寺を建立したのが始まりだそうです。その時雷神を境内に移して鎮守としていて、これが別雷皇太神だそうです。
水戸八幡
八幡町8-54 029-226-8854
文禄元年(1592)に常陸太田から義宣によって分祀されて、八幡小路(北見町8丁目あたり)へ来たそうです。本殿は慶長3年(1598)に15歳のお抱え大工によって造立されたそうです。
天徳寺
河和田町914-1 029-252-4604
常陸太田西山に佐竹氏13代夫人冥福のために建立され、文禄2年(1593)に佐竹義宣によって、水戸常葉山(ときわやま 現東照宮の地)に移されたそうですが、さらにその後八幡町(現・祇園寺)から現在地に移されました。秋田では天徳寺が佐竹家の菩提寺だそうです。
本行寺
上水戸4-8-1 029-251-5449
義宣から寺領の寄進を受けて、慶長3年(1598)笹島越後守、宇垣伊賀守が建立に当たったそうです。創建当時は西寺町(水戸八幡宮内)にあり、開山は武蔵国池上本門寺12代日惶(にっこう)上人だったそうです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます