かつての暦である陰暦は、月の満ち欠けをもとにしてつくられていたそうですが、その月は信仰の対象にもなっていました。月待ちといって、特定の日に、「講」を組織した人たちが、飲食を共にしながら月の出を待って、お経を唱えて出てきた月を拝んだそうです。そのなかでも、一番多く行われたのが23日の二十三夜講で、この日は下弦の月で、現れるのは午前0時頃だそうです。その本尊は勢至菩薩で、文化文政の頃に全国にひろまったそうです。そしてそれを記念して建てられたのが二十三夜塔だそうです。女人講や庚申講との関係もあるようです。
勢至菩薩の梵字が刻まれた二十三夜供養塔(内原・江川公民館入口付近)
下弦の月が刻まれた二十三夜供養塔(三湯町45・楊林寺)
下弦の月が刻まれた二十三夜供養塔(西大野・台宝院共同墓地)
女人十五人講中が刻まれた二十三夜塔(元吉田町・野木神社)
庚申塔と同じ石に刻まれた二十三夜(浜田2・下市不動尊)
庚申塔と並んだ二十三夜塔(加倉井町595・中根寺)
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