住所は碑のある場所で、正確に出生地でないものもあるようです。(写真は水戸黄門神社)
義公生誕の地(水戸黄門神社)
三の丸2-2-29
光圀の出生を父頼房(よりふさ)が喜ばなかったため、ひそかに家臣三木之次(ゆきつぐ)が頼房の側室久子をひきとって生ませたという三木の自宅屋敷跡だそうです。
横山大観生誕の地
城東2-8(トッパンプロスプリント水戸工場の角)
横山大観頌碑が県民文化センター前にもあります。文化勲章受章の第一号だそうです。
中村彝(つね)誕生の地碑
水戸市金町3-2-25(五軒小学校 通った学校だそうです)
彝は父母・祖父等が死に、姉が嫁いだため、ただ一人になってしまったそうです。
常陸山谷右衛門生誕の地碑
水戸市城東1-6
「力士は侍である」という考え方だったそうです。
菊池幽芳(ゆうほう)生誕の地碑
栄町1(並松町児童公園)
新聞記者となり、新聞に家庭小説を掲載して人気を博したそうです。
藤田東湖生誕の地
梅香1-2-20
水戸学のリーダーであるとともに、政治家でもあったそうですが、安政の大地震で、母を助けようとして江戸で死去したそうです。
(写真は中崎家住宅です。)
中崎家住宅
鯉淵町2897
元禄元年建築といいつたえられてきたそうです。国の重要文化財です。
綿引家住宅主屋
元吉田町2192
江戸末期の庄屋の家だそうです。
旧茂木家住宅
緑町2-1-15 (茨城県歴史館)
潮来市牛堀から移築されたものだそうです。江戸時代中期の建築だそうです。
むぎとろ古民家 すず
水戸市見川5-114
最近こうした風情の店が増えてきたようですね。
たらいうどん椛や (もみじや)
有賀町1021
向かいにある倉庫のような建物もいいです。
(写真は薬王院本堂)
薬王院
元吉田町682
本堂は国の重要文化財で、その美しさは見るだけの価値があります。近くにある吉田神社の神宮寺だったそうです。十二神将像はパリで行われた日本の美術展に展示されたそうです。
仏性寺
栗崎町1984
本堂の国の重要文化財八角堂は、H26/3修復復元されました。
六地蔵寺
六反田町767
シダレザクラで有名です。根来塗布薩盥(ねごろぬりさつたらい)4点は国指定重要文化財です。旧法宝蔵から明治42年小判30枚が発見され、徳川光圀が修理費として納めたものとわかったそうです。
祇園寺
八幡町11-69
徳川光圀の招請した明の心越禅師(しんえつぜんじ)が開山だそうです。ドウダンツツジが見事です。中村彝、山村暮鳥、山田みのるの墓、諸生党の慰霊碑があります。
常照寺
元吉田町2723
徳川光圀が敬峰和尚を水戸に迎えて建立しようとしたそうですが、はたさないまま光圀が亡くなってしまったそうです。そのため、以前から現在地にあった別の寺の建物を引き継いで敬峰が開山となり、常照寺が創建されたそうです。茨城では非常に数少ない臨済宗大徳寺派の寺院だそうです。
光台寺
上水戸3-1-39
浄土宗のお寺で、はじめ並松町にあり、徳川光圀の命で今の地へ移されたそうです。斉昭の改革で破却され、明治12年に再建されたそうです。寺内には彰考館総裁・吉弘菊潭、明治の小説家・菊池幽芳の墓があります。
中原不動尊
中原町786
もと東光院という寺院だったそうですが、明治20年代に廃寺となり、残った不動堂が、現在、中原区の管理となっているそうです。不動堂及び宮殿は市指定文化財です。
二十三夜尊桂岸寺
松本町13-19
水戸藩の付家老(つけがろう)であった中山備前守信正(のぶまさ)を供養するために、養継子(信正の弟)の信治(のぶはる)が建てた寺だそうです。「霜月三夜は逃げても詣れ」といわれているそうです。徳川光圀がその庭を好んで、保和苑という名をつけたそうです。真言宗です。
水戸市のお墓は、徳川光圀の考え方が色濃く出ています。(写真は酒門共有墓地)
常磐共有墓地
松本町13-34
光圀が寺院の影響を排除して創設したそうです。上町(うわまち 城のある台地上の土地)の武士を埋葬したそうです。「桜田烈士、坂下の変烈士、 敦賀殉難烈士、東禅寺事件志士、生野義挙志士、勅諚事件志士、筑波山義挙志士」などの墓がありますが、水戸ではこういった特有の言い方をするようです。幕末尊皇攘夷運動の東の中心地だったことがよくわかります。
水戸殉難志士之墓(墓地の一角にまとまってあります)
藤田幽谷、東湖、小四郎(三代 幽谷は古着屋の子で彰考館総裁、東湖は徳川斉昭の側用人、小四郎は筑波山に挙兵。)
原市之進(徳川慶喜の側用人。)
安積澹泊(たんぱく)(格さんのモデル。)
豊田芙雄(ふゆ 日本の保母第一号)
青山延于(のぶゆき)、延光(のぶみつ)(父子 ともに弘道館教授頭取になりました。)
酒門共有墓地
水戸市酒門町330
光圀が寺院の影響を排除して創設。かつては下町(したまち 千波湖一帯の湿地を造成してできた低地)の武士を埋葬しました。
安島帯刀(あじまたてわき 家老、安政大獄で切腹させられました。)
常陸山(19代横綱、角聖といわれたそうです。)
大内利貞(蝦夷探検家)
祇園寺
八幡町11-69
諸生党殉難碑(幕末の水戸で、保守の立場を取った人たちの碑、墓もあります)
中村彝(洋画家 中村屋サロンに出入りした一人で、代表作に「エロシェンコ像」があります。)
山村暮鳥(祇園寺が管理する江林寺墓地内 牧師で詩人。保和苑に詩碑があります。)
山田みのる(大正時代の漫画家)
妙雲寺
見川2-103
武田耕雲斎(老中、筑波山挙兵で老齢の主将となった。)
本法寺
千波町2367
会沢正志斎(攘夷運動の指針ともなった「新論」の著者ですが、その後、攘夷の限界を知ったようです。)
この方面は、関係者がもう少し考える必要のあるような気もします。(写真は百樹園です。)
水戸市植物公園
小吹町504 029-243-9311
薬草園(徳川光圀が「救民妙薬」という医薬書を出させています。)があります。ユリノキの花が、売店の屋上にあがれば目の前に見られます。ミッキーマウスの実が温室で実ります。
百樹園
元吉田町2618-1
ちょっと樹木が大きくなりすぎていますが、四季それぞれに楽しめます。樹皮を比較して見るのもよいでしょう。
かたくりの里公園
有賀町2053-2
本来の片栗粉の需要を満たしていたのでしょうから、昔はさぞかしあちこちにカタクリの花が見られたのでしょう。
七ツ洞公園
下国井町2243
イギリス式公園ですが、映画テルマエ・ロマエのロケ地ということで知名度があがったようです。ボランティアによる手入れがなされているようです。水の豊かな公園で、水戸一番のホタル観賞地でもあります。それにしても、名前の「七ツ洞」の横穴が、ほとんどいつも水面下というのはどういうものでしょう。
後日 天明7年(1878)に農業用水池の堤を修繕した際に岸を掘ったところ発見されたそうですが、そのまま水没させたのだそうです。今になると、水中保存遺跡といった、新しい意味づけができているようです。
茨城県立歴史館野草園
緑町2-1-15 029-225-4425
歴史館下の方の、偕楽園方面へ行くあたりにあります。どういう名前の由来かは知りませんが、変えた方がよさそうです。