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ぶらっと 水戸

水戸の見て歩き

ぶらっと歩きの風景in水戸(2-42)

2024-02-19 21:06:42 | 水戸

献花台(水戸芸術館 五軒町 1-6-8)
 2月6日に、水戸芸術館2代館長だった小澤征爾が亡くなったそうです。水戸のために力を尽くしてくださったことに感謝し、ご冥福をお祈りいたします。献花台が10日に水戸芸術館入口付近におかれたようでした。壁一面に思い出の写真が貼られていました。

 

鯉のぼり(水戸芸術館 五軒町 1-6-8)
 今開催されている、「須藤玲子:NUNOの布づくり」展の一環らしい、抽象的こいのぼりが芸術館前庭にある噴水のところにたくさんかかっていました。展覧会は、ユニークなもので、たいへん楽しめました。

 

田谷の棒術(弘道館 三の丸1-6-29)
 弘道館で、18日に田谷の棒術がおこなわれていました。農民が自衛のために身につけた武術だそうですが、刀の刃に当たらないように、横や上から刀身を長い棒でたたいて、刀を避けながら、のどや胴を突くといった技法のように見えました。藩主の前で試合をする、対試場で行われていましたが、たくさんの人たちが、正庁の濡れ縁や廊下から見物していました。技を披露する人たちは皆高齢者ばかりで、後継者はどうなのだろうと心配でした。

 

まちなかスタンド(南町2-4あたり)
 水戸まちなかリビング作戦2023で、まちなかスタンドが、歩道に設置されたようです。ひとときの休息所ということのようです。町を歩くことが楽しくなるようなしかけはいろいろ考えられそうで、これからもふえていくといいですね。

 

反射炉(小泉町36°20'27.9"N 140°34'41.8"Eから)
 小泉町で、那珂川の対岸に復元された、徳川斉昭が築いた反射炉(ひたちなか市栄町1-10)がよく見えるポイントがありました。安政5年(1858)、反射炉の前途を祝す宴の最中に、安政の大獄の始まりである斉昭謹慎の報が江戸から水戸に届き、大砲製造は中止となったそうです。さらに、藩内抗争による戦いで施設は焼失したそうです。

ぶらっと歩きの風景in水戸(2-41)

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水戸の実と種(29)

2024-02-18 20:47:54 | 水戸

ナンテン(水戸市植物公園 小吹町504)
 ナンテンは、難を転じるとみて、縁起のよい木とされているようです。赤い実は、漢方で南天実(なんてんじつ)といって、乾燥させて咳止めとして使われるそうです。実はヒヨドリの好物でもあるようです。(撮影 R5/12)

 

オオバボダイジュ(偕楽園 常盤町1-3-3)
 シナノキの仲間でなので、実には苞(ほう)というプロペラのような葉がついているそうです。樹皮の繊維は、縄や紙の原料として使われたそうです。(撮影 R5/12)

 

カリン(偕楽園 常盤町1-3-3)
 実は香りはいいものの、固くて酸味があるので、食べるのには不向きで、果実酒に使われるそうです。漢方では、木瓜(もっこう)といわれて、咳や痰に効果があるそうです。(撮影 R5/12)

 

ナワシログミ(水戸市植物公園 小吹町504)
 花の咲くのは秋で、実は、かつて稲の苗代(なわしろ)を作った頃の、5-6月に赤く熟するそうです。普通の植物では子房の部分が実になるのに、ナワシログミは偽果(ぎか)といって、他の部分が実になるそうです。熟すると食べられるようですが、おいしくはないそうです。(撮影 R6/1)

 

センリョウ(報仏寺 河和田町887)
 マンリョウ(サクラソウ科)、センリョウ(センリョウ科)、ヒャクリョウ(カラタチバナ サクラソウ科)、ジュウリョウ(ヤブコウジ サクラソウ科)、イチリョウ(アリドオシ アカネ科)という、縁起がいい赤い実の序列2番目の実のようです。赤い実は、マンリョウが葉の下側に付くのに対して、センリョウは葉の上側に穂状につくそうです。(撮影 R6/1)

水戸の実と種(28)

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水戸の工事(26)

2024-02-17 21:03:12 | 水戸

囲裏窯跡(かこえうらかまあと)遺跡(見和1)
 たぶん陶器遺跡(シートでおおっているところ)の調査は終わって、沢渡川の改修工事に伴う、沢渡川緑地公園整備工事の段階になっているように見えました。写真左上に見えるのは、アダストリアみとアリーナです。(撮影 1/3)

 

リニアック棟増改築(三の丸3-12-48)
 放射線施設棟ができるようです。死亡原因のトップで、全体の1/4であるのが癌という時代に対応する施設なのでしょう。(撮影 1/17)

 

徳川ミュージアム(見川1-1215-1)
 桜川の支流?(写真フェンス手前の中央を横切っているところです)沿いの斜面にバックフォーがありました。徳川ミュージアムの庭園は、現在少しはいったところにある茶室のあたりまでしか行けなくなっています。もしかしたら、窈窕坂(ようちょうざか)などにつながる遊歩道が造成されているのかなという、希望的観測で写真を撮りました。(撮影 2/4)

 

逆川緑地(千波町)
 笠原水道付近の木道工事が終わったようで、今度は湿性植物観察エリアにある木道の新築工事が始まったようです。ここは碁盤の目状に木道が作られていていて、グーグルマップの航空写真でもよく見えます。(撮影 2/9)

 

かわねや(大町2-1-33)
 茨城県公館跡地を常陽水産が落札して、子会社のスーパーかわねやをオープンさせるそうで、その工事が始まったようです。水戸の中心部からスーパーは姿を消していましたようですが、ようやく新しい拠点ができそうです。(撮影 2/16)

水戸の工事(25)

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水戸の馬頭観音(12)

2024-02-16 21:26:12 | 水戸

 今回は、江戸時代後期に建立された馬頭観音のいくつかです。

 

有賀町(36°23'22.6"N 140°21'15.4"Eあたり)
 文化3年(1806)、馬頭尊とあります。馬頭尊という名称は、神道と関係があるようです。年代的には、徳川斉昭(反仏教政策をおこなう)の父・治紀(はるとし)の時代ですが、伝統的に仏教に反感を持っていたらしい水戸藩では、よく使われた名前なのかもしれません。お寺の境内ではない、路傍に建てられていました。

 

楊林寺(三湯町45)
 斉昭の兄・斉脩(なりのぶ)の時代、文化14年(1817)とあるように見え、馬頭尊とあります。これは、お寺の参道脇にあります。ただ、こうした石造物は道路工事などで移動されることがあるので、もともと楊林寺にあったかどうか分かりません…。

 

吉沼観音堂(吉沼町686-3)
 文政12年(1829)とあり、馬頭観世音とあります。吉沼観音堂は、かつてあった大寺・観音寺の名残のようです。現在の拝殿に向かう参道の右側には馬頭観音碑が集められているようで、その中にありました。

 

千波町(36°21'48.2"N 140°27'41.4"Eあたり)
 斉昭の時代の嘉永4年(1851)で、馬頭尊とあります。ここには、5つの石造物が並んでいて、そのうち2つが馬頭尊(嘉永と昭和)、一つが馬頭観世音塔(昭和20年)です。

 

長福寺(塩崎町1135)
 万延1年(1860)で、馬頭観世音とあります。この年に斉昭は死去したようです。長福寺山門石段下あたりにありました。

水戸の馬頭観音(11)

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水戸の蛙(7)

2024-02-15 21:06:26 | 水戸

無事カエル(水戸警察署 三の丸1-5-21)
 水戸警察署内に、大小2匹の蛙の木彫が置かれていました。「無事カエル」という名前のようです。もしかして、免許更新の人が寄贈したのでしょうか。

 

マジバン細工(水戸市役所 中央1-4-1)
 去年水戸市役所で開催された、第12回茨城県洋菓子協会作品展で見た蛙です。専門学校生のマジパン細工部門で銅賞だった、金澤結香の作品のようです。マジパンは、アーモンド粉末と砂糖をねって作る洋菓子だそうです。白いのは、てるてる坊主なのでしょう。

 

装飾雑貨(トム英才教室 泉町2-3-5)
 入口付近に置いてある机の上に蛙がいました。3匹の蛙で、「見返る」という受験の鉄則だったりして…。

 

水盤の蛙(開江町)
 墓前に置かれた大きな蓮の葉形の水盤に蛙がいました。なんとなくにぎやかそうです。

 

郵便受け(開江町)
 口に手紙をくわえてペンを持った蛙の郵便受けがありました。蛙の郵便受けにもいろいろあるようです。

水戸の蛙(6)

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