今回は、江戸時代後期に建立された馬頭観音のいくつかです。
有賀町(36°23'22.6"N 140°21'15.4"Eあたり)
文化3年(1806)、馬頭尊とあります。馬頭尊という名称は、神道と関係があるようです。年代的には、徳川斉昭(反仏教政策をおこなう)の父・治紀(はるとし)の時代ですが、伝統的に仏教に反感を持っていたらしい水戸藩では、よく使われた名前なのかもしれません。お寺の境内ではない、路傍に建てられていました。
楊林寺(三湯町45)
斉昭の兄・斉脩(なりのぶ)の時代、文化14年(1817)とあるように見え、馬頭尊とあります。これは、お寺の参道脇にあります。ただ、こうした石造物は道路工事などで移動されることがあるので、もともと楊林寺にあったかどうか分かりません…。
吉沼観音堂(吉沼町686-3)
文政12年(1829)とあり、馬頭観世音とあります。吉沼観音堂は、かつてあった大寺・観音寺の名残のようです。現在の拝殿に向かう参道の右側には馬頭観音碑が集められているようで、その中にありました。
千波町(36°21'48.2"N 140°27'41.4"Eあたり)
斉昭の時代の嘉永4年(1851)で、馬頭尊とあります。ここには、5つの石造物が並んでいて、そのうち2つが馬頭尊(嘉永と昭和)、一つが馬頭観世音塔(昭和20年)です。
長福寺(塩崎町1135)
万延1年(1860)で、馬頭観世音とあります。この年に斉昭は死去したようです。長福寺山門石段下あたりにありました。