W A K I の気ままなトンボの目

自分流の勝手な生き方ですが、何か気付いたことを書いてみます。
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当時の暮らし 「疎開先着のみ着のまま耐え忍ぶ」

2005年03月17日 | 歴史
疎開先での暮らしは今とは比べ物もにもならないくらい質素なものであった、でも、我が家は家族全員が揃って何とか生計が立つ状態を維持していた、これは両親のおかげで周りにはもっとみじめな家庭はいくらでもあった。(今年は戦後60年、思ったままを川柳に託して、WAKIは次の世代に伝える義務があると考えている。)

WAKIの戦時体験(第3回)「暮らし」

今日もまた三度の食事芋の粥
皆がみな食べてるものも芋と粥
食べられるものは何でも食べてみた
甘いもの無くても舌は覚えてる
じゃりパンをおくれと子供正直に
配給のチケット持って列に居る
配給のケーキは切符と引き換えに
食料と交換するのも無くなって
母親は自分の分を子にまわす
折角のなんきん今日も盗まれる
松傘はかまどにくべる資源です
破れ足袋しもやけなんかあたりまえ
想い出すなすび水やり辛かった
池の水汲んでは下る土手の下
刈り入れの済んだ田圃でタニシ堀り
管制の灯火のもとでしらみ取り
しらみ飼う友に砂糖を分けてやり
子供にも欲しがりません勝つまでは
そのうちに町からグリコ消えていた

コメント
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