W A K I の気ままなトンボの目

自分流の勝手な生き方ですが、何か気付いたことを書いてみます。
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平和を祈念する日 「だからこそ不戦の誓いいまここに」

2006年08月15日 | 歴史
 きょうはあのいまわしい戦争が終って61年目、WAKIにとって忘れる事の出来ない日だ、WAKIは物心がついてかろうじて記憶のある小学校(当時の国民学校)4年生だった。家族で疎開していたが、戦況が激しくなって日本がアメリカの制空権に入ると連日空襲が行われてWAKIたちはものの2kmぐらいのところにある学校へいくのも危ないということから通えなくなってしまって近くの大きなお屋敷の門の下で勉強をした。やがて、大阪の町もB29の空襲にやられて住んでいた家も焼失した、いまの堺市の大空襲は防空壕に入りながら目の前で見た。そして、直後の焼け跡を歩いて親戚の家を探しにいった。それは地獄絵そのものだった。だから、WAKIは理屈抜きで戦争は嫌いだ、2度とこんな目には逢いたくない、毎日世界のニュースを見るたびにWAKIは心が痛む。だから数少なくなってゆく体験者は、ただしく伝えてゆく義務があると思う。
ここは昨日の枚方市駅前ロータリー・暑い陽射しのなかに親子の像が立っている、枚方市には2万3千人の小学生がいる。枚方市は1982年(昭和57年)に「非核平和都市宣言」を行っている。
コメント (2)
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