台風4号は結局大阪をそれて良かった、台風一過と言いたいが引き続いて5号も本土を伺っている。さてここは大阪駅の空中庭園から六甲山系の方向を臨んで梅田貨物ヤードをカメラの広角で撮影したもの。ウエスティンホテルや梅田スカイビルも目の前にみえる。貨物ヤード一番奥には機関車に引かれたコンテナが延々と続いている。その先頭車の位置が①でそれを光学20倍で撮影したのが②で、コンテナが積み木のように積まれて、リフトが走りまわっている。さらにそれをデジタル80倍まで引っ張ると、③先頭の機関車の運転士が写っている。手前の台車の「突放禁止」の文字も少し拡大すれば見てとれる。このような訳で、コンパクトカメラでありながら、こうして写真が撮れるので重宝している次第。
台風4号はスピードを早めながら列島を狙って北上を続けている。昨日からの予想進路はまさに近畿、大阪直撃のコースを変えていない。最大瞬間風速は45mで雨を伴っている。きょうは月例のパソコン同好会の日、準備万端整っていたがきのう22時の時点で世話人の皆さんに諮り、急遽中止を決めてメンバー全員にメーリングリストで周知した。その時の気象庁の予想は右上でその後も状況は変わっていない。雨の恩恵も良くわかるが、風も程々で被害の少ないことを祈るのみだ。
昨日は嬉しいことがあった、いまは亡き弟に初孫が誕生、すぐ近くに帰省中の母親の実家にお祝いを届けにいった母娘とも元気で何よりであった。さて昨日は父の日、日本だけの行事かと思っていたが。これはどうも世界的な行事らしい。6月の第3日曜日と決めている主な国では日本のほか中国、アメリカ、カナダ、イギリス、インド、トルコなど26ヶ国もあるのには驚いた。ちなみに母の日はというと5月第2日曜日が同じように27ヶ国で一番多い。どうも日本はアメリカに追随している感じ、いずれにしろここに自分が居ると言うことは両親がいた訳だからそのことに感謝しなければならない。スーパーの店先には子供達の個性ある作品がよせられていたし。娘からはボーナスが出たのでと気持ちが届き息子達からはお祝いの電話があった。でもWakiは自分の父親には何もした記憶がない。
きのうは大阪天保山桟橋で新たに就航する新日本海フェリー「すずらん」の見学会があった。生憎の雨模様であったが大勢の家族連れからお年寄りで賑わった。「すずらん」の仕様は表記の通りであるが全く同仕様の姉妹船「すいせん」が追っかけて就航する。車両積載台数:トラック158台、乗用車:58台である。新造だけあってプライベート重視で居住性のアップが図られている。カフェ・グリル・大浴場・サウナ・それに露天風呂・アスレチック・キッズルーム・ドッグフィールドなどがある、居室は和洋室・ツーリストからスイートルームまでさまざま。新築のマンションを見ているようだ。舞鶴・敦賀・小樽・苫小牧・新潟・秋田に就航する。元気なうちに乗ってみたい航路だ。「北海道は!!でっかいどう!!だ。」
連日新聞やテレビで報じられていたオウムサリン事件の実行犯高橋克也容疑者が東京蒲田の漫画喫茶で逮捕された。1995年3月に地下鉄サリン事件などを起し、以来17年に及ぶ逃亡生活の果てだ。忘れもしない地下鉄サリン事件のときWakiはまだ現役でたまたま東京霞ヶ関のビルに所用があって電話を入れたら、まだ社員が出勤していませんとのことで事件を知った。5月には上九一色村の教団施設内でオウム真理教教祖の松本智津夫容疑者が逮捕されるが、この時は出張で新幹線車中で逐一ラジオの実況を聴きながら上京した。どちらにしてもマンガ喫茶とか天井裏のすき間で逮捕とは往生際が悪い、大勢の人の命を奪った罪は大きい。
いつもコメントをくださるWaniさんが教えてくださったようにWakiの家はこの下に写真にケシ粒のように写っているこの鳥瞰写真は香里団地開発前の貴重な写真だ。戦前は陸軍の弾薬製造所としてこの丘陵地を利用して多くの弾薬が作られて中国の前線に送られた。そして戦後15年ほどたってこの地は国が払い下げて東洋一のマンモス団地に生まれ変わった。その団地も老朽化し、建て替えが進んで変貌中。当時入居した人も80歳前後になってしまった。いまは当時の面影はないが我が家から望める妙見山に当時の煙突がモニュメントとして残されている。画面の上の方には淀川が遠望できる。
大阪近辺で蛍を鑑賞できるところは少ない。ここは茨木市茨木インターの近く、国道171号線をまたぐ西河原公園、鬱蒼とした森に小川が流れている。近くのスーパーに車を止めて、お茶とおにぎりを買って待つこと1時間、人影はまばら、ほんとうにホタルが出るのという感じであったが、日暮れと共に目の前の小川の草むらからホタルが飛び出してきた。前の日の土日までは鑑賞会があって公園の水銀灯を消していたそうだが、この日はそれも気にならないで幻想の世界に浸ることができた。カメラの感度を上げて狙ったがやっぱりホタルの撮影はむつかしい。この公園には黒石を敷き詰めた裸足で歩く足裏のツボ刺激の「健康歩道」がある。
交野のことをとりあげて今回で3日目いささか食傷気味もあるが子供たちの作品を機会均等に紹介した。Wakiの知らないことも沢山あって実に楽しかった。むかしパリの市内を案内してくれた青年はこの辻でナポレオンがこんな戦いをした、とかいろいろ話してくれたがWakiは自分の住んでる町の昔のことを全くと言ってもいいほど知らずに恥じたことがある。郷土愛に溢れたこれらの作品は実にすばらしい。気に入ったのは「野は狩場かた野の里は歌所」(おしまい)。
枚方市の隣り交野市もこうして見ればいろんなかくれた謂れのある名所が多いのに気付く。市内には大きな長者門のある代官屋敷があるし、いつもぶどうを買いに行く神宮寺は縄文遺跡があって山の根の道と呼ぶらしい、銘酒「交野桜」は地酒でいまも蔵元が残る。免除川をたどってゆくと山頂近くの白旗池に出るここはオシドリのやってくる秘境で登山道のせせらぎにはアサギマダラが生息する。(明日へとつづく)
天の川の遊歩道を歩いて行くと道は京阪第二国道の下を抜けることになる、この隧道の壁には地元の中学生の作品が壁一面に書かれていて楽しい。歴史で教わった郷土のいわれを思いおもいにかるたに読んで作品にしている。これはその3分の1ほどだが、どの案内書よりも判りやすくて一読明解だ。由緒ある交野の町をまた巡って見たい気持ちにさせてくれる。