大阪市営地下鉄御堂筋線は乗降客の最も多いドル箱路線、ようやくホームの安全柵の工事がはじまって天王寺駅と心斎橋駅はすでに完成して運用が始まっている。でもその他の駅についてはいつから工事が始まるのか示されていない。でもここは淀屋橋駅、いずれホーム柵が設置されると思われるが、その前段としてこの駅員さんが跨いでいるように電車が近づくと点滅する電光装置が設置された、ご覧のようにホームに警告灯が埋め込んであってまだ試験運用のようではあるがその効果は絶大である、ご覧のように乗降客は増えればホームという限られた空間に階段やエレベーターやエスカレーターを設けなくてはならず歩行部分が狭くなって危険が増すといったジレンマになる。
我が家でもう10年近くになるコーヒーの木。夏場はベランダに出してやるが、冬は室内に入れて大切に育てているが、背丈はついに天井に届いてしまって2m40㎝にもなってしまって先のほうは止むを得ず剪定してやった。このコーヒーの木が3年前から実を付けるようになって毎年今の時期は新芽が出だして白い花が咲くと同時に去年からの青い実が順次真っ赤に色づいて熟す、黒くなってくるともぎ取って収穫する。しばらくして表皮が黒くなって皺のよるころにその皮をむいて貯めたのがこの皿に入れたもので、今年はあと6~70粒の収穫が見込まれる。新芽が次第に大きくなっているので今年はもっと多く取れると思わるので次はいよいよ焙煎にチャレンジしてみようと思っている。
きのうは上空にー35℃の寒気団が下りてきて予報のとおり天気は目まぐるしく変わって、ご当地枚方でも断続的に雪が舞った。もう3月半ばと言うのにいったいどうしたことか。北海道沖にある低気圧の動きが遅いこともあって西の高気圧が前に進むことが出来ずに晴れ間はしばらくお預けらしい。今日は東北大震災から4年目、復興は進んでいるというものの遅々として進まない、多くの犠牲になられた方々のご冥福を祈るとともに、被災された方々の暮らしが一日も早く元に戻られることねがいます。
毎日スーパーへ買い物にいって売り場を覗くと春の近いことが手にとるように分かる。魚売り場のいかなごは日毎に大きくなってかますごは10センチ以上に成長して食べごろだ、一方釘煮に最適のものはk当たり1580円もしてまだ少し高い、作るとなると他に醤油や砂糖に水飴を入れたりするので結構高くつく。塩分や糖分が多いので最近は敬遠しているが、やはり春のごちそうだ。でも今年のいかなご漁はどうも不漁のようだ。隣の野菜売り場では菜の花や熊本産のタケノコが並んでいた
このところ季節の変わり目で天気が一向に安定しない。降ると思って傘を持って出たら降らなかったり、逆に傘を持たずに出ると雨に打たれたりと予報がずれたりする。いつもの乗り換え駅の売店は、晴れの日は奥の方に1~2本が置いてあるだけだが、雨が降りそうになると、すぐに一番前のめだつ所に傘が並ぶ。一時話題をさらった100円傘も今では540円だ、100円傘は確かによく壊れたが、こちらはどうだろう。これから春一番が吹いてお水取りも済めばようやく春だ。
季節の移り変わりは正直で、啓蟄が終わってきのうは田畑を潤す小雨が降り続いた。団地には戸建ての庭のある住宅も沢山あってあちこちの梅の花が美しく咲きだして、我々の目を楽しませてくれる、冬のあいだ寒さに絶えて縮こまっていた枯れ木も若芽をつけてほのかに色づいて次の出番を待っている、次に控えているのがユキヤナギだがまだ白い花には少し早い。
ここは大阪市内のとあるマンションの前、生活ごみの容器が置かれて乱雑になっていて管理人さんがほとほと困っている様子が伺える。でも良く見ると本来人が生活する以上必ず出るのが生活ごみ、どうももともとマンションの敷地内にゴミ置き場にスペースが確保できていなかったのが問題では無かったからではと思える。ゴミのコンテナが道路にはみ出しているのも気掛かりなことだし、自転車も同様だ。確かに条例でゴミスペースや駐輪場はマンション敷地内に確保が義務付けられているはずだが、当分この管理人さんの悩みは消えそうもない。
きのうはいつものスーパーマーケットの冷凍食品のコーナーに日清食品の元祖「鶏ガラチキンラーメンおにぎり」を売っていたのでどんなものかと買ってきた、2個パックに入っていて値段は198円であった。調理はレンジでチンの至って簡単、はたしてどんな味がするのだろうか。WAKIの脳裏にはチキンラーメンと聞いただけであのチキンのスープの味が思い浮かぶ。でもこれからがメーカーの試練だ、期待通りで値頃感があればお客さんはリピーターに成り得るが、そうでなければ投資の費用も回収できない大損で担当者はやきもきしていることだろう。
全く個人的なことで申し訳ないが、ここは地下鉄岸里駅近く、国道26号線と交差する南海高野汐見橋線の高架橋、WAKIが物心ついたころにはすでに存在していた。戦前からこの形で今も残っている。戦時中は鉄と言う鉄はすべて供出の対象になって街から無くなっていったがこの橋は完全に残って昔のままだ。だからこの橋をくぐるたびに昔を思いだす、戦中疎開先が北野田でよく用事を仰せつかって西天下茶屋間を往き来した、ませた子供であった、今は1時間に2本の電車が走る、それにしても国道の幅いっぱいに良く設計されたものだ、と思って考えていたら丁度南海電車が轟音を響かせて通過していった。調べてみたら南海高野線は1900年(明治33年)に開通この橋脚は1915年(大正4年)ごろに造られているだから地区100年の代物だ。
京阪電車枚方公園駅の踏切を通ろうとしたらすぐ脇の看板が目についた、内容は寝屋川市駅から枚方市駅間の線路の連続立体交差化事業のお知らせで、関係する地権者への告知の看板であった。この間は平面交差の場所が十数箇所もあって改善が望まれていた、完成時期は平成43年3月だから14年もかかる気の長い話だ。以前大阪市内での阪和線の高架化工事を見てきたが当時700億円という話をきたが今では市内の慢性的な交通渋滞は解消したし痛々しい人身事故は皆無になった。枚方公園駅の踏切では今もラッシュ時には開かずの踏切り状態になって事故にならねばと心配する。