「体験格差」という言葉を初めて聞いたのは長男からです。
子育てに「経済格差」と「教育格差」がついてまわるのは知っていたけれど、最近は「体験格差」という要素も加わるらしい。
「うちもそれを意識して、いろんなところに連れ出してるんだ」と長男。
この夏は、旅行2回・海水浴1回・キャンプ1回を計画したようです。
グーグルフォトにアップされた、たくさんの家族行楽写真。
どの写真にも、家族4人の笑顔がはじけています。
「いいな...、それにくらべてマメは...」とへこむわたしです。
*共働きの長男家庭とちがって、娘一家にはあまり経済的余裕がない
*娘も婿さんも、あまり「お出かけ好き」ではない
という理由で、マメには「体験」の機会が少ないのです。
(長男宅の7歳と5歳の女児にくらべたら圧倒的に。)
困ったなぁとモヤモヤしていたところ、数日まえ、朝日新聞「声」欄の投書が目にとまりました。
「体験格差 何が幸せか人それぞれ」と題した一文です。
体験格差を喧伝する風潮に疑問を呈しつつ、こんなふうに書いています。
<私は小学校時代、親がアウトドア派ではないので、長い休みもキャンプや海水浴、温泉には行かず家で過ごした。でも近所のプールに父と通ったこと、昼寝から覚め母が作ってくれた麦茶を飲んだこと、いとこが東京に帰る日にシーソーで日暮れまで遊んだ切なさを覚えている。ささやかだが大切な思い出だ。>
<どこに出かけたか、何をしたかに一喜一憂して、よその家庭と比べる必要はないと思う。>
勇気づけられました。
ついつい長男一家に気圧されがちな自分をいましめました。
どこにも出かけなくとも大丈夫。
婿さんはあんなにも愛情いっぱいのパパだもの。
家の内外で倦むことなく子どもと遊ぶパパだもの。
それに、足りないところをわたしが補完しているもの。
この夏、
定番お出かけ先であるふたつの図書館に、せっせとマメを連れていきました。
わたしが絵本をえらぶあいだ、マメはテーブル席でお絵描きなどします。
または、棚の絵本を手にとって、何やら読むふりをします。
(娘は雑誌コーナーでファッション誌など見ています。)
併設のカフェでおやつを食べたあとは、すぐそばの公園や水遊び場でたっぷり遊びます。
家に帰ったら、借りてきた絵本を読み聞かせます。
市営プールデビューも果たしました。
二か所のプールに何度か連れていきました。
浮き輪でプカプカ、気持ちよさそうなマメです。
その合間には難聴教室もあったし、
3泊4日のばあば宅訪問もあったし、
おじちゃん宅でのプール遊びもあったし、
大丈夫、マメの夏は充実していたわよね。
自分に言い聞かせて、何とか安心しています。