気まぐれフォトダイアリー

富士山、風景、身近な花の写真ブログです。読んだ本の感想も載せています。
最近は回想ブログが多くなりました。

通販の衣料でまた失敗

2021年12月17日 16時01分57秒 | Weblog
通販で衣料品を買った。

新聞のチラシに出ていたからだ。

以前も、衣料品を買って何度も失敗をしている。



チラシで見た感じはよいけれど、

今度もおなじかな?


寒くなって着る上着2枚組。


注文してみた。


来た。


段ボール箱を開ける。


あぁ~!

ショック!

見た目とだいぶ違う。

返品も面倒だからそのままにした。


いつまで経っても懲りない私。


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運転免許高齢者講習

2021年12月15日 19時39分15秒 | Weblog
2021年12月15日(水)

今日、自動車教習所に運転免許高齢者講習に行ってきた。

70~74歳までの人が運転免許更新の6か月前に受けるのだそうだ。

どんななのか心配だった。


講義と視力の検査と、実際に教習所内を走ることだった。

指導員にいろいろ注意された。


次は75歳以上になったら、認知症の検査もあるし、いろいろ厳しくなるようだ。


心配だな。

田舎なので、車に乗れないと困るし、

いろいろ考えてしまった。




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「踏み間違い急発進防止装置」の誤作動? 怖かった!

2021年12月05日 13時22分38秒 | Weblog



2021年12月4日(土)

今日は車に乗っていて、とても怖い思いをした。

自分の記録のために書いておこうと思う。


家の事情で、以前いつも乗っている車を出し、ほかの車に乗り換えた。

以前乗っていた車には「踏み間違い急発進防止装置」をつけていた。

5年くらいはそれで、とくに問題もなく乗れていた。

ただ、高速を走った時、スピードが80キロくらいしか出なかったり、坂道であまり力が出なかったくらいの問題だけだった。


今度乗り換えた車にも、アクセルとブレーキを踏み間違えたりすると困るので、前の車と同じように「踏み間違い急発進防止装置」をつけてもらった。



装置が付いて車が来たのは1週間くらい前のことだ。

今日までは、家の近回りだけだったが私も夫も普通に乗っていた。


今日、買い物があったので、夫が運転して、一緒に隣町まで行ってきた。

その帰りの事だった。



国道が一方通行になっていた。

みると、マラソンだった。

警察も出ていて、三叉路の信号は消えていて、警官が手信号で合図をしていた。

マラソン走者が走り終わるまで、車はずっと停められていた。


走ってよい合図が出て、前の車から順に走り出したが、我が家の車は動かない。

エンジンは切れていないし、スピードが全く出ない。

信号で大きく右折をしなければならない。

どうしようかと思った。

夫がアクセルを踏んでものろのろとしか車は動かない。

後ろに車は詰まっている。

さらに後ろに警官はいるだろう。


やっと何とかのろのろ右折して、

ハザードランプを出し、左に停めた。

車がどこからか小さな音がなっている。

私が運転していたのではないからわからなかったが、

夫が「踏み間違い急発進防止装置」を切るボタンを押したのだという。

そのボタンを押せば、普通の運転に変わると修理工場の人から聞いていた。


押してもスピードが出ない。

私が、「一度エンジンを切って、もう一度かけなおしたら」と言って、

その通りにしたら、やっと普通に車が動き出すことが出来た。


そのまま、土曜日だったけれど、直に修理工場に行って、工員に話をした。



月曜日に家に車をとりに来てくれることになった。

装置を付けたメーカーに問い合わせるという。



車が動かなくなったときはパニックになってしまったけれど、

後でよく考えると、あの「踏み間違い急発置進防止装置」が誤作動をしたのではないかと思う。

車が動いていないのに、

逆にスピードが出なくなってしまったのだから。



こんなことでは「踏み間違い急発進防止装置」をつけるのではなかったと後悔した。

とても怖い思いをした。


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今日は武田信玄公500年目の誕生日だそうです。

2021年11月03日 11時52分07秒 | Weblog
500年前、1521年の今日、11月3日は、武田信玄公の誕生日だそうです。

生誕500年だそうです。


以前書いた武田神社のブログを探しました。

有名な「孫子の旗」を公開していたので、見に行った時のブログです。







(15:28)

2018年1月7日

武田神社に初もうでに行ってきました。






「孫子の旗」もここにありましたが、これは当然本物ではありません。

本物の「孫子の旗」は宝物殿に展示されていました。











能舞台です。










この写真は2008年3月11日に市川亀治郎さんがこの能楽殿で奉納の舞を舞った時の写真です。








手水舎です。





















宝物殿にて風林火山の軍旗、「孫子の旗」が特別公開されているので、見てきます。









拝観料は300円でした。

中は撮影できなかったので、パンフレットをスキャナーで撮りました。





「孫子の旗」です。

戦場でこの旗を見ると、敵方が恐れをなしたといわれています。

まじかで見るだけで緊張しました。






信玄公の持っていた軍扇もありました。

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ちょっと感動した事♪

2021年10月29日 11時13分26秒 | Weblog
昨日のことだった。

急に用事が出来て、車で隣町に行った帰りの事だった。


コンビニのそばの国道で、押しボタン式の信号が赤になった。

当然停まって待っていた。


信号を渡りかけたのは、小学校中学年~高学年くらいの女の子たちだった。

三人だったと思う。


二人は信号をそのまま渡ったが、最後の一人の高学年らしき女の子が、車の方を見て、きちんとお辞儀をした。

車を停めていてくれたお礼らしかった。



びっくりした!


思わず私も頭を下げた。


車の中で、ガラス越しだったから、相手の女の子にわかったかどうかわからないけれど、


礼儀正しくて、驚いたし、感動した。


「えらいなぁ~!」と思った。


こういうことは学校の教師が教えるのだろうか?

教師も偉いよなと思う。


しばらく心がほのぼのとした。


赤信号で車は停まる。

当然の事なのに、お礼に頭まで下げてくれた、昨日の女の子に


「ありがとう」と心から感謝した。


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知り合いのおばさんが亡くなった

2021年08月17日 19時28分32秒 | Weblog
お盆になる少し前、お墓の掃除に行った。


近くのお墓で石材店の人が墓誌に戒名を彫り込んでいるのが目についた。

知り合いの石材店の人だったので、どこのお墓なのか聞いてみた。


私の知っているおばさんの家のお墓だった。

彫っている戒名はおばさんの戒名だった。


亡くなったのは7月の末。

知らなかった。


亡くなった年は89歳と彫られていたので、普通で言えばそれほど早く亡くなったのではないかもしれない。




このおばさんと私が知り合ったのは、もう20年ちかく前だろうと思う。

同じ町内に住んでいたので、顔だけは知っていたが、それまで深く話したことはなかった。



市のパソコンの講習会に参加した時だった。

私はパソコンを覚えなければならなかったし、

顔だけは知っていたおばさんも参加していて驚いた。


当時のおばさんの年は、60代後半だったのではないかと思う。

普通のおばさんだったし、とてもパソコンをするようには思えなかった。



何度か講習会で、おばさんと話して驚いたことがある。

おばさんはパソコンが好きなのだという。

別に仕事のためとかではないらしい。


パソコンに触れたきっかけは、

息子さんが使わなくなったパソコンをくれて、

「電源の入れ方と終了の仕方だけ教えるから」

と、言ったのだそうだ。


そのあと、自分でいろいろいじってパソコンを使えるようになったのだという。

最初のパソコンの次は、ネットで購入し、自分で立ち上げたといった。


メールもするし、ホームページも立ち上げたと言った。

おばさん曰く、「私は物好きだから」


私は聞いてびっくりした!


いくら物好きでもおばさんの年で、パソコンを最初からたちあげる人はそんなにいないのではないのかな?


私と言えば、電気店でパソコンを買って、全部立ち上げてセットしてもらわなければ使えなかった。




その後、時々、散歩でおばさんに行き会うことがあった。

いつもにこにこして感じのいい人だった。




1年ぐらい前だろうか?

おばさんの近所の人に聞いた話では、おばさんは自分の家の近くの道路で交通事故にあい、救急車で運ばれたと言う。


その後はどうなったのか気になっていたが、

やはり亡くなってしまったようだ。



また知り合いがいなくなってしまった。



家に帰って、パソコンを開いた。

市の講習会の当時、おばさんから教えてもらったメールのアドレスがあった。

当時は、おばさんと何度かメールのやり取りをしたことがある。


もう使われることのないアドレス、

削除した。



なんとも言えないさみしさが残った。



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しっかりした子どもさん

2021年07月31日 22時53分43秒 | Weblog
2021年7月31日(土)

今日、近くのスーパーに買い物に出かけた。


駐車場で、車から降りて、お店に向かう時、少し先を小学校1年生か、せいぜい2年生くらい男児がリュックを背負って歩いているのが見えた。


わき目も降らずまっすぐ歩いている。


学校から家にでも帰る途中なのかと思って、なんとなく見ていた。


ところが、家ではなく、スーパーの入り口に向かっていた。

私はこのくらいの年では普通は母親と一緒だと思っていた。


入り口に入り、カートを探して、きちんと消毒までしていた。

親に教わっているのだろう。


驚きましたね!


お店の中までは見なかったけれど、カートを押して、一人で買い物をしているようだ。


しっかりした子供さんだな。

ご両親もさぞしっかりした人たちなんだろうと、自分の子育て時代を思い出し、恥ずかしくなってしまった。


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ミステリーの女王 アガサクリスティー(回想)

2021年07月11日 18時10分57秒 | Weblog
2009年5月12日


もう1週間くらい前になるだろうか。


NHK BSハイビビョンで、世界の歴代のミステリー作家についての座談会をしていた。



ポー、エラリークィーン、レイモンドチャンドラー、アガサクリスティーについてだったと思う。



私は子供の頃から、探偵小説が好きだったので、録画をして後で見ることにした。



ポーは子供の頃読んだ「黒猫」くらいしか知らなかった。


読み終わったとき、とても怖かった記憶がある。



エラリークィーンは大人になるまでに何冊か読んだ。


「Xの悲劇」「Yの悲劇」など・・・


もう内容はほとんど覚えていない。



ここで驚いたのはエラリークィーンは一人の作家ではなくて、従兄弟同士の二人の人間だったということだった。


二人で一つの小説を書くなんて、難しいだろうなぁ~と思った。




いや、待てよと、私はふと別のことが頭をよぎった。


エラリークィーンを二人で書いていたのは、以前に本の解説で読んだことがあるはずだった。


私が覚えていなかっただけだ。


何と私の頭は、あやふやな記憶なんだろう・・・


こんなで大丈夫だろうかと、心配になってしまった。




それはさて置き、私が特に気になったのはアガサクリスティーについての座談会だった。


アガサクリスティーの小説はとても好きで、何冊か分らないが、大人になっても読んでいた。


最初に読んだのは中学生の頃だと思う。


子供用に書かれた「アクロイド殺し」だった。


これは意外な人間が犯人だったので、子供心に驚いた。


その後、「オリエント急行殺人事件」や「ミスマープルの事件」など色々読み、そのたびに結末に驚かされた。



テレビの座談会でも話題になっていたが、私がクリスティーの作品の中で、一番衝撃を受けた小説がある。


それは「そして誰もいなくなった」だった。


これは当時、何の予備知識も無く読んだからか、読み終わったときは本当に驚いた


アガサクリスティーが「ミステリーの女王」と呼ばれる訳が分るようだった。


世の中には、すごい人がいるものだと感心した。




このクリスティーも、ある時期蒸発したことがあると言う。


裕福な家に生まれ、何の苦労も無いように見えても、色々な悩みもあったらしい。


ミステリーの女王クリスティーでさえも人間なんだと、なおさら親しみを覚えた。




私も最近は本をあまり読まなくなってしまったが、録画した座談会を見ていて、

一時期クリスティーのとりこになり、夢中で小説を読み漁ったことを思い出し、とても懐かしかった。



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近所の100歳のおばあさん(回想)

2021年06月25日 17時51分38秒 | Weblog
2012年6月〇日



私の近所に今年100歳のおばあさんが住んでいる。



もうかなり年なので、一体あのおばあさんは何歳になるのだろう?と、近所のおばさんに聞いてみたら、

「今年100歳になったよ」と教えてくれた。


わぁ~、すごい!
びっくりした。

かなり高齢だとは思っていたが、まさか100歳とはね・・・


今は独身の60代の息子さんと一緒に住んでいる。

おばあさんが今でも家事をしているそうだ。

洗濯物を時々干しているのを見かけたことがある。


おばあさんは、かなり前から耳は遠かったが、とてもしっかりしている。

時々あばあさんの家の前を通る時、行き会って挨拶をすると、ちゃんと頭を下げてくれる。

私が誰だかわかっている。

ただ耳が遠いので、話は出来ない。

なぜかといえば、大きな声で話をすると、そこらじゅうに響き渡るので・・・


私が知っている限り、おばあさんは早くにご主人を亡くした。

子供さんは5人いたのだと思う。

それ程裕福な家だったとは思えないので、本当に大変な子育てだったと思う。

当時は、今の様な母子手当ては無い時代だ。

小さな畑で農業をしていた。

子供さん達は皆真面目で、中学を卒業して働きに出た。


「100歳になったので、家族でお祝いをしたそうだよ」と、近所のおばさんが言っていた。


元気で100歳。

すごいことだと思う・・・ 






おばあさんはこの5年後105歳で亡くなった。

ご主人に早く死なれ、私には想像できないほどの苦労をしたと思うけれど、良い子どもたちに恵まれて、

幸せだったと思う。


ご冥福をお祈りします。




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ヘメロカリスの蕾

2021年06月14日 11時24分53秒 | Weblog
庭のヘメロカリスの蕾が出て来ました。
スマホから。




スマホからブログに載せる練習です。

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お誕生日 ソング/ピアノ Birthday / Piano

2021年04月24日 17時48分04秒 | Weblog
お誕生日 ソング/ピアノ Birthday / Piano





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「ドクトルジバゴ」を見て

2021年02月08日 11時04分01秒 | Weblog
2021年1月28日bsプレミアムで「「ドクトルジバゴ」を放送した。



この映画は1965年の映画で、映画では見なかったと思うけれど、何年か経って多分DVDで見たはずだった。

ロシア革命の時の映画で、今ではあまり内容を思い出せなかった。


気になった映画だったので、録画して撮っておいた。

時間は3時間21分、長い。



ユーリ役のオマーシャリフはアメリカ人かと思っていたが、エジプト人らしい。

意外だった。



ウィキペディア 「ドクトル・ジバゴ1965年の映画」



広大なロシアの風景が出てきた。

ユーリ役のオマーシャリフがとても印象的だった。

大まかな内容は大体わかったが、細かく理解できなかった。

そのうちもう一度みようかなと思う。



「ラーラのテーマ」が若いころから好きだった。

壮大なドラマだなぁと思う。


ユーチューブから載せてみる。


「ドクトル・ジバゴ」のサウンド・トラックから Doctor Zhivago SoundTrack  Maurice Jarre




RAY CONNIFF AND HIS ORCHESTRA "SOMEWHERE MY LOVE" (LARA'S THEME) OMAR SHARIF TRIBUTE, HD




Maurice Jarre - Dr. Zhivago 'Lara's Theme' (Unutulmaz Film Müzikleri 2015 / 1080p HQ) Mu©o




Doctor Zhivago / ドクトル・ジバゴ - ララのテーマ 1965



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父親の命日に思う

2021年02月01日 12時36分16秒 | Weblog
昨日は父親の命日だった。


父親が亡くなったのは、数えるともう42年前になる。


何日か前から父親のことを思い出していた。

私が子どもで記憶が残っている限り、

私をとてもかわいがってくれた。


今思うと、珍しい人だなと思う。

小さいころ、どこに行くのにも一緒に連れて行ってくれた。

おかげで、遠くの親戚の人ともかなり知り合いになれた。


農家だったので、畑に行くときも必ず連れて行ってくれた。

畑に行くときは背中に荷物をのせる背負子(しょいこ)を背負い、そのうえに小さな私を肩車にしてのせていった。

これをみた近所のオジサンが、すごい力だねぇ~と驚いていたのを思い出す。


大きくなってから、かわいがってくれたことはわかっていたけれど、

そのほかのことで、束縛されたりしたので、

かわいがってくれたことには、あまり感謝の気持ちがなかった。


私は父親の実子ではない。

父夫婦に子供がいなかったので、昔の農家では困ったらしく、弟の子供を引き取った。

話せばとても入り組んでいるので、ここでは書かない。


成長するにしたがって、私の親は本当の親ではないと、知らず知らずわかった。

我が家が本家になるので、親戚の人の集まりの時など・・・

まだ3歳か4歳の子どもの頃だと思う。

無神経な親戚のオジサンだったと思うが、○○は兄貴の弟の子供だと言っているのが聞こえた。


その時、子供心にものすごいショックを受けた。

胸を刃物で刺されたような気がした。

子どもだって、言われたことはわかる。

無神経なことは言わないことだ。




時代は流れ、

元気だった父親は、がんになった。

何度か入院して、手術をしたりしたけれど、もう余命が少なくなり、

近くの病院に入院していた時のことだ。


看護婦(当時)さんが父親のそばに来た時、

「○○さんは子供さんは娘さん一人ですか?」と聞いた。

父親は「私の親がたくさん子供を産んだので、私にはこの子一人しか生まれなかった」

と答えた。


その言葉を聞いた時、私は涙が出るくらいうれしかった。

私は子どもの頃から、実の親でないことは知っていた。

けれど、父親は私を本当の子供と思っていてくれたのがよく分かった。



私ももう父親の亡くなった年に近くなってきた。

父親が私を大事にしてくれたことに、改めて感謝の気持ちを持った。



気づきが遅く、バカな人間だよなと思う。

だいぶ遅くなってしまったけれど、私を大事にしてくれて、ありがとうお父さん。



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叔母さんが亡くなった。

2021年01月24日 11時56分43秒 | Weblog
親戚の叔母さんが亡くなった。

96歳だったそうだ。



我が家が実家で、父親の兄弟姉妹で一番下だ。

父親の兄弟姉妹では、最後の人だった。


実家には、年取ってからも、先祖の仏壇にお参りに来た。

叔母さんにとって両親が懐かしかったのだと思う。


私にはとても親しくしてくれた。

細かくは語れないが、

嫁に行き、若いころはかなり苦労をしたようだ。


葬儀の時、喪主の長男が言うのには、とても気の強い人だったと言っていた。

気が強いくらいだから、頑張って来れたのだと思う。



子どもも孫も立派に育てた。

偉い人だなと思う。

とても私にはまねができない。



家に帰って、叔母さんの代わりに仏壇に線香をあげた。


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連絡がついてよかった♪

2021年01月06日 22時43分37秒 | Weblog
毎年、年賀状を出し合っている友達がいる。


もう50年ぐらいになる・・・


Sちゃんと呼んでいる短大時代の友達だ。

外国旅行が好きで、毎年あちこちの国で撮った写真が載っている。


いつも元旦にもらっているのに、今年は来ていなかった。


何日か経てば来るだろうと、待っていた。








来ない。


どうしたんだろう?


気になった。


具合でも悪いのだろうか?


友達なんだけれど、最近は電話もしたことがなかった。


いつも年賀状を見て、「あぁ、げんきでいる♪」と安心していた。


あまり気になるので、住所録を探し、Sちゃんの電話番号にかけてみた。


電話はつながったけれど、留守電のようだ。


メッセージは入れられなくて、ファックスの方は・・・とか言っている。


留守なのだろうか?



次の日もう一度かけてみた。

何度かの呼び出し音の後、Sちゃんの声がした。



Sちゃんも私をすぐわかってくれた。


「よかった、元気でいてくれて」

sちゃんに年賀状のことを話すと、年賀状は出してあるという。


それだったら、きっとどこかの家に誤配されたに違いない。


しばらく、近況を話し合った。


もうお互いに年だし、とにかく元気でいてよかったなと思った。



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