人間関係において相手より優位に立って事が展開されること
…に快感や自身の精神的安定感、調和感が得られる。
この心理が人のプライドの起因と考えることができ、
「支配欲」を源泉とする行為と考えることができる。
・・・・・・「支配欲」???
言葉としては聞きますが、実生活上では実感がない言葉ですね
普段の対人関係において、相手を支配したいとは普通思いませんから
思うことが仮にあったとしても、異常な人間関係しかイメージできません。
「相手より優位に立って事が展開されること」
…これは、信頼されたい、尊敬されたいという心理と解釈できるから
「名誉欲」のイメージが近いのかもしれない。
日本語だからかもしれないが「名誉」という言葉の響きに少し違和感はあるが、
おおざっぱなくくりでは「社会生活適合欲」「社会生活調和欲」のような表現に含まれる。
多くの犯罪心理や動機を「社会生活不適合」と言い表すことができることと関連する。(※「社会生活適合欲」「社会生活不適合」は、私の造語であり、学術的用語として見たことはない。「社会生活」の「適合」「調和」とは対人関係が良好な状態にあることを基盤とした全ての活動をいう)
もう少し続けましょう。
生物の多くが種の保存のために「闘争本能」がある、ということと並列して、「人には闘争本能がある」といえる。しかし、闘争本能単独で理解するのでなく、真逆の不闘争、不戦意識もある。種の保存、社会生活適合という目的をもって。
だんだん言葉が揃ってきましたね
人は相手より優位でいたいために相手を攻撃するが、これによって、信頼されたいという思い(侮辱されたくないという気持ち)が動機としてあるにもかかわらず、逆の効果を生むことに気がつく。
難しくなるから、例え話で書いてみましょう
学校、暴力的な生徒・・・というシーンで。
威迫・恫喝、規則違反、無反省、窃盗、暴力など、これが極端なイメージであれば、単に相手を恐れさせる言動の生徒
もちろん教室中の生徒は嫌っている。
この生徒は、社会生活の中で、自分はどうありたいのか?
尊敬されたいと思っている・・・→侮辱されたくない
信頼されたいと思っている・・・→馬鹿にされたくない
このパターンを「同義反転認識」と表現してみよう
この思考が攻撃的言動の構造、ということにしよう
侮辱されたくない、馬鹿にされたくない・・・→攻撃的言動
ここまで書けば、対策は誰でも言える
逆の思考パターンを当人とディスカッションするというコーチである
馬鹿にされたくない…→信頼されることをする…→協調的言動
社会生活の中で、相手になめられないように威圧的な言動をすることで、
相手が怯える外観を、自分の強さと勘違いしてしまうことを、
理解させることである。
相手に馬鹿にされないように、侮辱されないように、なめられないように、
と過剰な意識を持つことがある。相手が攻撃的である場合などである。
単独で関係妄想的、又は被害妄想のような心理から相手に攻撃的になる場合もあろう。過剰なものは病気として治療の対象であるかもしれない。
皆がそういう心理状態にならないのはなぜか?
理性!という意見も出るかもしれないが、否!体験である。体験からの学習。
プライドの拠り所として、自己の崇高な目標設定があって、継続的な努力や精神的充実を伴う活動がある場合は、自分も相手も冷静に観察できる。
威圧的な言動で自己を守る必要もない。
威圧的な言動で自己を守ることはできないことを知っている。
むしろ、威圧的な言動をしないことをプライドとする意識も生まれる。
あしたにつづく
…に快感や自身の精神的安定感、調和感が得られる。
この心理が人のプライドの起因と考えることができ、
「支配欲」を源泉とする行為と考えることができる。
・・・・・・「支配欲」???
言葉としては聞きますが、実生活上では実感がない言葉ですね
普段の対人関係において、相手を支配したいとは普通思いませんから
思うことが仮にあったとしても、異常な人間関係しかイメージできません。
「相手より優位に立って事が展開されること」
…これは、信頼されたい、尊敬されたいという心理と解釈できるから
「名誉欲」のイメージが近いのかもしれない。
日本語だからかもしれないが「名誉」という言葉の響きに少し違和感はあるが、
おおざっぱなくくりでは「社会生活適合欲」「社会生活調和欲」のような表現に含まれる。
多くの犯罪心理や動機を「社会生活不適合」と言い表すことができることと関連する。(※「社会生活適合欲」「社会生活不適合」は、私の造語であり、学術的用語として見たことはない。「社会生活」の「適合」「調和」とは対人関係が良好な状態にあることを基盤とした全ての活動をいう)
もう少し続けましょう。
生物の多くが種の保存のために「闘争本能」がある、ということと並列して、「人には闘争本能がある」といえる。しかし、闘争本能単独で理解するのでなく、真逆の不闘争、不戦意識もある。種の保存、社会生活適合という目的をもって。
だんだん言葉が揃ってきましたね
人は相手より優位でいたいために相手を攻撃するが、これによって、信頼されたいという思い(侮辱されたくないという気持ち)が動機としてあるにもかかわらず、逆の効果を生むことに気がつく。
難しくなるから、例え話で書いてみましょう
学校、暴力的な生徒・・・というシーンで。
威迫・恫喝、規則違反、無反省、窃盗、暴力など、これが極端なイメージであれば、単に相手を恐れさせる言動の生徒
もちろん教室中の生徒は嫌っている。
この生徒は、社会生活の中で、自分はどうありたいのか?
尊敬されたいと思っている・・・→侮辱されたくない
信頼されたいと思っている・・・→馬鹿にされたくない
このパターンを「同義反転認識」と表現してみよう
この思考が攻撃的言動の構造、ということにしよう
侮辱されたくない、馬鹿にされたくない・・・→攻撃的言動
ここまで書けば、対策は誰でも言える
逆の思考パターンを当人とディスカッションするというコーチである
馬鹿にされたくない…→信頼されることをする…→協調的言動
社会生活の中で、相手になめられないように威圧的な言動をすることで、
相手が怯える外観を、自分の強さと勘違いしてしまうことを、
理解させることである。
相手に馬鹿にされないように、侮辱されないように、なめられないように、
と過剰な意識を持つことがある。相手が攻撃的である場合などである。
単独で関係妄想的、又は被害妄想のような心理から相手に攻撃的になる場合もあろう。過剰なものは病気として治療の対象であるかもしれない。
皆がそういう心理状態にならないのはなぜか?
理性!という意見も出るかもしれないが、否!体験である。体験からの学習。
プライドの拠り所として、自己の崇高な目標設定があって、継続的な努力や精神的充実を伴う活動がある場合は、自分も相手も冷静に観察できる。
威圧的な言動で自己を守る必要もない。
威圧的な言動で自己を守ることはできないことを知っている。
むしろ、威圧的な言動をしないことをプライドとする意識も生まれる。
あしたにつづく