雑談(夫婦間のプライド)

2009-12-14 23:09:54 | 正しく愛す
優越感や劣等感を考えていく過程で、男女間のプライドに視点がいくはずである。


恋人関係の感情は、大きく羽を広げてメスを誘う孔雀で例えなくても、
虚勢で示威行動する関係から始まる場合が多いのかもしれない。

お互いによく見せようとするのは当り前で、大げさには種の保存本能にまで。

双方がお互いを観察する時間が多くなると
恋愛感情も成熟してくる。

お互いの長所・短所をあるがままに受容れる気持ちになってくることがある。
それで、恋愛から愛情に、恋人から夫婦に近づいてくる。
お互いに人格的な評価をして、結婚する・・・。

さて、結婚してからの立場
夫として、父親として
妻として、母親として

各々の立場というのは、各々の役割分担の評価をし合う、という関係が始まるのかもしれません。

役割分担の評価が始まるといっても、人格的な評価の一部であり、役割の認識に人格的なものは反映するはずです。

自分自身が理想とする状態への到達度で、自分自身の劣等感や優越感があるとすれば、その基準を夫婦の相手となる配偶者に求める。


<アングル変更して>


「相手に自分の理想を求める」
夫や妻としての理想をお互いに抱いている。
これがズレていると摩擦の原因となるが、
理想に届かないと劣等感という公式を相手に当てはめると
自分の理想に届かない相手を見下す、という自分の優越感につながる。

家庭という共同作業の作品を、夫婦が役割分担して作る。
共同作業者、協力者という関係と、相手の評価者という関係で
優劣を監視する。

お互いに異なる優越した部分を主張するプライド、これが衝突する。
この関係を認識した上で、
「だからこそ、足らず部分を補い合う関係が夫婦」という認識が…できるかどうか。


よく聞く、夫婦の愚痴やボヤキ、
「腹立つわ!」って…プライドなんですね


まだまだ続きがあるんだけど…一旦は



弱さとプライド10

2009-12-14 12:30:15 | 正しく愛す
「成熟した劣等感」・・・ということは「未熟な劣等感」と対比することになるが


劣等感と言う言葉はどういう状況で使われているのでしょうか


劣等感を抱く
劣等感にさいなまれる
劣等感で自信がない
劣等感から内にこもる
劣等感で悩み苦しむ
劣等感からの虚勢



劣等感を克服する
劣等感は成長や発展の原動力


人の社会性から考えるに、
発生的に誰もが抱くであろう感情としてあるもの

他人との比較と、自分自身が抱くあるべき理想との乖離から
自分自身で感じたり、感じさせられていると思う感情

この段階では、悩みます。能動的に問題解決する発想はできません。
外部の環境や他人に責任転嫁して、感情が被害妄想的になったり、
攻撃的になったりします。

ところが、あるキッカケや出会いによって、
そうした自分自身を客観的に見つめることができると、
克服するためにはどうすればよいのかという思考が生まれます。
他人への責任転嫁をやめ、自分自身の問題として立ち向かい、
何かしらの成果が得られると、自信となります。
同時に他人への攻撃性が薄れることになるでしょう。


この段階の劣等感は、あるものとして受容れる存在となっています。
「成熟した劣等感」と表現します。
内容によっては、消滅して克服したという優越感に転じることがあるかもしれません。
それが過ぎると今度は、奢れる優越感が自己嫌悪の劣等感に転じる・・・優越感と劣等感は螺旋的に進捗する・・・



自分自身の心理を客観視することがポイントなのかもしれません。

劣等感に対する認識を変えることは、これを克服するヒントですが、
優越感や劣等感に対する認識を変えることは、
人のプライドに起因する様々な摩擦や衝突を避けるヒントにもなるのかもしれません。