雑談(プライドのための嘘)

2009-12-17 11:54:20 | 正しく愛す
自分で言うのもなんですが、深い愛情を持って人間観察しているつもり。
深い愛情というのは、
はじめに何かを判断してみるのではなく、良いこともそうでないことも客観的に観察して、あるがままに受け入れる。これを継続すること。


嘘と言い訳の裏 : 目的は保身ですが、
裏にあるのは、たいていは・・・怠けです。

自分は怠けていたのではない。
’懸命に’’努力した’と思わせたいのですが、

’懸命’も’努力’も尺度が客観的ではなく、
評価者は自分ではないことの方が合理的です。
が、言い訳をするときの自分自身の評価者は自分である。


嘘と言い訳を束ねてタイトルをつけましょう
「プライドのための嘘」

ここで、気がつきましたね・・・
「嘘をつかないというプライド」…が対極にある。


本来、’懸命’や’努力’は、他人に見せて評価を待つものではなく、
自分自身の満足や達成感、喜びのためにある、としたい。

心と気持ちの「弱さ」は、
怠けを否定する評価を他人に求めて、安心を得ようとする。


ではではでは・・・「強さ」とはなんぞ、という問いの答えにもなる。
「自分自身の目標を高次元に設定したうえでの、’懸命’や’努力’の継続」




毎日同じテーマで考えて書き続けていると、
「弱さとプライド」というタイトルに近づいたり、離れたり
面白くなってきました。

雑談(年齢差のプライド)

2009-12-17 07:58:20 | 正しく愛す
学校でも職場でも一人や二人はいます。
哀れにも「年齢以外にアドバンテージがないと思われる人」が、
先輩・後輩の慣習を守りたがる。
そして、それが守られない不敬なる人物を嫌う、というプライド。


年長者は総じて敬わなければならない…が、
「道を志す者が、その道の先達を敬う」…であれば、「敬う」は年齢ではない。

年齢がどうあれ、態度や言葉使いなど、接する姿勢がその人のポリシーというプライド。