まだ青いうちに切って入れてしまったキキョウのつぼみ。
咲かないかもしれないとあきらめていたのですが、
大事に取っておいたら、徐々に紫色を帯びてきて、
最後はかわいらしい花を開き、命を全うしました。
待っている時間の長さに比べれば、
咲いてしまってからの時間はずっと短いものでした。
最近「兆し」という言葉に考えが行っています。
兆しには目に見えるものと、
目には見えない「兆し」があるようです。
わたしたちが目で気が付いて、「あら」と気づく兆しの前に、
静かに準備されている兆しがあるのだと。
良い兆しや、病や不幸の悪い兆し、自然の移り変わり、
わたしたちは何に注意していればそれを観ることができるのでしょうか。
自然はきっとそれを観ることができるのですね。
何か人工的なものに囲まれて、動き回っていることで、
大事な兆しを観ることができないような気がします。
良い言葉が見つかりませんが、
無理な力をかけないで、
自然と同じように自然でいればよいのかと思ったりします。
もう秋の兆しは眼に見えていますね。