続き>>
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/da/e0de858acdb3f197a6957195fd824bbd.jpg)
ここは、完璧に通路ですね、人や物が通る為の。
これを観ると石丁場跡を他の用途で使おうとしていた事が判断できます。
いよいよですか
行きましょう!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/2d/284926e54a36eb5b30fc616d7597211a.jpg)
地面が4cmほど水没していますが、行かない訳には行かないので、特攻します。
右にカーブしています。ワクワクします。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/0f/39512803a6f016101d389f6f5face001.jpg)
石積みが切れ、岩になります。
奥からキー キーと蝙蝠の鳴き声がし、パタパタと羽音がしています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/cb/619371b328db66bd1df82f027481eec7.jpg)
蝙蝠が驚いて、パタパタ舞っています。
天井は、いまいち星空になれず、曇りです。
??あれ
行き止まりになってる。
入口だけ見たら、かなり期待させる作りですが、掘削途中で中止されています。
終戦になってしまったのですね。
大きさから言って、ここをメイン通路にして、広く掘ろうとしていたのでしょう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/2f/ed659029d7b381121544c19a0d81dfa4.jpg)
残念ですが、しょうがありません、戻ります。
この通路を見ると先に何かあると思いますよね。w
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/bd/38e9ce4cf1689839b9486df5febec3dc.jpg)
おーいっ ちょっとまてっ!
蟹さん!?
そこら辺で見かける沢蟹とは違いますね、随分しっかりした図体してますね!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/0f/158a7941b74e11e7c6c197e1a90d3f78.jpg)
はあはあ、私は蟹だよ
海にいる蟹っぽいですね?
あぁ、海からはかなり距離があるのだが、元々我々の子孫は、前の海に住んでいて、徐々に沢を上がって来て、山へ入り、沢蟹になったんだ。海岸にも同じ蟹がいるよ。
沢山捕まえて、出汁をとっていた人もいたよ。
(地元の人が言っていました。)
なるほど!いい出汁とれそうですもんね。
*"第二工場跡"の探検は終わります。
メイン通路を掘っていた様子なので、まだまだ広げる計画だったのですね、先述の縦穴の方も掘りかけでやめている穴があったので、繋げて、トンネル通路にしようとしていたのかもしれません。
隣に"第一工場(メイン工場、大型、短期間実働している。)"があるのですが、ここは"トンネル通路"があり、山を貫通していて、工場内を行き来できる様になっています。
縦穴工場跡と当該場所の関係を観ると、メイン工場同様にトンネル通路で繋げようとしていたのではないかと推察できます。
もし繋がっていたらと想像すると、第一工場とそっくりな形になり、山の上下に並ぶ様な形で、大きなトンネル工場が二つ出来ていたことでしょう。
相当な規模の地下工場を建設しようとしていたと思われます。
元工員や戦争体験者氏に寄れば「沼津市(多比)から伊豆の国市(長岡)まで地下工場があった、作っていた。」とのことですから。
次回は、第一工場跡(メイン工場) ~ 更に関連の穴等をまとめて行く予定ですので、長大になります。
こう言った"特殊地下壕"を歩いていると、戦争終結間際の必死さが感じられます。
終戦間際まで、地下壕を掘ったり、地下に工場を疎開させて、秘密兵器の研究をしていたのですから、何と言うか、天皇(神)は負けることはなく、日本は勝てる、と信じて止まなかったのでしょうか
2015/8/18 ・ 9/22
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ここは、完璧に通路ですね、人や物が通る為の。
これを観ると石丁場跡を他の用途で使おうとしていた事が判断できます。
いよいよですか
行きましょう!
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地面が4cmほど水没していますが、行かない訳には行かないので、特攻します。
右にカーブしています。ワクワクします。
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石積みが切れ、岩になります。
奥からキー キーと蝙蝠の鳴き声がし、パタパタと羽音がしています。
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蝙蝠が驚いて、パタパタ舞っています。
天井は、いまいち星空になれず、曇りです。
??あれ
行き止まりになってる。
入口だけ見たら、かなり期待させる作りですが、掘削途中で中止されています。
終戦になってしまったのですね。
大きさから言って、ここをメイン通路にして、広く掘ろうとしていたのでしょう。
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残念ですが、しょうがありません、戻ります。
この通路を見ると先に何かあると思いますよね。w
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おーいっ ちょっとまてっ!
蟹さん!?
そこら辺で見かける沢蟹とは違いますね、随分しっかりした図体してますね!
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はあはあ、私は蟹だよ
海にいる蟹っぽいですね?
あぁ、海からはかなり距離があるのだが、元々我々の子孫は、前の海に住んでいて、徐々に沢を上がって来て、山へ入り、沢蟹になったんだ。海岸にも同じ蟹がいるよ。
沢山捕まえて、出汁をとっていた人もいたよ。
(地元の人が言っていました。)
なるほど!いい出汁とれそうですもんね。
*"第二工場跡"の探検は終わります。
メイン通路を掘っていた様子なので、まだまだ広げる計画だったのですね、先述の縦穴の方も掘りかけでやめている穴があったので、繋げて、トンネル通路にしようとしていたのかもしれません。
隣に"第一工場(メイン工場、大型、短期間実働している。)"があるのですが、ここは"トンネル通路"があり、山を貫通していて、工場内を行き来できる様になっています。
縦穴工場跡と当該場所の関係を観ると、メイン工場同様にトンネル通路で繋げようとしていたのではないかと推察できます。
もし繋がっていたらと想像すると、第一工場とそっくりな形になり、山の上下に並ぶ様な形で、大きなトンネル工場が二つ出来ていたことでしょう。
相当な規模の地下工場を建設しようとしていたと思われます。
元工員や戦争体験者氏に寄れば「沼津市(多比)から伊豆の国市(長岡)まで地下工場があった、作っていた。」とのことですから。
次回は、第一工場跡(メイン工場) ~ 更に関連の穴等をまとめて行く予定ですので、長大になります。
こう言った"特殊地下壕"を歩いていると、戦争終結間際の必死さが感じられます。
終戦間際まで、地下壕を掘ったり、地下に工場を疎開させて、秘密兵器の研究をしていたのですから、何と言うか、天皇(神)は負けることはなく、日本は勝てる、と信じて止まなかったのでしょうか
2015/8/18 ・ 9/22
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