沼津海軍第15突撃隊江ノ浦本部、静浦ドック
大東亜戦争末期、江ノ浦に静浦ドック(海軍の港)を開港し、特殊潜航艇の修理、メンテナンス、造船、係留、荷役作業等の基地とし、ドック名を「護国五三四一工場」とした。
格納壕等が掘られ、特殊潜航艇が配備、浜へ斜路が引かれた。
当時は、山が今より海側まで迫り出しており、壕が幾つかあったが、国道の建設で、山が寸断され、壕も切れ、露出した穴はコンクリート等で塞がれたが、一部見ることが出来る。
色々な物が保管されていたと言う壕の入口
近隣住人の方「この壕は、山を刳り抜いた結構広い壕でした、静浦ドックだったので、船に関係した色々な物が保管してありました。隣にもう一つ出入り口がありました。道路建設で岬を切り開いたので、穴も切れました、切り口がしばらく開いていましたが、悪戯で入った人達に放火されたので、塞がれました。時々海龍が置かれていた壕だと言って、取材に来る方がいますが、この壕には海龍は置かれていませんでした、物の保管庫です。海龍は、口野からもっと南の方の様です。結局、基地は建設しましたが、終戦になって、出撃しなくて済んだんです。」
他にも80才以上の方数人から「山の中を刳り抜いた割と広い穴だった。」と教えて頂いた。
右並びにもう一つ出入り口がある。
形が判かる。
「以前放火された時にこの出入り口から煙がモクモク出て来て大変でした。ブロックと金網で塞がれました。」との事だった。
この保管壕は、出入り口が二つあり、入って右方(国道側)へ続き、山中に広がっていた様で、結構広かった様だ。
道路両側にコンクリートで塞いだ跡が観られる。
大型の壕だった様なので、保管だけではなく、潜航艇の整備や修理等も行っていたのではないだろうか。
壕が一つ残っているので、観させてもらう。
車庫にちょうど良い大きさだ。
両脇に溝が切ってある。
震洋の格納壕か?
現在は、道路が通り、山が切れているので、穴も短くなってしまっているが、元々はもっと長かったのだろう。
震洋格納壕や補給壕辺りだろう。
魚雷格納壕
当時、魚雷のエンジンをアイドリングしていたとの事。
魚雷格納壕
魚雷格納壕
基地は私有地にあるので、地主さんに断りながら観て行くのだが、その際に当時の事を聴取出来た。
K氏(83)「これらのトンネル掘りは、父や私も手伝った、父は建設関係の仕事をしていた(石材関係)今宅地になっているが、当時は山で、海まで突き出ていた岬だった、それを父が削ったんだ。
穴を兵隊が掘っていた時、私は13才ぐらいだった。
少年兵が穴を掘り始めたが、掘り方が分からず、やみくもにツルハシで掘っていた、それを見ていた私は”あれじゃ一日に何センチしか掘れない”と思った。進まないから上官にぶん殴られていた、可哀想でね”おとうさんあれじゃ掘れない、教えてあげてほしい”と頼んだ。
父は道具を作ってやり、兵隊に与え、教えた。村民も協力した。
私は、笛を吹いて合図を出したりした。
伊豆石は柔らかいから、昭和初期は皆家の土台に使った。軟岩は白で、伊豆の南から散歩しながら堆積して来て、大平や清水町側の硬岩とぶつかったんだ。黒い色をしている。
割るコツさえ掴めば、ツルハシとノミで容易にパカッと割れる。スジがあるので、そこを狙う、知らないでやったら掘れない。
穴は、武器や色々な物が入っていた、保管庫の様だった。それから『魚雷の様な潜水艦があった。幅1mぐらいで、長さが20mぐらいの一人乗りで、小さいやつだった。海龍や回天とかそんな洒落た名前は付いてなかったな、あれはたぶん世に言われている人間魚雷と言うやつだったんだろう。最近下田で海竜が発見されたと騒いでいるが、ここだってある、終戦になり、例の魚雷を村の皆で、引っぱって、江ノ浦に捨てた気憶がある。』
それから、ベニヤ板で作った特攻ボートがあった、ベニヤ板だよ?物資不足だったし燃料もない。アメリカとやったって、絶対に負ける、国力差があり過ぎる、上は馬鹿だった、仕鰍ッなきゃ良かった、でもあん時は国全体がそう言う雰囲気だった、天皇万歳、大日本帝国人と教育された、良かった頃、日本人は浮「ものなしで闊歩していた感はあった。
もっと話したいがこのぐらいにしておきます。」
我々は、また来ますと言って別れた、この後も情報提供を続けて頂いている。
これらの穴は、30m程度あり、意外と長い。
魚雷格納壕って、結構立派なんだねー。
暗闇の奥は水没しており、水滴の音がピチャン、ピチャンと響き、異様な雰囲気がある。
壕内には、魚雷を安定させる為だったのだろう茶色く錆びた大きな釘が等間隔に残っている。
戦後70年の時を感じさせる。
魚雷格納壕
この穴は、他の穴と比べ、異様で、哀れな雰囲気がある。
奥は水没しているので、進めない、いやこれ以上行きたくない。
地主さんにムカデがいるので、やめた方がいいと言われたのだが、出た後、足を虫に刺された様で痛痒かった。
もう一つ魚雷格納壕があるが、殆ど塞がれている、他に燃料保管壕があった様なので、近隣住人に聴いたところ、大分前に工事などで消失したそうだ。
新道の建設や防護壁整備で消失してしまった壕も結構ある。
K氏より「小さい潜水艦があった、人間魚雷ではないか」と言う話しや「海龍が配備された。」「人間魚雷の修理をドックで行った。」等と言う話しが拾えた。
2015/09/05
大東亜戦争末期、江ノ浦に静浦ドック(海軍の港)を開港し、特殊潜航艇の修理、メンテナンス、造船、係留、荷役作業等の基地とし、ドック名を「護国五三四一工場」とした。
格納壕等が掘られ、特殊潜航艇が配備、浜へ斜路が引かれた。
当時は、山が今より海側まで迫り出しており、壕が幾つかあったが、国道の建設で、山が寸断され、壕も切れ、露出した穴はコンクリート等で塞がれたが、一部見ることが出来る。
色々な物が保管されていたと言う壕の入口
近隣住人の方「この壕は、山を刳り抜いた結構広い壕でした、静浦ドックだったので、船に関係した色々な物が保管してありました。隣にもう一つ出入り口がありました。道路建設で岬を切り開いたので、穴も切れました、切り口がしばらく開いていましたが、悪戯で入った人達に放火されたので、塞がれました。時々海龍が置かれていた壕だと言って、取材に来る方がいますが、この壕には海龍は置かれていませんでした、物の保管庫です。海龍は、口野からもっと南の方の様です。結局、基地は建設しましたが、終戦になって、出撃しなくて済んだんです。」
他にも80才以上の方数人から「山の中を刳り抜いた割と広い穴だった。」と教えて頂いた。
右並びにもう一つ出入り口がある。
形が判かる。
「以前放火された時にこの出入り口から煙がモクモク出て来て大変でした。ブロックと金網で塞がれました。」との事だった。
この保管壕は、出入り口が二つあり、入って右方(国道側)へ続き、山中に広がっていた様で、結構広かった様だ。
道路両側にコンクリートで塞いだ跡が観られる。
大型の壕だった様なので、保管だけではなく、潜航艇の整備や修理等も行っていたのではないだろうか。
壕が一つ残っているので、観させてもらう。
車庫にちょうど良い大きさだ。
両脇に溝が切ってある。
震洋の格納壕か?
現在は、道路が通り、山が切れているので、穴も短くなってしまっているが、元々はもっと長かったのだろう。
震洋格納壕や補給壕辺りだろう。
魚雷格納壕
当時、魚雷のエンジンをアイドリングしていたとの事。
魚雷格納壕
魚雷格納壕
基地は私有地にあるので、地主さんに断りながら観て行くのだが、その際に当時の事を聴取出来た。
K氏(83)「これらのトンネル掘りは、父や私も手伝った、父は建設関係の仕事をしていた(石材関係)今宅地になっているが、当時は山で、海まで突き出ていた岬だった、それを父が削ったんだ。
穴を兵隊が掘っていた時、私は13才ぐらいだった。
少年兵が穴を掘り始めたが、掘り方が分からず、やみくもにツルハシで掘っていた、それを見ていた私は”あれじゃ一日に何センチしか掘れない”と思った。進まないから上官にぶん殴られていた、可哀想でね”おとうさんあれじゃ掘れない、教えてあげてほしい”と頼んだ。
父は道具を作ってやり、兵隊に与え、教えた。村民も協力した。
私は、笛を吹いて合図を出したりした。
伊豆石は柔らかいから、昭和初期は皆家の土台に使った。軟岩は白で、伊豆の南から散歩しながら堆積して来て、大平や清水町側の硬岩とぶつかったんだ。黒い色をしている。
割るコツさえ掴めば、ツルハシとノミで容易にパカッと割れる。スジがあるので、そこを狙う、知らないでやったら掘れない。
穴は、武器や色々な物が入っていた、保管庫の様だった。それから『魚雷の様な潜水艦があった。幅1mぐらいで、長さが20mぐらいの一人乗りで、小さいやつだった。海龍や回天とかそんな洒落た名前は付いてなかったな、あれはたぶん世に言われている人間魚雷と言うやつだったんだろう。最近下田で海竜が発見されたと騒いでいるが、ここだってある、終戦になり、例の魚雷を村の皆で、引っぱって、江ノ浦に捨てた気憶がある。』
それから、ベニヤ板で作った特攻ボートがあった、ベニヤ板だよ?物資不足だったし燃料もない。アメリカとやったって、絶対に負ける、国力差があり過ぎる、上は馬鹿だった、仕鰍ッなきゃ良かった、でもあん時は国全体がそう言う雰囲気だった、天皇万歳、大日本帝国人と教育された、良かった頃、日本人は浮「ものなしで闊歩していた感はあった。
もっと話したいがこのぐらいにしておきます。」
我々は、また来ますと言って別れた、この後も情報提供を続けて頂いている。
これらの穴は、30m程度あり、意外と長い。
魚雷格納壕って、結構立派なんだねー。
暗闇の奥は水没しており、水滴の音がピチャン、ピチャンと響き、異様な雰囲気がある。
壕内には、魚雷を安定させる為だったのだろう茶色く錆びた大きな釘が等間隔に残っている。
戦後70年の時を感じさせる。
魚雷格納壕
この穴は、他の穴と比べ、異様で、哀れな雰囲気がある。
奥は水没しているので、進めない、いやこれ以上行きたくない。
地主さんにムカデがいるので、やめた方がいいと言われたのだが、出た後、足を虫に刺された様で痛痒かった。
もう一つ魚雷格納壕があるが、殆ど塞がれている、他に燃料保管壕があった様なので、近隣住人に聴いたところ、大分前に工事などで消失したそうだ。
新道の建設や防護壁整備で消失してしまった壕も結構ある。
K氏より「小さい潜水艦があった、人間魚雷ではないか」と言う話しや「海龍が配備された。」「人間魚雷の修理をドックで行った。」等と言う話しが拾えた。
2015/09/05
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