東京都内の113歳の女性が所在不明になっていることが発端となって、各地で所在不明の高齢者がいることがニュースで取上げられています。
このことを受けて、長妻厚生労働大臣が高齢者についての実態調査を行なうことを明言しました。まだ調査方法などははっきりと分かっていませんが、高齢者福祉に携わっている身からすれば、また仕事が増えるんだなというのが正直な印象です。
さて、このニュースについては色々と思うことがあります。まず、人間としてのモラルはどうなっているのかと。ニュースによれば、本人が亡くなっているにも関わらず、年金やお祝い金を平然と受け取っていたとのこと。
一人の人間が生まれてきて、喜びや悲しみの時を過ごして、最期を迎える一つの人生が締め括られたにも関わらず、その人生を勝手に食い物にするなんて信じられません。
今回のことで、行政側のチェック機能を問題視する意見が出ているそうですが、それは違うと思います。明らかに、私たちのモラルの問題でしょう。
もし行政側が本人確認できないと全ての手続きが出来ないとするならば、手続きの代行などは不可能になります。そうすれば、身寄りの無い人たちや要介護者は非常に困ります。
どうかお願いです。一人の人間の人生を正しく終わらせてあげてください。
ショートステイ利用のため、一人暮らしの女性を迎えに来ました。予め送迎時刻を伝えていますが、「ちょっと待って」と言われて、只今20分ほど待っています。
まあ、予想されたことなので、後の予定を入れておりませんが…。
戸締まりやお化粧など身支度が大変ですもんね。
先日、尾道市の広報を読んでいると「父子家庭の父も児童扶養手当の対象となります」と書いてありました。
少し調べてみると、平成22年6月2日の国会において、児童扶養手当法が改正されて、今までは母子家庭が支給対象となっていたものが、平成22年8月1日から父子家庭も支給対象になったようです。
さて、そもそも「児童扶養手当」とは何かということになりますが、まず小学校を卒業するまで(12歳の誕生日を迎えた後の最初の3月31日まで)を支給対象とする「児童手当」とは異なります。
「児童手当」は所得制限があるものの、殆どの家庭に支給されます。(3歳未満は1万円、3歳~12歳は5000円)
それに対して、「児童扶養手当」は所謂、ひとり親家庭が支給対象となります。そもそも離婚して母子家庭になった場合に、女性が一人で子どもを育てながら、働き、子どもとともに生活をするために必要な収入を得ることは大変だということで、その支援を目的に支給されてきました。
しかしながら、育児と生計の担い手という二重の役割を1人で担う点は父子家庭も同じであり、また、昨今の厳しい経済状況を考えると、父子家庭においても、低賃金や不安定な雇用条件等を強いられているため、今回の改正となったようです。
今まで男女平等社会と言ってきながら、ずっと男性のひとり親家庭の部分は見落とされてきたわけですから、この度の改正については驚くと共に喜ばしいことだと思います。
さあ、僕もひとり親家庭なので、申請してみようと思います。
あの人は女性だったようです。それも外国の小さな女の子だったのです。
世界中の医者や看護師など救命に関わる人たちを陰で支えてくれている、その人の名は「レサシアン」
20世紀初頭、パリのセーヌ川で少女の遺体が引き上げられました。危害を加えられた痕跡もなく、それは自ら命を絶ったものでした |
少女の身元は確認されなかったため、当時の慣習にのっとり「デスマスク」が製作されました。そのうら若き少女の繊細な美しさとうっすらと浮かべた微笑が、彼女の死に謎を残しました。 このミステリーについて、様々な憶測がなされ、ロマンティックな物語が数々出版され、彼女のデスマスクとともにヨーロッパ中に広がっていきました。 後に、口対口の人工呼吸法を実用的且つ効果的に教えるためのトレーニングマネキンを開発しはじめたアスムンド レールダルによって、「セーヌ川の少女」は、再び脚光を浴びることになりました。彼は、この少女の早すぎる死に胸を痛め、悲劇がくりかえされないようにと、心肺蘇生訓練用マネキンに少女のデスマスクを採用。「レサシアン(製品名:レサシアン)」と名づけました。 2008年、レサシアンは50回目の誕生日迎えました。 「セーヌ川の少女」から生まれたレサシアンは現在、世界中で何100万人もの近代蘇生の救命テクニックを学ぶ人々、救われた人々の”生命のシンボル”となっています。(レールダル社HP引用) 彼女のおかげで救われる命が、そこに存在します。 |
3月10日付のasahi.comの記事を見て驚きとともに感銘を受けました。
記事を参照させてもらうと、「重い病気や障害と共に生きる子どもや、その家族を支える日本初の「子どもホスピス」が、神奈川県大磯町と奈良市、北海道滝川市の3カ所で、今年から2012年にかけて開設される。365日間、病や障害とともに暮らす子どもや家族が「第二の家」として滞在し、つかの間の休息を得られる場の整備を進めている。」とのこと。
小児医療や児童福祉、障がい者福祉に関わりのある人を除いて、「子ども」と「ホスピス」が結びつく人は少ないでしょう。「子ども」という言葉には未来を感じますし、「ホスピス」という言葉は死を連想させます。
病気や障がいのある子どもと一緒に生活する親はとても愛情を持って関わっていますが、その気持ちを本当の意味で分かって支えてくれる人はほとんどいません。その家族の置かれている状況と一般社会との間には大きな隔たりがあることは否めません。
この度の「子どもホスピス」は一般的な病院のようなものでは無く、設備の整った(ハードよりもソフト的に)宿泊施設のようなものです。
一人でも多くの子どもとその家族が豊かな生活が出来る社会に近づいてほしいと願います。
社会福祉士の勉強をしている学生が実習に来ています。約1ヶ月間の実習ですが、明日で終わりとなります。
この1ヶ月はしんどかったです。本来なら通常勤務内でやるべき仕事が出来ないため、残業しないと終わらないし、指導する立場なので気を使うし・・・。もちろん、実習生を受け入れることで勉強になることも少なからずあるんですがね。
福祉の仕事を目指す学生がいることは素晴らしいことだと思いますが、もう少し社会常識を身につけて来て欲しいなぁというのが偽らざる心情です。
ある日のこと、こんなことがありました。
実習生が作成した書類を看護師長や介護主任、管理栄養士などに見てもらって印鑑を押してもらう作業をしました。実習生は看護師長のところに書類を持っていきましたが、看護師長が「ごめん。悪いけど、忙しいから後にしてくれる?」と言ったところ、実習生は「見なくていいので、ハンコを押すだけでいいですから」と答えたそうです。
その後、看護師長が叱り付けたのは当然のことです。
まず、職員(特に命を預かる仕事をしている人)が忙しくしているにも関わらず、平気で自分の都合を押し付ける感覚にびっくり。
さらに印鑑を押すという事はその書類に責任を持つということなのに、「見なくていい」「ハンコを押すだけ」とは何事かと。
仕事には「責任」が伴い、自分がいい加減なことをすると他人に迷惑をかけることを考えられないなんて、ちょっと困ったものです。社会福祉士としてよりも社会に出る人間として考える必要があると思います。
というわけで、なかなか辛い日々を送ってきましたが、明日には開放されます。
僕は老人福祉施設に勤めています。生活相談員(兼介護支援専門員)という仕事をしていますが、自分の勤める施設の介護・看護職員がどれだけ頑張ってくれているかを知っているし、彼らの仕事ぶりに誇りを持っています。そして尊敬しています。
だからこそ、不当な批判を受けた時には腹立たしい気持ちになったりします。
それは数年前のこと。施設に入所されている女性が急に歩けなくなりました。その方は施設に入所してから3年近く経っていましたが、80歳を過ぎてなお、元気に歩いていました。(認知症がありましたが・・・)
それが突然、自分で動くのが難しくなり、歩けなくなったのです。すぐに家族に連絡して、病院に受診しました。結局、脳梗塞と診断されて入院することになりました。
その時に普段から話をしている家族(キーパーソン)以外の家族からこんな言葉を戴きました。
「施設に入る前は元気じゃったのに、施設に入ってから弱ってきたし、ついに歩けんようになったじゃないか!おまえところは何をしょーるんね!」
僕は驚きました。
僕は施設の中で、とても嬉しそうに職員と話をしている女性の笑顔や介護職員と散歩をしている姿を知っているし、看護職員が日々健康チェックをしたり、機能訓練をしてくれているのを知っているし、また管理栄養士が食事管理をしてくれているのも知っています。
そして、その女性が入所される前より元気になられていたことも知っています。
大切な家族が動けなくなったことでショックを受けたことは分かります。でも人は誰しも老いていきます。歳を重ねるとともに身体の機能は低下し、病気にもなりやすくなります。それは誰のせいでもなく、生きるものの定めです。
施設に入所したからといって、ずっと元気なままでいられるわけではありません。
どうか、ご理解を。
福祉の業界での仕事も長く、社会福祉士の資格も取り、成年後見の勉強もしてきたはずなのに、この「登記されていないことの証明書」については勉強不足でした。
最近では国家資格の取得時や生命保険の指定請求代理人の手続きなど、様々なところで「登記されていないことの証明書」の提出を求められることがあるようです。
そもそも「登記されていないことの証明書」と言われても、頭が???です。
それについてですが、成年後見制度において、「認知症など精神的な障害により判断能力を欠く状況にある人または判断能力が著しく不十分な人を保護するため、親族等の申し立てにより、家庭裁判所は後見開始等の審判をします。後見開始の審判を受けた人を成年被後見人と、保佐開始の審判を受けた人を被保佐人といいます。後見開始等の審判をした家庭裁判所は、そのむねの登記を東京法務局に嘱託し、後見登記簿に登記する」という手続きが行なわれます。
つまり、その成年後見の手続きをしていない人は、登記されていないわけです。だから、その登記されていないことの証明書をもらってください、ということなのです。
なんて分かりにくいのでしょう。
ちなみに発行してもらうには少し時間がかかるので、必要になったら早めに東京法務局のホームページでも調べて手続きする方が良いでしょう。