「さっさと死ねるようにしてもらうとか…」「死にたいと思って生かされるのはかなわない」
社会保障国民会議で終末期医療に触れた麻生財務相の言葉だそうだ。
もし病に倒れて回復の見込みがなくなったとき、延命治療はして欲しくないと書いて銀行の貸金庫とお仏壇の中、そして「いざ
というとき役に立つノート」にわたしは残している。
個人としては麻生氏の言うように酸素マスクをはずした医者が罪に問われないように初めから延命処置はして欲しくないという
のが私の希望だ。
しかし、少しでも財政負担を減らしたい当事者の財務大臣が公の場で言うせりふではないだろう。
後で取り消したそうだけれど一度口から出た言葉は公人として軽すぎた。
その後見たテレビで、同じところに長くいられなくて施設や病院をたらいまわしされている身寄もお金もない老人が
「生のある限り生きたいわな」と言っているのを見て、生きるということはそういうものかと考えさせられた。
今は何とか元気だから延命治療はいらないと思っているけれど、いざとなったらやはりなんとしてでも生きたいと思うように
なるのかもしれない。重い課題だ。
社会保障国民会議で終末期医療に触れた麻生財務相の言葉だそうだ。
もし病に倒れて回復の見込みがなくなったとき、延命治療はして欲しくないと書いて銀行の貸金庫とお仏壇の中、そして「いざ
というとき役に立つノート」にわたしは残している。
個人としては麻生氏の言うように酸素マスクをはずした医者が罪に問われないように初めから延命処置はして欲しくないという
のが私の希望だ。
しかし、少しでも財政負担を減らしたい当事者の財務大臣が公の場で言うせりふではないだろう。
後で取り消したそうだけれど一度口から出た言葉は公人として軽すぎた。
その後見たテレビで、同じところに長くいられなくて施設や病院をたらいまわしされている身寄もお金もない老人が
「生のある限り生きたいわな」と言っているのを見て、生きるということはそういうものかと考えさせられた。
今は何とか元気だから延命治療はいらないと思っているけれど、いざとなったらやはりなんとしてでも生きたいと思うように
なるのかもしれない。重い課題だ。