小学校の担任の先生(昨日の続き)

2020-07-03 13:25:29 | 日々思うこと
・・・・当時購読していた「小学生朝日新聞」に小学上級生の
ツアー募集があって4年生だった息子がそれに参加したいと
言い出した。
 
 実はこのころ英語を始めていた。
 幼稚園にはいるころだったと思うけれど「もう絵本は嫌、
 字のご本が読みたい」というので本屋さんで彼が選んだのが
 「アラジンのランプ」だった。
 その後、3,4年生のころ「英語の童話を読む」というので今度は
 夫がついて行き、選んだのが「最初に読んだ
 字のご本がアラジンだったから」と言って同じ本を2冊購入
 してきて夕食後夫と読むことになった。
 ところが難しくなかなか進まないようで台所で後片付けを
 しているわたくしはもうやめてほしいと思っていた。

 それでも何とか読み上げたらしく、息子の部屋を掃除して
 いるとき表紙の裏に1回目〇月〇日~〇月〇日、2回目・・・・
 と記されていて3回目はノートに訳文を書いて仕上げたよう
 だった。(多分それで英語に自信がついたのだと思う)

そういうわけで英語圏に行って見たかったのかもしれない。
大人4人の中で育っている一人っ子を見知らぬ人ばかりの
ツアーに出すのはかなり心配だったので「もし来年も行きたい
気持ちがあったらその時は行かせてあげるから今回は
やめなさい」と止めた。
ところが翌年「来年は参加していいって言ったよね」というので
わたくしたちも決心した。
それまで名古屋の科学館や京都の美術館にはよく行っていた
けれど今回はことが大きすぎる。
大阪の説明会に夫がついて行き、年末の25日から翌年正月
10日までの半月ほどのハワイ旅行。
わたくしが東京高輪プリンスホテルまで送った。
前半はハワイのホテルで泊まり、後半はハワイ大学の
ドミトリーで生活する旅であった。 
大晦日に「年越しそば風のものを食べたよ」
元日には「お雑煮みたいなものが出た」とちゃっかり着信払い
でかけてきりだったが(当時はスマホは勿論ガラケーもなかった)
夫が羽田まで迎えに行くと「来年はスイスに行く」とハワイ生活を
満喫してきたようだった。

ところが翌年6年生の時、スイスはやめて南九州に行きたいと
行程表を差し出した。
行きは大阪から夜行列車に乗り鹿児島へ。
鹿児島、林田温泉、宮崎などで宿泊して宮崎空港から小牧に
帰ってくるという計画。
わたくしは決断できなかった。
毎年春と夏に家族旅行はしていたが小学生1人を泊めてくれる
宿があるのか。
夫は「本人がそんなに行きたいというのなら行かせよう」という。
いつも乗り物と宿を頼んでいる近ツリに頼んでみたら手配
してくれた。

途中1度も連絡してくることもなく予定の時間に小牧に迎えに
行ったらシャボテンのかごをぶら下げて意気揚々と降りてきた。
温泉の脱衣所に脱いだ下着をすべて忘れてきたとか、朝寝して
予約してあった定観に乗り遅れタクシーで追いかけたとか
林田温泉の中居のおばさんが「小さいのによく来たね」と
朝ごはんの時にゆで卵を一個おまけしてくれたけれど食べ
られなかったとか・・・・いろいろ失敗をしたり助けられたり
して一回りたくましくなって帰ってきた。

この時の担任が「縄跳び先生」だったら許されなかった
かもしれないが放任主義のB先生だったので事前に連絡し
ただけで済んだ。
子供や親に担任の先生は選べない。
だがいろいろなタイプの先生に教わりながら子供は成長
していくのだと思う。
それぞれ特徴のある先生方だったが感謝している。
コメント (4)
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