熊谷美峰翁の数少ない板谷楓の飾り掬手
と紹介していましたが間違っていました
Φ50mmの掬手の柄は
鉄刀木(たがやさん)と云う木で出来ていました
面目ない柄の中央部に目打ちが施してあるのは特注製の印です
彫金部分の研磨が上手くいかずくすんでしまう
彫金枠を外してこの部分だけ研磨しないとダメなのかも
網の張替えは
まあまあですね
木目が浮いているのが見てとれますか
見事な紋様です
あまりに立派すぎて
やっぱりこの掬手は使えないですね!
節分やねえ~~
鬼は~外!福は~~内!
らん丸が4歳のときは女の子でした
ひと昔前いやふた昔前までか?
年越し(節分)の日に、
女性が男性に若い衆が女性や年寄りの格好をしたりして、
思いつかない姿に“化けて”
お宮さんにお参りして
鬼(悪魔)を追い払うという風習がありました。
男ばっかり六人兄弟の
六男坊だったらん丸は
女の子が欲しかった母と
同じく女の子が欲しかった花街好きの父の思いから
イッチョライを着て、頭に髷を載せてもらって
“おばけ”をしてくれたそうです
お駄賃として手にしているのは
不二家のペコちゃんかなグリコのおまけ付の飴ちゃんだったかな?
8時過ぎだったか
この頃の幼児にしては夜更かしな時間帯に
眠い目をこすりながらお父さんと(何故かお母さんは居なかった)
八幡さんにお参りを済ませた後
お宮さんの近くの梶松(昔の割烹料亭)の綺麗な御姐さんに囲まれて食べた
茶碗蒸しは
ものすごく美味しかったなあ!
薄味だがコクのあるあの茶碗蒸しの美味しさをいまだに覚えています
この“ばける”ということから“年越し(節分)のおばけ”と呼んでいました。
考えはハロウィンと同じやのに
今や海外かぶれの日本人
日本にもこんなに素晴らしい文化が有るんやと
“にっぽんの風習”を子供に教えたって~”
お母さんたちも覚えてちょうだいな~~
もう一つ
“節分の豆おくれ~~”といって
紙袋を持って隣保の家々を廻って
お豆さんやお菓子(寒餅あられ等)やミカン等々を入れてもらって
おやつの少なかった時期の
宝物にしていました
今の仔は
こんなはんなりした事を封じられている
可哀そうやなあ
今では廃れてしまった60余年前の
懐かしい風習です