た む し ば

引越blogで、リンク切れも多々あるようです。古い記事もありますが記録ということでそのままで^^

子どもの頃は近くに電話も車も無かった

2014-09-23 | ノンジャンル


勿論、テレビもゲームもパソコンも携帯電話も・・・実にそんな時代に育ってとてもラッキーだったと思っている。一日が長く、暗くなるまで外にいて、近所の子ども達・自然とともに大きくなった。

長じてからのIT機器には心底有り難いと思っている。
生を受けた最初からバーチャル世界があたり前に身近にある今の子どもの思考回路は我々とはまったく違うのだろうな~

↓こんな記事を知ったのもパソコン上ですが、、納得 !!
http://lrandcom.com/jobs_not_tech_parents
・・・「スクリーンの中で会話をするんじゃなくて、直接会って本当のコミュニケーションを取ろう。人生はスクリーンの中で起こっているわけじゃない。これだけは忘れないでくれ。」コンピューターには何ができて、何ができないのか。子供のうちに理解しておく必要がある。・・・・などなど




2011年の笹久保語録

2014-09-23 | ノンジャンル
2011のラジオから
ラジオ  11081400001

2011/5.13
投稿日: 2011年5月13日 作成者: shinsasakubo
今日のお題は
「フォルクローレの泥沼」

フォルクローレ(どのジャンルでも同じだが とりあえず”フォルクローレ”と)
を演奏しているとある泥沼に入る傾向があるので
若手演奏家は先人をよく見て 十分気をつけてほしい
今日は その泥沼パターンを 山下洋平と共に分析してみた

ケース1 ごり押し あぐらかき系泥沼
「これがアンデス音楽だ!」といいながら酒を飲みながら演奏する
向上心はなく 創作性もない
音楽的要素の欠落
「フォルクローレ」の上にあぐらをかく
アンデスの人のように弾く事もできない上 探究心すらない
酔っぱらって演奏しみっともない 
大型ケーナ教室や 学校講師などで生計を立てるので
切羽詰まってはいないだけに 適当な演奏になる

ケース2 虚栄心・自己愛・ナルシズム系泥沼
ボリビアないし南米の国に一定期間滞在しそこで活動し
その国 その音楽の思想に浸り日本の現実との区別ができなくなるケース
それは特に 特定の音楽家への崇拝精神が発生した場合
後に大変面唐ネ事に発展するケースが多い
特にボリビアで陥りやすいケースは
エルネスト・カブール崇拝
ムシカデマエストロス&エンシーナス崇拝
カルカス崇拝
彼らと接するうちにすべてわかった気になってしまい
それに浸り 崇拝し そこで終わる
「習得した」と自分を美化するも 他人からは受け入れられず 苦しむ
帰国後は チヤホヤされたい という願望を持ち活動するも
エコロジーや 流行の農業ごっこなどで外へ向けたパフォーマンス
および”場合によって”エセ左翼を自らを営業キャチコピーにし
エセ・ラテンアメリカユニットを結成し普通に営業しているケース

ケース3 コスプレ系泥沼
属に言う 外見的なモノマネ
高額な値段で衣装を買って 踊りをおどってみる
ウニャ・ラモスの物まねをして過ごすなど
音楽はその次

ケース4 あきらめお仕事系泥沼
音楽的無理は決してしない
自分にできる範囲の事しかやらない
お金が多少稼げればそれで満足
挑戦する意欲を失い 時間が止まっている人々

ケース5 力不足系泥沼
南米に短期滞在し「留学した」「現地で学んだ」
と言って超絶技巧を覚えてきた事にしてさっさと帰国し
さも偉そうに演奏するケース
問題は「留学」するという事ではない 
という根本的な所に気がついていないケースが多い

ケース6 病系泥沼
才能があるケースが多い
留学から帰国したが 発表の場を作る事ができず
覚えてきた事を表にだせない
そうしているうちに 具合が悪くなるケース

ケース7 深く考えない系泥沼
南米へは行かず 伝承音楽を一切無視して演奏するケース
「オリジナルを作る」といいつつ よくありそうな音楽を演奏する
これはケーナに多い

これらに陥らないためには
各自が 何をしたいかを明確にした上で
アンデス音楽を勉強する事
という結論
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今日は渋谷に佐藤紀雄還暦コンサートを聴きに行った
いいホールだったが 自分の目にはホールの色が濃すぎた
客席で会った某ギターショップの人から
前から欲しかった めったに売れない楽譜をわざわざ持ってきて頂き
大満足で帰宅

池袋でヤンキーが正面から歩いて来て話しかけられた
絡まれた~ どうしよう~
と思ったら
谷川君だった