腰はまだイマイチですがSちゃん達に誘われて、西区平和・Aburiさんの家に行って来ました。以前いつ行ったかな~、と言うくらい暫く振り、ホントに時々しかお邪魔していない処です。本日、ラス・ティアス四人(さやかさんは欠席)で。ランチ&コーヒー、サービスに紅茶と果物。美味しかった。今度はアッチャンを誘って行きたいものです、と以前も思いました。
ケーナ教室開始のお知らせハガキです。






不思議な「精神と体」の関係=中村文則 /愛知
毎日新聞 2016年9月26日 地方版
中村文則氏=兵藤公治撮影
中村文則氏=兵藤公治撮影
病は気から、というけれど、本当にそうである。
先日、ものすごくたくさんの締め切りに追われ、まずい、どうしよう、と焦っていた最中、その日に締め切りのまた別の原稿があったのを思い出した瞬間、せきが止まらなくなった。
それまで健康だったのに、せきが急に止まらなくなり、何と熱まで出て、寝込んでしまった。「病は気から」というのが、これほどはっきり自分の身体に現れるなんて、全く思っていなかった。
時期は伏せるが、似たことはあった。大ヒットしている映画を、一応僕は小説家だし、世の中の動向を見ておくか、と軽い感じで見に行き、全然面白くなかった時。
席は満席。初めは、映画館にこれだけ人が集まるのはいいことだ、と思っていたのだけど、映画が進むにつれ、しんどくなった。何でこれが売れてるのだろう? 面白くないだけでなく、全て展開がどこかで見たありきたりなものだった。中盤で最後どうなるかまで全てわかってしまい、その通りになって映画が終わった。はっきり言って、観客を馬鹿にしていると思った。こんな簡単なことを、文化を創る側が、恥ずかしげもなくやるなんて。これは文化のジャンクフードじゃないかと愕然(がくぜん)としていたのだが、入れ替わりでまた大勢の観客たちが入って来る。
その後、続けてちょっとだけマニアックな映画を観たのだが、そこには観客がほとんどいない。びっくりするほどいなかった。僕が一人で巨大ルームシアターで見ているような感じ。その映画は面白かったのだが、何だか、世の中と文化の関係の残酷さに茫然(ぼうぜん)とし、頭痛がした。自分の作家生活まで心配になっていた。僕は世の中とずれてるんじゃないか? いや、ずれてるのは知っていた。悲しいけど仕方ない。これが僕だ。でも、ここまでずれてるとは思わなかった……。頭痛は治まることがなく、そのまま薬局へ行くことになった。
昔、タクシーの運転手さんと話し込んだことがある。その運転手さんは会社員時代、原因不明の眩暈(めまい)に襲われたらしい。脳も含め体中を調べても原因がわからない。休職も限界で、上司から残酷にも辞表を出せと言われ、絶望の思いで辞表を出した瞬間、なんと眩暈が治ったという。
その会社では、激務で、精神的に限界だったらしい。医者から、あなたは病気にならなければ、もしかしたら自分で命を断っていたかもしれない、と言われ、その運転手さんははっとしたという。思い当たる節があったのだ。
その後タクシーの運転手になり、「毎晩飲む酒がうまい」と言っていた。本当に良かった、と聞きながら思ったものだ。
もしかしたら、精神が悲鳴を上げて、休むために病気になったのかもしれない。精神と体の関係は不思議である。
僕の風邪もそうなのか? とも思うが、ではあの映画館での頭痛は何だったのだろう。「お前はどうせ世の中とずれてる。諦めろ。考えるな。ほら、頭痛でしょ? もう考えられないでしょ」ということだろうか。
でも、一応僕も小説家だし、考えないわけにもいかない。でも頭痛も嫌だ。どうしたらいいんだろう。(作家)
■人物略歴
なかむら・ふみのり
1977年愛知県東海市生まれ。福島大学卒業後、フリーターに。2005年「土の中の子供」で芥川賞、10年「掏摸<スリ>」で大江健三郎賞。ノワール(ハードボイルド風犯罪)小説に貢献したとして、米国デイビッド・グーディス賞を日本人で初めて受賞した。近著は「教団X」「あなたが消えた夜に」今月「私の消滅」でドゥマゴ文学賞受賞。
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不思議な「精神と体」の関係=中村文則 /愛知
毎日新聞 2016年9月26日 地方版
中村文則氏=兵藤公治撮影
中村文則氏=兵藤公治撮影
病は気から、というけれど、本当にそうである。
先日、ものすごくたくさんの締め切りに追われ、まずい、どうしよう、と焦っていた最中、その日に締め切りのまた別の原稿があったのを思い出した瞬間、せきが止まらなくなった。
それまで健康だったのに、せきが急に止まらなくなり、何と熱まで出て、寝込んでしまった。「病は気から」というのが、これほどはっきり自分の身体に現れるなんて、全く思っていなかった。
時期は伏せるが、似たことはあった。大ヒットしている映画を、一応僕は小説家だし、世の中の動向を見ておくか、と軽い感じで見に行き、全然面白くなかった時。
席は満席。初めは、映画館にこれだけ人が集まるのはいいことだ、と思っていたのだけど、映画が進むにつれ、しんどくなった。何でこれが売れてるのだろう? 面白くないだけでなく、全て展開がどこかで見たありきたりなものだった。中盤で最後どうなるかまで全てわかってしまい、その通りになって映画が終わった。はっきり言って、観客を馬鹿にしていると思った。こんな簡単なことを、文化を創る側が、恥ずかしげもなくやるなんて。これは文化のジャンクフードじゃないかと愕然(がくぜん)としていたのだが、入れ替わりでまた大勢の観客たちが入って来る。
その後、続けてちょっとだけマニアックな映画を観たのだが、そこには観客がほとんどいない。びっくりするほどいなかった。僕が一人で巨大ルームシアターで見ているような感じ。その映画は面白かったのだが、何だか、世の中と文化の関係の残酷さに茫然(ぼうぜん)とし、頭痛がした。自分の作家生活まで心配になっていた。僕は世の中とずれてるんじゃないか? いや、ずれてるのは知っていた。悲しいけど仕方ない。これが僕だ。でも、ここまでずれてるとは思わなかった……。頭痛は治まることがなく、そのまま薬局へ行くことになった。
昔、タクシーの運転手さんと話し込んだことがある。その運転手さんは会社員時代、原因不明の眩暈(めまい)に襲われたらしい。脳も含め体中を調べても原因がわからない。休職も限界で、上司から残酷にも辞表を出せと言われ、絶望の思いで辞表を出した瞬間、なんと眩暈が治ったという。
その会社では、激務で、精神的に限界だったらしい。医者から、あなたは病気にならなければ、もしかしたら自分で命を断っていたかもしれない、と言われ、その運転手さんははっとしたという。思い当たる節があったのだ。
その後タクシーの運転手になり、「毎晩飲む酒がうまい」と言っていた。本当に良かった、と聞きながら思ったものだ。
もしかしたら、精神が悲鳴を上げて、休むために病気になったのかもしれない。精神と体の関係は不思議である。
僕の風邪もそうなのか? とも思うが、ではあの映画館での頭痛は何だったのだろう。「お前はどうせ世の中とずれてる。諦めろ。考えるな。ほら、頭痛でしょ? もう考えられないでしょ」ということだろうか。
でも、一応僕も小説家だし、考えないわけにもいかない。でも頭痛も嫌だ。どうしたらいいんだろう。(作家)
■人物略歴
なかむら・ふみのり
1977年愛知県東海市生まれ。福島大学卒業後、フリーターに。2005年「土の中の子供」で芥川賞、10年「掏摸<スリ>」で大江健三郎賞。ノワール(ハードボイルド風犯罪)小説に貢献したとして、米国デイビッド・グーディス賞を日本人で初めて受賞した。近著は「教団X」「あなたが消えた夜に」今月「私の消滅」でドゥマゴ文学賞受賞。