facebookより引用
うちらの本ばこ おきて
ブタのようにおしりのよごれた子
ネコのようにあしのよごれた子
サルのようにてのよごれた子
イヌのようにわめく子
ウマのようにあばれる子
ウシのようによだれをたらす子
ヤギのように本をちぎる子
はいること おことわり
一九五〇年 こどもの日
浦上 永井 隆
《永井博士は、昭和二十五年(一九五〇)、
自分の家のへやに「うちらの本箱」
という図書室をつくりました。》
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上文は、図書室に貼り出していたそうな…愛なければ書けないやさしすぎるおことわり。永井隆さんの事もっと知りたい。そう思いましたので、少し長くなりましたが…シェア致します。
核はいらないよ。
長崎で終わりにと…天に還った永井隆さんのことばとは反対に、この世界は核で埋めつくされている。そして、日本で今まさに原爆により苦しむ人達が大勢いる。これから、もっと増えるであろう放射能の影響で被害被る子ども達・大人たちに…私たちは背を背けてはいけない。桃の節句に泣き崩れる親がいること忘れてはなりません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/c6/49bd234c1a10371bc50815a134c3cc58.jpg)
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永井隆 ながい・たかし 明治41年(1908年)2月3日~昭和26年(1951年)5月1日 http://www.geocities.jp/bane2161/nagaitakasi.html
【人類よ、戦争を計画してくれるな。原子爆弾というものがある故に、戦争は人類の自殺行為にしかならないのだ ~ 永井 隆】
【原子爆弾救護報告書:永井 隆】
原子爆弾救護報告
(昭和20年8月~10月の救護活動についての学長あての報告書)
昭和20年8月~10月
物理的療法科助教授第11救護隊長 永井隆
内容概要
原子説より発展した原子物理学は新なる動力原として原子エネルギーの解放利用の可能を既に実験的に証明してきたのであるが、米国科学陣はついにこれが兵器化に成功し、昭和20年8月6日広島に第1弾を投じ、次いで8月9日吾等が頭上に第2弾を投じ、大学を中心とする長崎浦上一帯の地を潰滅し、日本をして一挙敗戦国に顚落せしめた。
ここに簡単に原子爆弾の原理と爆撃の実況を述べ、一般放射線障害の概念を略記し、次に本隊の行動を詳細に物語り、西浦上、三山町に救護班を推進し、この附近の傷者について経験した事を記載した。ここで吾々は、125名の原子爆弾患者を診療した。
その治療延日数は1829日である。
開設期間は58日間。従業隊員は12名である。
死亡率は23%であった。症状を観察し、その発現期により、即発性、早発性、遅発性、晩発性にわかち、又外傷、類火傷、混合傷、早発性消化器障害、早発性血液障害、遅発性血液障害及間接的障害を記載した。
更に治療法として、自家移血刺戟療法を始めて試み特異な卓効を発見し多くの重症者を救った。又鉱泉療法を実施し、これまた卓効を見た。
即ち、自家移血刺戟療法では治療日数を対照例に比し、2週間縮少し、鉱泉療法ではやはり2週間縮少した。
また環境療法を尊重し、患者を自宅静養せしめた。更に爆心地人体障害の将来を論じ、又原子爆弾に関し当時の体験を基とし色々の考察を試みた。最后に余等の行動について厳粛な反省をなし、敗戦の責任を明かにしようとした。
結辞としてこれを機会に日本人の純粋科学への理解、放射線、原子物理学への関心を喚起し原子エネルギー平和的利用を熱望した。
INDEX :
第1章 原子爆弾に関する想像
第1項 原子の爆発
原子説―原子―原子構造 原子核化電子―核内エネルギー―原子の崩壊
第2項 爆撃の状況
意外な爆撃―爆撃方法―被爆状況―此世の地獄 夜の情景
第3項 原子爆弾の作用
作用の本態―3種の力―粒子団―電磁波―原子エネルギー―速度―到達距離 撒布密度 反射干渉―電離―二次線―水による吸収
第2章 放射線障害の大要
潜伏期―各組織の感受性―組織障害―全身障害
第3章 本隊の行動
第1項 爆撃当日
被爆―脱出―患者救出―病院炎上―離脱―露営
第2項 第2、第3日
朝の情景―薬事附近の救護―行方不明者の捜索―葬式―本部の活動
第3項 三山救護班
地勢―移動―診療開始―哀れな一行―隊員相次いで唐
第4章 今回患者の呈したる症状
第1項 症状の分類
症状の特徴―直接障害と間接障害―1次的障害と2次的障害―発症期による分類 即発性早発性 遅発性 晩発性
第2項 各症状の詳細
即死―類火傷―外傷―精神異常―全身症状―早発性消化器障害―早発性血液障害―遅発性血液障害―間接的障害―其他
第5章 今回患者の諸統計
第1項 全般に関する統計
患者数―性別―年齢―爆心地からの距離―転帰―治療日数―症状
第2項 各傷害別に於ける統計
外傷―類火傷―早発性血液障害―早発性消化器障害―遅発性血液障害―間接的障害
第3項 死亡者に関する統計
死亡者総数―死因―性別―年齢―年齢に対する死亡率―死亡期日―生存期間―爆心地よりの距離―環境
第6章 治療法
第1項 環境療法
環境と予后一実施
第2項 鉱泉療法
鉱泉の効果―六枚板鉱泉―効果
第3項 自家移血刺戟療法
方法-成績
第4項 一般対症療法
火傷―類火傷―早発性血液障害―早発性消化器障害―遅発性血液障害
第7章 将来の予想と対策
第1項 爆心地の居住問題
原因の究明―対策
第2項 人体に起こる障害
遅発性障害―晩発性障害
第3項 農作物
第8章 考察
第1項 爆弾
原料―放射線―沈降残留放射能物質―閃光―爆音―爆圧―火災の原因暗黒―火薬爆弾との差
第2項 人体損傷
症状の分類―症状の決定線量―距離―濾過
第3項 治療
第9章 反省
第1項 事前準備
指導者の誤導―大学
第2項 爆撃以後
油断―状況判断―機械搬出せず―救助状況―自己批判―恐
第10章 結辞
内容は下記へ
http://abomb.med.nagasaki-u.ac.jp/abcenter/nagai/index.html
【永井隆博士の人生と長崎との出会い】
http://base.mng.nias.ac.jp/k15/Nagai.html
原爆被爆後、半年間、喪に服し、「平和」と
「復興」を「祈り」の中で求め続けていた。
永井隆博士の功績
永井隆博士は、助教授をつとめる長崎医科大学
付属病院で被爆した。
自らも重い傷を負ったその直後から、負傷者の
救護や原爆障害の研究に献身的に取り組んだ。
やがて、彼の思いは医師としての役割から、長
崎の町と文化の復興、そして平和の願いへと広
がっていく。
被爆以前から患っていた白血病が次第に悪化す
るが、病床についてからも、執筆活動を通して
その実践を貫いた。
被爆から6年の命だったが永井隆博士の足跡か
らは、平和への切実な祈りが聞こえてくる。
【永井隆記念国際ヒバクシャ医療センター】
http://www.hibakusha.jp/
長崎の鐘 http://www.aozora.gr.jp/cards/000924/files/50659_42787.html
この子を残して
http://www.aozora.gr.jp/cards/000924/files/49192_39848.html
本当の平和をもたらすのは、
ややこしい会議や思想ではなく、ごく単純な愛の力による。
― 永井 隆 ― (『いとし子よ』)
【永井隆博士没後60年企画展】
http://www-sdc.med.nagasaki-u.ac.jp/abcenter/nagai60/photo.html
うちらの本ばこ おきて
ブタのようにおしりのよごれた子
ネコのようにあしのよごれた子
サルのようにてのよごれた子
イヌのようにわめく子
ウマのようにあばれる子
ウシのようによだれをたらす子
ヤギのように本をちぎる子
はいること おことわり
一九五〇年 こどもの日
浦上 永井 隆
《永井博士は、昭和二十五年(一九五〇)、
自分の家のへやに「うちらの本箱」
という図書室をつくりました。》
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上文は、図書室に貼り出していたそうな…愛なければ書けないやさしすぎるおことわり。永井隆さんの事もっと知りたい。そう思いましたので、少し長くなりましたが…シェア致します。
核はいらないよ。
長崎で終わりにと…天に還った永井隆さんのことばとは反対に、この世界は核で埋めつくされている。そして、日本で今まさに原爆により苦しむ人達が大勢いる。これから、もっと増えるであろう放射能の影響で被害被る子ども達・大人たちに…私たちは背を背けてはいけない。桃の節句に泣き崩れる親がいること忘れてはなりません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/c6/49bd234c1a10371bc50815a134c3cc58.jpg)
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永井隆 ながい・たかし 明治41年(1908年)2月3日~昭和26年(1951年)5月1日 http://www.geocities.jp/bane2161/nagaitakasi.html
【人類よ、戦争を計画してくれるな。原子爆弾というものがある故に、戦争は人類の自殺行為にしかならないのだ ~ 永井 隆】
【原子爆弾救護報告書:永井 隆】
原子爆弾救護報告
(昭和20年8月~10月の救護活動についての学長あての報告書)
昭和20年8月~10月
物理的療法科助教授第11救護隊長 永井隆
内容概要
原子説より発展した原子物理学は新なる動力原として原子エネルギーの解放利用の可能を既に実験的に証明してきたのであるが、米国科学陣はついにこれが兵器化に成功し、昭和20年8月6日広島に第1弾を投じ、次いで8月9日吾等が頭上に第2弾を投じ、大学を中心とする長崎浦上一帯の地を潰滅し、日本をして一挙敗戦国に顚落せしめた。
ここに簡単に原子爆弾の原理と爆撃の実況を述べ、一般放射線障害の概念を略記し、次に本隊の行動を詳細に物語り、西浦上、三山町に救護班を推進し、この附近の傷者について経験した事を記載した。ここで吾々は、125名の原子爆弾患者を診療した。
その治療延日数は1829日である。
開設期間は58日間。従業隊員は12名である。
死亡率は23%であった。症状を観察し、その発現期により、即発性、早発性、遅発性、晩発性にわかち、又外傷、類火傷、混合傷、早発性消化器障害、早発性血液障害、遅発性血液障害及間接的障害を記載した。
更に治療法として、自家移血刺戟療法を始めて試み特異な卓効を発見し多くの重症者を救った。又鉱泉療法を実施し、これまた卓効を見た。
即ち、自家移血刺戟療法では治療日数を対照例に比し、2週間縮少し、鉱泉療法ではやはり2週間縮少した。
また環境療法を尊重し、患者を自宅静養せしめた。更に爆心地人体障害の将来を論じ、又原子爆弾に関し当時の体験を基とし色々の考察を試みた。最后に余等の行動について厳粛な反省をなし、敗戦の責任を明かにしようとした。
結辞としてこれを機会に日本人の純粋科学への理解、放射線、原子物理学への関心を喚起し原子エネルギー平和的利用を熱望した。
INDEX :
第1章 原子爆弾に関する想像
第1項 原子の爆発
原子説―原子―原子構造 原子核化電子―核内エネルギー―原子の崩壊
第2項 爆撃の状況
意外な爆撃―爆撃方法―被爆状況―此世の地獄 夜の情景
第3項 原子爆弾の作用
作用の本態―3種の力―粒子団―電磁波―原子エネルギー―速度―到達距離 撒布密度 反射干渉―電離―二次線―水による吸収
第2章 放射線障害の大要
潜伏期―各組織の感受性―組織障害―全身障害
第3章 本隊の行動
第1項 爆撃当日
被爆―脱出―患者救出―病院炎上―離脱―露営
第2項 第2、第3日
朝の情景―薬事附近の救護―行方不明者の捜索―葬式―本部の活動
第3項 三山救護班
地勢―移動―診療開始―哀れな一行―隊員相次いで唐
第4章 今回患者の呈したる症状
第1項 症状の分類
症状の特徴―直接障害と間接障害―1次的障害と2次的障害―発症期による分類 即発性早発性 遅発性 晩発性
第2項 各症状の詳細
即死―類火傷―外傷―精神異常―全身症状―早発性消化器障害―早発性血液障害―遅発性血液障害―間接的障害―其他
第5章 今回患者の諸統計
第1項 全般に関する統計
患者数―性別―年齢―爆心地からの距離―転帰―治療日数―症状
第2項 各傷害別に於ける統計
外傷―類火傷―早発性血液障害―早発性消化器障害―遅発性血液障害―間接的障害
第3項 死亡者に関する統計
死亡者総数―死因―性別―年齢―年齢に対する死亡率―死亡期日―生存期間―爆心地よりの距離―環境
第6章 治療法
第1項 環境療法
環境と予后一実施
第2項 鉱泉療法
鉱泉の効果―六枚板鉱泉―効果
第3項 自家移血刺戟療法
方法-成績
第4項 一般対症療法
火傷―類火傷―早発性血液障害―早発性消化器障害―遅発性血液障害
第7章 将来の予想と対策
第1項 爆心地の居住問題
原因の究明―対策
第2項 人体に起こる障害
遅発性障害―晩発性障害
第3項 農作物
第8章 考察
第1項 爆弾
原料―放射線―沈降残留放射能物質―閃光―爆音―爆圧―火災の原因暗黒―火薬爆弾との差
第2項 人体損傷
症状の分類―症状の決定線量―距離―濾過
第3項 治療
第9章 反省
第1項 事前準備
指導者の誤導―大学
第2項 爆撃以後
油断―状況判断―機械搬出せず―救助状況―自己批判―恐
第10章 結辞
内容は下記へ
http://abomb.med.nagasaki-u.ac.jp/abcenter/nagai/index.html
【永井隆博士の人生と長崎との出会い】
http://base.mng.nias.ac.jp/k15/Nagai.html
原爆被爆後、半年間、喪に服し、「平和」と
「復興」を「祈り」の中で求め続けていた。
永井隆博士の功績
永井隆博士は、助教授をつとめる長崎医科大学
付属病院で被爆した。
自らも重い傷を負ったその直後から、負傷者の
救護や原爆障害の研究に献身的に取り組んだ。
やがて、彼の思いは医師としての役割から、長
崎の町と文化の復興、そして平和の願いへと広
がっていく。
被爆以前から患っていた白血病が次第に悪化す
るが、病床についてからも、執筆活動を通して
その実践を貫いた。
被爆から6年の命だったが永井隆博士の足跡か
らは、平和への切実な祈りが聞こえてくる。
【永井隆記念国際ヒバクシャ医療センター】
http://www.hibakusha.jp/
長崎の鐘 http://www.aozora.gr.jp/cards/000924/files/50659_42787.html
この子を残して
http://www.aozora.gr.jp/cards/000924/files/49192_39848.html
本当の平和をもたらすのは、
ややこしい会議や思想ではなく、ごく単純な愛の力による。
― 永井 隆 ― (『いとし子よ』)
【永井隆博士没後60年企画展】
http://www-sdc.med.nagasaki-u.ac.jp/abcenter/nagai60/photo.html