浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

恩師の歌集「愛」より

極楽と地獄の在り処
たずぬれば我が内にこそ
共にあるなれ

「御垂訓」

2019-10-14 23:41:03 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~


                    講演 七

先の続き・・・

日頃から心を重くし自分の心を苦しめていますと、
この世を去った時、
必ずその続きの世界へ帰っていくことになります。
この世で苦しめば、あの世へ行っても苦しみの世界が続くのです。

今の生活が心満たされたものであり、感謝の生活であり、
またご奉仕によって他の方々を生かす愛の実践をしておりましたら、
「ああ良かったなあ」という思いを持ってあの世へ帰りますから、
その思いと同じ世界へ帰っていくわけです。

「心」の勉強をしますと、
だんだんと心が深くなり理解が深まっていき、
過去は過ぎ去ったもので、
絶対に戻らないということがよく理解できます。

また未来はまだ来ておらないのですから、
今の一瞬一瞬の心の在り方がいかに
大事か、この一瞬の積み重ねが、
未来の自分の姿であることもよく分かってきます。
今の一瞬を自ら苦しめないように生きることが
大切ではないかと思います。


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「御垂訓」

2019-10-13 23:29:34 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~


                    講演 七

今日は真夏の厳しい暑さの中をこうして
たくさんの方に集うていただきまして、誠に有難うございます。
お互いに「心」について学べますことは、
人間として生まれて最も尊いことでございます。

私たちの本質は心であり、肉体は仮のものでございまして、
この世を去る時には置いていかねばならないものです。
数多くある宗教は、現生利益を主としています。
お参りをして、病気を治して下さい、金持ちにして下さい、
商売繁盛させて下さい、
家の中がうまくいくようにして下さいと言ってお祈りをします。

こういうお祈りをさせるのが宗教ですが、
これらは全部消え去るべきもので、
あの世に帰る時に持って帰れないものに対しての欲望であり、
ほんとうの幸せにつながりません。

ほんとうの幸せとは心の安らぎです。
心に安らぎがなければ、
この世の生命が終わって見えない世界へ帰って行く時、
心のあり方が分からないから、迷わざるをえません。


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「御垂訓」

2019-10-13 01:45:08 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~


                    講演 六

「神仏の大慈悲に感謝し万象相互の調和の心が
            神意なることを悟るべし」

先の続き・・・

求めて得られないようになっているのがこの世の実相です。
求めて全てが得られるのでしたら、人は苦しむことなどないのです。
与えられないから皆苦しんでいます。
だから求めないことです。
たださせていただくのが、幸せへの道です。
 
私たちはどのようなことがあっても心を苦しめないようにと
話しましたが、これはそう簡単にはできません。
腹を立てまいと言っているはしから腹の立つことが
起こるようになっています。

そして見えない世界からテストを受けるのですね。
「私は一生懸命頑張ったから、この頃腹を立てないようになった」と
思っているところへカッカカッカと怒ることが起きてくるのは
守護霊さんがテストをしてくれるのです。

心の修行は言うに易しく行うに難しいと思います。
しかし私たちは訓練することです。
絶えず休みなしに練習訓練をしていきますと、
やがて上手になってきます。
そのようにして頑張っていきたいと思います。


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「御垂訓」

2019-10-11 23:20:48 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

添付のお写真は恩師「長尾弘」先生がイギリスのロンドンで癒しをされた時、
十一年間車椅子の生活をされていた青年が恩師の愛の癒し(奇跡)によって自分で立って
歩けるようになりました。癒しと言うよりもこれは神のなせる奇跡だと思います。
その次の日に会場に自分で自転車に乗ってこられて、
その喜びを会場の皆様に報告されているところです。


~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~


                   講演 六

「神仏の大慈悲に感謝し万象相互の調和の心が
                神意なることを悟るべし」

先の続き・・・

不思議なもので、心から私のことを思っていただく方から
「自分の胸の中にいつも長尾先生が坐っていて下さいます。
ほっと思えば先生の顔がここに浮かんできます」
と言っていただけます。

それは常に私の話を思い出していただき、
私と接した時の思いを心の中に抱いて下さるからですね。
私はそういう方の心の中に常に生きていられます。

ですから一人でも多くの方のために善き行いを積み、
善き行いをもって一人でも多くの方の魂の中に自らを
生きさせてもらうことですね。
自分を捨てた愛の実践、
これは必ず人の心の中に入っていきます。

もし望むものをもって「こうしてあげるから、こうしてほしい」、
或いは「こうしたから、
あんな風にしてもらわなくてはいけない」と
いう思いを持って行為しました、
これは自らを苦しめることになります。
徹底した無償の愛の実践をすることです。

この時は心に苦しみが残りません。
相手に笑顔を求めても、感謝の心を求めてもいけません。
ましてや物や金を求めてはいけません。
いっさい無償、そして自分は何をさせていただいたとか、
どなたにさせていただいたという思いもすべて捨てることです。

その時は、心に苦しみが湧き上がることはありません。
あたかも池の鯉に餌をやるごとくさせていただくことです。
餌をやりながら、鯉に「この餌を返してね」と
言う人はいないと思います。
この心がけが大切ではないかと思います。
しかし餌をやるからといって、
その餌に針と糸をつけて投げてはいけません。



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「御垂訓」

2019-10-10 23:18:32 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

添付のお写真は恩師「長尾弘」先生がご講演会の後、舞台で癒しを
されているワンシーンです。


~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~


                  講演 六

「神仏の大慈悲に感謝し万象相互の調和の心が
                神意なることを悟るべし」

先の続き・・・

しかもその一日一日は再び帰ってこないのです。
もし取り返しができるのでしたら、
私の髪の毛はすぐ真っ黒になるのですが、
時間の取り返しはできません。

しかしこれは自然現象で、髪が薄くなる方、
白くなる方は自然の定めであり、
いずれにしてもやがては必ず皆この世から消えていきます。

いつまでも生きたいと思う方がありますけど、
人は適当な時に死なせてもらうのが一番いいのです。
もっと良いのは惜しまれるうちに桜の花のように散らせてもらえたら
最高です。

朽ち果ててから散ったのでは愛想をつかされます。
桜という花は大変綺麗で人の心を引きます。
春の嵐に「もうちょっと咲いていてほしいなあ」と
思う時にハラハラと散ってしまうから「もったいないなあ、
惜しいなあ」と思うのですね。

私のような者が何も望むことはなく、
自分の思いいっさいなしに、
こうして日本国中から招いていただいて、
そしてこんな拙い話を聞いていただき、

「お陰様で救われました」お陰様で病気が治りました」
「心の苦しみから救われました」と、
数えきれない方々が幸せになっていただいております。
これは人としてこの世に生を頂いて、
人間として今の私は最も花の満開した時ではないかと
思わせていただいております。

私は高橋信次先生よりも、もう十年長生きさせていただきました。
出来ることなら日本のあちらこちらから、
私の代わりにこうしてお話して下さるお方が
目覚めていただけますように、
そして次の人々を救っていただけますように―――
そうなりましたら私はもう安心して散っていけます。

私が散りましても、
私の咲かせた花は皆さんが実らせてくれたらいいのです。
散った後に「あの人はこんなことを言ったなあ」と言って、
実らせて下さったら私の努めは終わるのですね。
そのように惜しまれる間に散らせてほしいのが私の心境です。


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「御垂訓」

2019-10-10 02:09:49 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~


                   講演 六

「神仏の大慈悲に感謝し万象相互の調和の心が
                   神意なることを悟るべし」

先の続き・・・

あらゆる宗教は「感謝をしなさい」と教えますが、
なぜ感謝しなければならないのかというほんとうの理由は
教えていただけません。

これも原因結果の法則から見ますとはっきり分かります。
「有難うございます」と感謝しておりますと、
その感謝の思いの中には怒りも愚痴も恨みも憎しみも
入ることはできませんから、
万象万物すべてが神の御姿であればすべてのものに
「有難うございます」「有難うございます」と感謝の時間を
長く持てば持つほど私たちの心に苦しみの原因が
入ってくることがないからです。

私たちの心は「一念三千」といって一瞬にして三千の方向に
動き回りますが、
どんな器用な方でも同時に二つのことを思うことはできません。
一つ一つしか思えないように心は作られていますから、
感謝に心を向けておりますと、外のことを思えないのです。

感謝とは心を苦しめる悪しき想念から
自分自身を守る武器であったのです。
このように思わせていただいて、
お日様を見ては「有難うございます」

熱・光を頂いては「ああ有難うございます」、
お水を頂いては「ああ有難うございます」、
花を見て人様を見ては常に「有難うございます」と思う時間が
長ければ長いほど平安に過ごせます。

今日一日がそのような感謝の心で過ごせましたら、
平均寿命が八十年としましても三百六十五日を掛けてみて下さい。
三万日もありません。


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「御垂訓」

2019-10-08 23:52:04 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

添付のお写真はイスラエルの山上の垂訓の丘に建立されている「祝福の教会」を
訪問した時、下山途中で一休みされている恩師「長尾弘」先生です。


~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~


                    講演 六

「神仏の大慈悲に感謝し万象相互の調和の心が
                  神意なることを悟るべし」

先の続き・・・

嘘を言わなかった時、恨み憎む方が一人もなかった時
どれほど心が平安であるか、―――
私は世界一の幸せ者ではないかと思っています。
集うて下さる方々は皆すばらしいお方ばかりです。

日本国中どこへ回らせていただいても
全部すばらしいお方ばかりが集まって下さいます。
世の中にはすばらしくないお方もおられるはずですが、
そんな方は私の側へ来て下さいません。

そしてどこへ行っても愛され重宝していただけます。
なぜ私のような者をこんなに大事にしてもらい、
皆様の愛をそのまま頂けるのか、
それは私がたださせていただくから、
愛の実践をさせていただくから、
皆様から大事にしていただけるのですね。
ですから日々の生活で、
まず家庭の中で心から愛の実践をすることです。
たださせていただく時、自分がしていただけます。
    
イエス様はこのようにもおっしゃっています。
「自分のしてほしいと思う事を人様のためにしなさい」と。
「あなた達はお互いに愛し合いなさい」ともおっしゃいました。
愛するという原因を作りますと愛されるという
結果が出てくるからです。

原因結果の法則の中にすべてのものが含まれており、
この法則から誰も逃げだすことはできないのです。
そのことをよく理解しますと、愛することによって愛され、
させていただくことによってしていただけるということが
よく分かります。


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「御垂訓」

2019-10-08 00:35:44 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~


                   講演 六

「神仏の大慈悲に感謝し万象相互の調和の心が
                 神意なることを悟るべし」

先の続き・・・

間違った信仰では、会を脱会しようとしますと
必ず罰が当たると言って脅します。
えらい目に会うとか祟りがあるとか言いますが
あんなものは全部嘘です。

これは組織というエゴがそのように言わせているだけで
ほんとうの神様とは全く無縁のことです。
神様はそんなことにはいっさい関係なしに、
ただ幸せになってほしい、幸せな人生を過ごしてほしいと、
その愛を私たちに注がれています。

どれほど罪を犯した人間であっても、
いかに国が違ってもそれらにはいっさい
関係なしに「すべてがいとおしい、幸せに生きよ、健やかに生きよ」と
言われます。

もしその苦しみがたとえ他の方から与えられたものであったとしても、
私たちが自分の心を自分で苦しめ時、
父なる神はご自身の苦しみのように辛い思いをして下さるのです。

何が最も罪深いかといいますと、
それは自分の心を苦しめることです。
自分を苦しめる原因は腹を立てることです。

私たちは平気で腹を立てて、
もう堪らなくなるとカッカカッカと頭から湯気を上げますが、
これは自分を苦しめているのですね。

怒り、妬み、謗り、愚痴、恨み、憎しみ、貪欲、
取り越し苦労が苦しみの原因です。
また過去の苦しみをいつまでも離さないことも苦しみです。
過ぎ去った出来事はすでに死んだ出来事です。
絶対に帰っては来ません。

その帰ってこないものに対していつまでも自分の心を苦しめることは
神のご意志に背く行為です。
自分の心を苦しめることは全部神様に背いているのだという
この真理を知ることです。
その時私たちの心から怒りが消えます。
怒りが消え去った時どれほど心が安らかであるか知れません。


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「御垂訓」

2019-10-06 23:12:56 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

◆添付のお写真は多くの皆様が先刻ご存知のものですが、
 恩師「長尾弘」先生のお体全体から光がご覧のように出ています。
 このように綺麗な黄金の色はその方の心が清く慈愛に満たされて
 いるからだそうです。


~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~


                    講演 六

「神仏の大慈悲に感謝し万象相互の調和の心が
                神意なることを悟るべし」

先の続き・・・

私たちも自分にとって都合の悪い方、自分に良くしてくれる方、
或いは悪口を言ってくれる方に対しても、難しいことですけれども、
どんなふうに言われようがされようが、
なお燦燦と与え続ける太陽の御姿をお手本にしいて
生きたいと思います。

あの太陽の御姿そのものが神ご自身の御姿です。
私たちも神の子としてそのように努力して生きるべきです。

私たちはよく人を裁きます。
気に入らない人に対してはすぐ言い返したり、
こきおろしたりしてその人を裁き、復讐し、
仕返しをしようとしますね。

これも神の心に背いております。
お日様から仕返しは受けません。
頭の上におられるお日様に向かって
「暑いなあ、照りつけやがって」と言って唾を吐きかけてみなさい。

その唾は必ず自分に返ってきますが、
これはお日様とは関係のないこと、神様に関係のないことです。
天に唾した行為が自分に返っただけです。
これを天罰覿面といいます
自分で自分に罰を当てているのであって天はそんなものは
知らん顔をなさっています。


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「御垂訓」

2019-10-05 23:31:44 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~


                  講演 六

「神仏の大慈悲に感謝し万象相互の調和の心が
                神意なることを悟るべし」

先の続き・・・

生活を正した時には、そのような夢はいっさい消えるはずです。
そして夜休む前、或いは朝のトイレの中ででも神様に対して心から
「お父さん、お父様」と呼べるような自分をつくることです。

神様を「お父様」と呼ぼうと思いますと、
神様の御心から少し離れても恥ずかしくて
呼べませんからこれは厳しいものです。
完全に神の子としての一日を過ごした時、胸を張って
「お父さん有難うございます」と父なる神に感謝できるはずです。

その時父なる神と自分とはほんとうに親子であったと
思うことができます。
神様の御心を私たちがこの肉体をもって実践することです。
神様の御心の実践とは相互依存、
お互いに持ちつ持たれつの助け合い励まし合いで生きることです。
    
もう少し細かく砕いていいますと、
私たちは自分の都合の悪い方はすぐ差別をします。
「あの人は嫌な人」、ひどくなりますと
「あんな嫌な人とものも言いたくない」
とか「あの人のほうを向いて小便もしたくない」とか言います。

嫌な人のほうを向いて小便するのももったいないというのですが、
それほど嫌うこと自体、差別をしているのです。
あの太陽の熱・光のように、いっさい差別なく
平等に生きる思いを持たせていただくように、
神の子であればこれを実践するのは当然のことです。

私たちは自分の悪口をちょっと言われると、
たちまち三倍五倍にして返そうとします。
「私は何も言っていないのに、あの人は私のことをこんなに悪く言った、
もう許せない」と、今度はその人の悪口を一生懸命に言うのですね。

しかしお日様を見て下さい。
どれほどお日様を侮辱しても、
どれほど悪口を言って怒鳴ってもいっさい関係なしに、
ただ熱と光とを燦燦と与え給います。



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「御垂訓」

2019-10-04 23:23:49 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~


                  講演 六

「神仏の大慈悲に感謝し万象相互の調和の心が
                神意なることを悟るべし」

先の続き・・・

どぶ漬けというのがありますが、
私たちは有難いことに神様漬けです。
それをはっきりと自覚させていただくだけでも私たちは
どれほど有難いことか知れません。

神様の中にいるのですから不安とか恐怖とかいったものは
本来は無いものです。
それを知らないから不安や恐怖に襲われるのです。
私はいつも神様の御胸の中に抱かれているということを知っています。
そのために大安心です。
まったく恐怖はありません。

しかしそれを知りましても、日々の生活でもしも思うこと、
行うなうこと、語ることが間違っておりますと恐怖が襲ってきます。
嘘を言ったとしますと、やがてばれます。
ばれるからまたさらに嘘をつきます。
嘘がばれないかと思うその思いが恐怖です。

また、悪事や間違ったことをしますと、
私たちの心の中にやはり神の心である
良心、神我なる我がちゃんと居て下さって、
その神が自分を裁きます。

そして表面の意識が恐怖に襲われます。
夜休みますとすごく怖い夢を見ます。
逃げても逃げても追いかけられる夢を見たり、
崖っぷちから落ちそうになって「ああ怖い」としがみつくと、
しがみついた所からまた崩れてきて、底知れない所へ落ちそうになり
必死になって逃げようとしている夢などを見たりします。
私が悪がきの頃、そのような夢をいつも見ました。
しかし今はいっさい見なくなりました。

意識の中に恐怖をもった生活をしていますと、
夜休んだ時に恐怖に襲われる夢を見るわけです。
夢はただ寝ている間に起こるものと思っておりますが、
これは私たちの昼の生活が夜の意識の中に現れているということです


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「御垂訓」

2019-10-03 23:30:04 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

添付のお写真は今を去ること二千五百有余年前、お釈迦様が
好んで「法」をお説きになられた霊鷲山(りょうじゅせん)の
山頂で昇る朝日をカメラを片手にお待ちになられている恩師
「長尾弘」先生です。


~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~


                    講演 六

「神仏の大慈悲に感謝し万象相互の調和の心が
               神意なることを悟るべし」

先の続き・・・

この教えは今、磯ノ上の浄心庵でお話をさせていただいておりますが、
しかし宇宙の果てへ行ってこの同じ話をしましても
「ああなるほどそうか、その通りだ」と、通じる話です。
こういう教えこそはほんとうの正法であり真理です。

ですから「教え」が、日本でしたら日本だけ、
或いは韓国なら韓国にだけしか通らないような教えであれば、
それは正法・真理ではないわけですね。
日本にだけおられる神様で、外国におられない神様は、
これは正しくない神様です。
 
地球そのものは神のご神体であり、
地球そのものが神様の御姿の現れの一つですから方角が
悪いとか良いとかいいますが、
神様のご身体の中に悪い場所のあるはずがありません。

これらのことはすべて人間が拵えたものであり、
しかも人間が自分の都合により、
またその国を治めた権力者の都合によっていろいろと
定められたものが、場所や方角の迷信となって
世に広まっていったものです。

地球は神のご身体であり、
地球上どこへ行きましても大いなる神の愛に満たされています。
ここだけは神様の手の届かない場所という、
そんな所はどこにもありません。

トイレの中でもお風呂の中でも山の上に登っても
海の中にもぐっても全部神様の中にあるわけです。
いってみれば神様漬けになっているようなものですね。
寝ても起きても神様の慈愛の中に包まれています。
いってみれば神様漬けになっているようなものですね。


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「御垂訓」

2019-10-01 23:31:41 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~


                   講演 六

「神仏の大慈悲に感謝し万象相互の調和の心が
                 神意なることを悟るべし」

先の続き・・・

引力は目に見えませんが、
ちょうど歯車ギヤのようなつとめをしております。
銀河系にはこの太陽系のような星の塊が二十億個もあるそうです。

太陽系の中で地球という生物の生存を許された星が
一個あるということは、十分の一の確率ですね。
十分の一に生物が生存可能な環境を与えられていますから、
別の太陽系にもやはり同じような確立で地球のようなものがありますと、
この銀河系だけで生物の生きている星は
約二千億個あることになります。

その中には地球よりもっと古い歴史を持った星もありますし、
また地球より若い星もあります。
古い歴史を持った星はそれだけ科学も進んでいるでしょうから
UFOという未確認飛行物体は、
そのような天体から地球へ時たま訪れる姿なのでしょう。
テレビでよくUFOの話をしていますが、ああいうものが来ても別に
不思議はないのです。

しかし分からないからびっくりします。
空から円盤のようなものが飛んできたら
「ウワァーおそろしい」「お椀が飛んできた」と言いますけど、
そういうものの存在はあって当たり前のことです。

銀河系の中を見ましても、
太陽系そのものの力によって他の太陽系(惑星系)を
運行させているのです。

これが大宇宙の果てに至るまで全く同じ力をもって動かされており、
その作用は相互依存で、お互いに持ちつ持たれつという法則の中に、
大宇宙の隅々までもその力をもって示されています。




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「御垂訓」

2019-10-01 01:34:11 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~


                    講演 六

「神仏の大慈悲に感謝し万象相互の調和の心が
                   神意なることを悟るべし」

先の続き・・・

相互依存といいますのはお互いに持ちつ持たれつということですが、
人間という字の人は「ノ」と「、」が持ちつ持たれつを表し、
その「間」に生きることを表しています。

自然界の太陽系を考えてみますと、太陽を中心として九つの惑星、
つまり火星・木星・金星・地球などという星があり、
それが一秒の狂いもなく循環しています。

遠く離れているから関係はないと思うのですがお互いに
作用し合って動いています。
昔の時計を分解しますとゼンマイが入っていますね。
ねじを巻きますとゼンマイの力によってギヤが回ってきます。

また無数の歯車が入っていて、
その歯車はゼンマイのばねにエネルギーをもとにして回ります。
回ることによって次の歯車を回し、
さらに次が回されることによってその次を動かしています。

これとまったく同じことで、
太陽というエネルギーによって各惑星が回わされているのですが、
これが惑星毎に独立して回っているのではなくて、目に見えない歯車、
つまり引力の作用によって自分が動き、
動くことによって他を動かしています。
太陽系はこのように調和されています。



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