恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より
第五章 心の曇りをとるための反省
幼い頃から今日までの自分の姿を立体映像で見せられる
先の続き・・・
私たちの心の中には肉体の五官により湧き起こる煩悩がつくる想念帯という
心の曇りの場所があります。
それが破れてしまう時、五官の感覚がまったくなくなってしまいます。
これは後でわかったことですが、
その時の心の状態はこういうふうになったのだなと知ることができました。
その時の心境は、見るもの見るものすべてがいとおしくて、
いとおしくてたまりません。
そこらに生えている草、大地に生えている苔に腹ばいになり、
ああよかったなあと苔や草に頬ずりをし、
樹に抱きつて頬ずりをして喜びました。
それはなんとも言えない喜びでした。
私たちは通常でも、心の中になんのわだかまりもない時、
晴れやかな気持ちになります。
徹底して反省をし、
心の奥の奥の塵芥まですっかり洗い流すように
意識の光ですみずみまで照らしたなら、
このように喜びあふれる体験が誰にでもやってくると思います。
ああ、私は自然の一部であり、自然と私は一体であったのだ。
私は神の一部であり、神と私は一体であったのだと強く感じました。
また、まことの道を歩み続けたなら、
やがてなんの包み隠しもない心となり、
喜びと感謝の気持ちで本当に神様に向き合うことが
できるところまで行けるはずです。
この時、ついに心に法灯をいただくことができたと思いました。
私は光である、法である、私は道であるという自覚を得ました。
それは素晴らしい喜びであり、法の喜びであります。
それは口や言葉ではとても言い表すことのできない喜びです。
私は自分自身の信念と直観にしたがい、
誰がなんと言おうと自らの決心をもって山にこもり、
そこで何日も坐り反省をいたしました。
これは反省の実践を真剣にやることが、
こんなにもありがたい結果を生み出し、
自分の心を楽にしてくれるのだということを、
身をもって体験させていただきました。
この時、反省とはありがたいものだなあとつくづく
思わせていただきました。
今この世にある自ら尊師、霊能者、占い師を
名乗る方々でも、どんな大神殿や
大教会におられる教祖様でも、
その真偽を見通す能力も与えられました。
人の心の中も同じことです。