第6話 メタエンジニアリングによる文化の文明化のプロセスの確立(その9)
TITLE: 文化の文明化へのプロセスの入り口
第1次世界大戦からほぼ1世紀が過ぎた。この間に発行された多くの著作から、優れた文化の文明化のプロセスの入り口が見えてきた。当初は、未開の文化や文明への興味本位のものが、第2次世界大戦後に多くの国家が独立し、世界中の全ての文化を平等な視点から評価し、分類してゆく作業が始まった。
それと同時に、現在の西欧型の科学・機械文明の致命的な欠陥が見えてきた。即ち、有限の地球との間に大きな矛盾が存在する、という考え方である。それからは、文明の衰退や、新たな文明の成長の過程に対する研究に移行し、20世紀末が文明の転換期であろうとの推論が多く出されるようになった。つまり、現存の文明もまた衰退期にある、という理論である。古代の4大文明に始まり、マヤ文明、ローマ帝国文明などの衰退の原因から、現代文明に共通する衰退の原因もいくつか明らかになってきた。そのひとつが、西ローマ帝国の崩壊である。
長期間にわたって、全盛期を保ったキリスト教文明が、ゲルマン人の侵入によりあっけなく滅んでしまった。その主たる原因は、ものつくりや職業の極端な専門化と、流通のインフラ整備だとの説がある。つまり、自分で何もしなくても欲しいものが容易に手に入る状態が全土に行きわたってしまった結果だという。そのようなときに、大きな想定外のことが起こると、人民は正しい自己判断や、身を守ることが難しくなるという訳なのだが、この状況は東日本大震災時の大きな津波への即応が、多くの地域で誤り、甚大な被害を生じさせたことに通じる。
「文明の衝突」は、日本語の題名のために衝突ばかりが注目され、最近の国際間及び民族間紛争を予見したとして有名になった。しかし、原題では、衝突の後に「andリメイキング」となっている。紛争を未然に防止したり、拡大を防ぐことは、主として政治家の役割であるが、文明のリメイキングは一般人の問題である。特に、現代文明をリードしてきた科学者と技術者がこの問題を真剣に考えなくてはならない。
次の文明に対するヒントを記した著書は沢山ある。しかし、どの主張にも共通点が見出される。それは、次の3点に集約される。
① 自然と対抗するのではなく、自然と共生すること
② 美的感覚を重視すること(美しい、イカシテいる、スマートなど)
③ ローカル文化の中に含まれる不合理性の排除
である。
これらが、当てはまる事例が存在する。19世紀後半の絵画の世界だ。ルネッサンスを含み、絵画は専門の絵師が、肖像画・歴史画・宗教画を描き続けていた。そこへ、印象派の登場である。印象派は、戸外の自然を大切にし、光の美しさを強調し、過去の絵画の不合理性を除いた。そして、それ以降は多くの流派が台頭し、多種類の画家が生まれた。このことは、芸術の世界では、正に文明の転換であったといえよう。
文明学者の間では、遠く奈良時代から現代まで続く日本文明が注目をされている。その理由は、主に前出の①と②が当てはなるからだろう。しかし、③については、日本人が考える以上に、日本文化は不合理な点が多々ある。それらの多くは、長年の国際共同開発の現場で気づいたものなのだが、多くの日本論の著書で紹介されているので、ここでは割愛する。今後の各論で項目ごとに指摘を試みることにしたい。
今までに考えていた優れた日本の文化は、次の通り。
① 和食の文化
② 日本の省エネ文化
③ 日本の品質管理文化
これらは、すでにいくつかの局面で紹介をしたのだが、改めて文明論的視点から見た不合理なことは何かを考えてみようと思う。
TITLE: 文化の文明化へのプロセスの入り口
第1次世界大戦からほぼ1世紀が過ぎた。この間に発行された多くの著作から、優れた文化の文明化のプロセスの入り口が見えてきた。当初は、未開の文化や文明への興味本位のものが、第2次世界大戦後に多くの国家が独立し、世界中の全ての文化を平等な視点から評価し、分類してゆく作業が始まった。
それと同時に、現在の西欧型の科学・機械文明の致命的な欠陥が見えてきた。即ち、有限の地球との間に大きな矛盾が存在する、という考え方である。それからは、文明の衰退や、新たな文明の成長の過程に対する研究に移行し、20世紀末が文明の転換期であろうとの推論が多く出されるようになった。つまり、現存の文明もまた衰退期にある、という理論である。古代の4大文明に始まり、マヤ文明、ローマ帝国文明などの衰退の原因から、現代文明に共通する衰退の原因もいくつか明らかになってきた。そのひとつが、西ローマ帝国の崩壊である。
長期間にわたって、全盛期を保ったキリスト教文明が、ゲルマン人の侵入によりあっけなく滅んでしまった。その主たる原因は、ものつくりや職業の極端な専門化と、流通のインフラ整備だとの説がある。つまり、自分で何もしなくても欲しいものが容易に手に入る状態が全土に行きわたってしまった結果だという。そのようなときに、大きな想定外のことが起こると、人民は正しい自己判断や、身を守ることが難しくなるという訳なのだが、この状況は東日本大震災時の大きな津波への即応が、多くの地域で誤り、甚大な被害を生じさせたことに通じる。
「文明の衝突」は、日本語の題名のために衝突ばかりが注目され、最近の国際間及び民族間紛争を予見したとして有名になった。しかし、原題では、衝突の後に「andリメイキング」となっている。紛争を未然に防止したり、拡大を防ぐことは、主として政治家の役割であるが、文明のリメイキングは一般人の問題である。特に、現代文明をリードしてきた科学者と技術者がこの問題を真剣に考えなくてはならない。
次の文明に対するヒントを記した著書は沢山ある。しかし、どの主張にも共通点が見出される。それは、次の3点に集約される。
① 自然と対抗するのではなく、自然と共生すること
② 美的感覚を重視すること(美しい、イカシテいる、スマートなど)
③ ローカル文化の中に含まれる不合理性の排除
である。
これらが、当てはまる事例が存在する。19世紀後半の絵画の世界だ。ルネッサンスを含み、絵画は専門の絵師が、肖像画・歴史画・宗教画を描き続けていた。そこへ、印象派の登場である。印象派は、戸外の自然を大切にし、光の美しさを強調し、過去の絵画の不合理性を除いた。そして、それ以降は多くの流派が台頭し、多種類の画家が生まれた。このことは、芸術の世界では、正に文明の転換であったといえよう。
文明学者の間では、遠く奈良時代から現代まで続く日本文明が注目をされている。その理由は、主に前出の①と②が当てはなるからだろう。しかし、③については、日本人が考える以上に、日本文化は不合理な点が多々ある。それらの多くは、長年の国際共同開発の現場で気づいたものなのだが、多くの日本論の著書で紹介されているので、ここでは割愛する。今後の各論で項目ごとに指摘を試みることにしたい。
今までに考えていた優れた日本の文化は、次の通り。
① 和食の文化
② 日本の省エネ文化
③ 日本の品質管理文化
これらは、すでにいくつかの局面で紹介をしたのだが、改めて文明論的視点から見た不合理なことは何かを考えてみようと思う。