生涯いちエンジニアを目指して、ついに半老人になってしまいました。

その場考学研究所:ボーイング777のエンジンの国際開発のチーフエンジニアの眼をとおして技術のあり方の疑問を解きます

20年前からの記憶をたどるシリーズ(M01)

2020年05月25日 15時19分43秒 | 八ヶ岳南麓と世田谷の24節季72候
八ヶ岳南麓と世田谷の24節季72候(M01)

場所;一紀荘  月日;2000頃
テーマ;記憶     
作成日;R2.5.25  
                                              
TITLE:20年前からの記憶をたどるシリーズ(M01)

 人類がつくる全てのものは、すべて自然の恩恵を受けている。全ての材料の素材は、自然が作り出したものである。全てのものは、大自然(全知全能の神)が設計したものである。第一、人間もそのひとつだ。
 
 ものつくりの設計は多くを自然から学んだ。初期の人力飛行機が、鳥の羽や羽ばたきを模したことは、多くの映像で楽しむことができる。ジェットエンジンはどうであろうか。エンジン史の多くは、その起源を古代エジプトのヘロンのアエロピテルに求めている。
私は、その元は古代人が見た火山だと思う。現在のエンジンで見れば、停止時は休火山。アイドリング時は噴煙を噴く活火山、そしてテイクオフ時は爆発である。火山の麓には大きな岩が忽然と現れる。きっと大昔に火口から飛び出したものなのだろう。私は、時々それが 古代のジェットエンジンの風化したものと感じることがある。あるエアラインの整備部門の標語である「エンジンが止まると飛行機は石になる」を思い出す。
 


 優れた設計者は自然に学ぶ、だから自然に親しむ心が大切だと思う。設計者の頭の中は、寝ても覚めても設計のことでいっぱいな時がある。そんなときの休養は自然の中に身を置くことが一番良い。多くのひらめきを感じることもあるが、心のリフレッシュは人生の楽しみを色々と与えてくれる。
 
 私が、八ヶ岳の南麓に小さなログハウスを建てたのは、21世紀の初頭、2001年の夏であった。そこで、「一紀荘」と名付けた。一郎と由紀子の表札代わりでもある。標高は、1130m、唐松と白樺を主とする落葉樹の森の中なので、夏は涼しく快適であり、冬はすべての葉が落ちて富士山や甲斐駒、北岳が朝日に輝くところを楽しむことができる。
 そんな中では、四季折々の自然をカメラに収めることが、写真家でなくとも日常のしぐさになってしまう。そして、その時の感情が文章になり添えられる。だから、この書は自然発生的に出来上がってきたものなのだろう。ほんの百坪の土地に建てたフィンランド製の量産品のログハウスであるそこの名前を、元々その土地に生えていたカラマツの丸太に彫って表札とした。


 
 場所は小海線の線路から編笠山を目指して1kmほどまっすぐに唐松林を登ったところで、春夏秋冬の季節感が東京とは比べものにならない。春は山野草のガーデンが自然にできる。鳥たちが色々な種を運んでくれるのだ。夏の避暑、秋の紅葉は真っ先に始まる。八ヶ岳からの冷気で晴れた朝の気温が想像以上に下がるためと思う。冬の雪は東京並みなのだが、晴れた朝には気温が楽々マイナス15度を示す。
 世田谷の我が家からは150km、途中で休まなければ二時間のドライブである。だから、東京からのお客さんも度々ある。毎年一度、「セットウの会」(1980年代に日英共同開発エンジンを設計した当時の仲間)のメンバーを集めてのBBQも恒例になった。そんな景色を書き留めておこうと、少しずつ書きためることにした。
 
 はじめは二十四節気のつもりだったが、これだけではページ数が寂しい。思い切って七十二候も加えることにした。二つを足すと合計で96候になるが、それほどの季節の変化があると感じたからである。
 自然には、まだまだ人知の及ばないことが沢山ある。合理性についても、今の人類の活動はどう見ても、自然に勝っているとは云えない。そのように考えれば、もっと自然をそのままの姿で見つめ続けなければ,真の設計は出来ないとの結論に行きつく。
 科学を学び、それを社会に役立てるために工学を用い、更に哲学を考えることで、正しい設計が出来るのである。近代の哲学は、人の頭の中にあるようだが、ギリシャ、ローマにもどれば、哲学は圧倒的に自然の中にのみ存在をする。

 これは、約10年前に八ヶ岳南麓での生活の10年間を記しておこうとして「デザイン・コミューニティー・シリーズ」の第4巻を纏める際に「まえがき」として書いたものだ。それから10年の間に、随分と生活環境が変わってきた。「一紀荘」は、夏だけの棲み処となり、冬の4か月間は全くより付かなくなってしまった。そこで、当時の原稿を掘り起こして、今の気分を少し加えて書き直してみることにした。どのような変化があったのかを、確かめるために。
 さらに今年は、新型コロナによる緊急事態宣言のために、世田谷ナンバーの車は、ばい菌扱いされるので、我が家から山梨県へのドライブは、今日までできなかったが、そろそろ出かける準備ができそうな状況になった。
                    新型コロナによる緊急事態宣言が、「解除」になる日に

八ヶ岳南麓と世田谷の24節季72候(35)新型コロナ禍の中の立夏

2020年05月16日 12時17分23秒 | 八ヶ岳南麓と世田谷の24節季72候
八ヶ岳南麓と世田谷の24節季72候(35)  
場所;世田谷の庭 
テーマ;Stay Home 
作成日; R2.5.16                                                

TITLE: 新型コロナ禍の中の立夏

 3月から感染を防ぐための在宅が始まり、はや2か月半が経過した。おかげで、八ヶ岳南麓での滞在は、ずっとお預けになっている。ここ数年は、季節ごとの変化がどこかおかしい。春と秋がなくなって、夏と冬だけが交代でやってくるような気がする。つまり、間服(あいふく)の出番がない。
 
年ごとの変化も激しい。八ヶ岳南麓の積雪量が多かったり少なかったりは自然として、果樹の収穫量が大変化をする。八ヶ岳ではジュンベリーとブルーベリーとリンゴなのだが、20年間のブルーベリーの収穫の最大はH28年の23kg、最小はH26と30年の1kgだった。以前にはそのような大変動はなかった。世田谷の庭では、キンカン、梅、枇杷、ブラックベリー、明日葉、ゴーヤなどが主だが、これも年度差が激しい。
 


 八ヶ岳南麓での記述がままならないので、この際にカテゴリー名を「八ヶ岳南麓と世田谷の24節季72候」に改めて、双方の場所での比較をすることにした。この先何年間続けられるかわからないが、年変化を記録するのが楽しみになる。

 いつの間にか、立夏も次候がすぎて末候になってしまった。この時期の世田谷は種まきの季節になる。今年は、ゴーヤと朝顔だった。今年は何故か、この二つの発芽率が驚くほどに良い。朝顔はご覧の通りで、植え付け場所に困ってしまう。また、ゴーヤは毎年3本に絞っている。昨年の種から発芽したもの1本と接ぎ木苗2本で、これ以上だと食べきれないどころか、もらってくれる人からも「もうたくさん」と云われ、冷蔵庫がパンクする。
こちらも、既に5本も芽生えがあり、今年は苗を買えない。



 種まきをするときには、土つくりから始める。立夏の次候は「ミミズが地上に現れる」だが、土置き場を掘ると、大方のミミズは地表近くにいる。ちなみに、数年前に八ヶ岳から土を持って来た時から、この場所には多くのミミズが常駐している。 その時の八ヶ岳での記録が残っている。たぶん10年前の話だ。

蚯蚓出 (立夏の次候で、5月10日から14日まで)

題名;芝生の中のミミズ

 この頃になると、ミミズが地上に現れるという。我が家の芝生でも、這いつくばって草取りをしていると、何度か眼の前に突然ミミズが現れる。八ヶ岳の土は、落葉が積もってできた所が沢山ある。そんな所を掘ると、ミミズがぞろぞろと出てくる。
 
 この土を東京に持ち帰ると、そこでは多くのミミズの赤ちゃんが産まれてくる。ミミズが土壌を良くしてくれると云うことが実感できるのだ。
ミミズを嫌う人は結構多い。理由の一つは、眼が無いことのようだ。ミミズに可愛い眼があったら、土はもっと良いものになっていただろう。
 トカゲも日向をちょろちょろと歩きまわるのが好きなようだ。赤ちゃんトカゲは、無邪気な顔をしてきょとんと前を見つめていることが良くある。やはり動物の眼は人間とのコミュニケ-ションに必須だと思う。

 一紀荘の庭には多くの蟻も徘徊している。蟻は眼が見えないと聞いた。先を行く蟻の残香を辿って進むので一列になり、少し間が空くと香りが薄くなり、うろうろするという。芝生に這いつくばって雑草を抜いていると、地表の小さなものが見えてくるのが楽しい。


その場考学との徘徊(65) 江戸の街道を歩く(1) 

2020年05月08日 08時33分12秒 | その場考学との徘徊
ブログ;その場考学との徘徊(65)  
題名;江戸の街道を歩く(1) 場所;東京都 月日;R2.5.6
テーマ;文化と文明の関係 作成日;R2.5.7                                               

TITLE:甲州街道、初台からスタート

 新型コロナの緊急事態宣言で東京都が決めた在宅期間の最終日(R2.5.6)に、ガラガラの京王線に乗って初台駅へ向かった。初台は、私が6歳から20年間暮らした場所で、当時の住所は代々木初台町であった。今は、代々木5丁目。つまり、代々木駅と初台駅の中間に私の実家がある。代々木駅との中間には、明治神宮と代々木公園があり、私の実家は、それらと春の小川を挟んだ岡の上で、その丘の南端には縄文遺跡で有名な代々木八幡がある。
 代々木公園と代々木八幡は、私の子供時代の遊び場だった。特に代々木公園は、古くは代々木練兵場で、徳川大尉が日本で動力飛行機の初飛行を行った記念碑がある。その後、敗戦で米軍用のワシントンハイツになった。広い原っぱだったが、MPがうろうろしていて、入ると撃たれると云われていたが、子供だけの草野球はOKだった。私が、大学入学をした年には、オリンピック村に転用されて、その後、現在の公園になった。 そのはるか昔に、そこにあるお寺があった、今日のウオーキングの終点は、そのお寺の移住先になっている。




 今日のウオーキングを思い立ったのは、前の日に買った黒田涼著「江戸の街道を歩く」祥伝社新書(2016)を見てだった。私の小学校は京王線と甲州街道の脇にあり、目の前には玉川上水が流れていた。今は、京王線が地下を走り、すべて遊歩道になっている。そこを歩いてみたかった。



 初台駅のオペラシティー側の出口は、甲州街道と山手通りの交差点になっている。そこを北に進むと、「不動通り商店街」の入り口がある。昔は、下町を思わせる賑やかな商店街だったが、今は西新宿のオフィス街が交差点の反対側まで押しよせて、昔の面影はない。 



少し進むと、右側に大きな寺がある。通称「幡ヶ谷不動尊」で、正式には「荘厳寺」。真言宗で本山は室生寺とある。ここのお不動様は見ることができないのだが、寺の由緒書きには、「本尊不動明王像の作者は、延暦寺第5世座主、平将門を討滅した平貞盛、さらに武田信玄、北条氏政の手を経て、霊夢により当寺に納められた」とある。
 寺には全く人気が無いが、インターホンがあり呼び出して、不動通りの最近の様子を聞いた。居酒屋ばかりで、昔の行事が全くできなくなったと、嘆いておられた。お守りを一つ頂くことにしたが、これがなんと¥500のお値打ちものだった。



 奥に進むと立派なお庭と不動明王の石像が乗っている岩窟があった。



ここの石灯籠は、昔は先ほどの京王線の出口の交差点付近にあり、江戸時代の街道の道しるべで、行き先が刻まれている。今のそこからの眺めは、オペラシティーの超高層ビルだけが目立った。


 
 甲州街道に戻る途中の道端に、大きな石がある。ここは、高知新聞と高知放送の社宅だそうで、石の表面には何も書いていない。ところが、裏に廻ると見事な字が彫ってある。「洗旗池」とあり、東郷平八郎の筆跡だそうだ。
 この池の伝説は、源義家が後三年の役の際に源氏の白旗を洗ったとの話で、幡ヶ谷の地名の起こりになったとある。京の都から東北へ抜ける街道筋だっだのだ。




 しばらく、甲州街道添いの緑道を歩く。昔の京王線の線路跡で、左側には私が60年前以上前に通った小学校がある。非常に古い創立だが、名前の幡代小学校には、なにか因縁を感じる。

 幡ヶ谷駅の近くの甲州街道添いのマンションの片隅に、二坪ほどの細長い建物がある。入口は薄暗く、手洗い場もあって湿っているので、公衆便所に見えてしまった。中に入ると階段の上に格子戸があり、中には数体の地蔵尊が祭られている。「幡ヶ谷子育て地蔵」というそうで、確かに説明板がある。外に出て改めて見ると、ずっと上には大きな九輪がついていた。




 さらに進むと、笹塚駅手前に中野通りとの交差点がある。そこを右に入ると「清岸寺」がある。この寺が、昔は私の遊び場だったワシントンハイツのずっと昔に参宮橋の南にあったそうで、そのうちに江戸時代の地図で確かめてみよう。
 ここの本堂は、千葉県の南房総市から移築されたそうで、またまた縁がある。境内には、酒呑地蔵があり、昔酒に酔って川でおぼれた青年が夢枕に立って、「酔っ払いをなくしたいので、立ててくれ」と願ってつくられたとある。




 この辺りの甲州街道は、若いころの通勤も含めて、もう50年以上も車で通い続けている。今は、実家に居住する98歳の母親の様子を見に通う程度だが、60年の間に随分と走りやすくなった。



 こようなゆっくりとした散歩の後には、いつも感じることなのだが、日本の伝統文化で優れたものは、分野によらずすべて明治維新よりも前に作られたように思う。絵画、仏像彫刻、寺院建築、詩歌、一般の家も古民家の方がはるかに優れている。文明は文化が進化したものと考えている。それに間違えはないと思う。では、なぜこのようなことが現実に起きているのだろうか。今思いつく答えは、―つしかない。
 多くの文化は融合して、文明という社会イノベーションを起こす。つまり、新たな文明は巨大なイノベーションなのだ。しかし、それは破壊的イノベーションだった。つまり、それ以前に存在するものを、次々に破壊しながら巨大化するイノベーションなのだ。そう考えると、文化と文明の関係のつじつまが合ってくる。
 文化はもっと進化してほしい。すると、文明はこれ以上拡大してはならないということになる。このことは、現代のGAFAにより世界中が直面している。