八ヶ岳南麓と世田谷の24節季72候(M01)
場所;一紀荘 月日;2000頃
テーマ;記憶
作成日;R2.5.25
TITLE:20年前からの記憶をたどるシリーズ(M01)
人類がつくる全てのものは、すべて自然の恩恵を受けている。全ての材料の素材は、自然が作り出したものである。全てのものは、大自然(全知全能の神)が設計したものである。第一、人間もそのひとつだ。
ものつくりの設計は多くを自然から学んだ。初期の人力飛行機が、鳥の羽や羽ばたきを模したことは、多くの映像で楽しむことができる。ジェットエンジンはどうであろうか。エンジン史の多くは、その起源を古代エジプトのヘロンのアエロピテルに求めている。
私は、その元は古代人が見た火山だと思う。現在のエンジンで見れば、停止時は休火山。アイドリング時は噴煙を噴く活火山、そしてテイクオフ時は爆発である。火山の麓には大きな岩が忽然と現れる。きっと大昔に火口から飛び出したものなのだろう。私は、時々それが 古代のジェットエンジンの風化したものと感じることがある。あるエアラインの整備部門の標語である「エンジンが止まると飛行機は石になる」を思い出す。
優れた設計者は自然に学ぶ、だから自然に親しむ心が大切だと思う。設計者の頭の中は、寝ても覚めても設計のことでいっぱいな時がある。そんなときの休養は自然の中に身を置くことが一番良い。多くのひらめきを感じることもあるが、心のリフレッシュは人生の楽しみを色々と与えてくれる。
私が、八ヶ岳の南麓に小さなログハウスを建てたのは、21世紀の初頭、2001年の夏であった。そこで、「一紀荘」と名付けた。一郎と由紀子の表札代わりでもある。標高は、1130m、唐松と白樺を主とする落葉樹の森の中なので、夏は涼しく快適であり、冬はすべての葉が落ちて富士山や甲斐駒、北岳が朝日に輝くところを楽しむことができる。
そんな中では、四季折々の自然をカメラに収めることが、写真家でなくとも日常のしぐさになってしまう。そして、その時の感情が文章になり添えられる。だから、この書は自然発生的に出来上がってきたものなのだろう。ほんの百坪の土地に建てたフィンランド製の量産品のログハウスであるそこの名前を、元々その土地に生えていたカラマツの丸太に彫って表札とした。
場所は小海線の線路から編笠山を目指して1kmほどまっすぐに唐松林を登ったところで、春夏秋冬の季節感が東京とは比べものにならない。春は山野草のガーデンが自然にできる。鳥たちが色々な種を運んでくれるのだ。夏の避暑、秋の紅葉は真っ先に始まる。八ヶ岳からの冷気で晴れた朝の気温が想像以上に下がるためと思う。冬の雪は東京並みなのだが、晴れた朝には気温が楽々マイナス15度を示す。
世田谷の我が家からは150km、途中で休まなければ二時間のドライブである。だから、東京からのお客さんも度々ある。毎年一度、「セットウの会」(1980年代に日英共同開発エンジンを設計した当時の仲間)のメンバーを集めてのBBQも恒例になった。そんな景色を書き留めておこうと、少しずつ書きためることにした。
はじめは二十四節気のつもりだったが、これだけではページ数が寂しい。思い切って七十二候も加えることにした。二つを足すと合計で96候になるが、それほどの季節の変化があると感じたからである。
自然には、まだまだ人知の及ばないことが沢山ある。合理性についても、今の人類の活動はどう見ても、自然に勝っているとは云えない。そのように考えれば、もっと自然をそのままの姿で見つめ続けなければ,真の設計は出来ないとの結論に行きつく。
科学を学び、それを社会に役立てるために工学を用い、更に哲学を考えることで、正しい設計が出来るのである。近代の哲学は、人の頭の中にあるようだが、ギリシャ、ローマにもどれば、哲学は圧倒的に自然の中にのみ存在をする。
これは、約10年前に八ヶ岳南麓での生活の10年間を記しておこうとして「デザイン・コミューニティー・シリーズ」の第4巻を纏める際に「まえがき」として書いたものだ。それから10年の間に、随分と生活環境が変わってきた。「一紀荘」は、夏だけの棲み処となり、冬の4か月間は全くより付かなくなってしまった。そこで、当時の原稿を掘り起こして、今の気分を少し加えて書き直してみることにした。どのような変化があったのかを、確かめるために。
さらに今年は、新型コロナによる緊急事態宣言のために、世田谷ナンバーの車は、ばい菌扱いされるので、我が家から山梨県へのドライブは、今日までできなかったが、そろそろ出かける準備ができそうな状況になった。
新型コロナによる緊急事態宣言が、「解除」になる日に
場所;一紀荘 月日;2000頃
テーマ;記憶
作成日;R2.5.25
TITLE:20年前からの記憶をたどるシリーズ(M01)
人類がつくる全てのものは、すべて自然の恩恵を受けている。全ての材料の素材は、自然が作り出したものである。全てのものは、大自然(全知全能の神)が設計したものである。第一、人間もそのひとつだ。
ものつくりの設計は多くを自然から学んだ。初期の人力飛行機が、鳥の羽や羽ばたきを模したことは、多くの映像で楽しむことができる。ジェットエンジンはどうであろうか。エンジン史の多くは、その起源を古代エジプトのヘロンのアエロピテルに求めている。
私は、その元は古代人が見た火山だと思う。現在のエンジンで見れば、停止時は休火山。アイドリング時は噴煙を噴く活火山、そしてテイクオフ時は爆発である。火山の麓には大きな岩が忽然と現れる。きっと大昔に火口から飛び出したものなのだろう。私は、時々それが 古代のジェットエンジンの風化したものと感じることがある。あるエアラインの整備部門の標語である「エンジンが止まると飛行機は石になる」を思い出す。
優れた設計者は自然に学ぶ、だから自然に親しむ心が大切だと思う。設計者の頭の中は、寝ても覚めても設計のことでいっぱいな時がある。そんなときの休養は自然の中に身を置くことが一番良い。多くのひらめきを感じることもあるが、心のリフレッシュは人生の楽しみを色々と与えてくれる。
私が、八ヶ岳の南麓に小さなログハウスを建てたのは、21世紀の初頭、2001年の夏であった。そこで、「一紀荘」と名付けた。一郎と由紀子の表札代わりでもある。標高は、1130m、唐松と白樺を主とする落葉樹の森の中なので、夏は涼しく快適であり、冬はすべての葉が落ちて富士山や甲斐駒、北岳が朝日に輝くところを楽しむことができる。
そんな中では、四季折々の自然をカメラに収めることが、写真家でなくとも日常のしぐさになってしまう。そして、その時の感情が文章になり添えられる。だから、この書は自然発生的に出来上がってきたものなのだろう。ほんの百坪の土地に建てたフィンランド製の量産品のログハウスであるそこの名前を、元々その土地に生えていたカラマツの丸太に彫って表札とした。
場所は小海線の線路から編笠山を目指して1kmほどまっすぐに唐松林を登ったところで、春夏秋冬の季節感が東京とは比べものにならない。春は山野草のガーデンが自然にできる。鳥たちが色々な種を運んでくれるのだ。夏の避暑、秋の紅葉は真っ先に始まる。八ヶ岳からの冷気で晴れた朝の気温が想像以上に下がるためと思う。冬の雪は東京並みなのだが、晴れた朝には気温が楽々マイナス15度を示す。
世田谷の我が家からは150km、途中で休まなければ二時間のドライブである。だから、東京からのお客さんも度々ある。毎年一度、「セットウの会」(1980年代に日英共同開発エンジンを設計した当時の仲間)のメンバーを集めてのBBQも恒例になった。そんな景色を書き留めておこうと、少しずつ書きためることにした。
はじめは二十四節気のつもりだったが、これだけではページ数が寂しい。思い切って七十二候も加えることにした。二つを足すと合計で96候になるが、それほどの季節の変化があると感じたからである。
自然には、まだまだ人知の及ばないことが沢山ある。合理性についても、今の人類の活動はどう見ても、自然に勝っているとは云えない。そのように考えれば、もっと自然をそのままの姿で見つめ続けなければ,真の設計は出来ないとの結論に行きつく。
科学を学び、それを社会に役立てるために工学を用い、更に哲学を考えることで、正しい設計が出来るのである。近代の哲学は、人の頭の中にあるようだが、ギリシャ、ローマにもどれば、哲学は圧倒的に自然の中にのみ存在をする。
これは、約10年前に八ヶ岳南麓での生活の10年間を記しておこうとして「デザイン・コミューニティー・シリーズ」の第4巻を纏める際に「まえがき」として書いたものだ。それから10年の間に、随分と生活環境が変わってきた。「一紀荘」は、夏だけの棲み処となり、冬の4か月間は全くより付かなくなってしまった。そこで、当時の原稿を掘り起こして、今の気分を少し加えて書き直してみることにした。どのような変化があったのかを、確かめるために。
さらに今年は、新型コロナによる緊急事態宣言のために、世田谷ナンバーの車は、ばい菌扱いされるので、我が家から山梨県へのドライブは、今日までできなかったが、そろそろ出かける準備ができそうな状況になった。
新型コロナによる緊急事態宣言が、「解除」になる日に