生涯いちエンジニアを目指して、ついに半老人になってしまいました。

その場考学研究所:ボーイング777のエンジンの国際開発のチーフエンジニアの眼をとおして技術のあり方の疑問を解きます

メタエンジニアの眼シリーズ(69)「全・地球学」 KMB3448

2018年07月31日 07時02分49秒 | メタエンジニアの眼
その場考学研究所 メタエンジニアの眼シリーズ(69)
          
TITLE: 「全・地球学」 KMB3448
書籍名;「全・地球学」[2018] 
監修者;松井孝典  発行所;ウエッジ
発行日;2018.3.31
初回作成年月日;H30.5.24 最終改定日;H30.7.31 
引用先;メタエンジニアの歴史 

このシリーズはメタエンジニアリングの歴史を考える際に参考にした著作の紹介です。『 』内は引用部分です。

本の副題は、『1996-2017フォーラム「地球学の世紀」22年、134人の知の試み』とある。A4サイズで511ページの百科事典並みのボリュームがある。年度順に、数人の識者が地球学の立場から発言をしている。残念なのは、国内の識者にとどまっていることなのだが、中身は多岐にわたっており、まさにメタエンジニアリングの世界を感じさせる。その中からいくつかを引用する。



 監修者の松井孝典氏の著作については、すでにメタエンジニアの眼(19)と(27)で紹介した。地球惑星科学者を称する東京大学理学部教授で多くの著書がある。150億光年の空間スケールで地球と文明を考えようとする「アストロバイオロジー」を主張する。現代の、環境・人口・食料などの問題を、地球システムの問題として、ひとつの宇宙人の立場で新たな視点を探っている。

・1996年6月号(002)
川勝平太「脱=自然科学と脱=社会科学が交差する領域「物産複合」」


『地球の自然の多様性は どうして生まれたか
物粟学者の松井孝典さんが、宇宙の誕生から人間 社会の発達まで説き及ぶ、壮大な歴史学を提唱さ れている。ビッグバンで137億年前に宇宙が誕生し、46億年前に太陽系ができ、36億年前に生命が誕生し、600万年前に人類が誕生した。宇宙→地球→生 命→人類の歴史を貫くのは物質の冷却過程であら、物質が冷却して異質の物質を生み出す過程、すなわ ち分化の所産が自然の多様性だというのだ。松井さんの宇宙史観における因果の系列を貫くのは物質の「冷却」にともなう「分化」と「多様化] である。』(pp.18)
 多様化に関しては、更に「カゲロウのような、弱い生物も生き残る「今西の棲み分けの密度」という理論を紹介して、地球的自然の多様性を強調している。

 『こにはヨーロッパの文化風土というべき、人間を中心にして社会を理解しようという態度がある。人間のことしか考えていないといっても過言ではない。 既成の社会科学は物を包摂する視点を欠いている。一方、松井、 今西理論の研究対象は物だ。物質が冷却し分化してできた 物から成り、生物も物だ。 松井・今西理論こそは真の唯物史観である。それと比べれば、マルクスの唯物史観は階級闘争をする人間が担い手なのだから、偽非物にさえ見える。このままでは切り結ばない。両者をどう媒介するか。』(pp.19)
 つまり、「ヒト」も自然の文化作業によって出来上がった一つのものとして扱おうというわけなのだろう。そこから、「物産複合史観」が生まれた。「物産複合」とは、自然が作り出した物と、人間が作り出した産物を、同一視しようという試みになっている。

 『「物産複合」史観に立った歴史像は、旧来の人間中心の歴史像を批判的に吸収する一方、 自然学との対話にも道を開いている(拙著『日本文明と近代西洋』[NHKブックス]の参照を乞う)。』(pp.19)で結ばれている。

・1996年7月号(003)
 西垣 通「インターネットが導く「新しい共同体」の誕生」


 『「地球学とは何か」と問われれば、すぐに答えが出てくるわけではないが、ともかく諸学の成果を集め、文明史的スケールで研究すべき分野なのだろう。インターネットは、こういう大事な問題を討論するのに絶好のツールである。』つまり、ほぼ無料で、世界中のありとあらゆる情報を集めることができるというわけである。

 『知性と善意のネットワークどころか、いまやインターネット空間は金儲けの草刈り場と化しつつあるのだ。もちろん、知性と善意のユーザーも皆無ではないのだが、むしろ私腹を肥やそうと、らんらんと目を光らせている連中のほうが、圧倒的に 多いのである。』として、現状を語っている。そのあとで、もともとは、科学技術の学術的な成果を交換するためのものが、ビジネスに使われるようになったためだとして、次のように続ける。

 ビジネスに使われるべきインターネットとして、次のことを提案している。
 『これから私たちが建設していかなくてはならない国際情報スーパーハイウェイ、いわゆるGH(グローバル・インフォメーション・ インフラストラクチャー)なのである。そこでは、 適切な規制管理が行われ、たとえ暗号解読などによる事故が起きても、保険で対処できるような制度が作られることになるだろう。有料ではあるが、安心して非公開情報を送れるということが、Gil の必要 条件なのである。』として、著書の、「インターネットの5年後を読む」を推奨している。

・1997年1月号(009)
 今田高俊「「文理融合」のアプローチを目指して」


 『 21世紀には、科学技術と人間社会の不調和が地球的規模で発生する可能性が、今にも まして強まるだろう。こうした中で、人類が地球環境と調和して生存していけるような経済活動、生活様式およびそれらの基礎をなす倫理・価値観の形成、といった課題に取り組むことが、ますます重要性を帯びつつある。この要請に応えるためには、「文理 融合」のアプローチという新たな方法を模索することが不可欠である。』(pp.34) 
現代の諸問題は、「文理分業」という専門分野体制の隙間から零れ落ちているというわけである。
 『似前からこうした問題点は認識され、「学際的協力」が盛んに」謳われたが、既存の専門分化した学問領域の独立性を大前提としていたため 切り取る現実の隙間をぬって発生する問題の対処には、ほとんど功を奏していない。』(pp.35)
と断言をしている。

 『また、文理融合は、一般教養人ないしジュネラリストの育成を目指すのではなく、あくまで専門知識人ないしプロフェッショナルの育成を目指すために、されるべきである。教養主義に先祖帰りするような文理融合では、何ら現状の解決にはならない。文理融合の方法として、いくつかのアィデアが考えられるが、私は「意思決定」をキーワードにするのが有力な方法だと考える。』

 『文理融合のアフローチが育成する人材は、地球環境問題、生命操作の問題、技術移転と文化摩擦の問題、大規模災害など、科学技術と人間社会の不調和に対し、高度な価値判断に基づいて的確な意思決定を導き出す方法や仕組みについて造詣が深く、不確実な状況のもと、クリティカルな事態に対して速やかな意思決定を下すことのできるネオ・リーダーで ある。』としている。理想的なメタエンジニアと思われるのだが、このような能力は将来のAIにしか持てないのではないだろうか。

・2001年10月号(062)
 横山俊夫「よみがえる日本文明―江戸期日本のいのちのかたちを考える」


 『文明とは気高い言葉である。 社会が精密に統合されているだけでは文明と呼べない。この語は東アジアの古典、『易』に出る。ものごとが天地人にわたり文(あや)を織りなし、安定して光明をはなつことを意味する。』
私は、この言葉が「文明」の真の姿だと思っている。中国と日本のすべての古代史の研究者は、このことを知っている。

 『古典的な文明観にしたがえば、産業革命以来「文明」と称する社会は、その名に値する体をまだなさない。いずれも安定より変革、礼やシヴィリテより武断をこととして勝者のみ輝き、かかわったいのちの多くを闇に置いてきている。今世紀の人類の課題は、自ら手にした強過ぎる技術も含め、いかに地球規模の文明をもたらすかにある。』
 このことが、げんだいの「文明」の真実なのだろう。そして、ここから本題に移る。

『江戸期の日本の人びとのいのちのかたちが示唆をあたえるかもしれない。消費も情報も細かに統制されながら、闇-色ではなかったからである。1859年英国刊の『エルギン卿遣日使節録』の中に浅草寺群集図がある。日英条約の交渉を終えた使節一行が浅草寺に出かけると、老若男女が境内にすきまもなく詰めかけた。その群集の「礼儀正しさ」と「明るさ」に驚いて描かれた図である。エルギン卿 は妻への手紙で、ヨーロッパではそのような振る舞いは莫大な富をつぎ込まねば身につかないと評した。』

 そこから、江戸期の礼儀作法がいかに発達し、広まったかを、当時の文献で示している。「節用集」と「大雑書」というものだ。著者は、現在各地に残る当時の蔵書の、「手ずれ」のあとをスキャナーで調べて、どの部分が重用されていたかを克明に調べたとある。そこから、「文(あや)を織りなす」生き方が生まれてきた。

 『さらにいえは、作法にせよマナーにせよ、言葉にたよる部分は各国千差万別であるものの、その基本動作の多くは人類のみならず類人猿にも共通である。 江戸期のいのちのかたちをゆるやかに整えた作法のありようを文明の核として見直すことは、人間が、 明るい安定社会への共同を、からだで表す生き物であることを確認することになるだろう。』と結んでいる。

・2006年3月(110)
 森本公誠「シルクロード上の異文化間に通底する世界観について」


 「グローバリゼーション」は、中国語では「全球化」と訳される」で始まる。筆者は、東大寺の別当職で、「華厳経」の世界観との一致をみる。
 話は、仏教の起源から、アリーア族の宗教から、ゾロアスター教へと移り、そこからユダヤ、キリスト、イスラム教の教義の共有性に至る。そのような経緯から、世界各地に多様な神話が生まれた。
 要は、世界観のながれであり、『進化のデザインは流れの効率化という観点で決まる」という指摘は、地球システムにおける安定な人間圏論の構築に向けて、試行錯誤していた筆者にとって、大いなるヒントを与えてくれた。地球における冷却と分化という進化の方向性に、その過程の具体的な意味を与えてくれるからだ。冷却とは熱というエネルギーの流れの存在を意味し、分化は物質の流れに関わる。』として、冒頭の命題に帰着している。そこから、著者独特の地球氏の流れの開設が始まっている。そして、結論的に次の言葉になる。

 『冷却と分化という現象に共通するのは「流れ」である。冷却はエネルギーの流れであり、分化は物質の流れである。地球史は、最初に熱かった地球が、その熱を放出する過程で、物質の再分配を起こす流れの過程であった。分化は分岐であり、それは流れに特有な現象だ。生命も、原始的な原核細胞から、真核細胞に構造を変え、さらに多細胞化することで分化した。例えば、植物は効率よい揚水ポ ンプの形状を整え、動物は自らの運動能力を増し、エネルギー効率を高めるようにその形態を変え、現在の異なるさまざまな形態の生物種が生まれた。』単純化すれば、こうなる。(pp.485)

・2017年5月号(205)
 長谷川真理子「知性の進化と科学技術文明の行方」


 『この地球上で私たち入類は現在、巨大な文明を築き、地球史的に見ればほんの短い期間で、地球の環境を大きく変えるほどの影響力を手に入れた。これはみな、私たちが高度な知性を持っているかれである。では、この知性とはなんであろう。』で、総合研究大学院学長の話は始まっている。
 ヒトは、社会生活への適応のために脳が発達し、「他社の状況を自分にあてはめ共感する力」を得たとしている。

 『社会的知能に関して言えば 、ヒトは超好社会性である。ヒトは損得を超えて本質的に他者を助けたいと感じ、協力行動を快とする性質を備えている。その基盤にある性質のひとつが共感性である』

 『ヒトは、文化を持ち、文化的環境に取り囲まれて暮らす動物である。文化とは何か? 行動生態学の定義では、遺伝子の伝達とは別に、ある行動が世代を超えて集団中に伝えられることである。この定義によれば、ヒト以外のいくつかの動物にも文化は見られる。しかし、 ヒトの文化が特徴的なのは、ある発明によって生まれたある文化が、その後に集団のメンバーによって 改良され、それが全員に共有されることにより、急速に蓄積的に発展していくことである。』
 私は、このことを「文化の文明化へのプロセス」とした。メタエンジニアリングとの偶然の一致であった。

 現代科学は、問題の内側では成功したが、問題の外側ではどうであったか、として
 『しかし、科学技術も人間の好奇心と欲望を原動力として発展しているのであり、好奇心、と欲望はつねに「正しい」道を進むとは限らない。限定された「解ける」問題を解くことに長けた科学は、その内部では大成功だ。が、その問題の外にある問題は考慮しないので、その部分で多くの新たな不幸をもたらしている。その全貌をメタ的に考えられる人は誰もいない。』
 確かに、現代の細分化された学問分野の中では、「全貌をメタ的に考えられる人は誰もいない」という結論しかありえない。メタエンジニアリングは、まだがくもんぶんやとしては認められていない。

メタエンジニアの眼シリーズ(68)移民の1万年史[2002]

2018年07月30日 09時20分19秒 | メタエンジニアの眼
その場考学研究所 メタエンジニアの眼シリーズ(68)
          
「移民の1万年史」[2002] 

監修者; ギ・リシャール 発行所;新評論
発行日;2002.7.20
初回作成年月日;H30.7.27 最終改定日;H30.7.30 
引用先;文化の文明化のプロセス Implementing




このシリーズは文化の文明化プロセスを考える際に参考にした著作の紹介です。『 』内は引用部分です。

監修者は、アカデミーフランセーズ会員の文学博士、7人の執筆者が、それぞれの時代と地域区分で分担をしている。副題は「人口移動・遥かなる民族の旅」。
 
 ここ数年間、特にヨーロッパでは移民問題が常態化しているが、人類史を顧みれば、現在起こっている移民は決して大規模とは言えない。
「はじめに」で、監修者が9ページにわたって歴史を概観している。
『最古の時代から見られた移住は、地球上の人口構成にたいして、もっとも重要な役割をはたしてきた。古代文明以降の歴史時代でも、移住という動向は、多くのばあい非常に重要な要素であり、大規模な文明圏と広大な帝国の出現とともに、世界の征服を確実にした。
ヘブライ人のエジプト脱出とアッシリアでの幽閉、アカイア人とドーリア人のギリシアへの流入、海洋民族のエジプト流入、フェニキア人とカルタゴの住民のスペインにまでおよぶ移住は、もちろんローマの征服とともに文字化された痕跡をのこしている 』(pp.1)

 民族移動の大きな現象としては、紀元前の肥沃の三日月をめぐる移動。紀元前後のフェニキア人やギリシア人が行った通商用の基地の建設。16世紀ごろに起こった流刑地への強制移動。19世紀の「白人の人口爆発」による移民。第1次、第2次世界大戦前後の移動、などである。
 
そして、20世紀の移民としては、
『移民は二〇世紀のはじめまでは、新しい国々に向けた旧大陸の住民たちのラッシュを意味する典型的にヨーロッパ的な概念だった。この「移民」という表現が、このような概念に支えられているようにみえても、この時点で、 以下のような急激な変化がおきていたことが確認される。つまり、第一次大戦のおりの人口需要と、そのあと、とくにフランスでみられた工業の発展のための人口需要が、いちはやくアフリカとマグレブだけでなく、ヨーロッパの地中海諸国とポーランドの労働力を誘いこんだことである。工業化したドイツもまた、第二次大戦以後に移民の地となり、ポーランド人とともにトルコ人やマグレブ人をひきつけた。イギリスは、とくに旧帝国時代の領土の住民を受けいれた。、』(pp.5)


 このように見ると、移民は常にヨーロッパで起こっていた。

『ヨーロッパ大陸は大昔から、世界の全人口が集まり、戦いあい、混ざりあってきた半島にほかならない。しかし、ヨーロッパは多くのばあい受けいれ側だったとしても、一五世紀からは移民の波の出発地点となってきたのである。 そして移民たちは、新世界と、アフリカや、アジアや、オセアニアに住みつき、それらの土地を植民地化した。』(pp.6)

 監修者は、「移民の原因」を大きく3つに分けている。第1は、好戦的な侵略から逃れるため。第2は、気候変動などによる飢饉での飢えから逃れるため。第3は、金(ゴールド)に対する渇望。

 各論は、「古代オリエントとイスラエルの移民」で始まる。ヨーロッパ人としては、現代まで続く大問題なのだから当然なのだろう。「約束の追求」として、歴史を詳しく語っている。概略をすれば、古代のエジプト人、クレタ島の民族、シュメール人が暮らしていたところへ、南からセム系諸族と北からインド・ヨーロッパ語族が侵入して、混乱が始まった。

 ローマ帝国の崩壊につながった「西欧での未開人の侵入と定着」は、22の民族が移動した時期と侵入先、そこでの混交または軋轢が一覧表になって示されている。この表で最も古いのは、406年のゲルマン民族のライン川の渡河であり、もっとも新しいのは、1240年のスカンジナビア人(と刀剣騎士団)のノヴゴロド公国への侵入となっている。(pp.43)

 19世紀の「白人の人口爆発」による移民についての表からは、合計人数が記されている。
イギリス諸島からの移民(1825~1940)は、2100万人。
ドイツからの移民(1820~1930)は、650万人
 スカンジナビアからの移民(1850~1930)は、250万人
 フランスからの移民(1801~1939)は、190万人、といった人数が示されている。

特筆すべきアイルランドの飢饉による移住は、次のように記されている。
『ジャガイモの病虫害と、農産物の不作がつづいた一八四六ー四七年から急激に膨脹し、大規模な集団になった。アイルランドで五〇万人の死者をだした一八四八年の飢謹では、二〇〇万人のアイルランド人がアメリカに移住した。イギリス全体の移民の五〇%がアメリカに移ったが、イギリス政府と、さまざまな私的団体が努力を重ね、のこりの二一%の移民をカナダに、一五%をオーストラリアに、五%を南アフリカに送りだすことに成功した。』(pp.76)

 20世紀最大の移動は、第2次世界大戦の期間中(1939~1945)に起こった。ナチスドイツによる民族の移送は有名だが、実は最大の移動はアジアで起こっていた。
『世界大戦が極東でひきおこした、巨大な人口移動も忘れることができない。一九三二年と、とくに一九三七年以降には、日本軍の作戦のため、中国の彪大な数の非戦闘員が移動した。そのうちの三〇〇〇万人は、しだいに内陸部の奥深くまではいりこみ、そのほかの人たちは仏領インドシナとビルマに移住した。時には毛沢東の共産党軍の「長征」のような、軍隊の行進が本物の移住を呈したこともある。一方、一九四五年以降のアジアでは、一〇〇万人の日本人が日本列島に帰国した。 また、一九四七年にインドがイギリスから独立し、パキスタンがイギリスから分離したときには、両国の間で住民の交換がおこなわれ、このときは少なくとも八〇〇万人のひとたちが移動した。』(pp.88)

 ここでも、全体の動向が一覧表で示されている。期間中に大移動をした民族数は24。1939年にドイツ軍の侵入で起こった、ポーランド人150万人の西方への移動が発端だった。しかし、期間中に500万人以上が移動した事例が4件ある。最大は、日本軍の作戦による中国人の非戦闘員の中国内陸部への移動で、人数は3000万人となっている。また、イギリスの撤退による、インド独立にともなって1947年に起きた、インド人とパキスタン人の交代で800万人。ドイツ関係では、戦争中のソヴィエト人捕虜のアウシュビッツへの移送が570万人、戦後のドイツ人の限られた領土への移住者が950万人となっている。(pp.89)

 歴史を眺めると、現在ヨーロッパで起こっている移民の数は、歴史上としては他の時代に比べて少ない数という事ができる。

 さて、ここまで読んで歴史の教訓を感じた。それは、新たな文明は民族の大移動が起こった地域で起こる可能性が高いということだ。それは、未開の土地では、移住者全員が危機感を共有して、新たな試行錯誤を繰り返し、そのたびに新たな知恵を得ることができるためと考えられる。平和をむさぼっている民族からは、新たな文明は生まれようもない。そのように考えると、次の文明は中国から生まれてくると想像される。
 さらにメタエンジニアリング的に思考範囲を広げると、「ヒト」が文明を手にしたプロセスに行き着く。アフリカで発生したヒトの新種が、なぜユーラシアに移動をして、次々に古代文明を築くことができたのかも、同じことが言えるのではないか。当時の「ヒト」の身体的な特徴は、他の動物のいずれよりも生存能力が低かった。食料を得る手段としての牙や鋭い爪はなく、速く走れず、視力・聴力・嗅覚もそれほど良くない。さらに、外敵から逃げる手段も貧弱で、同じ種のサルが木から木へ移れるのに、その能力すらない。そのような種族が、安全に集団生活を過ごすには、全体で色々と知恵を絞る以外に方法はない。そのような状態が何世代も続けば、自然に脳が発達し、その結果が文明の発生につながった、といえるのではないだろうか。


メタエンジニアの眼(67)「我関わる、ゆえに我あり」 [2012]

2018年07月21日 07時32分11秒 | メタエンジニアの眼
TITLE: 書籍名;「我関わる、ゆえに我あり」 [2012]

著者;松井孝典 発行所;集英社新書 0631G 
発行日;2012.2.22
初回作成年月日;H29.2.20 最終改定日;H30.7.21
 
引用先;文化の文明化のプロセス
  Converging & Implementing
このシリーズはメタエンジニアリングで「文化の文明化」を考える際に参考にした著作の紹介です。『 』内は引用部分です。




著者の松井孝典氏は、地球惑星科学者を称する東京大学理学部教授で多くの著書がある。150億光年の空間スケールで地球と文明を考えようとする「アストロバイオロジー」を主張する。現代の、環境・人口・食料などの問題を、地球システムの問題として、ひとつの宇宙人の立場で新たな視点を探っている。

彼の著書の3冊目。かなり集大成の感がある。(前2冊は、メタエンジニアの眼(19)で紹介済み。

あとがきより、
『変動の人間圏への影響のことを災害といいます。
 人間圏が肥大化すればその変動の影響を大きく受けることになります。人間圏に深刻な影響を及ぼすでしょうし、人間圏と地球システムの調和という問題にはそのことも含まれます。自然災害の巨大化と地球環境問題とは問題の因果関係の裏表に他なりません。それはまた人間圏の駆動力の問題にもつながります。そのために文明とは何かを問い直す視点があってもよい。それはまさに明治維新以来のこの国の形を見直すことにもつながります。』(pp.222)

・ゴーギャンはなぜ文明を問うたのか

 ボストン美術館所蔵の有名な「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くの、か」の絵を示して、『1897年、故郷フランスから遠く離れた南の島タチヒで、描きあげられました。急速に変化を遂げてゆく文明社会に対する懐疑と絶望、そして、そうした文明をつくり上げた人間という存在に対する根源的な問いかけ。それらをゴーギャンは絵画という芸術に見事に昇華させました。』(pp.56)

 彼の、前2冊からの持論を纏めた形で
『人間圏と地球システムの関係を、人間圏の発展段階ごとに図にしてみました。』(pp.148)

 図1は、「生命の惑星段階」として、中央に「地圏」があり、周囲を「大気圏」、「水圏」、「生物圏」が離れて存在する。人間は、「生物圏」の中の小さな存在としてある。
 図2は、「文明の惑星段階」として、3つの圏に重なり部分が生じると同時に、第4の「人間圏」が現れる。
 図3は、「地球システムⅡの文明の惑星段階」として、人間圏だけが巨大化して、地球システム全体と等価の大きさに近づく。
 図4は、「21世紀の地球システム」として、人間圏が更に巨大化して、地球システム全体を飲み込んでしまう。

 図4の解説は次のようにある。
『人間圏はさらに拡大を続けます。駆動力に注目すれば、人間圏は地球システムの駆動力をはるかに超えるようになります。そのため、人間圏と地球システムの関係は非常に不安定になります。一方で、地球システムと調和的な人間圏という意味では、地球システムを超えて大きくなることができないため、その内部で何らかの強制的な変化を求められるようになります。』(pp.152)

 結論は、次のように語られている。
『文明の誕生と発展が、我々の認識の時空を拡大し、宇宙における観測者として、その宇宙が存在することに意味をもたらすことになったことは、実は文明とは何かを問ううえで忘れてはならないことです。しかしその存在が一方で、文明の存続にかかわる問題を引き起こしているという「文明のパラドックス」に、我々は挑むしかないのです。』(pp.153)

彼は、これらの集大成ともいえる「全・地球学」を纏めた。その本については、メタエンジニアの眼(69)で紹介しようと思ています。

その場考学のすすめ(16)のぞみ号の台車の亀裂問題

2018年07月16日 20時24分03秒 | その場考学のすすめ
TITLE:のぞみ号の台車の亀裂問題

H29年12月に、JR西日本の「のぞみ」で 破壊寸前の台車の亀裂が発見されて、大問題になった。大事故に至る明確な兆候を見逃していたのだから、大問題になるのは当然だった。半年後に、運輸安産委員会の報告結果がH30.6.28の日経新聞の一面に掲載された。それによると、「車両の記録装置に車体を支える空気バネのデータが残されており、発覚前日のデータでは、その日の午後から荷重が急激に減少して、車体のバランスが崩れていたことが分かった。」としている。そして、「データを常に監視していれば、異常を早期に察知できる可能性がある」としている。つまり、データ上は前日から明らかな異常が示されていたのだった。         。

 この事実には驚かざるを得ない。航空機に搭載されたエンジンでは、飛行後に多くのデータを解析して、異常の有無を確認してから、翌日の飛行に備えることが、はるか昔から行われている。数年前からは、これらがリアルタイムになり、飛行中のエンジンの状態を常時監視することが行われている。

 すべての材料と加工にはばらつきがある。それは、ある確率では設計寿命の半分以下でも破壊が進行することがあり得る。そのためのデータ収集だと思われるのだが、実際には役に立っていなかった。原因は何であろうか。このような事件や事故が起きるたびに、私は、もっとも上流の設計者が原因と考えることにしている。

 この場合、設計者は台車の亀裂がどのような事故に繋がるかは念頭にあり、そのうえで強度や寿命を満足する台車の諸寸法の設計を行った。さらに、それを支えるバネのデータ収集も行う措置をした。設計の作業は、そこで終わっているように思われる。しかし、それでは設計機能の半分しか果たしていない。つまり、「FMECA」を行っていない。「FMECA(Failure Mode Effective and Criticality Analysis) 」とは、安全性に関わる部品が、何らかの条件(いわゆる想定外)で設計寿命を満足できなかった場合に、どのような事故に繋がるのか、その事故で想定される被害を少しでも軽減する方策は何であろうかを考えて、その結果を、改めて設計に盛り込む作業である。いわば、Design Reviewの最終段階のものなのだが、残念ながら、日本ではこの作業は通常は行われない。通常は、「FMEA」と呼ばれる解析作業どまりになっている。つまり、「Criticality」をとことん追求しない。
 
このことは、日本人の「安全神話」文化が大きく影響していると思っている。危険なことを考えること自体が危険であると思ってしまう文化だ。設計者は、常に安全神話を乗り越えなければいけない。福島原発や、中央道の笹子トンネル事故でも同じことが繰り返されている。
 
その場考学的に考えると、このことは最初の設計者しかできない作業になる。つまり、最初の設計者がその場で行わなければならないことなのだ。あとからほかの設計技術者が考えても、真実のことは半分も伝わらない。